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ベトナム秘史に生きる「日本人」 玉居子精宏
第2回 植民地政府を解体した一夜の奇襲作戦
インドシナ現地商社による独立運動支援

 1940年9月の進駐後、西川は軍属としての任務を経て、特務機関「山根機関」に加わった。後日サイゴンに移ると、インドシナにおける日本の有力商社「大南公司」に入社した。
 山根機関の機関長、山根道一と独立運動の関係は前に述べた。一方の大南公司は当時インドシナ各地に支店を持ち、現地ではその名を知らぬ者のない存在である。社長の松下光広自らがスパイ容疑で仏印政府から国外退去を命ぜられた経験を持つ人物で、独立派安南人との関係も深かった。
 「大南公司の事務所には、よくそんな(独立運動に関わる)連中が出入りしていたんです。松下社長は金をやったりして支援していましたね」
 西川は在籍した大南公司の様子をそのように語った。いわくつきの組織に西川は名を連ね、反仏謀略の活動に従事し、戦局悪化にともない軍に入営した。一兵卒となってからも彼の職務??情報収集、特殊工作??は変わらなかった。

 西川のことを「スパイ」などと呼ぶのは不穏当に過ぎるであろう。だが彼が記した日記形式のメモに頻出する「任務」「調査」「情報工作」といった単語を見れば、若い身ながら、特命を帯びた人間としての自覚を持って仏印にあったことがひしひしと伝わってくる。
 その彼のメモからは、日本の軍民と独立運動家との交流がはっきりと見て取れる。
 ベトナム最後の皇帝バオダイ、20世紀初頭に日本に亡命、祖国の独立工作を続けていた王族クォンデ殿下、のちの南ベトナム(ベトナム共和国)大統領ゴ・ディエン・ジェム、日本軍による仏印武力処理ののち、首相に任命されたチャン・チョン・キム、カンボジアの反仏民族主義者で独立後には外相となったソン・ゴク・タン……。インドシナ現代史を語る上で欠かせない人物ばかりが登場するのである。

 西川その人については、「なかなか話さないんだよ、書かせたらたくさん書くんだが……」と、彼との付き合いの長かったベトナム関係者は口を揃える。「仏印・ベトナムと日本の関係を知る字引みたいな人だけれどね、とにかく謎が多い。語らない人なんだよ」
 私が会ったとき、西川はすでに齢80を超えていた。それでもやんわりと、「録音機なんて使わないで下さい」と、秘密めいた来し方の一端を窺わせる態度を示した。
 戦争の裏面に生きた時代のことを、易々とは話したくない??西川にはそんな思いがあったのかもしれない。

大戦中の反仏特殊工作と仏印武力処理

 1943年、南京攻略でも知られる陸軍の松井石根大将がサイゴンを訪れた。大川周明らと交流し、早くから安南独立に関心を示していた彼は、安南人記者を集めた会見で「(安南人は)独立のために準備を」と談話して仏印側の憤激を買った。仏印政府が主権を握り、日本軍が間借りしている状況は変わっていなかった。
 それでも独立勢力との連携は水面下で絶えず続けられていた。この微妙な時期、西川は何をしていたのか? 彼のメモから断片的にではあるが描出してみよう。

・[1943年3月]タイ国へ亡命中のヴェトナム独立運動家と会談
・[同年10月]フエよりグォ・ディン・ジェム氏来着。グォ氏と松下社長、小松清[フランス文学者、評論家]氏の会談に同席
・[1944年1月]チャン・チュオン・キム氏等、日本軍庇護下にシンガポールに向け出発。チャン氏の案として、シンガポールにクォン・デ殿下を迎えて、独立運動本部を設置する計画書作成
・[1945年2月]安部隊サイゴン隊勤務となる。安部隊の任務は、フランス軍武装解除、重要施設接収、独立運動党員糾合。これらの工作任務遂行のため、高台(カオダイ)教団を活用する方針を決定した
(文字遣いはすべて原文ママ。[]は引用者注記)

 戦局悪化を受け、仏印は当初の「兵站」から防衛すべき「拠点」へと変わっていった。仏印全土で防衛の備えを急ぐべきときに、主権者たる仏印政府の存在は日本軍の邪魔になるだけだった。彼らは取り除かれなければならなかった。この軍事的な理由を背景に、特殊工作を含め、軍の準備が進んでゆく。
 これらの動きは1945年3月9日、一気に噴出した。仏印政府を解体する「仏印武力処理」(秘匿号は明号作戦)が発動されたのである。

 もともと仏印武力処理の検討自体は、1943年の時点で始まっていた。だが作戦実施に向け本格的に動き始めるのは1944年末、南方圏の要、フィリピンでの決戦が失敗に帰してからのことだ。ここにおいて「インドシナ防衛」は焦眉の問題となった。フィリピン・ルソン島に上陸した米軍と、ビルマ方面から殺到する英印軍がインドシナに襲来、これに呼応して仏印軍が立ち上がるという、最悪のシナリオを想定せざるを得なくなったのである。
 大本営は1945年2月28日、南方軍総司令官に対し、「3月5日以降機宜、仏領印度支那の処理を行うこと」と命令を発した。
 日本軍の推計では、インドシナの仏印軍は計9万名。一方の日本軍は4万名弱。数字の上では明らかに不利だった。

