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ゆらりゆらゆら記 鬼海弘雄
第2回 滝田ゆうと吉本大輔
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 朝から本を探して、整理の悪い本棚をかきまぜていた。探し物は見つからずに奥の棚から『滝田ゆうの漫画館』が顔を出した。つい、立ち読みをしたらとまらなくなり、寝そべりながら第一話『えんがみみとんがった』から十九話『蛍の光』、町が東京空襲で焼き払われて終わる『寺島町奇譚』を読み通した。なんども読んでいるのに、また新鮮で複雑な感銘をうける。時代をこえた、ひとが生きることのほろ酸っぱさ。
 『寺島町奇譚』は漫画家が生まれ育った、私娼窟がつらなる戦前の玉の井界隈の少年が見た自伝的『墨東奇譚』。まるごと記憶の血を搾り出すようにして、当時いっしょに生きていたひとたちを、濃厚さと淡泊さがからんだ視線でえがいている。
 カット割り、視線の移動のすごさ。暮らしの音への哀歓が醸すカタカナの擬音の発条ぜんまいとリズム。いやなひとにも登場ねがっているが、けっして心底「憎む」べきひとがいないという、ユーモアとペーソスへの洞察とその決断の潔さ。滝田ゆうのように、ここまで人間をあらわすことのできるのは、あらゆる表現ジャンルをとおしてみてもいつの時代にも稀に違いない。
 いいものを読ませてもらったせいで、普段はのほほんと構えているのに、すこしはましな写真を撮らなければ、こんな先達たちに申し訳ないという思いが、ちょっぴり頭をかすめた。
 余韻にぼっとしていると、ベランダからヒヨドリの鋭い鳴き声がした。カーテンのすき間から覗くと、今朝、古くなったパンをちぎり撒いていたのを、二羽が首をふりふりついばんでいる。その気配に猫のゴンも傍にやって来た。見やすいように抱き上げると、声を抑えてしっぽを振る。わたしでさえ近くから鳥たちの動きを観るのが愉しいのだから、猫にとってはなおさらだろう。年老いたゴンの脳の活性化にはいい刺激にちがいない。
 雀と鳩はベランダの常連だが、ヒヨドリはめったに来ない。いつも観ているそんな光景が、すこし違って見えるのは、昨夜寝る前に庄野潤三さんのほのぼのとした生活情景を綴った『ザボンの花』を読んだせいだろう。
 晴れあがって風もない陽気に、多摩川に散歩に行ってみようと思った。数日前、娘がクリスマスに学校からもらったという樅の木を、ずっとベランダに置いておくのも可哀想だと思って、そっと河原の隅に植えてきていた。ついでにその様子を見にいってみよう。
 この真冬の暖かさは異常だと思いながら、多摩川の土手に向かって歩いていくと、住宅が並んだ歩道のすみにふたりの老婆が立ち話をしていた。わきを通りかかったとき、八十ちかいと思える薄いサングラスをかけた婆さんが、四、五歳若い婆さんに大きな声で話しているのが耳に飛び込んできた。
 「なになにさんが、私とちゃんと付き合う気なら、あなたから割り勘の作法をちゃんと教えてあげなければだめよ……」と説いていた。
 立ち話はだいぶ前からつづいているのか、一方的に聞かされている気の弱そうな婆さんは、戸惑った表情をうっすらと浮かべている。
 なになにさんとは、近ごろ知りあった老人の仲間なのだろう。それにしても、よわい八十にちかいひとの強い意志のこもった生命力のあるコトバに驚かされた。住宅地に棲むこの婆さんが息子夫婦たちと同居しているなら、嫁さんにとってはかなり手強い姑にちがいない。
 土手に上がると真っ先に先日植えた樅の木を探したが、見つからない。降りて確かめに行ってみたが、小さなシャベルで苦労して植えた四十センチほどの木はどこにも見当たらない。地面さえ平らになっていた。
 目立たない場所に植えようと初めは思ったが、背高あわだち草や雑木の陰になっては小さな木には不都合だろうと、平らな目立った場所に植えたのがかえって拙かった。時おり見かける、バイクに乗った河川パトロール員に見つかり処分されたのだろうか。
 河原の中の遊歩道を行くと、草の実を探すたくさんの雀たちが群れになって飛んでいた。餌の少なくなる冬には、カラスなどの外敵の襲撃を警戒しているのか、他の季節と違った飛び方をする。そういえば、ここ十年来のトルコの冬の旅でもよくそんな雀たちを眼にしたのを思い出した。
