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中露関係の矛盾を映す国境の町、黒河 坂井臣之助
 「黒河こっか口岸」と大書した看板の掛かる船着き場。8月下旬のある朝、750メートル離れた対岸のブラゴベシチェンスク市(ロシア・アムール州の州都。以下ブ市)からフェリーで渡ってきたロシア人たちが次々と出てくる。家族連れもいれば、一見してかつぎ屋と分かる屈強な男たちもいる。数十台の客待ちタクシーのうち、一部の中国人運転手は流暢なロシア語で客引きを始める。
 中国黒竜江省の省都ハルビンから北へ約500キロ、高速バスで7時間の黒河は人口20万人余りで、中露国境貿易の最前線都市だ。1992年に国境開放都市に指定され、国境貿易を認められた後、アムール川(中国名・黒竜江)を挟んでブ市との間で貿易と観光業を発展させ、対露国境貿易では中国の同省の綏芬河すいふんがに次いで2位だ。

中国人かつぎ屋の姿が消えた

 10年前、同地を訪れた人の話だと、フェリーは中国のかつぎ屋であふれていた。彼らは「日帰り観光客」として対岸に渡り、バッグに詰め込んで持ち帰った望遠鏡や電気工具などを、黒河の船着き場で商品の仲買業者と大声で値段交渉していたというが、いまではそうした光景はまったく見当たらない。
 その理由の第1は、中国の仲買業者はわざわざロシア側に行かなくとも、ロシア製品が簡単に手に入るからだ。黒河にはすでに「大黒河島国貿城」(アムールに浮かぶ中国側の中州、大黒河島にある中露国境貿易センター)があるほか、最近ではロシア商品問屋街までできた。いわゆるビジネスの「正規化」である。
 筆者は10年ほど前に取材した中国山東省威海いかい市の韓国人のかつぎ屋を思い出す。当時、船から降りた韓国人たちが韓国製の婦人もの衣料などを現地の華僑会館に卸し、東北各地から集まった中国人仲買業者が争って買っていたものだが、3年前に同地を訪れたら、かつてのかつぎ屋は完全に姿を消していた。立派な「韓国商品城」が何カ所もできたためだろう。
 第2は、ロシア側の物価高騰で、わざわざ対岸に渡って商品を仕入れるメリットがなくなったことだ。92年当時、ブ市では銀だら1斤(約500グラム)の値段が6角(約9円)だったが、現在はその10倍以上だという。いま、ロシアはとにかく物もサービスも高く(一般的に中国の2?3倍以上)、中国人は前ほどブ市へ買い出しに出掛けなくなったという。

自由往来をめぐる中露相互の矛盾

 ロシア風のしゃれた3階建ての大黒河島国貿城。敷地6万平方メートル、建物面積延べ3万1000平方メートルで、中国で最も施設が整い、レベル、規模とも最高の中露商品卸売集散地だ。数百の中国個人企業が店を構え、従業員の手元には『実用中露辞典』が見える。商品の大半は中国製で、客の大部分はロシア人。飲みかけのビール瓶を片手にぶらぶらとひやかしで歩く中年男性や、片言の中国語でCDやDVDの値切り交渉をする若者もいる。
 だが自由往来をめぐる中露相互の矛盾もある。例えば、ロシア人が買い出しのためどっと中国に来た場合、当然ロシア側で物が売れず、ブ市などへの経済的打撃が大きい。このためロシア人の対中渡航は月に1回と制限されている(それでも黒河にくるロシア人は推定で年間20万人前後)。また、ブ市と黒河に橋を架ける計画が8年前から持ち上がっているが、ロシア側は「国境の往来をあまり便利にしたくない」と渋っている。
 他方、中国側は今年6月から出入国検査を厳しくした。その理由は、ばくちや女遊びのため公金を使って対岸へ渡る不届き者が跡を絶たないからだそうで、胡錦濤こきんとう政権の綱紀粛正とも関連があるようだ。本来なら日本の旅券ではビザなしで黒河からブ市へ渡れないのだが、筆者の友人は3年前、「裏口仲介」でこっそりと対岸に渡っている。だがいまは駄目だ。あまりに厳しい出入国検査を緩めるよう、地元観光業者が要求していると聞いた。

歴史陳列館がロシア人プレスの入館を禁止するわけ

 黒河は歴史的に見ても興味深い場所だ。東方拡大の機会をうかがっていた帝政ロシアは1858年、清朝と結んだ愛琿あいぐん条約でアムール以北の内陸シベリアを奪い取り、続く1860年の北京条約でウスリー川以東のウラジオストクを含む沿海州を奪った。両条約によるロシアへの割譲面積は日本国土の3倍近くに及ぶ。黒河は中国にとっては屈辱の歴史を刻んだ不平等条約調印の地である。また黒河はかつて日本の関東軍の北満防衛の拠点でもあった。
 市内から車で30分ほどの愛琿歴史陳列館を訪れてみた。中に入ると、帝政ロシアが起こした残虐な中国居留民の虐殺事件(1900年)が鑞人形とつんざくような音響を配して舞台で再現されていた。だが、ロシア側を非難するものはこれだけで、後は旧ソ連時代を含め両国の友好と交流を強調するものが目立った。
 江沢民時代に入り、愛国主義教育基地の一つに指定された陳列館にロシア人の姿はまったくなかった。あれほど黒河の街にあふれているのにである。南京大虐殺記念館(南京市)には多くの日本人が参観に訪れ、「反省」や「哀悼」の字句を連ねた日本の大学や団体の短冊、折鶴があることに比べ、大きな違いである。ロシア人は中国から領土を奪い取ったことを何とも思っていないのだろうか。
 4年前、陳列館を訪れた産経新聞記者によると、そのとき一緒にいたAP通信記者がロシア人と間違われ、「入っちゃいかん」と制止されたという。その理由は「ここで扱う歴史がロシア側と対立する」からだとか。中国の愛国教育は必ずしも「反日」を主眼とするものでないと中国政府は言い訳するが、この陳列館への対応を見て、愛国教育の落差を強く感じないわけにはいかなかった。
(了)
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