Web草思
おすもうさん 高橋秀実
第10回 神主のようなもの
 相撲を格闘技と考えれば、行司はレフェリーのようなものである。公平、中立な立場で力士の勝負を裁く。当然、特定の力士との間に親密な関係があってはならないはずなのだが、行司たちは力士と同じようにそれぞれ相撲部屋に所属している。一般的には中学校を卒業後、相撲部屋に入門し、親方の元で力士たちと寝食を共にしながら、徐々に出世(ほぼ年功序列)していく。つまり公平、中立とは言い切れないのである。
 ──ヘン、ですよね?
 思わず私が口にすると、立行司(行司の最高位)である第三十三代木村庄之助さんが質問を予想していたかのように切り返した。
 「勝敗については、審判のほうが権限があるんです」
 土俵の四方には4人の審判委員が羽織袴姿で座っている。行司の判定に疑問を感じれば、「物言い」をつけて土俵上で協議し、最終決定は彼らが下すのである。
 「審判は部屋関係ですね」
 木村さんが私に確認した。部屋関係どころか、審判委員は相撲部屋の親方たちである。
 ──確かに、そのほうがもっとヘンですね。
 私が言うと、木村さんが微笑んだ。
 「そういうことになりますよね」
 ──ヘンですね。
 「……ヘンですよね」
 行司がヘンなのではなく、相撲がヘン。部分ではなく全体がヘンなのである。

「神事」としての相撲

 相撲を「神事」という側面から見てみよう。
 毎場所初日の前日に、土俵上では「土俵祭り」と呼ばれる儀式が行われる。「五穀豊穣、国家平安、土俵の無事を祈願する」(金指基著、日本相撲協会監修『相撲大辞典』現代書館、2002年)のである。ここで「祭主」をつとめるのが立行司の木村さんだということなので、私はその様子を見学することにした。
 両国国技館、午前10時。観客のいない薄暗い館内に土俵がスポットライトに照らされて浮き上がったように見える。土俵の中央には、コの字形に御幣が立てられている。正面に3本、東西にそれぞれ2本、計7本が三方を囲み、そこが祭壇になっているらしい。そして土俵の四方を囲むように、背広姿の親方たちが神妙な面持ちでパイプ椅子に腰掛けている。静まり返った国技館は厳粛な空気に包まれていた。
 やがて花道から、木村さんが脇行司2人を従えて入場してきた。神主のような白装束姿。握った拳を腰に当ててゆっくりと歩き、静かに向正面に座る。相撲教習所の大山親方によれば「行司は神のお使いなんです。神と人間の間を行ったり来たりできる人なんです」とのことである。
 「ただ今より、土俵祭りを行います」
 進行係のアナウンスに続いて、呼出の秀男さんが拍子木を打つ。『相撲大辞典』にもとづいて式次第をまとめると、以下の通りである。

1. 祝詞奏上(脇行司が祝詞を読み上げる)
2. 清祓きよはらいの儀(脇行司が榊を振って土俵の四方を御祓いする)
3. 祭主祝詞奏上(立行司が祝詞を読み上げる)
4. 祭幣(脇行司が東西4本の御幣を取り外し、土俵の四隅に置く)
5. 献酒(脇行司が土俵の四隅にある俵に左、右、中の順に酒を3回かける)
6. 方屋かたや開口(立行司が『故実』を読み上げる)
7. 鎮め物(土俵の中央に掘った穴に洗米、するめ、昆布、塩、かやの実、かち栗の6品を納める)
8. 献酒(立行司が東西南北の徳俵に酒をかける。そして脇行司が、列席する日本相撲協会理事長らひとりひとりに酒を注ぎ、それぞれ飲み干す)
9. 触れ太鼓土俵三周(太鼓を担いだ呼出が、太鼓を叩きながら土俵を3周する)

 所要時間は約30分だった。地鎮祭と同じような段取りらしいのだが、事前にモノや動作の名称を覚えておかないと、見ていても何をどうしているのか把握できない。私は『相撲大辞典』を片手に、あれがこれかと逐一照合していったのだが、単に照合できただけでわかった気は少しもしなかった。
 ともあれ、私が注目したのは木村さんの「祭主祝詞奏上」である。「祝詞」とは神に対して唱える言葉。「言語に一種の神秘的な作用をなす霊力があつて、祝福の言詞を宣れば幸福が来り、呪詛の言詞を述ぶれば災禍が来る」(渡邊亨・武田政一共編『最新祝詞作例文範』上巻、明文社、昭和8年)という信仰から生まれた「呪文」である。祭主である木村さんが祝詞を唱えて神様を土俵にお招きする。そして場所の15日間、相撲を見守っていただく。千秋楽最後の授賞式の後、「神送りの儀式」を行って、神様にお帰りいただくのである。
 白装束の木村さんが塩をまいて土俵に入る。そして祭壇に向かって二礼二拍手一礼。親方たちのすぐ後ろに座っていた私は、ここぞとばかりに聞き耳を立てた。すると、
 「ご起立下さい」
 と進行係のアナウンス。親方たちが立ったので、私も立った。そして全員が頭を下げる。ひとりだけ下げないわけにはいかないので私も下げた。これではメモが取れないと思っているうちに木村さんの祝詞が始まり、小声で何を言っているのかさっぱり聞き取れないままに終わってしまった。「祝詞の内容は行司間の秘伝とされ口外しない」(山田知子著『相撲の民俗史』東京書籍、1996年)からなのだろうか。私は祝詞の文句を確認すべく、後日木村さんの自宅を訪問することにした。