 クルドの町や村にはさほどの雪は降らないが、台地のせいでその寒さは厳しい。ぶらぶらと白い息をはきながら町から村につづく、めったにひとに会うこともない冬の道を歩いていくと、広漠とした枯れ野に低く群れ飛ぶそんな雀だけをよく眼にする。道端に竹ぼうきを逆さに立てたようなポプラが並んでいると、その梢には夏の渡り鳥たちが残していった大きなざるのような巣がいくつも枝に載っていた。
 「ひと」しか写さない写真家が、そんな道を歩くことは無駄だと思われるかもしれないが、すこし事情がちがう。遮るもののない荒野の道では、たまにやって来るひととは、ずいぶん前から互いの姿を目にしながら近づいていく。すれ違うころには、なんとなく自然な親しみをおぼえはじめている。まったく言葉もわからないので、軽く首や手を振るだけの挨拶なのだが、ふしぎとひとに会っているという実感が湧く。相手も異郷のカメラマンと思うよりも、たまたま会ったひとが、カメラを持っているという思いのほうが強いらしく、レンズというかたい目玉を向けても、回教徒の女性さえ実に自然に振る舞ってくれる。サラマ・レークン。
 土手に戻って舗装された遊歩道を歩いていくと、陽を受けて鈍く光る一直線になった路の先から、大ちゃんがひとり走ってくるのが見えた。わたしの写真集『PERSONA』の表紙になってもらった舞踏家の吉本大輔だ。
 多摩川の近くに住みはじめた二十年前ごろから一方的に吉本さんを見知っていた。暇にまかせて散歩をしていると、長い髪を後ろに縛り鋭い顔つきのもう若いとはいえないひとが、いつもすごい速さで駆けるのを頻繁に見ていたからだ。よく平日の昼間に走っているそのふしぎな雰囲気を持つ男は、普段は体を使わない日本画か篆刻てんこくなどの仕事でもしているのだろうと勝手に想像していた。
 それから何年か経って、みすず書房の尾方邦雄さんと『INDIA』を創っていた時に、すごい舞踏家がいるから合わせたいといわれた。そして、彼の公演があるからと草月会館に誘われた。
 暗い舞台の中央にスポットライトが徐々に光を増すとそこには、家人と通称「篆刻家」と呼んでいたその名を知らない男が、ひとり踊りだした。その出会いにおどろかされた。贅肉の削げた見事な身体を見ただけで、吉本大輔は二十四時間舞踏家でありつづけていることが判って唸らせられた。
 舞踏は、一九七〇年代に土方巽さんなどの活躍で評判になりだしたころ、二度ほど観ていた。表現の世界に今までなかった「土俗性」の跋扈に目を見張らせられたが、土俗のなかで育った寒村の出には、その直截さに複雑な感情が湧いてきてしょぼんとした気分にさせられた。それ以降、舞踏とは無縁だった。
 吉本大輔は四十過ぎに、ある舞踏家の公演に衝撃をうけて勤めていた大テレビ会社を急にやめ、独自に「踊り」だしたという。その表現への熱におどろかされた。あらゆるものを削ぎおとし、舞踏の芯というか人間の芯を探しつづける抽象性への憧憬と意志があるようにおもえた。ステキにかぶきくるっている。
 麻布十番で昨年の暮れに公演された「エロスとタナトス」はまた一段とすごかった。どんな表現でも、「無意識」という光の届かない深海まで重りを降ろさないものはどこか胡散臭いものだが、その「重り」は肉体と知の膨大なエネルギーを求めくるから、その得体のしれないものに向かいつづけることは並大抵であるはずがない。吉本大輔はそれを身体ひとつで飄々と試みている。
 六十半ばの舞踏家は、いつもラマンチャの男のように、見えないものに向かって走っているのだろう。
 いつか彼の舞踏を、真っ正面から撮って、写るかどうか試してみよう。


好評連載『東京ポルカ』が写真集に!
東京夢譚 鬼海弘雄
『東京ポルカ』で発表された写真を含め、鬼海氏が30年にわたって撮り続けてきた「東京」シリーズ作品約120点を掲載。エッセイも大幅に加筆されて収録された写真集になりました。
東京夢譚


コメント

初めまして!
吉本大輔です。鬼海さんありがとうございます。
やっと 舞踏家として立ち上がったと言うところです。
昨年末の舞踏公演「エロスとタナトス」の好評?を受けて、7月4日草月ホールにて無理矢理再公演敢行します。
「肉体の経帷子に針を刺す」この肉体の衣装を持って、
鬼海さんと向き合えれば幸いです。
参考までに小生のhttp://www.butoh-ultraego.com および 最近の噂のミクシー
「舞踏ー吉本大輔」ご覧くだされば幸いです。

自分の宣伝かねながらの失礼な書き込みお許しください。
吉本大輔


投稿者: 吉本大輔 │ 2007年02月01日 21:01


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