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新・お言葉ですが… 高島俊男
第3回 漱石と是公が住んでいたへや・「本文」とは何だろうね
 毎週日曜日に近くの町の図書館で話をしている。お客さんは十人くらい。大部分が固定客——つまりいつも話を聞きに来てくださるありがたいお客さまである。
 先日は、漱石の大学予備門時代の親友中村是公の話をした。——「是公」のよみはコレキミだのヨシコトだのとやかましい話もあるが、ゼコウでよい。漱石ら友だち仲間はみな「ゼコウ」と呼んでいたのだし、それに日本人の名乗りをおんで呼ぶのは何ら不都合はないのだから——。その話はさきにくわしくいたしました。
 是公は、広島出身、学生時代は柴野是公、のちに満鉄の総裁になって漱石を満洲へ招待してくれることになるのだが、学生のころは仲間うちでもヒョウキンな男で、言わば道化役であった。みんなで江の島へ遠足した時、風になびく樹を見て「どうだ、あの樹を見ろ、戦々兢々せんせんきょうきょうとしているじゃないか」と言った。それから当分のあいだはみんなが是公のことを「戦々兢々」と呼んでいたと、漱石の「満韓ところどころ」にある。
 一時期、漱石と是公は本所の江東義塾という私塾で住みこみの教師をしながら予備門へかよっていた。このころのことを書いたのが「永日小品」の「変化」である。こうはじまる。

 〈二人は二畳敷の二階に机を並べてゐた。其の畳の色の赤黒く光つた様子が有々ありありと、二十餘年後の今日迄こんにちまでも、眼の底に残って居る。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っ附ける程窮屈な姿勢で下調したしらべをした。〉