 武力処理は、3月9日午後10時、奇襲で幕を開けた。北部仏印の一部で頑強な抵抗に遭った以外は、事前の特殊工作により、ほぼ全土で翌日午前中には軍事施設、行政の要所、要人の逮捕などを終えた。現場の日本軍下士官が「彼ら(安南兵)はすぐ両手を上げて出てきました。降服するのを喜んでいる風でしたね」と驚くほど、あっけなく終わったケースもあった。

 グエン王朝の皇帝バオダイは武力処理を伝える日本の特殊工作員に涙を流して感謝、「戦争終了後は友邦日本とともに苦難を越えて共同してゆきたい」と語ったとされる。3月11日、彼はフランスからの独立を宣言した。
 このバオダイ帝の反応と相通じる民衆の素朴な姿を、北部仏印で明号作戦に参加した元日本兵は印象的に記憶している。
 「作戦後は日本軍に拍手した連中もいたくらいですから。とにかくあの支配者フランスを一晩で叩いたんですよ、安南人はわーっとなりましたね」
 またある安南人の老人は「安南ノ黎明、今此所ニ明ケントス、人民歓喜、蹶起シテ之ヲ追ウ」と漢字で綴った書状を作戦行動中の部隊に手渡したという。

 フランスは土地の人々を圧倒する軍事力をもって君臨していた。それを一夜にして追い落とした大事件の意義は、そう簡単に消えるものではないだろう。何しろ80年もの間、ベトナムはフランスに抗っては倒され続けていたのだ。
 西川は後年、明号作戦は「追いつめられた日本軍の作戦的理由」によるものと書き記した。この見方が妥当だとしても、同作戦は単なる武力行使ではなかった。同じアジアに属する日本の軍隊が成しとげたものとして、安南人の独立の意識を著しく刺激した事件だったのである。

日本の敗戦と蜂起の奔流

 明号作戦を境に、日本軍は仏印全土の防御陣地化を開始した。山岳地帯に退き、海岸線からの米軍襲来に備えた。だがその備えも空しく米軍は直接に沖縄を席巻、8月15日、インドシナも敗戦を迎えた。

 「日本軍は安南(チュオンソン)山脈に立てこもる、そうして山岳ゲリラ戦で米軍に対抗することになっていました。それで私は中部高原のバンメトートという町に行っていたんです。少数民族の協力を得てゾウを使った特殊部隊の訓練を始めましてね。そのとき敗戦の報に接したんです」
 敗戦を8月14日に知ってから、西川の動きは非常に慌ただしくなる。彼は他の隊員とともに任地を離れ、サイゴンに急行した。だがサイゴンもすぐに離れなければならなかった。
 西川には、フランスによる戦犯追及を逃れる必要があったのである。
 大戦中の仏印総督ドクーをして「日本軍の第五列」と言わしめた大南公司に勤めた西川が、戦犯として罪に問われることは間違いのないことだった。

 「独立支援みたいなことをしていましたから」
 言葉少なに西川はサイゴン脱出の理由を説明した。任地から引き揚げた先のサイゴンでは皆と「どうするか、飛行機でも乗っ取るか」と議論の末、船で海路脱出する方法を選んだ。すでに大南公司の松下社長はサイゴンを発つ最後の飛行機で辛くも台湾に逃れていた。
 西川自身は8月25日、小型漁船に乗り込み、密航者然として外洋へ逃れ、荒波に揉まれて日本へ帰還した。一部の現地残留者を除き、仏印からの復員は翌46年5月に集団で行われた事実を踏まえると、西川の切迫した脱出劇は、一般将兵・民間人とは異なる身であった彼の姿を強烈に照らし出すものだとも言えそうだ。

 日本による仏印政府解体は、安南人のなし得なかった悲願だった。それだけに強烈な衝撃を残し、歴史の次のページを開く原動力となった。「フランスをやっつけて我々が独立できるのは日本軍のおかげだ」「ホー・チ・ミンがフランスに勝てたのは、日本軍が仏印軍を前もって叩いてくれたからだ」
 敗北した日本人に対し、ベトナムの人々はそんな感謝めいた言葉を発している。
 西川が関わった諸々の活動もまた、そういった感謝に値しないはずがない。その西川は2006年、ホーチミン市(旧サイゴン)で病に倒れ、不帰の客となった。
 1945年8月15日を境に、新たに独立運動の最前面に躍り出た勢力があった。
 ホー・チ・ミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟)である。彼らは人心掌握に長けていたが、軍事力に乏しかった。それゆえ近代戦の経験に秀でた日本軍の将兵を自軍に取り込むことに熱心だった。敗戦直後の仏印では、この勧誘に応ずる形で現地部隊を脱し、ベトミン軍に参加する日本軍将兵が相次いだ。こうしてベトミンは彼らの力を存分に吸収し、再支配を目論むフランスと戦うことになる。

 明号作戦が安南人の「意識」を変えたとすれば、ベトミン軍に参加した日本軍将兵は、安南人に「技術」を伝えたと言えるかもしれない。日本人によるこの新たな貢献を、次回は詳述しよう。
 
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