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新・お言葉ですが… 高島俊男
第7回 「水五訓」の謎(2)
 水五訓の出処というと毎度おなじみは黒田如水と王陽明だが、そのほかに永平寺もよく出てくる。
 黒田如水と王陽明は根も葉もないが、永平寺は現にある寺だから、もしかしたら扁額とか、石に彫って立てたものでもあるかもしれないとだいぶ調べてもらったが、なんにもなかった。これもマボロシである。
 そのかわりに「石徳五訓」という石に彫ったものが出てきた。
〈堅質にして大廈高樓の基礎たるの任務を果すものは石なり〉
〈黙々として山岳庭園などに趣きを添え人心を和らぐるは石なり〉
といった調子で、近代語をふんだんに使い、おしまいに「なり」をくっつけて文語文めかした俗流人生訓たること水五訓にそっくりである。多分水五訓のまねをしたものだろう。最終行に「永平泰禪九十四翁」とある。これが住職なのかもしれない。永平寺と言えば小生でも名を聞いたことのある寺だが、つまらぬことをやっているものだ。
 水五訓のことを調べ出した時から人に頼んでいたことが二つある。
 一つは、どんな層の人が水五訓を信奉しているのかということ、一つは、なるべく古いものがほしい、それもできれば活字印刷ではなく墨書したものがほしい、ということである。
 信奉者はだいたいつぎのような人たちのなかに多いらしい。
一、 水道業者、河川関係者。
 これは水をあつかう商売だからわかる。
二、 小学校長、地方自治体の議員、中小企業の社長、各種団体の幹部等。
 これが校長室や講堂や事務室などに麗々しく水五訓をかかげているのである。社会的にはわりあい地位が高い人たちで、そのなかの、むかしの文章を見たことのない、知的レベルの高くない人たちに信奉者が多いらしいとわかった。こういう人たちが、黒田如水だ、いや王陽明だと言っている。国会図書館に質問状を出す。しかし、自分の部屋にかかげてあるものが、いったい戦国時代の用語・文章であり得るか否か、考えてみるほどの知力はないらしいのである。

 なるべく古いもの、できれば墨書したもの、これは河川協会の専務理事さんが、倉庫の文書のなかから見つけてくれた。しもにかかげる。墨書してある。
〈太田道灌先生処稿水五則
自から活動して他を働かしむるは水なり
常に自己の進路を求めて止まさるは水なり
障害に逢ひ激しく且努力を百倍し得るは水なり
自から奨まして他の汚れを洗ひ清濁併せて容るるの量あるは水なり
洋々として大洋を満たし發しては蒸氣となり雲となり雨となり雪と変し霰と化し凝ては玲瓏たる鏡となる
而して其の性を失はさるは水なり
為東管ニュース創刊百号記念
東京都水道局長小林重一〉
 「東管」は「東京都管工事工業協同組合」の略。「東管ニュース」の百号が出たのは昭和三十八年八月。小林重一という人物について調査したところ、明治三十八年生れ、京大土木工学科卒、工学博士、昭和三十五年九月から同三十九年十月まで東京都水道局長の職にあった人である。
 おそらく側近から示された原稿通りに書いたのであろう。「逢ひ」「洗ひ」「失はさる」と三か所とも正かなづかい。また濁点を一切使っていない。それが部下から示された原稿の形だったのであろう。作者は太田道灌になっている。太田道灌が持ち出されてきたのは、江戸城を築いた時に水を江戸へ引いたであろうから水に関係があるゆえか、「道灌」という名のゆえかであろう。
 とにかくこれで、昭和三十八年にすでに水五訓があったことがわかった。
 応援をたのんだ人たちのうちで、最も着実に調査してくれたのは野尻昌弘君である。
 野尻君はパソコンのプロであるが、にもかかわらず(あるいはそうであるからこそ)パソコンで調査することを早くから放棄し、都立図書館および国会図書館へかよって、およそ水に関係のある新聞や雑誌を一枚一枚めくってくれた。
 『水道協会雑誌』という雑誌の昭和二十六年四月号、「水の小話」というコラムで関係記述を見つけ出した。筆者は藏田延男という農林技官で、水にかかわりのある人であることは読めばわかる。しもに引く。
〈ずっと前の筆洗に黒田如水の作になるとかいう、水5則というのが出ていたが水を扱い、水に学ぶわれわれとしてまことに味うべき文句である。念の為紹介しておこう。〉
 以下一から五までの全部を引用してある。その文言は現在一般におこなわれている水五訓とほとんど変らない。
 「筆洗」とは東京新聞の一面下部の横長コラム、つまり朝日の天声人語に相当するものである。
 野尻君こんどはその筆洗を過去にさかのぼって読んでゆき、昭和二十四年二月十四日ので見つけた。しもに引く。
〈知人から柴田眞龍斎翁の書になる「水五則」というものを贈られた。座右の銘として心に留むるに足るものと感じたので左にこれを紹介する。〉
 以下、一から五まで引いてある。現在一般に行われているものとほとんど変りない。「遭いて」「洗い」新かな、「失はざる」正かな。濁点使用。「蒸気」はなく「発しては雲霧となり」である。
