Web草思
ゆらりゆらゆら記 鬼海弘雄
第3回 湿気った封筒と写らないもの
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 朝、家族が出かけたあと新聞を読んでいると宅急便が届いた。荷物は、やはり、妻の母からのものだった。宮城の小さな町に住んでいる義母からは、年中いろんな物が送られてくる。
 冬のこの時期には、普通便のなかにナマモノが入っていることもあるので、さっそく荷物を開けた。ガムテープで梱包したうえにビニール紐で縛られていて、その使い古しがつながれた色違いのテープは、ずいぶんとけばだっていた。なんとなく義母に対して申し訳ないような気分になってくる。
 段ボールには、地元の農協で買ったチンゲン菜、にんじん、馬鈴薯、タマネギなどの野菜が新聞紙に包まれて並び、百合根や生姜、蒟蒻まで入っている。しかも箱の真ん中には、料理を了えて冷凍した豚肉や鳥肉の佃煮なども詰まっていた。
 空になった段ボール箱を持ち上げると、孫娘の名前が書かれた鉛筆書きの白い封筒がひらひらと床に落ちた。封筒には手紙とともに「小遣い」が入っているにちがいない。封筒は、野菜の息でしんなりとしていた。
 義母は、長女の妻がまだ高校生だったころ、我がままで腕のいい技術者だった連れ合いを亡くしている。四人の子どもを抱えてずいぶんといろんな苦労をしたにちがいないのだが、人生なるようにしかならないという割り切りのいいラテン的な考えの持ち主で、「苦労」がかさぶたのようについていないのがふしぎだ。
 八十過ぎた今でも元気で、取り越し苦労の多い写真家には、つねづね羨ましい性格だと思っている。そんな気質の母だから、妻の悪口や小言をこぼしても、「夫婦は似たものだから……」とからりとかわされて小言が乾く。
 たしかあれは、十数年前の夏休み。家族四人で独り暮らしをしている義母をたずねていった時のことだ。
 あらゆる窓が開け放たれた部屋で、多く出されすぎた西瓜を持て余していた。ふいと、外に眼をやると、真夏の強い陽射しの庭に義母が踞っていた。ちっとも動かないので、具合でも悪くなったのだろうと思い慌てて細長い庭に出てみた。小砂利が白く光る地面に屈んだままで見上げた義母の手には、なぜか赤砂糖がのったスプーンがあった。どうしたのだと訊くと、義母は蟻たちがよろこぶだろうからと答えた。拍子抜けをして、蟻たちが重い糖尿病になるのではないかとからかうと、義母はからからと笑い声を陽射しのなかに弾かせた。しばらく、その姿勢のままで、地面に隊列になって「恩寵」を運ぶ蟻の黒い紐を眺めていた。なんと濁りのない無邪気なひとだろうと思った。
 妻の話によると、昭和三十年代に用事で仙台に出る折りには、義母はわざわざたくさんおにぎりをつくって出かけ、困っているひとたちに配っていたらしい。そんな訳で普段でも大通りを歩いていると、あっちこっちの浮浪者たちが駆け寄ってきて親しげに声をかけられたという。子どもだった妻はずいぶんと困惑させられたらしい。それにしても義母のサービスには全く「奉仕」というにおいがないのもふしぎなことだ。
 ふと、久しぶりに浅草に行ってみようと思った。
 写真を撮るようになってから、浅草にはよくでかけている。浅草寺境内かいわいで出会ったひとのポートレイトを撮っているからだ。そこで撮った写真をまとめた四冊目の写真集『ぺるそな』を出したのが二年前。いったん本にまとまるとそれまで張っていた気力もしぼむので、いつも何年かの中休みをとっている。そんな訳でこの二年間は、ほとんど出かけなかった。ただ、ときおり気になって、カメラを持たずに用の無い見回りのようにぶらりと町を一巡りしていた。大衆演劇場「木馬館」に入ったり、階下で浪曲を聴いたりした。
 そんな徘徊や生の芸を観ている時に、周りを圧倒するようなオーラを発する浅草ならではの濃い面構えのひとを見かける。そのたびに人間の森の奥深さに気づかされた。まだまだ撮れそうな気がして、またポートレイトを始めようかと思ったりした。
