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ゆらりゆらゆら記 鬼海弘雄
第7回 自動巻き腕時計、六十ワット白熱電球
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 娘が寝起き瞼をこすりながら、大きな二匹のカメレオンに助けられたと朝食のテーブルに座った。小さいころからよく変わった夢を見ていたが、高校生三年になった今も、奇抜な夢を見るらしい。
 カメレオンの登場は初めてなので訊いてみると、先月のベトナムからの帰りの飛行機でのことらしい。事故でもないのになんかの拍子にふわりと座席から体が浮き、気がつくとひとりだけ機外に出ていて、ゆっくり宙を落下していた。すると雲のなかから空飛ぶ大きなカメレオン夫婦が現れて、その背中にふわりと乗せてもらったのだという。別に怖い夢でも、特に愉快でもないらしい。謎の多き「夢判断」。
 娘の夢の中には、猫のゴンがよく現れるらしい。ゴンは、思春期の娘の悩みを聞き、当てにならない親にかわって的確な受け答えを、流暢な言葉で話すという。
 サイゴン・ホテルのベッドにもゴンは現れたらしい。
 火炎樹の咲く路上を歩いていると、いつの間にか目の前にゴンが現れ、振り向きもせずすたすたと歩きはじめた。傍若無人に駆け抜けるサイゴン名物のイナゴの大群のようなバイクに轢かれるのではないかと心配になり、ゴンを食堂に誘った。ゴンは海老生春巻きを注文した。
 周りのベトナム人たちが口をあんぐり開けてテーブルの上に乗ったゴンを見つめているので、何でだろうと思い、春巻きを両手で持って食べる猫はベトナム人には珍しいのだとようやく気付いた。ゴンは周りからの視線を気にすることもなく、「味の素」が効きすぎだと言った。
 ゴンは十数年前、学校帰りの娘が、まだ目が開いたばかりの怪我を負った小猫を拾ってきて何日かベランダに隠して飼い始めた虎猫だ。

