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世界はこんなふうにも眺められる 保坂和志
第20回 “文”の持つ不羈の精神
 “文”と“武”、最近私は“武”のほうでなく、“文”において強くあることの難しさを痛切に感じる。私がそんなことを感じるということは社会が嫌な方に向かって動いているということなのだろうが、そういう「大きな」話はいまは置いておくことにする。きっかけはささいなことだった。
 ある青年と知り合った。彼は高校を卒業したあと定職に就かずに親と一緒に住んでいる。そんな知り合いは私には昔から何人どころか何十人単位でいるから、定職に就いていないことなど何も気にせずに話し相手になっていたのだが、彼だけは私のいままで会ってきた人たちと違っている。
 彼は体が大きく私より頭半分くらい背が高いから180センチくらいはあるだろう。第一印象では目つきも鋭く人と簡単には打ちとけないような表情を崩さず、襟にボアのついた革ジャンなんかを着ている姿を見ると、会うたびに私だって緊張してしまうくらいだ。しかも高校時代は空手をやっていたと言う。しかし私がいままで会ってきた人たちと違っているのはそこではない。彼は気が弱いのだ。
 たとえば、彼と私とのあいだで何か連絡の行き違いがあったときなど、
 「違うと思ってたんなら、違うって、どうしてあのときすぐに言わなかったんだ。」
 と私が言うと彼は何も言い返せずに黙ってしまう。私がいままで会ってきた人たちは、同級生も年下も含めてそういうタイプはいなかった。自分に明らかな非があっても頑強に自分の言い分を通そうとするようなタイプの人間ばっかりだった。
 彼を見ているうちに私は“武”よりも“文”において強くあることの方が難しいということを知った。というじつにたわいのない話なのだが、私は50年以上生きてきて、“文”において弱く“武”において強くあろうとしている人と親しいつき合いをしたことがほとんどないのだ。
 それは私にだって「不良」に分類される知り合いはいた。高校時代、私の家の近所で友達がよその高校生から何人もカツアゲされたことがある。ある日一人が、
 「おれは保坂の友達なんだぞ。」
 と、唐突というにも唐突すぎる一言を口走ったら、
 「なんだ、和志の友達か。じゃあ、いいや。」
 といって許された。なんてバカバカしいことがあったのだが、そのカツアゲの張本人は私が幼稚園の年少組のときに毎日幼稚園に一緒に通ってくれた1歳上のヨーちゃんだった。
 噂ではヨーちゃんは一時、札つきのワルだった。その後はまともな社会人になったと言われていたが、30過ぎて思いがけない場所で再会した。
 横須賀に住んでいる知り合いがセッティングした飲み会で横須賀を飲み歩いていて、地元の彼が、
 「新しい店を開拓しよう!」
 と言って、何軒目かに飛び込んだところが会員制のバーだった。店にいる客は怖そうなのが数人。
 「あんたたち何よ!」
 と、声を荒げて私たちの前に立った店主は背の高いオカマ。店内が一瞬にして気色ばんだそのとき、
 「あ、ヨーちゃん!」
 「なんだよ、和志じゃねえかよ。ここはおまえなんかが来る店じゃねえよ。
  ママ、こいつは俺の昔からのダチなんだ。」
 というわけで、店にいた客の1人がヨーちゃんで事無きを得た。
 話が関係ない方に逸れてしまったが、私はいままで“武”のタイプの人間にはもっぱら庇護されてばっかりで、彼らの気性が本当のところどういうものなのか、考えてみたことがなかったのだ。しかし、プロボクサーみたいにプロとしてやっていけるレベルはともかくとして、ふつうに力に憧れる程度の人間の元の動機が気の弱さにあったとしても全然不思議ではないどころかむしろ納得しやすい。
 「象牙の塔に籠る」という言い方がある。そういえば戦後60年以上経過したのが理由なのか最近あまり聞かなくなったが、
 「日本が戦争をしたことも知らずに問題を解くのに没頭していた数学者がいた。」
 という話を、子どもの頃、私はいろいろな人から聞かされた憶えがある。つまりどういう話かというと、「戦争があったことも知らずに学問だけに打ち込んでいるような、浮世離れした人生はダメだ」ということを言いたかったわけだ。
 空襲警報や終戦後の食糧難を考えれば、戦争を知らずに学問に打ち込むような生き方が日本で可能だったはずがない。この話は間違いなく作り話だが、この話がおもしろがられて流通していた社会というのは何が一番大事だと言いたかったのだろうか?
