「ミズゴクンは黒田官兵衛の作とも言うし王陽明だとも言いますが、どちらが正しいのですか?」
なんのことやらわからない。
「ミズゴクン、ですか?」
キョトンとしていると相手は、
「ハハハ、御冗談を」
小生がとぼけているものと見て(あるいはそうとりなして)笑いにまぎらした。よほど知られたことらしい。
小生は、知っていることをわざと知らないふりしてとぼけて見せる、などという高級な藝当をしたことがない。できる人間でもない。「教えてくれりゃいいじゃないか」と内心不服で黙ってしまった。
姫路へ帰ると、追っかけて専務理事さんから手紙が来た。
「水五訓の出処は黒田如水だとも王陽明だとも言います。老子だという説もあるようです。どれが正しいのか調べていただければ調査料として十万円さしあげます」とある。
これで、ミズゴクンは「水五訓」だとわかった。しかしそれが何であるかは依然としてわからない。
「その水五訓というのは何ですか? なにか訓戒の類かと思われますが、とにかくその本文を見せてください。」
そう返事を出したら、
「その本文が知りたいからおたずねしているのです」と返信があった。
「いや、本文というのは原拠ということではありません。水五訓というものの内容です。文言です。何を言ったものかということです」
そんなトンチンカンな手紙の往復があったすえ、「河川ハンドブック」という本(パンフレット?)の巻頭にかかげてある水五訓のコピーが送られてきた。そのまましもにひきうつします。
| 水五則 |
| 〈1.自ら活動して他を働かしむるは水なり |
〈1.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
〈1.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
〈1.洋々として大洋を充し発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霞と化し凝っては玲瓏たる鏡となり而も基性を失はざるは水なり〉
これがその本文なのであれば、これは黒田官兵衛どころではない。江戸のものでも明治のものでもない。昭和、それも戦後のものである。
「障害に【あい:傍点】」「汚れを【洗い:傍点】」と戦後かなづかいが二か所ある。「【失は:傍点】ざるは」と正かなづかいが一か所ある。ゴチャマゼである。この本文によるかぎり、筆者は戦後の人で、ただし新かな育ちではなく、時に正かなもまじる世代の人である。
なお、言うまでもないことだが、王陽明という説があるそうだからつけくわえておくと、これは漢文を訓読したものではない。はじめから日本語で発想されたものである。「AはBなり」の形で、Aがむやみに長くてBがたったの一字という漢文はまずなかろう。王陽明だの老子だのというのは見当はずれである。もっとも日本語としても少々変である。到底古文ではない。
近代の用語がいくつも出てくる。たとえば「蒸気」。これは江戸後期の蘭学者が翻訳用に作った語だが、一般にもちいられるのは明治以後である。
それよりなにより、水が空にのぼって雲になったり、霞になったり、というのが、小学校の理科で教わる知識だ。むかしの人は、空にうかぶ雲を見て、あれは地上の水が姿を変えたものだ、などと思いはしない。これだけでも黒田官兵衛なんぞと縁がないのは自明である。
字のこともある。
「障害」という語が出てくる。昭和でも戦前なら通常は「障碍」もしくは「障礙」である。「障害」と書く人もあったが稀である。戦後「碍」「礙」の字が当用漢字から削られ、代替文字として「障害」と書くようになった。ワープロやパソコンで文章を書くようになってからは「障害」ばかりである。これも戦後のものである証拠の一つである。
各項のおしまいが「なり」だから文語文だと思う人があるのかもしれないが、この「なり」を「である」になおせば現代口語文である。文語文と口語文のちがいは、「なり」が「である」に変るだけ、というような簡単なものではない。つまりこれは現代人が作って、文末に「なり」をくっつけるという幼稚単純な手口で文語文に見せかけたものである。
知人に応援をお願いした。河川協会の人にもたのんだ。本文のヴァリエーション、どんな所にあるのか、どんな本にのっているのか、どんな人が信奉しているのか、等々。
ヴァリエーションはぞろぞろ出てきた。だいたいは似たりよったりである。ところどころ文言がちがう。
たとえば谷沢永一『名言の智恵、人生の智恵』という本では、「障害」は変だと思ったのか「
かなり文言のちがうのもある。『プレジデント』の大内祐子さんが見つけてくれたのには、第一項「淡々無味なれども、真味なるものは水なり」ではじまるのもあった。水にことよせた人生訓であることは同じである。
本は、ずばり題に水五訓が出てくる松原泰道『人徳の研究「水五訓」に学ぶ人間の在り方・生き方』をはじめとして、人生訓の本にいくらでもある。
お寺でこれを商売にしているところもあるようで、水五訓を書いたツイタテを売っているところもあるし、伊香保の五徳山水澤寺という寺は自分の寺の名にこじつけてこれを「水五徳」と称し、「観音精神より出でたるものであります」と観音菩薩に結びつけている。小生元来お寺に対する敬意を持たぬ者であるが、これらを見て、いよいよ寺と坊主に対する軽侮の念を強くした。
応援をたのんだ人たち(その多くはパソコンを持っている)がパソコンで検索してみるといくらでも出てくるようで、それをどんどんプリントにして送ってくれるものだから、はじめは一つ一つつぶさに検討していた小生も対応しきれなくなった。
なかで、「えっ、ここまで」と思ったのは「水五訓 黒田如水」と題した色紙を売っていることだ。その説明に「晩年、如水(じょすい:水の如く)と号した黒田如水(官兵衛)の人生訓と言われています」とある。「言われています」が、色紙では、何の疑念もなく「水五訓 黒田如水」と決定されているのである。
黒田如水は如水というその号から結びつけられたのだとわかるが、王陽明というのはいったいどこから結びつけられたんですかね。縁もゆかりもない。
国会図書館の参考課というのもつらいしごとだ。日ごろ文献の調査をやっているのだから、「水五訓」の本文を一目見れば、これはそんなに古いものじゃない、多分昭和の戦後、よほどさかのぼっても昭和戦前が限度だとわかるはずだ。それでも、黒田如水か王陽明か、と問われれば黒田如水関係の文献や王陽明関係の文献を入念に調査するのですね。百パーセント無駄と知りつつ——。むなしいことだ。
これは何度目かの回答らしいが、こうある。
〈「水五訓」「水五則」と呼ばれる格言の由来については、しばしば質問が寄せられていますが、不明です。〉
〈「水五訓」「水五教」「水五則」などの言葉でしばしば全国から同じ質問が寄せられます。黒田如水説、王陽明説などがありましたが、いずれの手掛かりからも当方で回答不能だった事例です。〉
気の毒と言えば気の毒だが、また考えてみればズボラである。〈「水五訓」「水五教」「水五則」などの言葉でしばしば全国から同じ質問が寄せられます。黒田如水説、王陽明説などがありましたが、いずれの手掛かりからも当方で回答不能だった事例です。〉
見れば昭和のもの、それも多分戦後のものとわかるのだから、何故昭和に調査範囲をさだめて、現在あるものから、一つ一つ、過去へさかのぼってしらべないのか。出発点は架空の黒田如水なんかじゃなく現在ある「水五訓」だ。国会図書館ならできそうなものではないかと思う。——この話つづく。
次回更新予定日 5月10日
