Web草思
おすもうさん 高橋秀実
第17回 相撲の眩惑
 今さら言うまでもないことだが、相撲は国技館の力士だけが取るものではない。学生や社会人などのアマチュア相撲もあるし、子供たちも遊びで相撲を取ったりする。戦後、大日本相撲協会発行の月刊誌『相撲』の編集に携わり、相撲博物館で『日本相撲史』の編纂委員を務めた池田雅雄によると、そもそも相撲のように裸で取り組む格闘技は日本のみならず、古くから世界各国で行われていたらしい。古代ギリシャ、中国、モンゴル、韓国、インド、アフガニスタン、トルコ、ソビエト、ベトナム、ブラジル、ボルネオ、セネガル……、つまり「古代から世界中で、相撲の形態に非常によく似た格闘技が盛んに行われ、今日まで続いているから、あえて日本だけの“国技”というわけにはいかない」(『野見宿禰と大和出雲』池田雅雄著、彩流社、2006年)のである。相撲は日本独自のものではなく、日本で「国技」と呼ばれているだけ。彼は過去の史料を渉猟しながらそれらが「いかにインチキであり、いい加減のものであったか痛いほど知ること」になり、「子引き、孫引きの罪の深さにおののいた」ほどであったそうなのだが、その旨を『日本相撲史』の著者である酒井忠正(相撲博物館初代館長)に指摘すると、こう一蹴されたらしい。
 「わしが著者だ」(前出『野見宿禰と大和出雲』)
 相撲史は書いた者勝ち。国技もまたそう決めた者勝ちということなのだろうか。

相撲は「いゝもの」に決まっている

 昭和17年、相撲は国民学校の正科になった。国民学校の体練には体操と遊技の二科があり、それまで相撲は遊技の一項目にすぎなかったのだが、体操、遊技と並んで正科のひとつに格上げされたのであった。国家総動員とは国家総おすもうさん。日本政府は子供たちに相撲、すなわち「日本魂」を身につけさせようとしたのである。その周知徹底を期して大日本相撲協会の彦山光三は次のように宣言した。

相撲の本質であるとか、価値とかいふやうな方面については、すでにある程度まで分つているはずなのでありますが、まだまだ、さまざまな夾雑物が入りまじつてをりまして、ほんたうに醇化じゅんかされてゐるとは申せませんから、この方面に関する研究も決しておろそかにできませんけれども、大たいわれわれ日本民族の神身練成のうへにおきまして、相撲はいゝものであるといふことに決まつてをるのでありまして、これにたいしては、どこにも異論はないわけであります。それでこれをどういう風にして、より一そう普及徹底させてゆくかといふことに重點がおかれることになりますから、これがためには、国民学校の児童をまづ基點として、それから中等学校、青年学校生徒におしすゝめてゆくのが順序であると存じます。
(『相撲』昭和17年4月号)

 価値や本質はまだよくわからないが、相撲は「いゝもの」に決まっている、だから問題はその普及法になるというのである。価値や本質がわかっているからあとは普及に重点を置くというのが通常の論理だが、よくわからないけど決まっているから自ずとそうなる、というのが相撲独特の論理展開だった。
 実際、文部省体育研究所の大谷武一などの発言を読んでみると、ある時は相撲の教育的価値は「裸で行はれるといふこと」(『相撲』昭和17年3月号)にあるとしている。直接空気にさらされることで皮膚も鍛えられるし、「日光、土及び水に親しみ得る結果」(同前)になるのだと。しかしその一方で彼は、相撲で大切なのはあくまで「押し」なので、裸になる必要もなく、褌も「必ずしも必要で無いといふことになり、普通の服装ででも相撲はとられることになる」(『健民への道』光文社、昭和19年)などと明らかに矛盾した発言をしていた。文部省でも相撲の何が「いゝ」のかよくわかっておらず、国技ゆえに自ずとそうなる、という論旨なのだった。
 彦山光三は普及法についてこう提案していた。

なにごとによらず効き目がはつきりしてくると、みんなが注意するやうになり、研究するやうになり、実践するやうになるのです。たとへば昔宗教をひろめるのにも、まづ医術によるとか、ときに魔術によるとか、布教には、はじめから幽玄な思想を説いたり、難解な教義を述べたりするよりは、薬をあたへたり、病気をなおしてやつたり、場合によつては、これはよくないことだが眩惑したりするといふこともいてゐますが、小乗的ではありますが、とにかく最初になにか効き目をしめし、効果を現はすといふことが、認識を深めるうへには捷径しょうけい(近道)ぢやないかとおもふのです。浅薄な話だけれども、これはやむを得ないことであり、閑却かんきゃくできないことと存じます。
(『相撲』昭和17年4月号)

 相撲を普及させるには、宗教を見習ってその「効き目」をアピールし、場合によっては国民を「眩惑」することも必要になるというのである。そこで大日本相撲協会は都内の国民学校の校長や訓導を招集し、相撲の効用についての座談会を開催した。相撲を取ると生徒たちにどんな効果が出るのか。教員たちの指導体験報告会である。
 校長たちがまず報告したのは、相撲を取ると「体格が変わる」ということだった。牛込国民学校校長の芥川準一郎の話。

