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新・お言葉ですが… 高島俊男
第8回 新聞の算用数字
 (この文章は、パソコン画面では横書きで出るらしいが、原稿は原稿用紙に縦書きで書いております)。
 新聞が縦書きの文章のなかに算用数字をまぜるのは、いまではすっかりふつうのことになった。しかし依然として見苦しい。
 その前には、漢数字の単位抜き表示をやっていた時期がある。「四十五」を単位の十を抜いて「四五」と書く方式である。これになじんだ人にかかると「それから二三年後」を「それから二十三年後」とよまれかねない。
 なお、「二三年後」の二と三のあいだに点を入れて「二、三年後」と書く人もあるが、これはいけない。点は、そこで一呼吸おく符号である。「二三年後」は一口に言うことばである。「二」で一拍おいて「三年後」と言うのではない。
 「子供四五人」が「子供四十五人」と解されてはぐあいがわるい。
 そこで小生、毎日新聞が算用数字を採用した時に「漢数字単位抜きよりは誤解がないだけましだ」と言ったことがある。しかし見苦しいことはいつまでたっても見苦しい。新聞以外のふつうの文章が模倣すべきことではないが、ちかごろは横書きの文が多数をしめるようになったことやパソコンで文章を書く人がふえたこともあって、ふつうの文章に算用数字がまじるのもめずらしいことではなくなった。
 先日人からもらった手紙のなかに「ノコマ」ということばがあって、ノコマとは何だろうとずいぶん考えたあげく「ひとこま」であることがわかったことがあった。
 新聞が算用数字をもちいると言っても、すべての数字を算用数字にするわけではない。安倍晋三を安倍晋3と書くことはないし、六本木も当分6本木と書かれることはないだろう。
 大きくわけて、語は漢字、数は算用数字、というのがいまの新聞の用法だろう。一般的を1般的と書くことはないし、三寒四温を3寒4温と書くこともないだろう。
 さてある日の産経新聞を見よう。
 ざっと見て最も見苦しい、あるいは無茶だと思うのは、縦見出しで四ケタの数を横並びにして一字分とすることである。「5万6000基開始」とある。6とおしまいの0とは横にはみ出している。記事のなかでもそうするのかと思えばそうではなく、「全国の約5万6000基」と縦に並んでいる。しかも「約」である。ぴったり一のケタまでゼロなのではなく、だいたい五万六千前後なのである。「六千」と書けばだいたい六千だが、「6000」では一のケタまでゼロがならんだ、ぴったり六千という数をあらわすことになってしまう。
 語は漢字、数は算用数字、と言ったが、その境界がむづかしい。スポーツ欄に、

 〈今期4度目の松中、小久保のアベック弾で7連勝し、4月6日以来の首位に。松中は三回二死二塁から2試合連続の6号2ラン。六回には、小久保がバックスクリーンに9号アーチを放った。〉

 4度目、7連勝、6号、2ラン、などは数なのであろう。対して、三回、六回、二死、二塁などは語なのであろうか。
 「選手第一の制度を」という見出しがある。第一は、第二、第三以下もあるから数ではないのか、と記事を見ると、「プレーヤーファースト(選手第一)の制度」とある。ファーストの訳語だから「第一」という語なのであるらしい。
 「産経抄」に「在日韓国人2世」とある。二世は語ではないかと思うが——。なおまた「1人にでも強制性があれば」とある。1は数だと言っても、つねに「イチ」とよむのではなく、このばあいは下の「人」とつながって「ひとり」である。どんなよみかたをしようと数は算用数字なのであるようだ。当然「ふたり」は「2人」。この「2人」に語がついてよみが変り二人三脚となると、「2人三脚」なのか「2人3脚」なのか、それとも全体が語だから「二人三脚」か。
 なお、外部の人の寄稿であって筆者の要求があれば、数でも漢字になるらしい。曾野綾子さんの「透明な歳月の光」には、「六月」「一人」や「二十五㌔」が出てくる。
 「二十数年前に」と概数を示すのに漢数字をもちいてあるのはよい。「二十数年」というのは「数」の字のところに「三」なり「四」なりの数があるのだが、それが概数であるために、一ケタの数であることをあらわす「数」の字が入っているのである。「20数年」ではその一ケタのところが「0」と確定してしまっている。
 東京豊島区の南條廣介さんが、東京新聞(中日新聞系)の「放射線」欄の切りぬきを送ってくれた。
 これまでわたしは、新聞はもう全部算用数字使用にかわってしまっているのだと思っていたら、中日新聞と東京新聞は従前通りの方式を守っていたのだった。そのことを南條さんの知らせによってはじめて知った。
 その「放射線」に中日新聞社編集担当小出宣昭常務の「中日新聞社が簡単には同調できない理由」がのっている。小生これにいたく感銘したので、全文を引用します。

 〈この問題の難しさは、文字としての数と記号としての数をどうとらえるかにあります。
 漢数字は文字ですから「春三月」とか「二人の世界」と書けば、単なる数字の次元をはなれて奥の深い情感の世界を描き出します。「春3月」「2人の世界」では台なしでしょう。
 数量の表し方でも、漢数字は優れています。算用数字で五ケタを表すと「50,000円」ですが、漢数字なら「五万円」とわざわざゼロを数えなくてもすぐに単位が分ります。
 国際的にも算用数字への一本化は奇妙な論です。算用数字しか持っていない欧米の新聞でさえ、十年は「10 years」でなく「ten years」とか「decade」と表します。三月も「3rd month」ではなく「March」なのです。欧米紙の算用数字は見出しとスポーツ記録に多く、これは中日新聞も同じです。
 いかに各国の新聞が、文字としての数の香りを守っているのかが分ります。それが文化であり、伝統です。この多様性を尊重し合うことが国際的な生き方だと思います。漢数字を守りたい思いは、それに尽きます。〉

 そもそも横書き用の算用数字を縦書きの文のなかで使うことに無理がある。
 「10人」は二字分ですむが、記事のなかの千人は「1000人」と五字分にもなる。これが行をまたぐといよいよややこしい。
 それに、数としての数字と語としての数との境界は定めがたい。十人は数だから「10人」だが、十人力は「10人力」になるのかならないのか。四十七人は「47人」だが四十七士は「47士」になるのかならないのか。七人の侍はどうなのか。二十四の瞳はどうなのか。これは語だから「12人の子の二十四の瞳」か。

 と言っても小生は、新聞は漢数字にもどれと言っているのではない。算用数字採用へと一歩(1歩?)をふみ出してしまったのだから、もう無理である。中日新聞と東京新聞はどうか孤塁を守ってもらいたい。
 実際、南條さんが送ってくれた東京新聞を見ると、「自民、公明、共産の三党は」「加盟六十九団体の中に」「二人が登場する啓発ポスター」「来月八日」「二十二日の知事選告示」といったようななんでもない表記が、前後と調和して端正に、美しく見える。
 それと、一般の縦書き文では、どうか新聞のまねをしないでもらいたいと心から願うものである。

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