Web草思
ゆらりゆらゆら記 鬼海弘雄
最終回 ナターシャと瑠璃鶲(るりびたき)
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 朝起きたら喉が痛い。昨日の午後から咽喉の奥がおかしく、背中にも寒気をおぼえていた。昨夜寝る前に漢方薬の葛根湯を呑んだのだが、風邪は居座って仕舞ったらしい。
 今日は、水を使う暗室作業はやめよう。
 ここ一か月半ほどプリントの伸ばしで暗室にこもっている。来春ドイツの版元から英語版の写真集を出すためだ。僥倖が孵化したような初めての海外版は「persona」シリーズのポートレイト、『王たちの肖像』『や・ちまた』『PERSONA』『ぺるそな』をまとめるものだ。少なくとも二百五十人ぐらいは並べたいと思っている。
 私にとって十三冊目にあたる写真集だ。だが若かった昔のように本になることに対して心がときめくことが少なくなった。歳を経て「世界観」が狭まり、見果てぬ水平線がずいぶんと手前になってしまったのだろうか。
 洗濯ものを干しにベランダに出ると、重い雲が低く垂れまるで裏日本のように冷え冷えとした灰色の寒さがよどんでいた。鼻腔をかすめる冬の匂い。その匂いは、ここ十年来五回旅して、二百七十日ほど歩いてきたトルコのアナトリアの荒々しい高地を思い出させた。三十年近くは暑いインドの放浪を繰り返してきたので、トルコ旅はいつも晩秋から冬にかけて出掛けている。
 いつも二か月ほどの旅だったので、イスラム教のラマダーン(断食月)に毎回どこかで重なった。小さな町や寒村を当てもなく歩くだけの旅だったが、海抜千メートルをゆうに超す高地の岩漠や荒野が拡がった大地は、いつも重そうな鉛色の雲に覆われていた。ひどい氷雨や雪に悩まされることはめったになかったが、空気は剣のように鋭かった。
 冬の匂いに唆されて、ふと、葉を落として立つ裸の雑木を見たくなった。
 背中にホッカイロを貼って暖をとり、娘が乗らなくなった自転車で三キロほど離れた生田緑地に向かった。
 多摩丘陵の生田緑地公園は雑木の森に在る。谷あいや林を縫う細い遊歩道はまったくコンクリートを使わない自然ものなのでよく散歩に遠出をする。
 公園につづく歩道を自転車で曲がると、目の前に例のおばさんがいつものように狭い歩幅をせかせかと歩いていたので驚いた。例のおばさんとは、この連載の7回目「自動巻き腕時計、六十ワット白熱電球」で登場していただいた、持ち物も背負った小振りなリュックもすっかりビニール袋に包んで縛り、しかも自分の身体自身も衣服や帽子や手袋ですっぽりと包みこんだ印象のおばさんだ。
 このところ暗室に籠っていたので、駅に向かう橋の上できっかり九時五十分に出会うおばさんとはしばらく会っていなかった。橋からの距離を考えれば、十一時過ぎに公園の近くで見かけるのは計算が合う。するといつもこの時刻にはここを歩いているのだろうか。きっと同じルートで広範な地域を回流しているにちがいない。天候にかかわらずいつも持っている大きなコウモリ傘は、いつものように袋を抱えた腕に掛かっていたが、藍染めの帽子は毛糸の帽子にかわっていた。そしてその上に被った鍔の大きなサンバイザーが顔全体を覆っている。真新しいスニーカーを履いていた。
 自転車を公園の隅に置いて、山頂へ向かった。
 粘土質の小道わきのところどころには、「グリーンアドベンチャー」の説明札が立っていて傍の樹の案内をしている。ひいらぎの説明札には、葉は厚くつやがあり、葉先と鋸歯の先端が鋭くとがる。老木の葉には鋸歯がなくなる。材はかたく緻密なので、印材、そろばん玉、将棋の駒に使われる。節分の日、門口にこの木の小枝に鰯の頭を串刺しにして魔よけにする地方もある、などと懇切丁寧に書かれている。植物学者、牧野富太郎博士の名を思い出したりした。
 写真の世界にも明確な専門領域に情熱を傾ける優れた昆虫写真家たちがいる。いつもとらえどころのない「人間」にレンズを向ける写真家としては羨ましい存在だと思っている。それらの人たちは知識や観察能力からして写真家というよりも科学者だと思っているのだが。
 崖脇に立った「えごのき」の札の説明文には、若い実の皮にはサポニンが含まれ洗濯石鹸の代用。すりつぶして川に流して魚取りに使うこともあったなどという簡潔な文章が書かれていた。読んでいるとすぐ後を数人のオバサマハイカーたちが、芸能人についての噂話を声高に話しながら登っていった。テレビのワイドショーで仕入れた、いつも結論が一つに導かれるような話題は、昼間のファミレスでやってくれと声に出さずに毒づいた。