 引用のあとはしもの通りである。
〈この「水五則」がたれの作であるかはさだかでないが有力な意見としては黒田如水ではないかと言われる。そう言えば如水の号からしても一応そのゆかりがしのばれる。▼内容として水の性に対する観察と表現は必ずしも完全でないかも知れない。しかしながら人間の生活を対象として進退の挙措に示唆を與えている点では、恐らく十分なものがあろう。▼(…略…)▼水を単なる水と見ず、これを大衆と置き換えるとき、その五則は、民主主義日本の国民にとって決して無用な格言ではあるまい。筆者の凡慮果して貴下の共感を得るや否や。〉
 一面コラムはその新聞の顔であり、ショーウィンドウである。センスのよさや洒落っ気が大事なのだが、この当時の東京新聞のそれはずいぶん程度が低い。
 それはさておき、この、現在見つかっているかぎりで最も古い資料のなかで大切なところは、「「水五則」というものを贈られた」「心に留むるに足るものと感じた」というところだ。新聞社の人もはじめて知ったのである。
 そして農林省の藏田技官も、この筆洗で初めて「水五則」を知っている。つまり平生水をあつかい水に親しむしごとの人も知らなかったのである。
 しかも、筆洗から水道協会雑誌まで二年以上たっている。そのあいだにポピュラーになる心配をしていない。
 つまり、昭和二十四年から二十六年にかけての時期は、水五訓がまだほとんど人々に知られていない、まただんだんひろがってゆく趨勢でもない時期であることを語っている。われわれは水五訓の草創期に近いところまで追いつめているらしいのである。
 しかし筆洗には「有力な意見としては黒田如水ではないかと言われる」とある。水五訓を知らなかったのに、それが黒田如水の作であると言われていることを知っている、とはどういうことであろう。
 おそらく、「水五則」につけた柴田眞龍斎の手紙にそう書いてあったのだろう。
 柴田眞龍斎とはどういう人であるかわからない。講釈師みたいな名前であるが、野尻君の調査によれば、柴田眞龍斎という講釈師はいないそうである。
 柴田眞龍斎は、自作の人生訓に、黒田如水の作という意見が有力ですという手紙をつけて筆洗子に送ったか、何かで見たものをうつしとって、それに黒田如水説が有力であるとの注解をつけて筆洗子に送ったかどちらかであるが、可能性としては後者が大きいであろう(柴田眞龍斎という人の人柄にもよることであるが)。
 それでは柴田眞龍斎は何を見たのか、というところで野尻君の調査は行きづまってしまった。
 それはもしかしたら戦前のものであるかもしれない。
 実は、戦前すでにあった、とするものもある。『東管今昔誌』という本にこうある。
〈ここに掲げた書(高島注、昭和四十四年の書)は、西山秋崖先生が、その七則の中から六則を選んで書かれたもので、戦前、衛生設備誌に寄せられた。〉
 『衛生設備』は、昭和十年に設立された東京府衛生設備業組合の機関紙だが、東管の専務理事をわずらわせて探してもらったところでは現在どこにも残っていない。西山秋崖は戦前から戦後にかけて浅草で水道工事屋をやりながら趣味で習字をやっていた人である。
 ともかく東管今昔誌の記事は信ずるに足りないと思ったのでこれまで取りあげなかったが、水五訓(水七則、あるいは六則)が戦前すでにあったとする記事も、あることはあるのである。
 以上の考察をまとめると以下の通りである。
 「水五訓」(五則)は、昭和二十年をはさむ前後十年ほどのあいだに作られた。
 当初から、黒田如水作という根拠のないいわれがついてまわっているらしい。
 王陽明はどこから出てきたものかわからない。
 一般にひろがったのは昭和四十年ごろからのようである。同年栃木県黒羽町の植木という僧が提唱したことが高杉良『不撓不屈』に見えている。
 かさねて言う。国会図書館参考課は、もしまじめに調べる気があるなら、いきなり架空の大昔にとぶのではなく、現在を出発点として、地道に過去へさかのぼって調べてもらいたい。われわれは柴田眞龍斎で行きづまってしまったが、国会図書館の調査能力をもってすれば可能なはずだ。
 ──大いそぎで重要な追記
 さいたま市の名尾良泰さんが、源田實『海軍航空隊、発進』(文春文庫)のコピーを送ってくださった。その三十四ページに、昭和四年ごろ、雑誌『キング』に掲載されていたとして、飛行術の教官から「水五則」を教わった、と出てくる。全文引用してあるが、現在おこなわれているものとちがいはない。全文新かな。黒田如水とも何とも言ってない。
 柴田眞龍斎から一ぺんに二十年もさかのぼってしまった。こんどは昭和初年の『キング』だ。そんな雑誌、どこへ行けば見られるのだろう。国会図書館さん、さあ出番ですよ。現在判明している最古の文献がわかったのだ。ぜひしらべてください。

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