Web草思
ゆらりゆらゆら記 鬼海弘雄
第5回 手相に滲んでいる文字
yurayura05s_1.jpg yurayura05s_2.jpg yurayura05s_3.jpg
 疼痛が走っていた腰の具合が、今朝はだいぶ良くなっている。
 ここ何日か、原因の分からない痛みに顔を歪ませていた。ただ、ぎっくり腰にはならないように緩慢に動いていた。急に老に襲われたような気分に陥り心がへこんだ。一昨夜あたりから、首の回りも少し痛みを感じるようになったので、素人判断で長年悩まされている頚椎の歪みが、ついに腰まで達したらしいと思った。
 頚椎が歪み曲がっていると気づかされたのは十五年ほど前だ。そのきっかけは、アメリカに移り住むことになった友人から大型単車をもらい、二十年ぶりにオートバイを乗るようになったときだった。
 ヘルメットをかぶり、単気筒に跨がって運転していると、徐々に左の腕全体が強く痺れだした。ヘルメットの頭を真っすぐに立てていると頚椎が圧迫され血行までおかしくなるのだと気づいた。それまで運転免許証の書き換えの為の写真撮影などのたびに、首の傾きを注意されていたが、まったく気にすることもなく受け流していたのだが……。
 幸い、首の異変に気づかされるしばらく前から、からだについて書かれた何冊かの本を、実用の指南書としてではなく興味ある読み物として読み始めていた。野口晴哉(野口整体)や野口三千三(野口体操)の本だ。
 「風邪の効用」や寝相の悪さの効用を説き、はたまたあのウジ虫の動きに原始生命体の美しさを説くというオドロキに満ちた書物で、身体についての基本的な知識を教えてもらった。二人の野口さんは、からだにくこと、「からだと対話」することを重くみている。しかも誰にでもできる矯正方法を分かりやすく教えていた。普通ならたわいもなくマイナス的なものと考えがちなことが、二人の教えではまるで逆転する。その思考の飛躍に魅せられて読んでいた。
 そんな経緯から、首の歪みを野口整体の活元かつげん運動で自分なりに調整するようになった。脳からの指令回路をなるべく遮断して、身体が勝手に動くのにまかせるという融通無碍な自己整体だ。無精者に合った身体とのつきあい方だと思った。活元運動をやりつづけていると徐々に歪みで負荷のかけられた個所が移動していくのがわかり、何となく効いている実感と爽快感があった。
 十五年ほどかけて首の歪みが、ようやく腰までたどり着いたのだろう。矯正もやはり、歪んでいったのと同じくらいの時間の過程が必要なのだろうと、なんとなく納得された。
 今日は、立っているには不都合がなさそうだ。幸い天気もいいことなので、浅草に行ってみようと思った。メキシコとキューバへの小さな旅をしてきたので三週間ぶりだ。
 地下鉄の駅から床屋のある曲がった階段をのぼり、境内に向かった。参道の中ほどまで行くと、豆絞りのはち巻きにニッカーボッカーを履いた数人の鳶の男たちが丸太で組んだ門に登り、名入りの提灯を飾り付けていた。並んだ提灯は、半月もすれば東京に初夏の訪れを告げる三社祭がやってくると頭上から教えていた。
 一段と細くなった路地を進んで行くと、江戸から続く化粧品屋の前に人力車が斜めになって止まっていた。『無法松の一生』の松五郎のような出で立ちをした若い車夫が、声高に赤い座席のアベックに名所案内の説明をしていた。往年のハリウッドスター、エリザベス・テイラーが日本に来た折り、この店の染み取り用の鴬の糞や脂取り紙などをどっさりと買い占めていったと、菅笠を被った車夫は誇らしげに話していた。長い緑のリボンで茶色い髪を結わえた若い女は、説明にすこし甲高い声で嬉しそうに反応していた。手をつないだ赤い座席のカップルは、まだ出来立てのホヤホヤらしい。
 通りすぎるときにあらためて人力車に眼を向けると、梶棒を握った車夫の右手の人さし指には真新しい包帯が巻かれ、それだけがぴ?んと立っていた。
