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世界はこんなふうにも眺められる 保坂和志
第8回 学校という場所??未履修問題と子どもの自殺について
 前回私は、50歳というのがどういうものなのかということを書こうとして、全然そこまで辿り着けずに終わってしまった。そして、「次回に書く」と書いたのだが、はっきり言って自分でも何もわかっていないというか感じるところは今のところ何もない。
 それはそうだ。50歳になってまだ1ヵ月も経っていないのだから。というわけで話題をガラリと変えて最近の学校がらみの2つのニュースについて書こうと思う。
 ひとつ目は、高校で必修科目を履修しないで単位を出していた問題だ。
 私の妻は大学で英語を教えているのだが、最近しょっちゅう、
「あの人たち、高校で世界史とか地理とか教わってきてないんじゃないの?」
 と言っていた。南北戦争とかヨーロッパや南米の主要国の場所とか、一般常識として当然知っているはずのことを学生たちが知らないのだ。しかし妻のいる大学は少子化の影響で年々偏差値が下がっているので、そっちの方が原因かもしれないとも考えていたのだが、今回の必修科目未履修問題で、
「やっぱりそういうことだったのね。」
 と、納得したりおこったりしていた。
 学校で強制的に教わるというのはすごいことだと思う。私は世界史なんて全然好きじゃなかったからまじめに聞いた記憶はないのだが、南北戦争を世界史の授業の中でなければどこで憶える可能性があったか? 『風と共に去りぬ』は南北戦争が舞台だったが、あの映画で南北戦争を憶えたわけではなく、大枠としての知識が先にあったから映画の大枠も理解できたのではないか?
 反対に、第二次世界大戦のヨーロッパにおける反ナチのレジスタンス活動は学校の世界史ではきちんと教わらなかった。だから『大脱走』程度なら背景がわかったが、『カサブランカ』になると政治的背景があやふやだから、ボギーとイングリッド・バーグマンの外見や、演出の格好よさしか見ていなかった。ふつうに「一般常識」と言われているものが、学校の授業によって教え込まれていたとは、情けないが認めざるをえない事実なのかもしれない。
 いまでは冗談みたいな話なのだが、20代後半の頃、私にとってレゲエのボブ・マーリィが神様みたいに偉大だったことがあり、ボブ・マーリィの発言集みたいな本を読んでいたら、
「豚肉は食べてはいけない」
 という言葉にぶつかり、「そうか、豚は食べてはいけないのか」としばらく感心したり、感動したり。結局私はボブ・マーリィの言葉にしたがわずに豚肉を食べつづけてしまったのだが、それがイスラムの戒律であることがわかったのはかれこれ10年ちかく経ったときだった。
 私が中学高校だった70年代前半には授業でイスラム教のことも宗教のこともほとんど何も教わらなかったために、誰かがした重要な発言を宗教と擦り合わせるという発想がなかった。さすがにいまはそんなことはないが。だから、もし私のあとの世代が受けた授業で、宗教と政治の問題をきちんと教えているとしたら、その人たちの世界観というかものの受け止め方はずいぶん違っているだろうなと思う。
 私より数歳年下の、だいたい1960年以降に生まれた人たちの文章を読んでいると、政治の力学に敏感な印象を受けることが多いのだが、これも学校の授業内容が影響しているのだろうか? 日本が右傾化し始めたのは1970年代後半??昭和でいえば50年代、戦後でいえば30年経ったあと??あたりからだから、話としてはつじつまが合う。
 私が子どもの頃、ゴムまりで野球をしていた近所の神社の小さな広場みたいなところに戦没者慰霊のための鎮魂碑が建ったのも70年代後半のことだった。学生時代に久しぶりに行ってみたら碑が建っていて、
「こんなもんがあったらここで遊べなかったな。」
 と思ったことをよく覚えている。
 だいたい1950年代(昭和30年代前半まで)に生まれた子どもたちは、「平和ボケ」と言われようがどうしようが、ほとんど天然の平和主義者、反戦論者のはずなのに、1954年生まれの安倍晋三がタカ派なのがおかしい。彼は同級生の友達とあんまり遊ばなかったんじゃないか?
 その証拠をひとつ、先日の日米野球の始球式で押さえた。彼はボールをちゃんと投げられなかった。私のちかくの世代は遊びといったら野球と決まっていたのだから、ちゃんと遊んでいた子どもがあんなボールしか投げられないはずがない。
 彼は政治家一族の3代目として、まわりの子どもたちと交わらないように育てられたに違いない。子ども同士のあいだでは、今は違う気がするが少なくとも1950年代生まれまでは、親の財力とか家柄なんか関係なく、運動神経がいい子どもと気が強い子どもがグループの中心になった。安倍晋三の親たちはそれを見越して、彼が劣等感を持ったり変な人間味を持ってしまったりすることを警戒して、それを未然に防ぐためにまわりの子どもたちと遊ばせなかったのではないか? しかしそれなら東大くらい行けよ、と言いたい。私は人を学歴で判断する人間では全然ないが、官僚制度は学歴社会の上にできているんだから。官僚の上に立つ人間が東大くらい出てなかったらまずいんじゃないの?
 話が大きく逸れてしまったが、必修科目未履修の問題に関して「受験にさしつかえることがないように対策を講じたい」と文部科学大臣をはじめ全員が言う。しかし、受験最優先で生まれたひずみを「受験にさしつかえることがないように」正すことなんて、できるだろうか? それは矛盾じゃないか?
 ぜんぜん違う話に見えるかもしれないが、こんなことがあった。知り合いから聞いた話なのだが、中学1年の女の子が妊娠してしまった。相手は近所の中3のお兄ちゃんで、話を聞くうちに、2人は2年も前からセックスしていたことがわかった。もちろん、男の子のほうが強制的にそういう関係に持って行き、女の子を口止めしていた。男の子のほうは学校の成績も優秀だ。
 さあ、善後策をどうしようということになったのだが、男の子の親が言うには、
「いまは高校受験を控えた大事な時期だから、受験が済んでから考えたい。」
 それでは何も解決しないじゃないか。受験を優先させておいて、
「君は勉強よりも大事なことで間違いを犯した」
 というメッセージが伝わるはずがない。
 受験勉強の渦中にいる人たちにとって、受験が大変なことであることは間違いないが、もっと広いところから見たら、一年浪人するぐらい全然たいしたことではない。