科学的な調査ではありませんが、相撲をやつたものとやらなかつたものを調査してみますと、肩甲骨や背骨の異常なものが癒つてゐるのです。胸骨の異常なのは容易に癒りませんけれども、肩の骨などは癒つて、肉つきがよくなつてさうとうのものになるのをみますと、二年のあひだによい身體にしたてるうへに相撲が大きな役割を演じてゐるんぢやないかとおもひますね。材料をもつてきてをりませんので、その詳細を公表するわけにはゆきませんが、そんなやうなわけです。
(同前)

 相撲をやると立派な体格になるという。しかし王高国民学校訓導の小林兵一によれば、相撲とランニングを比較した場合、高等一年までは「ランニングをやつた生徒の方が体格がよかつた」が、二年経って卒業時になると「相撲をやつた子供はピラミツド型にどつしりしてきますが、ランニングをやつた子供の體は、三角形をさかさにしたやうな不均衡なかつこうになります」(同前)とのこと。体格の善し悪しというより、相撲をすると相撲取りに似てくるようなのである。
 いずれにせよ、体格については科学的根拠に乏しく、効用は今ひとつはっきりしなかった。そこで座談会の重点は「精神」におかれることになる。例えば、小河内国民学校の小澤彌校長は相撲をすることで、ある子供は「非常に暢気」だったのが、「まるで人間が変わつたやうにおもはれる」。どう変わったのかというと、「注意力が非常に増してまゐりまして、教師のいふことを真剣に学ぶといふ態度ができて……副級長になりました」。しかしこれはあくまで一例にすぎず、相撲とは無関係にたまたまそうなっただけともいえる。そこで小澤校長はこう続けた。

 それから学級を比較してみましても、すべてにおいて成績のよい学級は相撲も非常に熱心によくやるのですが、あまり熱心でない学級は、相撲に比例して他の成績も悪いやうです。その點は個人的に検討してみても、それがはつきり解りますが、これは訓育上非常に重要な點だとおもひますので、今後ますます力を入れてやつてゆきたいと考へてをるやうなわけであります。
(同前)

 学業の成績がよいクラスは相撲も熱心だが、成績の悪いクラスは相撲もあまり熱心でないという。ということは、相撲はあくまで付随するものにすぎず、大切なのは学業ということになってしまう。相撲の効用について語り合うと、相撲自体には実は効用がないことが次第にわかっていくようなのである。
 座談会出席者の中で最も指導熱心だったのは京橋区第三青年学校指導員の間瀬義雄だった。実家が柔道の町道場だという彼は同校に赴任すると、まず国技館を訪れて佐渡ケ嶽親方に教えを乞い、週7日、日曜日も返上して生徒たちの相撲指導にあたった。「相撲のほんたうの精神」を教えようと意気込んだらしいのである。その結果どうなったのかというと、本郷区第三青年学校から挑戦を受け、「われわれが勝つた」のだという。そしてその3か月後、同校から「来征していたゞきたいといふ招請状を頂戴した」。だから何だというのだろうか。

それで、そのとき私は演壇に立ちまして、一般の生徒を集めてかう申しました。先だつて本郷区第三青年学校を迎へて戦つたあの勝負は、いはゞ日本海の海戦で、我が連合艦隊がバルチツク艦隊を迎へて、これを正々堂々正面切つて撃滅したやうなものだつたが、こんどはこちらからすゝんで敵の根拠地に乗り込んでこれを倒すのである。いよいよわれわれの今日までの練習の成果を発揮する戦ひであるから、これはひとり相撲部だけの問題ぢやない、学校全體の諸君の名誉の問題であるといふことを申しまして、全體の応援を頼みましたところが、そのときの全生徒の拍手、応援ぶりといふものは実にわれわれの予想以上に白熱したものでありまして、全生徒が校門を出て、われわれ選手──二十名でありましたが、これを送つてくれたのであります。
(同前)

 相撲を教えることで、生徒より本人が精神的に高揚している。そして熱心な指導の甲斐あって同校は東京府の相撲大会で優勝したらしい。早い話、相撲を教える効用は相撲が強くなる、という実に単純なことなのであった。

「相撲体操」を発明する

 相撲の普及をめぐる議論はなぜかくも不毛なのだろうか。
 座談会の記録をよくよく読んでみると、その原因はどうやら「子供をなにも指導せずにそのまゝ捨てゝおいても相撲を取る」(前出芥川準一郎)ということらしい。つまり、普及せずとも子供たちは相撲を取っていた。すでに相撲をしているのに、わざわざ普及する必要がなかったのである。
 相撲は「日本魂」というより、「あまりに日本人的」(座談会に出席した読売新聞体育部江馬盛)。日本人的すぎてこれ以上教えることがあるのだろうか? 教員たちの間には疑問がふくらんだようである。そもそも彼らが相撲を教えようとすると「俄然インテリ華奢な母姉たちは是非の文句を放つた」(『相撲』昭和17年3月号)らしい。なぜわざわざ学校で相撲を教えるのか、と顰蹙を買ったのである。
 大日本相撲協会理事の佐渡ケ嶽高一郎もこうこぼした。

