土俵の大きさを拡げてみる
それにしても、なぜGHQはあっさりと国技・相撲の興行を認めたのだろうか。
大日本相撲協会は、日本精神は土俵精神、大東亜共栄圏建設に相撲は欠かせない、などとしきりに宣伝していた。「わが國の國體は、相撲によつてその基礎が固成された」(彦山光三著『生産基力と相撲道』文藝日本社、昭和16年)として、協会がその「肇國以来固有の神技」を伝承してきたからこそ敵国に特攻攻撃できたとまで主張していたくらいで、GHQ民間情報教育局のいう「超国家主義的な団体」そのものと言ってもよいように思えるのである。
実は占領とともに国技館はGHQに接収されていた。そして協会はGHQから呼び出しを受け、「GHQ覚書」が通達されている。その内容を要約すると、
1.大日本相撲協会は民衆の欲求するところに重点を置いて国技館使用を申し出る。その申し出を受けてGHQ司令部で可否を検討する。
2.大日本相撲協会からGHQに連絡員を出すこと。
GHQは具体的に何をどう検討したのだろうか。この点に関する記録は残っていないようで、検討内容は不明なのだが、大日本相撲協会は次のように発表した。
接収と申しますとなんとなく強厭的なきびしい感じがいたしますが、国技館の場合は今日まで各方面の建造物や諸設備などを謂ゆる接収してきたのとまつたく相違しきはめて穏やかでありゆるやかであり雙方が満足するやうに決定してゆかうとさへしてゐる意向がはつきりうかがはれるのであります。……なによりも司令部においては、大相撲がいかにわが國民大衆からひろく深く愛好されてゐるか、いかに熱烈に支持されてゐるかを十二分に承知されているからでありませう。つまりかやうな措置もアメリカが徹底的な民主主義國であり與論を尊重することがはなはだ篤く根強いものがあるゆゑんを察諒するときなるほどと頷くことができるのであります。
(大日本相撲協会理事長・藤島秀光『相撲』昭和21年2・3月合併号)
GHQは相撲に対して「穏やかでありゆるやか」。相撲は民主主義的に大衆に愛好された「めでたく楽しい行事」であることも理解してもらった、というのである。
果たしてそんなに都合よく理解されるものだろうか。協会の単なる思い込みではないのだろうか。
「協会幹部たちは、『相撲は競技なんだ』と説明したんです」
後藤悟さん(第二十八代木村庄之助)が語った。相撲の伝統より競技性を訴えたらしいのである。
──競技にすぎない、と。
「そうです。戦争とは関係ないんだと説明したそうです」
──それで認められたんですか?
「私も禁止になるのかと心配したんですが、それでOKになってるんです」
不思議そうに首を傾げる後藤さん。
──そういうものですか?
「そういうものなんです」
どういうものなのかよくわからなくなってくるが、記録よると、大日本相撲協会は敗戦直後の昭和20年11月に突然、土俵の直径をそれまでの十五尺(約4.5m)から十六尺(約4.85m)に拡げることを決めていた。
──なぜ拡げたんですか?
私がたずねると後藤さんが微笑んだ。
「競技だからっていうことです」
──競技だから?