 荒正人『漱石研究年表』はこれを明治十九年九月からのことと推定して、「柴野是公と一緒に二階の北向きの二畳間に住み」云々としるしている。
 ……そんな話をしていたら、図書館の館長さんが一番新しい『漱石全集』の「永日小品」が入っている巻を持ってき、「変化」のところを開いて目の前においてくれた。せっかくだから最初のほうだけでも読んであげましょうと読みはじめた。
 「二人は三畳敷の二階に机を並べていた。……ええーっ、これはちがうよォ。三畳じゃないよーッ」
 わたしの頭のなかには、せまいせまい二畳のへやの窓際に、わかき漱石と是公が机を並べ肩をくっつけるようにして勉強している絵がすっかりできあがっているのである。それが急に三畳になってはイメージがくずれてしまう。
 わたしが騒ぎ出したので館長さんはいそいで一つ前の大版の『漱石全集』を持ってきてくれた。わたしは持参の新書版全集をとり出して点検する。どちらもたしかに「二畳敷」である。
 「おかしいなあ。新版の誤植かなあ。こんなところで誤植するとも思えないけどなあ。——秋山さんに聞いてみます」
 二畳か三畳かの件はペンディングにしておいて是公の話をつづけた。
 秋山さんとは、岩波書店でずっと漱石全集をやっていた秋山豊さんである。会ったことはないが、漱石に関する件では何度もおせわになっている。帰ってすぐ、きょうの件を手紙に書いて質問した。
 秋山さんはすぐ返事をくれた。これでくわしいいきさつがわかった。
 新しい全集では、本文を原稿に依拠している。原稿のないものは初出の新聞・雑誌による。「変化」は原稿がないので「大阪朝日新聞」によった。「永日小品」は大阪朝日の依頼により執筆された作で、東京朝日にものり、漱石が切り抜いたのはこちらだが、このほうでも「三畳」である。
 従来の全集は単行本によっている。「永日小品」は単行本『四篇』に収録された。それでは「二畳敷」になっているので、従来の全集は「二畳敷」なのである。
 秋山さんのお手紙によれば、漱石の原稿は「二畳敷」であった可能性も「三畳敷」であった可能性もある。もともと漱石が「二畳」と書いたのを新聞が「三畳」と誤植したので、本にする時に「二畳」と正したのかもしれない。あるいはもともと「三畳」であり大阪朝日もその通りに印刷したのを、単行本が「二畳」と誤植したのかもしれない。
 なお、単行本では「二畳」になっていることは、新全集巻末の「校異表」に出ているのだが、わたしはそれに気づかなかったのであった。
 現実には、二畳間というのは、大の男が二人でくらすにしてはいかにもせまい。無理ではないかと思われる。しかし、だからこそわかき日の漱石が友だちといっしょにくらしていた場所としてわたしの脳裡にくっきりときざまれていたのであった。
 実際のところ、江東義塾の二階は二畳だったのか三畳だったのか。どっちがほんとうなのか。
 二畳がほんとうだ、という気もする。それが三畳と新聞にのったので、「三畳じゃない、二畳だよ」と漱石は新聞の切抜きで直しておいた。その訂正切抜きが単行本『四篇』の原稿になった。そういう気がする。
 しかし、原稿は「三畳」であり、大阪朝日はまちがいなく「三畳」と印刷したのに、『四篇』の印刷工がまちがえ、編輯者も見のがした。その可能性もないではない。
 ただ、わたしのイメージは一貫して「北向きの二畳間」のままである。
 秋山さんから返事が来たので、つぎの図書館の話ではその返事を持って行って、お客さんの一人によみあげてもらった。
 漱石の作品の本文に関する件であるから、秋山さんの手紙には本文ということばが何度も出てくる。
 「新しい全集では、自筆の原稿に基づく本文を提供することを方針として掲げました。」
 「初出の雑誌・新聞の方が原稿に近い、との判断に基づき、初出本文を採用するようにいたしました。」
 「大阪の本文を採用いたしました。」
 「従来の全集本文を確定した小宮豊隆さんも荒正人さんも……」
 手紙をよみあげてくださったかたがこの「本文」を「ホンブン」と言ったので、「ホンモン」ですよ、と訂正した。
 ホンブンとよんでさしつかえないばあいもないではない。たとえば「序文・本文・跋文」というようなばあいならホンブンでもよかろう。
 しかしたいがいのばあいはホンモンである。秋山さんの手紙に出てくる「本文」もすべてホンモンである。「本」も「文」もあまりやさしい字なのでかえって注意しないのかもしれない。
 「本文」とは何かを、別の日本語で言いあらわそうとすると、これがむづかしい。『日本国語大辞典』の「本文」の項では五条にわけて説明しているが、そのどれもぴったりしない。(3)の「書物のうちで、絵、図、また、序文、跋文などを除いた、主になっている文」が最も近いがこのばあいちょっとちがう。秋山さんの手紙に出てくるような「本文」を説明し得ていない。いっそのこと、ただ「文」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。要するに漱石の作品の文がどうなっているかというその文なのである。
 山下浩さんの『本文の生態学』(日本エディタースクール出版部)という本がある。奥付には「本文ほんもんの生態学」とふりがなをつけてあるので題が「本文ほんもん」であることははっきりしている。
 序章では「「本文テクスト」は生きている」と、テクストとふりがなをつけており、その序章がはじまってすぐのところにも「岩波版『漱石全集』に代表される漱石の本文テクスト」は云々とあって、文中における「本文」はむしろ「テクスト」とよんでもらいたいようでもある。
 「本文」を日本語で言いかえ、または説明するのはむづかしいが、たしかに「テクスト」と英語に言いかえれば話はわかりやすい。漱石全集の——あるいは全集でなくても漱石の作品の——本文がどうなっているか、本文をどう確定するかは、つまりは漱石の作品のテクストの問題なのである。
 そこで日本国語大辞典の「テキスト」をひいてみると、その第二条にこうある。

 〈本や作品などが、異なる版や写本など、いろいろな形で存在する時、その版や写本をいう。〉

 これも奥歯に物のはさまったようなまだるっこい言いかただが、こうとでも言うよりほかないのであろう。
 しかも、この説明もすくなくとも「本文」の説明としては十分ではない。これでは「いろいろな形で存在する時」が条件になっているが、本文が一種類しかない時も本文は本文である。たとえば芥川龍之介のある作品が原稿と初出雑誌と単行本とで異同がない時でも、それが芥川のその作品の本文である。テクストというばあいも同じであろう。異版の有無は条件ではない。
 あるいは菊池寛のある作品についてあらましを話して、その一部分について「さてそこのところ本文はどうなっているかというと……」とページをめくるようなばあい、異版のことなどは念頭にない。問題はそこのところの文章である。あらすじや要旨に対して「本文」と言っているのである。その本文が本や版によって異同があるばあいに、テクストの問題が生じるわけだ。
 なお、なぜホンブンではなくホンモンと言うのか。
 思うに「本文ほんもん」と呉音で言う日本語はむかしからある。近代になってテクスト・クリティークの「テクスト」という語が西洋から入ってきた時、昔からある「本文ほんもん」という日本語を訳語としてあてたのであろう。
 なおまた、textという英語をテクストというかテキストというかはゆれている。どちらでもよい。ただ、本文の意の時はたいていテクスト、対して学校や講習会でよむ本(教科書)のばあいはテキスト、と言いわけているようである。

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