相撲取は賤しいといふことがどこかにこびりついてゐる。相撲はいゝといふことはわかつてゐても、さふいふ体験をすることが非常に苦痛なのぢやないですか。相撲を取ると自分の体面を汚すといふやうな気分もあつて、裸になりにくい。学校にいつても、たとへ子供でも裸になることさへなぜか恥しがる。子供でもさうですから先生がたになればなるほどさうだろうとおもはれるのです。
(同前)

 小澤彌校長も指導にあたり、自分自身が「しつかりした信念をもつてをらないために『なんだ相撲など……』といふやうなお話を耳にしますと、そこで自分の考えがぐらついてくるといふやうな傾向がある」(『相撲』昭和17年4月号)と告白していた。東京市視学員の細川熊蔵も「生徒が相撲取るのに、私ども取つたことはありましたが、すぐゆきつまつてしまふ。組んだが、そのあとどうしていゝか解らない。それで無理をすると、腕でも折れさうな危ないことに陥りさうでどうもならん」(同前)。父兄からはあれこれ言われ、本人たちも相撲の何が「いゝ」のかよくわからない。要するに彼らは何をどう教えてよいのかわからなかったのである。小河内国民学校では苦肉の策が取られていた。

私の学校では、指導者といひましても、たつた一人ですが、その一人を選びますときに、生徒から尊敬を受けてゐる人、それから父兄からも尊敬を受けてゐる教師を一人選びまして──もちろんその先生は相撲については未経験なものです。さうでありませんと、「また一般の運動などと一緒に相撲など学校でやつて……」といふ父兄からの誤解や、児童もそちらの方へついてこないことがあるといけません
(同前)

 相撲指導の先生は相撲より、あらかじめ尊敬されていることが不可欠。つまり相撲自体に価値はなく、既成の人間関係に便乗するしかなかったのである。
 相撲は「日本魂」ではなかったのか。「いゝもの」であると決まっているのに、なぜ肩身の狭い思いをしなければならないのか。自分たちもよくわかっていないが、世間もわかっていない。理解されない理由は、大日本相撲協会がこれまで積極的に指導してこなかったからだ、いや「社会が相撲を興味本位に考えてゐるといふやうな考へかたの結果から、協会としてはその指導をさうたうやらうとおもつてはゐるが、目にみえないものによつてそれを抑へられた」(佐渡ケ嶽高一郎)からだ、いや、国技なのに国が研究を怠ってきたからだ、などと議論は責任のなすりあいのような様相になった。その一方で、何も教えなくても子供たちが相撲を取るのだから日本人にとって相撲は「自然」なことで、やはり日本魂といえるのではないか、という意見が出されると、それを認めてしまうと教えることがなくなってしまうのではないか、と堂々巡り。彼らは何を議論しているのかよくわからなくなり、結局彦山光三がこうまとめた。

相撲を取ることは日本人にとつては、まつたくの本能であり、きはめて自然の発露であることはたしかでありますが、ここに大きな問題があるのでありまして、自然の発露のままに放任しておけば、それはきつと土相撲になる、多くの場合にこのことはあてはまるとおもひますが、人間生活においては、自然のままの生きかたはゆるされない場合が多い。
(同前)

 相撲は日本人の本能だが、それは同時に「洗練に洗練をかさね、陶冶とうやに陶冶をつみあげた文化」だと彼は結論づけた。ただぶつかり合う土相撲ではなく、文化としての相撲を教える。どうやって?
 思案の末に編み出されていたのが相撲体操だった。子供たちに相撲を取らせるのではなく、整列させて号令に合わせ11の動作をさせるのである。

 1.深呼吸/腰を落として深呼吸。
 2.契りの型/蹲踞をする。
 3.四股の型/左右の四股を踏む。
 4.伸脚の型/四股の姿勢から腰を落として左右の脚を伸ばす。
 5.仕切りの型/上体を前に屈め、両手を地上に付けて気合いを入れる。
 6.攻めの型/両腕を交互に前へ突き出す。
 7.防ぎの型/体側を伸ばしつつ、腕を振り下ろす。
 8.四つ身の型/相手の廻しを取るように腕を交互に上げ下げする。
 9.反りの型/うっちゃりをするように体を後ろに反る。
 10.均整の型/腰を落として前方で腕を回す。
 11.方屋の型/両腕をひろげて深呼吸。

 要するに、仕切りから取り組みまでを体操化したもの。所要時間は約5分間で、実際にやってみると、中腰で行うラジオ体操のようなものだった。こうすれば、動きに解説を加えることで文化らしくなるし、相手がいなくても闘った気分になれる。日本魂を追究するうち、相撲は自ずと“ひとり相撲”になってゆくのであった。

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