「土俵を大きくすれば、土俵の中の動きが競技のようになるんじゃないか、と考えたんです」
どうやら協会は、相撲を競技っぽく見せるためにそれまでずっと故実として守ってきた十五尺を変更したらしいのである。確かに土俵を広くすれば、体当たりの前撃精神を鍛えるというより技を掛け合う競技らしくなる。しかしGHQ対策とはいえ、故実を変えてよいものなのだろうか。そもそも変えないことが故実であるゆえんではないのか、と疑問がわいてくるのだが、相撲故実の監督者である彦山光三は、もともと土俵の広さははっきりしないものだ、と主張した。
(十五尺であることの)拠りどころはまへにあげたごとく『傳書(相撲傳書)』に「土俵は二間(十二尺)一尺、あるひは二尺、あるひは三尺に圓形につくる。」とあるそれであるが、同書には土俵場創設の眼目が勝敗の道理を火急にをしへるにあると、確信をもつてはつきりいひきつてゐるにもかかはらず、なにゆゑに十三尺十四尺十五尺といふやうに伸縮を自在にゆるすやうなゆとりをおいてあるのか、この点なんらの説明もなく解釈もない。これに関してはよもや著者が解説することができなかつたのではなからうし、また故意に釈明をおこたつたともおもはれない。おそらく著者は案外不要意に無頓着にあるひはわかりきつたこととして、あるひはだからあらためて解明を要しないこととして触れないでしまつたのではあるまいか。
(『相撲』昭和21年2・3月合併号)
彦山は、土俵の広さは最初から適当だった、という解釈をしたのである。もともと適当なものであれば伸縮も自在。そして伸縮自在であるべきものだったと彦山は「気づいた」という。土俵の大きさが決まっていると「おのづからその運動動作は情勢にもひとしく習慣的に固定するにきまつてゐる」(同前)。つまり力士たちの技が固定してしまい、「単に技術的なゆきづまりを意味するだけでなく心理的・精神的にゆきづまりをきたすことはとうてい避けられるものではない」(同前)とまで懸念した。土俵の大きさが適当であることが実は精神的解放を意味していたということで、こうなると土俵は拡げなければいけないという必然性すら帯びてくる。さらに彦山はアサヒグラフの座談会でこう自説を展開した。
わしは(土俵を)広くするといふことはあつても差支へないことであり、又なくちやならないことでもあると思ふんですよ。ただしかし無制限に拡げるといふことは、大東亜戦争が戦線をバカに拡げちやつて結局えらい目に遇つたと同じで、いけないと思ふんです。拡げることと同時に縮めることも考へなくちやならない。
(『アサヒグラフ 大相撲秋場所特別号』昭和20年12月)
土俵の拡大を戦局の拡大になぞらえてあらかじめ反省する。もともと適当なものはその場に応じて適当に解釈する、というのが相撲の極意なのである。
「土俵を拡げても別に変わりませんでしたけどね」
後藤さんが当時をふりかえり、さらりと言った。
──十六尺になっても、ですか?
「はい。変わりませんよ」
確かに直径が約30㎝増えたというだけのことではある。
──行司として判定がしにくいとか……。
「そんなこともないです、ぜんぜん変わんないですよ、ふふふふ」
後藤さんは笑うのである。当時の雑誌記事によると、故実に背いていいのか、突然の変更で力士が気の毒だ、などの反論があったらしいが、よく読むとその記事を書いているのは彦山自身で、これも活発な議論という民主主義的な演出にすぎないのかもしれない。毎日新聞記者の相馬基が「土俵が大きくなつたから(力士が)安心して、さがつて、立ちあひにしくじりをしないやうにしやうといふやうに、消極的な安全策をとるやうな傾向になつた」(『相撲』昭和21年2・3月合併号)と指摘したが、それに対して大日本相撲協会理事長の藤島秀光はこう解説している。
それはやつぱり立ちあひに勝負を一気に決するといふ、一面からみればひじやうに危険な技をもちひるやうな場合でも、稽古を積んでをるときにはそいつができる。このごろはいろいろな條件のために稽古が不足するために、立ちあひに一気に勝負を決しようといふやうな自信が欠けてゐるのではないだらうかといふやうなことを私は考へられますがね。
(『相撲』同前)
土俵の広さは関係なく、単に稽古不足だったようである。
──力士たちにとっても変わらなかったんでしょうか?
私がしつこくたずねると後藤さんが答えた。
「力士はやっぱり大変でしたね」
──何が、ですか?