 ここまで極端ではないにしても、この数学者と似た人生を歩んだのが漢字の白川静だ。60年代末の学園紛争真っ盛りの時代、授業は学生によってボイコットされ、大学当局と学生は連日夜遅くまで交渉をつづけていた。夜10時頃、今日もまた長い一日だったなと思いながら外に出ると、白川静の研究室だけはまだ明かりがついている。その明かりを見て授業をボイコットした側の学生でさえも、「あそこだけは学問がしっかり守られている」と安心した、という話を最近テレビで聞いた。
 学問というのは決して象牙の塔なんかではなく、その時代の風潮や特定のイデオロギーの影響をモロに受ける。毅然と自分の立場を貫くことがいかに難しいことか! 軍備でも食糧政策でも社会福祉でも、政府が主宰する諮問委員会のメンバーになっている「大学教授」という肩書きの人の発言を聞くと、
 「おまえ正気かよ。」
 と言いたくなることがしょっちゅうある。
 おそらく彼らは意識して自説をねじ曲げて政府に都合のいいことを言っているわけではない。本心からそう思っているのだ。しかしこの“本心”というのが曲者で、彼らにはもともと学問に対して不羈(ふき)の精神がないのだ。
 大学の先生になるからには彼らは全員、成績は良かったはずだ。しかしいい成績を取ることはある種のタイプの人間にとっては簡単なのだ。勉強というのはつねに「ここで何が求められているか?」ということを理解することが要求される作業であって、そのときにどういう材料を使ってどういう道順で考えればいいか(同時に、何は考えに入れなくていいか)ということは、先生の表情や口調にすべて書いてある。だから、余計なことを考えずに先生が指示する通りのコースを進んでいくことさえできれば自然といい点が取れるようにできている。その範囲を超えてしまう生徒はかえっていい成績が取れなくなる。
 たとえば幾何の授業で、三角形や平行線について教わっているとき、
 「平面というのは現実の地球の上ではありえない一つの約束によって成り立っているものにすぎないんじゃないか? 現実の地球の上で平行線を引くとどうなるんだろう?」
 というようなことまで考えてしまう生徒は、将来数学上の大発見ができたとしても学校で先生から好かれるとはかぎらない。
 政府主宰の諮問委員会で“正気”を疑いたくなるようなことを言う専門家たちは、「ここで何が求められているか?」を理解する能力に優れているためにその地位にまでのぼっていった人たちでしかなく、その分野において本当に考えるべきことは何かということを考えているわけではないのだ――しかも始末が悪いことには、学校以来その、いわば“受動的なプロセス”は一貫して意識以前のところでなされてきているから本人はそれを主体的な能力と思い込んでいる。
 それに対して、白川静のように不羈の精神によって自分の信じる世界を営々と築き上げることができた人を私は本当に偉大だと思う。こういう人たちが拠点としていたからこそ、象牙という最高級の素材が比喩として生まれたのだ。象牙は硬く壊れにくく風化しない(もっとも、塔を造れるほどの強度があるかどうかはわからないけれど)。“文”というものは、象牙や大理石やダイヤモンドのように強くなければいけないものなのだ。
 秦の始皇帝についての番組だったか、正確なところは憶えていないが、中国の皇帝が歴史を編纂させていたところ編纂者が皇帝にとって不都合な事実まで記録した。皇帝は怒ってその編纂者を処刑したのだが、次の編纂者も同じことを書いた。そしてまた皇帝はその編纂者を処刑するのだが、新しい編纂者が言う。
 「たとえ何人殺されようとも、私たちは正確な歴史を記録する。」
 “文”はこのような人たちによって価値が作られ守られてきたのだ。しかし、“文”にまつわるすべての場面でこの不羈の精神が実現しているとはとても言いがたい。