 というわけで、もうひとつは最近またまたニュースがつづいている子どもの自殺だ。なかでも福岡県の中学2年の男の子の自殺にはみんながショックを受けたのではなかったか。
 新聞やテレビに映った、男の子の自筆の遺書の字の、なんと言ったら、下手とか幼稚とかそんなレベルにすら達していないひどさが、まず間違いなく何かを語っている。中2になってあんな字を書くのはただごとではない。
 そしてその内容。4通の遺書の全文を書き写すことにする。

〈学校が配布した家庭への連絡プリントの裏〉
お母さんお父さんこんなだめ息子でごめん 今までありがとう。いじめられて、もういきていけない。
〈画用紙〉
See you again? 人生のフィナーレがきました さようなら さようなら さよ?なら? 生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたいと思います。
〈スケッチブック〉
遺書 お金はすべて学校に寄付します。うざい奴等はとりつきます。さよなら いじめが原因です。いたって本気です。さようなら
〈理科のノート〉
遺書 さようなら 僕が死んだら僕の貯金は学校にあげます。

 新聞では「悲痛な訴え」などとなっているが、これを読んで本当に自殺するなんて思うだろうか? これは冗談にしか見えない。子どもの自殺の専門家なら一目見て、「危ない!」と判断できるのかもしれないが、ふつうこれは……。
 とにかく、死というものの重大さに、“遺書”の内容がまったく釣り合わない。
 ひとつ考えられることは、こんな“遺書”しか書かないぐらいだから、彼は自殺できたということだ。私は彼を責めているのではない。そうではなくて、彼がいた環境=学校が、死の重大さや人を傷つけることの重大さをまったく教えていなかったということだ。
 私はいま敢えて、環境=学校として、家庭の方は除外したのだが、子どもには「学校がすべて」という時期が確かにあるのだ。それを数年前、私は自分自身の日記で知った。
 中学に入ったとき、国語の先生が授業のときに、読書感想文のノートと日記のノート、2つを作りなさいと言ったのだ。そのノートを月に1度だったか回収して、読書感想文の方は内容を読んでチェックするけれど、日記の方は書いているかどうかだけ確認すると言った。日記は書くことがなければ1行だけでもいいから、とにかく毎日書きなさい。
 そう言われてじつは私は大学を卒業するまでノートを書きつづけた。中3ぐらいからは確か休み休みになり、大学に入ると書くことの方が稀になったけれど、とにかく中学1年の先生のひと言によって、私には「ノートに何か書く」という習慣が生まれた。中3か高1ぐらいまで本なんか全然読まない、文学と無縁の子どもだったけれど、とにかくノートに何かを書く習慣だけはあった。
 で、そのノートが数年前、実家に帰ったときに出てきた。実家の私の部屋は物置きがわりになっているので、机の引き出しの中なんかにもいまだに高校時代の物がはいっていたりする。それはともかく??。
 中1のときの日記を読んで驚いた。学校でのことしか書いてないのだ。
 「昼休みに××君とケンカして、帰りに一緒に帰らなかった」とか、「××君はまだきのうのことを気にしているらしく朝も口をきかなかった」とか、「放課後に△△君と○○君がしゃべっていたところに、ぼくが行ったら『お前には関係ない』と言われた」とか、「中間試験が返ってきて、代数は90点だったけど地理は63点だった」とか、「明日、生物の試験があるのに今夜は勉強する気が起きない」とか、とにかくもう学校のことだらけなのだ。これでは逃げる場所がない。あの日記を読んで、中学生がどういう状況に置かれているかということが本当によくわかったし、あの頃の気持ちの状態を思い出したりもした。
 驚いたことに、私はそんな気持ちで過したそんな日々があったなんて、その日記を読むまで完全に忘れていた。
 それがいつ「学校がすべて」ではなくなったのか、その時期を私ははっきりと特定することができる。
 中学2年の秋にロックを聴き出したときだ。
 正確に言えば、何人かの大人ぶった同級生の真似をしてラジオの深夜放送を聴いていたときに、オリジナル・キャストというバンドの『ミスター・マンディ』という曲が流れてきた瞬間だ。
 その夜を境に私はラジオの洋楽番組ばかりを聴くようになり(当時テレビは歌謡曲ばっかりでポップスはかからなかった)、軽めのポップスから2、3ヵ月のうちに急激にロックを聴くように変化していった。
 いまではロックよりジャズとクラシックを聴くことの方がずっと多いが、それでもロック??とりわけ70年代のロック??には特別の思いがある。私は長いこと、「ロックが自分の10代だったから」と言っていたが、あの日記を読んで、ロックがもっと大きなものだったということがわかった。
 ロックによって、学校だけで逃げ場がなかった子どもが別の世界の存在を知ることができたのだ。ロックによって、私は学校の成績が下がることなど何とも思わなくなった。すごいことじゃないか!
 私にとってのロックに相当するようなものと出会えれば学校の息苦しさ、逃げ場のなさから一挙に別の世界に出ることができるのではないか。子どもたちにとって、それは何なのだろうか?

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