「土俵が広いとくたびれます」
土俵が広くなればなるほど、勝敗はなかなか決しないので疲れる。例えば土俵際で「もうこの辺でうつちやつてもいいだらうとか、或ひはこの辺で浴せてもいいだらうとかいふやうに思つてやると、さうでなかつた」(笠置山、前出『アサヒグラフ』)という具合に「この辺でいいだらう」というわけにいかなくなったのである。
結局十六尺の土俵は、この十一月場所に使われただけで、次の場所は元の十五尺に戻された。土俵拡大はGHQに対するアリバイ工作だったのかもしれないが、ともあれ、稽古不足でくたびれやすい力士たちには、やはり十五尺の大きさが適当だったことが確認できたようである。
神様の数を減らしてしまう
GHQ占領下で、もうひとつ変更されたのは「神」だった。相撲は古来より守り神に奉納するという形で行われてきた。本場所前に土俵上で「土俵祭」を行い、祭主(立行司)が祝詞を読み上げ、神をお迎えする。敗戦前は「かけまくも かしこきこのにはに、わが
・國常立之命(クニノトコダチノミコト)
・國狭槌之命(クニサツチノミコト)
・豊斟渟之命(トヨケヌノミコト)
・大戸道芦邊之命(オホトミチオホトマベノミコト)
・面足惶根之命(オモタルカシコネノミコト)
・■(「泥」の下に「土」)土煮沙土煮之命(ウエジニスエジニノミコト)
・伊奘諾伊奘冊之命(イザナギイザナミノミコト)
・天照大神(アマテラスオホミカミ)
・天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
・邇々岐之命(ニニギノミコト)
・日子穂々出見之命(ヒコホホデミノミコト)
・鵜茅葺不合之命(ウガヤフキアエズノミコト)
前の七神が「
ところが大日本相撲協会は昭和20年11月場所の土俵祭で、これらを次の三神にすり替えたのだ。
・戸隠大神(トガクシノオオカミ)
・鹿島大神(カシマノオオカミ)
・野見宿禰(ノミノスクネ)
これも大日本相撲協会のGHQ対策と考えられる。敗戦前の神々は、相撲というより国の成り立ちにかかわっている。中でも天照大神は天皇の先祖とされた神。それらを崇めていてはGHQのいう「超国家主義的な団体」と思われて当然である。そこで戸隠大神や鹿島大神などの地方の神や、野見宿禰のような神としては脇役的存在にきっと入れ換えたのだろう。
などと私は考えていたのだが、後藤さんはきっぱりと否定したのだった。
「それは違います。そうじゃないんです」
後藤さんは怒っているかのようだった。
──ではなぜ変えたんですか?
「多すぎたんです」
──何が?
「神様が。もともと神様を入れすぎていたんです」
多すぎたからこれを機に減らしたというのだろうか。
──しかしさすがにアマテラスオホミカミはまずいということになったのでは……。
「そうじゃないですよ。GHQだってわからないですよ、こんなにたくさんの神様」
言われてみれば日本人の私もよくわからない。それぞれの神は名前を読むだけでも難儀で由緒を調べてもよくわからない。「天神七代」「地神五代」といわれても、国をつくったのか司っているのかも実はよく知らず、私は資料を単に書き写しているだけだった。
──すいません、私もよくわからないんです。
正直にいうと後藤さんがうなずいた。
「でしょう。でも、それだと困るわけです」
──何が、ですか?
「ですからGHQに行った時に、『この神様は何? こっちは何?』とか『何だこれは?』とか聞かれたら困るわけです。誰も説明できないですから」
──説明できないから変更したわけですか?
「そうです。だからちゃんとGHQに答えられるように三つにしたんです」
──ではなぜこの三つに?
「彦山先生と第二十二代立行司が相談して決めたそうです」
──どうやってですか?
「『それでいいじゃないか』ということで。これからはアメリカ人も見に来ることだし『力の神』『相撲の神三神』でいいじゃないかということで」
相撲の神は説明しやすい神。土俵にせよ神にせよ、相撲の道はくたびれない道。大日本相撲協会はこうしてGHQ占領を乗り切ったというより、まるで占領に便乗するかのように生き延びたのであった。
次回更新予定日 10月11日