 境内に入ると、冬からすっぽりと無粋なシートに包まれ、化粧直しが行われていた宝蔵門の工事もいよいよ終わるらしく、組まれていた足場が取り外され、鳶の男たちが順々に手渡しで降ろしていた。半年ほど前まではずいぶんと汚れていた朱塗りの壁も、すっかり塗り直されている。肖像写真のバックに使える壁面がこれでずいぶんと多くなるだろう。撮りつづけようとする意欲のゼンマイが、すこし巻き直された気分になった。
 デイパックからカメラを出していると、いつも野球帽子に作務衣を着て境内で写真を撮っているひとがやって来るのが見えた。浅草寺の境内には、よく写真を撮りに来るアマチュア・カメラマンたちが何人かいる。仕事から身を引いたと思われるそんな常連の人たちの中でも、この浅葱あさぎの作務衣を着て、自転車でやって来るひとがもっとも頻繁なようだ。
 「よう、精が出ますね……」と挨拶をすると、「何もすることがないので、暇つぶしになるからね……」と眼に笑みを浮べた。わたしと同じような感想だと思いながら、撮り溜まりつづける写真はどうするのですかと訊くと、即座に「ただ撮っているときだけがおもしろいのでね……」とまるで現代美術作家のような答えが返ってきた。
 その禅問答のようなあいさつのあと、お神籤売り場の隅に立ち参道を行き交うひとを見ていた。すると斜め横から「おぅ、ブロニカか……」と中年の男がわたしのカメラをのぞきながら話しかけてきた。
 その小柄な男には見覚えがあった。十五分ほど前に、誰かがお神籤台に残していった占いを声に出して読んだあと、ふと境内に消えて行った男だ。ちょび髭を生やした男が言うブロニカとは、国産の中判カメラの名称だ。ただ頷きさらっと受け流せばいいものを、歳甲斐もなく、つい反射的に「ハッセル」だと応えてしまった。ハッセルとはドイツのレンズのついた「高級」カメラだ。わたしの応えをふんと鼻であしらった男は、片手に持った缶酎ハイを一口あおると、「むかしは俺もカメラに凝っていて、いっぱい持っていた……」とすこし酒臭い息で言った。
 あらためて男の顔を見直すと、何かの験かつぎだろうか、下顎の大きなホクロからの数本のヒゲが二寸ほど伸ばされていて、それらが昆虫の触角のように微風に揺れていた。しかも、せわしなく動く切れ長のぎょろっとした目玉は、自信があるのか無いのかまったく読めないふしぎな表情をしている。俄然、ポートレイトを撮りたくなってきた。
 カメラの話を呼び水にして会話を続け、おそるおそる頼んでみた。すると口をしぼめながら話す男は、いとも簡単にいいよと返事をした。そして、五年間はどこにも写真を出すなという「条件」を繰り返してくる。その訳を訊いてみると、酎ハイを飲みながら男は、実は半年ほど前、サラ金のワズカな借金を踏み倒して関西から逃げてきたからだと平然と言う。そのワズカな金額が実際いくらなのか興味が湧き、何度も訊き出そうとしたが、男は、ただはしたガネだとだけ答えた。
 わたしは撮った写真がなるべく時間を置いても風化しないことを願っているので、男の「条件」をのんでレンズの前に立ってもらった。
 撮り終わると、器用に生きていると思っているその不器用な男は、「アニキ、缶酎ハイをカンパしてくれ」と言って手を出した。
 何故か男のささくれ立った掌には、ペンで誰かの住所でもメモしたのか滲んだ文字が浮いていた。ジーパンのポケットをまさぐり、五百円硬貨を掌にのせた。
 その夜は、帰りに最寄りの駅のスーパーで大きな束の蕗をいくつか買って、あまり水にさらしもせずに煮た。


好評連載『東京ポルカ』が写真集に!
東京夢譚 鬼海弘雄
『東京ポルカ』で発表された写真を含め、鬼海氏が30年にわたって撮り続けてきた「東京」シリーズ作品約120点を掲載。エッセイも大幅に加筆されて収録された写真集になりました。
東京夢譚

草思社