 だが、シャッターを押せば誰にでも写せるカメラは、いざ真剣にカメラで遊ぼうなどとヤクザな考えを持ったりすると、「暗箱」はシャッターを押すことに、決意と覚悟を求めてくる。やりはじめの安易さの代償に無機質で厄介な「おとしまえ」を求めてくる近代的な装置だ。これまでに、六百人ほどを撮っているのだが、それでも、今でも知らないひとにレンズを向けるためにはエネルギーがいる。そのことを思い浮かべると、つい二の足を踏んでいた。
 ところが、一月に放映されたNHKの『新日本紀行ふたたび・浅草』のテレビ撮影につき合い、暮れの浅草に四日ほどでかける機会があった。しばらくぶりに十数人を撮らせてもらった。やはり、真っ正面からひとと向き合うのは、ぜいたくでおもしろいことなのだと至極当然なことをまた気づかされた。やはり肖像写真は、わたしの表現の「やぐら」を組む大黒柱なのだとあらためて思い知らされた。
 そんなことから、まただらりだらりと始めてみようかと決めた。それに加えて、浅草の町じたいが、つくばエクスプレスが通るようになったせいで二年前とは様変わりしだしている。人の出も徐々に増え出してきている。がら空きだった平日の演芸場も結構な入りになっていて、知り合いの芸人は、急にやりがいがでてきたと喜んでいた。
 ちいさな商店主たちからも、めっきり客が多くなって町全体にふつふつと活気が出てきたと聞かされた。近ごろの都市開発にみられるような、高層ビルのショッピングモールやアミューズメントエリアの巨大な箱物でひとを集める街とはちがって、ひとが直に会える平熱の町が、にぎわいを取り戻すことに、何となくほっとさせられる。
 十時に家を出て、十一時二十分に浅草寺の境内に着いた。
 しばらく参道脇に佇んでいると、宝蔵門の方から目を引く老人がやってきた。暖冬といってもこの二月に、半ズボンを穿き、まるで流木のような脛を出している。しかも小柄で白髪にバンダナを巻いた男は、視線をまったく揺らさずにまるで目の前に引かれた直線をなぞるように歩いてくるではないか。大きく深呼吸してから近づいていき、恐る恐る話しかけてみた。
 まるで耳にも眼にも入らないように、空気のように完全に無視された。まるで取りつくしまもない。う?ん惜しい。残念。かなり気落ちがしたが、仕方ない。ただその男の発散させているイメージだけをいただき、記憶のポケットに仕舞った。いつか会えるだろう似たひとの時のために採っておこう。
 そろそろ遅い昼飯にしようかと思っていると、以前からよく見かける初老の男がやって来た。いつも前かがみで小刻みに首振り張り子のように視線を変えて歩く痩せぎすの男は、相変わらずにカーキ色の作業の上下を着ていて、長く垂れ下がったズックのベルトも揺れている。前から強く興味を引かれているのだが、一度も写真を撮ったことも話しかけたこともない。寒さを感じないのか冬空に上着もつけずシャツだけだった。そのせいで猫背の背骨がくっきりと背中に浮いて、いっそう寒々しく見えた。
 二年ぶりで見かけたのだがずいぶんと歳をとったように見えた。より薄くなってまばらに跳ね上がっている頭髪の男は、参道をやって来るひととすれ違いざまに、無言で腕時計を指さしてはいちいち時刻を訊いている。その独特なコミュニケーションの方式は、焦げ付くように渇くひと恋しさへの繰り返される儀式のようだ。
 何人かに、忙しく首をふって感謝と納得の素振りをみせて三十メートルほど進むと、急に気が満ちたのか行き先をかえた。ほぼ直角にまがっては、ひとのまばらな小砂利の敷かれた広い境内をよこぎって行った。右手をお尻のポケットに入れたまま、左腕を振りながら傾いだ身体を揺すり乾いた後ろ髪のその遠ざかる姿は、まるでブリューゲルの絵から抜け出てきたようだと思った。
 男は、永遠にあの格好とあゆみで世界中を彷徨しているような錯覚に襲われてくる。


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東京夢譚 鬼海弘雄
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