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新・お言葉ですが… 高島俊男
第9回 ぶしょうひげの流転(1)
 ——はじめにちょっと「水五訓」の話のつづき。
 前回おわりに、さいたま市の名尾良泰さんが、源田實『海軍航空隊、発進』に「水五則」が出てくると御教示くださったことを書いた。そこには、昭和四年ごろの雑誌『キング』に「水五則」が掲載されていた、とあった。
 するとたちまち、京都市の堀部功夫さんが、『キング』昭和四年二月号のコピーをお送りくださった。よくこんなにすぐ現物が見つかったものだ。
 一ページだけのコラムである。右に水車小屋の絵があり、左に文章がある。内容は現在おこなわれているものとおなじだが、これが原型だと思われるので、極力忠実にしもにうつします。

 繪入教訓 みづそく
みづか活動くわつどうしてはたらかしむるはなり
つね自己じこ進路しんろもとめてまざるはなり
障害しやうがいひ、はげしくその勢力せいりよくを百ばいるはなり
みづかきようしてけがれをあらひ、清濁併せいだくあはるゝのりやうあるはなり
洋々やうやうとして大洋たいやうたし、はつしては蒸氣じようきとなりくもとなり、あめとなり、ゆきへんあられくわし、つては玲瓏れいろうたるかゞみとなる、しか其性そのせいうしなはざるはなり
大 野 洪 聲

 「絵入教訓」というのが子ども相手の教訓みたいでいかにもむかしの大衆雑誌らしい。
 大野洪聲という名前は知らない。
 この水五則は、ここにはじめて発表されたものか、他のどこかから引用したものかわからないが、多分ここがはじめてなのだろう。
 そのどちらにしても「水五則」という通俗人生訓を作ったのが大野洪聲という人物であることはまちがいなかろう。
 これがこんにちにまでつたえられ、ひろがり、その間に黒田如水の作だの太田道灌の作だの、はては王陽明だのという珍妙奇抜な説を生んでいるわけである。
 なお前回出てきた柴田眞龍斎というのはこれがひろがる過程で登場する一人物にすぎず、なんら重要性はなかった。
 以上、いわゆる水五訓の作者はどうやら昭和初年ごろにいた大野洪聲という人でありました。
 『お言葉ですが…』第十一冊につけた通巻索引をごらんくださればわかるように、同第三冊には「ぶしょうひげ」という一篇があるが、文庫本第三冊にははいってない。
 いや、コッソリぬいたのではありません。文庫本あとがきでそのむねをことわってある。
 単行本第三冊はもう絶版になっているので、その「ぶしょうひげ」をしもに再掲いたします。

〈いつもショボショボとひげをのばしております。
「ぶしょうひげ、うすぎたないねえ」
よくそう言われる。
「貧乏たらしい」
「おじんくさい」
などと言う人もある。
「ひげぐらいそったらどうだ」
と苦言されたことは数しれぬ。
まことに見苦しいことで申しわけないが、これにはふかーいわけがあるのである。

 生来ツラの皮がうすくて、カミソリをあてると血が出やすい。むかし学生だったころ、学校の理髪部で散髪したら、見習いみたいなのがむやみに深くひげをそり、顔の下半分全面にジワーッと血がにじみ出た。あんまりだと思ったからその顔で厚生課へ行って訴えたら、事務の人が気の毒がっていっしょに理髪部へ行き、代金全額を取り返してくれた。たしか五十円だったと思う。
 岡山にいた時は十数年間ずっと同じ散髪屋へ行った。よく心得ていてそっとやってくれる。
 「先生みたいな人は、ほんとはそらないのが一番なんだよね。弱い皮膚を守るためにひげがはえるんだから」といつも言っていた。
 「電気カミソリを使っちゃいけないよ。あれはもっと皮膚をあらすから」とも教えてくれた。
 で、浪人後は天下晴れてのばしているのである。
 そんならいっそりっぱなひげをたくわえればいいじゃないか、と言う人もあるが、それがだめなのだ。わたしのひげは、鼻の下もあごも、すこし長くなるとぐるっとまわってわれとわが肌を突き刺すのである。マンモスのキバみたいなものだ。
 そういうわけで、ショボショボのぶしょうひげ程度が最適なのである。

