Web草思
ゆらりゆらゆら記 鬼海弘雄
第6回 それぞれの空と林檎の芯
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 晴れ上がった空に、ぽっかりと綿菓子のような雲が浮かんでいる。
 五月の陽射しが、こんなにも強いのかと思い知らされるほどだ。翔る風は乾いていて実に気持ちいい。こんな快適な日は、年間を通じても幾日もないにちがいない。
 小一時間ほど前からカメラを肩に、王子駅からただ東に向かって歩いている。快い気持ちを増幅させているのは、数日前まで一週間ほどサイゴンに行って来たからだ。妻と娘と一緒に行ったモンスーンの都会は、始まったばかりの雨季到来でむしむししていた。ホテルから一歩でると、肩で息をするほどの暑さだった。
 ところが、灼熱から逃れて成田に着いた夜は、じとじとと冷たい雨が降っていて寒かった。そして、昨日までは小雨まじりのはっきりしない天気だった。
 ベトナム家族旅行などとしゃれ込んだのには、ちょっとした訳がある。
 入学の時から娘の高校の修学旅行は、オーストラリアだと聞かされていた。集団の決められたスケジュールに従うことが苦手な娘は、そのぜいたくな旅行には初めから気乗りがしていなかった。
 今年になって、ぼそっと行きたくないと言いだした。これを耳にした不良な両親は、これ幸いとばかり、三人でほぼ同じ金額で行けるどこか東南アジアへの旅行はいいのではとそそのかしていた。カトマンズやチェンマイ、バリ島などが挙がった。ようやく出かける二十日ほど前に、何でも食べ物が美味しいというのでサイゴン(ホー・チ・ミン)に落ち着いた。わたしにとっても初めて訪ねる土地。
 海外旅行といっても、「観光」は居間に寝そべりながらテレビで見るにかぎると思っているほど無精な家族なので、端から名所旧跡を訪ねることなど誰の念頭にもなく、川近くの下級ホテルにただ六連泊をすることだけを決めて出かけた。
 そのホテルの前には、古いモスク(回教寺院)がたっていた。仏教やキリスト教、カオダイ教の盛んな国では、モスクは本当に珍しいにちがいない。毎日、繰り返されるコーランの唱和に聞き飽きると、それぞれ好き勝手に町をぶらぶらと歩き廻った。
 スコールがあがった夕方、冷房のない土地の食堂に紛れこんだりした。セメント打ちっぱなしの床にデコラ・テーブルがびっしりと並んだ店内には、砕き氷を入れたポリバケツを抱えた店員が絶えず巡回していて、飲みかけのビールにことわりもなく塊を入れて行った。はじめのうちは水あたりを気にしていたが、最後はいつもたらふく呑んだり食ったりした。
 ホテルの近くからバスに乗り、毎日のように中華街に出かけた。どこの舗道でも、ぴたりと座り込んだ菅笠のおばさん達がカラフルなあらゆる雑貨を商っていて、町中がにぎやかな劇場のようだった。サイゴンも他の東南アジアの町々と同じように、活気と喧騒に満ちていて、暑さの籠る空気のなかにむせるような香辛料の臭いが溶けていた。
 この茹だるような暑さのなか、たかだか三十年ほど前まで、小柄なベトナム人たちが古タイヤで造ったホー・チ・ミン・サンダルを履き、撃って灼けた砲身を抱えてはジャングルや地下トンネルの迷路を駆けめぐり、物量で襲ってくるアメリカと戦っていたとは、考えただけでめまいがした。
 互いに殺し合いをさせるほど確信にみちたあのそれぞれの「正義」は、今はどうなったんだろう。どこへ、かたちをかえて現れているのだろうか。ふしぎなことだ。
 車通りの少ない住宅地の路地に入ってしばらく行くと、枇杷の木のある庭に、今ではめったに見かけなくなった二段掛けの洗濯竿に何枚かのシーツがはためいていた。立ち止まって、葉に隠れている枇杷の実を探していると、空からぱたぱたという音が降ってきた。
 雲間を小さくなったヘリコプターが飛んでいる。ふと、こんな穏やかな日は、空におもちゃのようなヘリコプターが飛んでいる風景がよく似合う、などと脈略もない感想が……湧いてきた。低い空を飛ぶ重武装したヘリの群れに襲われたベトナム人は、本当に怖かったにちがいない。