 中腹で脇道に逸れ、行き止まりの見晴らし台に行ってみる。あずま屋にはあの男の姿はなく、三匹の野良猫たちが毛繕いをしていた。めったに人の行かないあずま屋には、この春先からその男が暮らしていた。散歩に行く昼間の時間には姿はないのだが、何個かのバッグと寝袋があずま屋の隅に寄せられて片付けられていた。床にはクッキーの空き缶にキャットフードと飲み水の入ったどんぶりが清潔さを保って置かれていた。その周りには七、八匹の野良猫がたむろしていた。
 十月のある日、このあずま屋にたずねてみると、仕事を休んだのか四十代はじめらしい頑強そうな男が寝袋に入って文庫本を捲っていた。
 やはりこの募る寒さに、猫好きな男はあずま屋から引っ越しをしたらしい。以前から棲んでいるらしい三匹の猫だけが残ったのだろう。男が三匹の猫のために残していった古い毛布がすみに置かれたままだった。
 城趾のある広場に上っていくと、普段はベンチや展望台で休んでいるひとを見かけるのだが日差しのない寒さのせいで誰もいなく、銀杏の落葉だけが地面を黄色く埋めていた。水飲み場の閉め切らない蛇口から細く落ちる紐だけが風に揺れていた。落葉をかすかに叩くその寒そうな音に、ふと、数年前グルジアの国境に近い小さな町を訪ねた時のことを思い出した。
 黒海の港町トラブゾンでこの先どこに行こうか迷っていた。退屈紛れに、崖に建った宿屋の受付に貼られた地方地図を見ているうちに、ふと、国境近くの小さな印の付いた町の名前に妙に魅かれてた。急に訪ねてみようと思った。
 暖房の効きの悪いミニバスに二度乗り換え、雪の残る低い峠を超えて、川の傍にあるバス・ターミナルに着いた時にはすでに冬の夕闇が迫っていた。橋を渡ると、その町は窪地にこぢんまりとうずくまっていた。通りをうろつく犬たちに引っ切りなしに吼えられながらようやく十部屋にも満たないホテルを見つけた。
 急な木造の階段を登って行くと、入り口の受付部屋には赤々と石炭ストーブが燃えていた。指先で曇った眼鏡を拭いて赤い電球の吊り下がった部屋を見渡すと、濃いめの化粧をした二人の年増女が、ビロードのソファーに身体を投げ出し、器用に前歯で割った殻をはき出しながらカボチャの種を食べていた。ナターシャ……。トラブゾンのホテルや酒場で土地の男たちが通称ナターシャと呼ぶ「ロシア」からの出稼ぎの女たちをよく見かけていた。
 えらいとこに舞い込んだと思ったが他にホテルはありそうもなかったので意を決して前金を払った。腹の出たオヤジから渡された大きなプラスチックの付いた鍵で、いちばん外れた部屋の扉を開けていると、廊下の突き当たりの洗面所で若い娘が洗濯していた。娘は明るい水色の裾の拡がった化繊のスカートを穿き裸足にサンダルを履いていた。
 慣れない出稼ぎで「おねいさん」たちの洗濯物を手洗いしている娘の手は、冷たい水で真っ赤になっていた。
 外れの部屋には、何の暖房の設備もなくすきま風だけが出入りしてまるで背骨まで齧られるような寒さだった。早めに寝袋に入ってベッドに横になったが、目玉まで寒く感じられる部屋では、なかなか寝つけなかった。そんなうつらうつらしていた深夜にドアを叩かれた。
 ドアを開けると三人の警官が立っていた。部屋に入ってきた男たちはひとつひとつ荷物をチェックし、通じないことばでしばらく身元を調べられたのだった。
 ハンノ木のある湿地の谷間を行くと、重そうな望遠レンズを付けたカメラを首に掛けた男が、立ったままおにぎりを頬張っていた。おにぎりの大きさからすると、自宅から用意してきたものだろう。野鳥ですかと話しかけると、ぶっきらぼうにルリビタキとだけ答えた。
 瑠璃鶲、美しい名の鳥を林に探しながら山道を登っていくと、草むらに野鳩の真新しい羽根がいっぱい散らばっていた。根元にはまだ乾ききっていない肉片が付いていた。しばらく前に隼にでも襲われたのだろう。谷を登ってくる微風が枯れ草に絡まる羽毛を揺らしていた。遠いどこかで瑠璃鶲がかすかに鳴いている。
 嗚呼。リュックを背負って、寒いクルドの荒野を旅したい。
 今回でゆらりゆらゆら記は終わります。長い間つたないつづり方に付き合ってくださったことに感謝いたします。
 ありがとうございました。
合掌

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