 ところでこのぶしょうひげの「ぶしょう」、もし漢字で書くとすれば、諸賢はどう書きますか?
 不精? それとも無精?
 戦前の辞書は「不精」である。もちろんひげにかぎらない。「筆不精」「不精者」「不精をする」等みな同じ。
 戦後の辞書はこれが「無精」になった。「無精髭」「筆無精」「無精者」「無精をする」等々。
 なぜだかおわかりでしょうか。
 これは、戦後の「当用漢字」(昭和二十一年制定)のせいなのである。
 当用漢字というのはまったくシャクシ定規なうるさいもので、文字を制限したのみでなく、一つ一つの字について許容する【よみ:傍点】の範囲を定めた。こうよむのはよろしい、こうよむのはダメ、と。
 「無」という字は、無事、無礼、無難、などの語があるから、「ブ」とよんでよろしい。
 しかし、「不」は「フ」のみを認める。それ以外はダメ、ときめたのである。
 それで「不精」は「無精」になったわけだ。
 もちろん「不精」だけではない。「不」を「ブ」とよむのは全部だめなのだから、
 不気味→無気味
 不器用→無器用
 不様ぶざま→無様
 不粋→無粋
というふうに変えた。
 しかし現実に、それまでの人は「不精」「不気味」などと書いていたのだから、それものせておきたい、という辞書もある。その際は「無精」のあとに「精」または「×精」というふうに「だめマーク」をつけてのせた。まったくぶすいな、またぶざまなことであった。
 もっとも、「無」にならなかったことばもある。「不祝儀」「不細工」「不器量」などである。これらは、いかな文部省追随の辞典編纂者も、「無祝儀」「無細工」「無器量」ではあんまり変だと思ったのだろう。「だめマーク」を附して、「不」のままでのせてある。
 この情況が二十七年間つづいた。
 昭和四十八年にいたって、「当用漢字改定音訓表」により、「不」をブとよむのが許容されることになった。戦後の女の子はみなべっぴんになって「不器量」なんてことばは用がなくなったけれど、「不祝儀」や「不細工」はなくならないから、文部省も「ブ」を認めざるを得ないと観念したのだろう。
 この改定音訓表は昭和四十五年に国語審議会で承認され公表されているから、おおむねこのころ以後に発行された国語辞典は、「精」あるい「×気味」などの「だめマーク」をはずしている。

 そういうわけであるから、戦後二十七年間に教育を受けた人は学校で、「ブキヨウを『不器用』と書いたらペケですよ。『無器用』がマルですよ。ブショウを『不精』はいけませんよ。ぶしょうしないで『無精』と書きましょうね」
と教わったはずである。もっとも国語政策は朝令暮改だから先生のほうも自信がなくて、あまりうるさいことは言わなかったかもしれないが。
 昭和四十八年以後は、どっちでもいいことになったのだろう。いやしかし、学校教育において「どちらでもよい」ということはないのかな?
 不精と無精、不気味と無気味、おわかいかたはどちらでお習いになりました?
 先日の朝日新聞、家庭欄連載「きほんのき」の「ヒゲをそる」に、「無精ヒゲは不潔感を与えるからということでしょうか」とあった。新聞は依然として、「無精」を固守しているようである。

 文部省が「ブ」を認めたのはよいことか?
 まあ認めないよりはマシだろうが、しかしそもそも文部省ごときが、この字をこうよむのは認める、こうよむのは認めない、などと指図するのが不都合なのであるから、認めようが認めまいが知ったこっちゃない、というのが最も健全な態度だと、小生は考えるものであります。
('97・12・25)

 別段の不都合もなさそうだが、なぜはずしたのか。——この項つづく。

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