 日本では小説のことを現代社会を映す表現手段だと思っている人がほとんどだ。芥川賞の選評を読んでも、「都会に生きる現代の若者の心のありようがうんぬんかんぬん」「高度経済成長の波にさらわれたあとの地方の人々の心のありようがうんぬんかんぬん」と、そんなことばっかりで、これでは月刊誌あたりの特集記事と変わらない。
 一方で、夏目漱石の『坊っちゃん』やドストエフスキーの『罪と罰』についてはどう言うか? 「人間の心というのは百年経っても本質において変わらない。それゆえ現代に生きる私たちの心に訴えかけるところがうんぬんかんぬん」と、普遍性を強調する。そういうことを言っている同じ人物が、これらの作品が書かれた時代にタイムスリップして批評するとなったら、「現代の若者の心のありようがうんぬん……」と言うことになる。
 これらの批評は阿(おもね)っているのだ。何に阿っているのか? いま自分がいる社会の支配的な価値観に、だ。「通りのいい言葉」と言い換えてもいい。「社会の支配的な価値観」が「通りのいい言葉」を生むのではなく、「通りのいい言葉」の集合体が「社会の支配的な価値観」になっていくのだから、「通りのいい言葉」によって何かを語ることがそのまま“文”に生きた人たちの不羈の精神の歴史を裏切ることになる。
 小説とは、現代社会を映す表現手段などという小さなものではなく、私たちが世界を認識するための言葉や概念を新しく作り出していくための媒体なのだ。
 日本が経済成長していた時代は、小説がたんに現代社会を映す表現手段だという誤解で批評されていてもまだ救いがあった。小説が描くところの若者たちは大人から見て世間知らずで理解不能な浮ついたものを持っていたから、「小説は小説、現実は現実」という切り離しが社会の中で漠然と共有されていた。小説と現実の切り離しによって、実社会にとって何の役にも立たないように見える観念的なことが守られていた。社会の側は「モラトリアム」と呼んだり「パラサイト」と呼んだり、つねに否定的な呼び名を与えつづけてきたけれど、若者も小説も現実と一定の距離を置いた場所で、ある程度自分のペースで何かを考えることができていた。
 しかしここにきて若者が貧困の主役になりつつある。貧困の主役の若者は、自分たちの時代以前の浮ついた若者を描いた小説を、自分たちの現実を盾に取って批判するだろう。それと呼応するようにして貧困の中に生きる若者を描く小説が書かれる可能性が生まれてくる。
 “文”に対する決意の弱い人たちは、現実の“負”の側面に弱い。犯罪を題材にしたミステリー仕立ての小説が現在さかんに書かれているのも、ひとつにこの前兆が背景としてあるんじゃないかと私は思う。人は小説を読むときに、現実の肯定的側面が書かれていると「浮ついている」と思い、“負”の側面が書かれていると「リアリティがある」と感じるという、愚かで歪んだ習性がある。犯罪を題材にした小説のリアリティは、読者のその習性に寄りかかって外から借りてきたまがい物のリアリティでしかなく、小説自体の運動から生まれたリアリティではない。
 しかし犯罪ならまだいい。それを書いた作家はその罪を犯した本人ではないのだから(永山則夫という例外を除いて)。しかし貧困となると当事者が書きうる。そのとき、実社会の価値に照らしてリアリティがあるかないかという尺度でばかり読む読み方によって、貧困を題材にして貧困という視点から社会を糾弾しようとする態度に“正しさ”という錯覚が生まれる危険がある。
 これは最悪の事態だ。“文”は社会の支配的価値観から見たときに簡単に“正しい”のではいけないのだ。私はそれによる社会状況の悪化を心配しているのではない。そんなことは二の次だ。“正しさ”という錯覚に就いてしまったときの“文”、つまり小説の状況に危機感を持っているのだ。“文”には“文”として不羈の精神でまっとうしなければならないことがある。

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