 家族が職場や学校に出かけた後、新聞を腹ばいになって読んでいると、ゴンは足首を噛んでいつものように餌をねだった。二歳のときに尿毒症に罹って以来、わが家のエンゲル係数をあげている獣医から買うキャットフードをやった。洗濯物をベランダに干して部屋に戻ると、ゴンは籐マットにだらりと四肢を投げ出し、もう軽い鼾をたてて寝ていた。小猫の時に背骨が見えるほど虐められたトラウマのせいで警戒心が強く、玄関が開いていても一歩も外に出て行くことがない。老猫になった今でも家族以外とはつきあいが無いので、たぶん自分では猫だと思っていないにちがいない。
 ゴンは、どんな夢を見るのだろう。
 とりあえず何もすることがないのだが、家にじっとしていると鬱の気分に落ち込みやすいので、カメラを持って家を出た。
 どこに行こうかと思い巡らしながら駅に向かって行くと、自動販売機の前に、半月ぶりに見るおばさんが立っていた。以前からよくその場所で彫像になっているのを見かけたが、別に品物を買うのでも、釣り銭あさりをしているわけでもない。
 おばさんはいつもと寸分かわらぬ格好だった。その五十がらみのひとは、晴れ上がっているのにビニール傘を片手に握り、小刻みに揺すっていた。
 随分と前から、家を十時十五分前に出て駅に向かうと、必ずその人と擦れちがった。出会う地点はいつも決められたように同じで、多摩川用水に架かった橋から数十メートルもずれることがない。しかしここ半月ほど見かけなくなっていた。橋を渡る時、いつも用水路を泳ぐ鯉を眺めるのだが、何日か前、あのおばさんはどうしたのだろうかとふと思ったりしていた。
 鯉は人影を見つけただけで餌を期待して、大きな口を開けて橋の真下に集まってくる。いつもその時間帯には、年配の夫婦が食パンを投げているのだが、おばさんは、そんな光景にはいっさい見事なほど感心をはらわず、うつむき加減で歩幅のせまい歩きかたで橋を渡る。
 一年を通じて変わることのないおばさんの様子。
 灰色の三つ編みが肩までかかるお下げ。目深に被って顔をおおう、鍔の付いた藍染めの帽子。長そでの上にまとう半袖のシャツ。白い木綿の手袋。左手首のシャツの上には自動巻きの男物の腕時計。格子柄のスカート。肌色のストッキングの上にチェックの膝まである靴下。ブルーのスニーカー。いつも背負っている小さなリュックは、レジ袋にかならずすっぽりと包んでいる。大雨に襲われても大丈夫そうな出で立ちだが、なぜかその雰囲気からは、体も心も何かにすっぽりと包まれているような印象を受ける。
 時計の針のように行動しているそのひとは、眠りの中でどんな夢をみるのだろうか。食べものの好物は何だろうかなどと余計な想像がわいてくる。
 そうだ北千住に行ってみよう。
 半年前の冬に来た時は、閑散とした東口に出て荒川に沿って歩いたので、今度は旧日光街道のあるにぎやかな西口に出た。
 街道すじには昔ながらの個人商店が並んでいて、人の移動が足に頼っていた時代の暮らしぶりをそこはかとなく偲ばせる。路地に潜り込み、大宿場町だった痕跡をさがして歩く。
 歴史についてはなんの知識もない。狭い路地を挟んで重なる建物のすみに立った案内板には、当時の宿場に七、八百人の娼婦がいたと書かれている。艶めかしい蹴出しや長襦袢の女たちに、乏しい想像力が刺激された。過ぎ去った日々、繰り返された喧騒と倦怠の渦が、庭の置石や、八つ手や松の葉などの陰に隠れているように思えた。時代を経ても人間は、その見かけほど内実は変わってはいないと思っているせいだろう。
 故郷の山形の村では、江戸時代に争議が持ち上がり、何人かの村人が江戸に裁定をあおぎに来たことがあると聞いたことがある。たぶん、係累につながっていてもおかしくない村人たちは、糒(ほしい・乾燥ご飯)と味噌を携帯して旅を続け、ようやくこの宿場に入ったに違いない。その百里の道中を、村人は八日ほどで歩き、顔役たちは十二日ほどかけたと書かれているという。
 泥鰌どじょうのように裏通りに潜り込んで行くと、戦災を免れたらしい住宅の一郭に導かれた。通路の幅は、人との行き交いが難儀なほど狭い。闖入すると咎められそうな気がするほどだ。しかも、その曲がった路地の外灯は、ブリキの笠を被った裸電球が丸太の電柱から下を向いていた。家々の前には、むくげ、立葵、夾竹桃や紫陽花などの初夏の花が咲いていた。
 五、六間入って行くと、玄関脇に置かれた洗濯機の上で太り過ぎの三毛猫が丸くなって寝ていた。尻尾の曲がった猫に話しかけていると、ふと線香の匂いが鼻をかすめた。周りに目を凝らすと、近くの家の窓からうっすらと糸になってたなびく煙がみえる。どこからか流れてくるラジオからのコマーシャルソングが、化石の森のような路地の昼の静寂をいっそう寝そべらしていた。
 カツカツと乾いた音が響いてきて、顔を上げると、前から短パンに臍の出たタンクトップの若い娘がやって来た。ブランド品の小さなバッグを肩に、スパルタクスが履いていたような紐がふくら脛をまいたサンダル。通りすがりに若い女は、私が喉をさすっている猫にチビと呼びかけていった。小猫の時からの知り合いなのだろう。ふと、気付くとさっきまで消えていたはずの外灯の電球が、いつの間にか点いていた。白昼にともる六十ワット白熱電球。
 それから、旧街道の荒川の土手近くの今でも開業している名倉接骨医院の前に出た。江戸時代には名倉といえば接骨医院を表すほど関東一円には名が知られていて、近くの木賃宿屋に逗留しながら治療する人が多かったと聞いたことがある。体の動きを封じられた知り合ったばかりの他国の患者同士が、街道を行き交う旅人を日がな一日眺めたり、お国自慢をしながら荒川の流れに目を落としていたにちがいない。
 医院ちかくの誰もいない路地を進んで行くと、道脇の小さな町工場から輪転印刷機の単調な音が響いてきた。開いた窓からわずかにインクの臭いがもれてくる。何年かに一度、写真集の印刷立ち合いで嗅ぐにおい。
 しばらく進んで行くと、急な曲がり角から自転車に跨がった男が出てきた。がに股でゆっくりとママチャリをこぐ五十がらみの男は、黄色いレンズの付いた眼鏡をかけ、細い縦じまのピンクのシャツに雪駄を履いていた。口の端には、爪楊枝をくわえている。
 ハンドルを揺らしながら通り過ぎて行くそのやや猫背の姿を目で追っていると、ふと、その男が、もも引き姿で江戸の千住宿場を徘徊していても少しもおかしくないだろうと思ったりした。


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東京夢譚 鬼海弘雄
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東京夢譚

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