 道路のすみにしゃがみ、ほどけたスニーカーの靴ひもを結び直した。スニーカーが革靴のように光っているのが恥ずかしい。まるでお上りさんの靴のようだ。
 それは帰国する前日、陽に炙られながら運河に沿って歩いていた時のことだ。天秤棒を担ぐおばさんからようやく飲み物を買い、道脇の火炎樹の木陰で飲んでいた。すると、片脚の萎えた若い靴磨きの男が、道路を渡って目の前にやって来た。何度も断ったが、二十歳ほどの男は、愛嬌ある眼で催促を続けた。
 つい根負けして、白く被ったほこりだけを払ってもらえればと靴を脱いだ。ところが、油断して気を抜いた一瞬、なんと、半年前に大枚をはたいて買ったスニーカーの靴先にたっぷりと靴墨がなすりつけられていた。あ?ぅ、あ?ぁとため息をもらしているうちに、お気に入りのスニーカーは別の顔になって笑っていた。
 こんな小さな出来事も、振り返ると旅の面白さを発酵させる酵母のようなものなのかもしれないのだが、悔しい。
 路地の角を曲がると、突然、まったく知らない若い女が顔を崩してわらいかけてきた。綺麗なひとだったのでいっそう驚かされた。白いワンピースに大きな鍔のあるストローハットをかぶった女性は、大きな車輪のついた乳母車を押していた。間近に来て、やっと、笑顔は乳母車の赤ん坊に向かっているのがわかった。幌のかかった外国製らしい乳母車の座席は、押している母親と対面するようにできていた。
 すれ違いざま、西洋絵本から出てきたような若い母親は、どんな靴を履いているのだろうと振り返った。思ったとおりレースのついたソックスに白いパンプスだった。なるほどと思っていると、けらけらと笑う赤子の声が響いてきた。赤ん坊の剥いたゆで卵のような笑い声を聞いたのは、何十年ぶりだろう。
 しばらく歩きつづけると、小さな境内のある神社があった。一休みしようと入って行くと、そこを住み家にしているらしい数匹の野良猫たちがいっせいに薮陰にかくれた。
 薮からこちらを窺う猫たちを朽ちかけたベンチに坐って眺めながら、持ってきた林檎をかじった。すると、頭陀袋を提げた初老の男が境内にやって来た。薮のなかで眼をきょろきょろさせていた猫たちは、男に駆け寄り甘え声で脚にまとわりついていった。襟元が伸び切ったTシャツにサファリジャケットを直にはおった男は、ほらほらと猫なで声で応え、境内のすみにあった皿に布袋から出した餌を盛った。猫たちは、いっせいに競い合って食べはじめた。
 「ご馳走ですね?」と話しかけると、男は魚屋から「ざんぱん」を何キロも貰ってきて毎日、骨が軟らかくなるまでことことと煮たものだと、前歯の欠けている口で言う。それから、ガス代が嵩むが「やはり人間も猫もカルシュウムが肝心だ」と言い放った。
 「優しいひとなんだぁ?」と誘い水を注ぐと、眼を合わせようとしない男は、一人暮らしの団地の部屋で八匹の猫の面倒を見ていて、これ以上はとても無理なので、ざんぱんを煮ては近所を自転車で廻り、数か所の野良たちの世話をしているのだと言う。そして語気を荒げて、さっき廻った公園では待ちかまえていた何人かの「P・T・A」の母親たちと野良猫に餌をやるやらないで、一悶着をやってきたと言う。
 怒りの熾火がまだ燻っているらしく「バカなババアたちだ……」。そしてひと呼吸おくと、今の子どもたちが、すぐキレて親殺しの凶悪犯罪にはしるのは、小さいときから、犬や猫をかわいがって育ってこないせいだと、憤然と言い切った。
 わたしは剛直な「正論」を伺いながら、手のなかで色が変わり始めてた林檎の芯を、どこに捨てようかと思っていた。


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東京夢譚

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