窓をうつ雨は数時間まえより強くなって叩きつけていた。勢力が強いが遅い動きの台風が上陸してきたのだろう。雨つぶてが出窓のガラスをはらっていく。ベランダ側のガラス戸にアロエの茎がワイパーのように叩き揺れていた。挿し木(葉)で殖えすぎたアロエの株がベランダを占拠しているからだ。隅に隠れてめったに水を貰えない、日ごろ
嵐には、幼いころから気分が高鳴った。還暦を通りすぎたいまでもその性癖はかわらない。台所に行き、大きめのグラスに濃いめの水割りを作った。豆電球も消してちびりちびりと呑んでいると、いっそう風雨の勢いが増したように響いてくる。濡れたガラス戸には道路の信号機の光が色をかえながら流れている。まるでその距離が急に縮まったかのように鮮やかな色だ。
アパートから五百メートルほど離れた多摩川は、濁流が怒濤になっているにちがいない。
刈り入れが迫った秋口に台風がやって来ると、いつもひと波瀾があった。村中の誰もが田んぼを心配してじっと夜を過ごした。暴風に直撃された翌朝、対岸の中学校に向かう田んぼの中の道の両脇は、まるで邪悪な龍や大蛇がのたうち回ったように稲の原がなぎ倒されていた。人間というものは、こういう理不尽な目に幾度もあいながら生き延びてきたのだろうという事実が、幼いこころにも生々しく実感させられた。台風の襲来は、おびただしい不良米を出しては親たちをはらから嘆かせていた。
実家は寒河江川から田んぼを隔てて一キロほど離れた集落にあった。月山から下り、谷あいを抜けてすでに何里も平地を流れている寒河江川だが、嵐の夜には、濁流に押し流される大きな石が岩にぶつかる不気味な音を寝床のなかまで届かせてきた。川を下る石の音に耳をそばだてていると、囲炉裏の煙出しから家に侵入してきた逆巻く風が、障子や戸をぶぉ~ぶぉ~と鳴らし、茅葺きの家は生き物のように吐息をしていると感じられた。三百戸たらずの細長い村での少年時代。
風雨はようやく昼過ぎにあがった。カメラを肩にいそいそと川に向かった。今春に出した『東京夢譚』のカバーの写真は、数年前、台風が通り過ぎたばかりの多摩川で撮ったものだ。岸辺に佇んで濁流に目をおとす五人の男と二匹の野良猫の後ろ姿で、自分でも気に入っている。
そのときよりも水嵩は一段と高く、川幅いっぱいに濁流が拡がっていた。しかし、歩みの遅い今回の台風は、一瞬に厚い雲を切り裂き青空から光をさすような劇的な風景を演出しなかったせいか、河原には思ったよりは人の出が少ない。少し拍子抜けした。それでも土手に集う人のなかに、普段よりは、乳母車を押してきた若い母親や犬を引いている人が目立つ。なんとなく生き物としての感覚から納得ができるような気がする。
橋げたの下に行くと、竹の竿を結んだ漁網を土手に立て掛けた男が地面に座り、コンビニの稲荷寿司を頬張っていた。足許には発泡スチロールの箱が置いてあった。六十半ばの男に漁獲成果を訊ねると、無精ヒゲに覆われた男は満足げに立ち上がり箱を覆っていた雑草を払いのけた。まだ元気な鮎が小魚がびっしりと白い腹をみせて並んでいる上に飛び跳ねた。
男は「今晩、唐揚げだ」と呟いた。膝上まで濡れたトレーナーのズボンはその重さでずり下がり、太った尻を半分ほど覗かせていた。
濁流の寒河江川の岸辺には魚獲りの他に長い柄の付いた鉤棒を持った男たちもやって来た。薪にする流木を引き上げるためだ。ある二百十日過ぎの台風の折り、同級生の両親があまりにも大物に鉤を打ち込んだために夫婦ともに濁流にさらわれたことがあった。幸い二人とも無事だったのだが、噂が学校中に拡がると、普段は乱暴者の同級生だったが、何日かは弱々しいわらいを浮かべて俯いていた。
近くで暮らしていた、地図を捲ることの好きなホームレスの家から流されてきたのだろう。
次回更新予定日 11月8日
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好評連載『東京ポルカ』が写真集に! 東京夢譚 鬼海弘雄
『東京ポルカ』で発表された写真を含め、鬼海氏が30年にわたって撮り続けてきた「東京」シリーズ作品約120点を掲載。エッセイも大幅に加筆されて収録された写真集になりました。 |
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