取り替えられた神様

 「私たちは神主の修行をしたわけではありません。すべて先輩を目で見て、耳で聞いて覚えたことなんです」
 木村さんは恐縮そうに語った。「普通は神主のすることなんですけど」と。祝詞も作法もすべて口伝。記録やマニュアルの類はなく、「先輩の言うことをわけがわからなくても聞いて覚えた」らしい。
 ──でも、あの、神様をお迎えしているわけですよね?
 「そこまで深く考えておりません。とにかく土俵の安全、五穀豊穣。神様をお迎えして、今場所の無事を祈願するだけです」
 祈願するだけと言われても困る。土俵祭りにきちんとした段取りがある以上、それらを包括する理屈が欲しい。
 ──その神様というのは、誰なんでしょうか?
 「戸隠大神(とがくしのおおかみ)、鹿島大神(かしまのおおかみ)、野見宿禰(のみのすくね)です。これは祝詞の中でも言っています」
 どう言っているんですか? とたずねると、彼はその場で祝詞の一節を暗誦してくれた。祝詞は秘伝かもしれないが、門外不出というわけではないらしい。

 かけまくも かしこき わがすまひ(相撲)の道の 守り神ともちいづく
 戸隠大神 鹿島大神 野見宿禰のみことたちを
 おぎ(招く)まつりませ まつりて かしこみ かしこみ 申さく
 ちはやぶる 神世の昔より
 なか今はさらに申さず いやとうながに さかえゆくべき すまひの道はしも
 悟き心に術をつくして 猛き心に力をくらべて 勝ち負けを争い
 人の心を勇ましむる……

 冒頭の「かけまくも かしこき」とは神を拝する「起首」。手紙に譬えるなら「拝啓」にあたる決まり文句である。この祝詞を現代語に訳すと次のようになる。

 相撲の守り神である戸隠大神、鹿島大神、野見宿禰をお招きして畏まって申します。神世の時代から、今さら神様に申し上げるまでもないことですが、何百年何千年に渡って栄えていく相撲の道は、賢い心で術をつくし、猛々しい心で力比べをして勝ち負けを争い、人々の心に勇気を与える……

 気になったのは「今さら申し上げるまでもないことですが」という一節である。こう言いながら、祝詞はその先延々と相撲について語るのである。
 「普通、神様に向かって言えることじゃないですよね」
 木村さんが自ら祝詞を評した。確かに、相撲の神様に相撲の解説をするのもヘンな話である。
 ──畏れ多くて、ですか?
 「そうです」
 ──でも、言うわけですね。
 「そうです」
 これは目上の人を諭す論理ではあるまいか、と私は思った。立場上言えることではないが、「当然おわかりかと思いますが」と断った上で言いたいことを言うのである。
 最初に登場する戸隠大神とは、長野市戸隠地区にある戸隠神社の祭神である。調べてみると、これは古事記の「天の岩屋」に出てくる天手力男神(あめのたぢからをのかみ)のことだった。天照大御神は速須佐之男命(はやすさのをのみこと)と対立していた頃、速須佐之男命があまりに残忍なことをするので、岩屋に引き籠もってしまった。すると世界が真っ暗になってしまい、あらゆる災いがすべて起こった。そこでなんとか外に出てきてもらおうと神々が鳥を鳴かせ、玉飾りを作り、祝詞をあげ、乳房を見せたりする。そのうち神々が大笑いしてしまい、その笑い声を聞いて天照大御神が岩屋から出てきたというエピソードである。天手力男神はこの話の中だけに登場するのだが、その存在は極めて薄い。じっと岩屋の影に隠れていて、戸から顔を出した天照大御神の手を引いて外へ出しただけなのである。
 なぜ、これが相撲の神様なのだろうか? 鹿島大神(茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の祭神で「建御雷神(たけみかずちのかみ)」のこと)と野見宿禰はいずれも戦いをする神ではあるが、古事記の中でこの三者の間にはなんの関係もない。
 単なる数合わせではないか? と私は疑問を抱いた。しかし、祭主の木村さんにそうたずねることは憚られた。
 ──神様はこの三者なんですね。
 私が念を押すと、
 「今はね」
 木村さんがさらりと答えた。
 ──今は?
 「一応、これを招いて祀って祈願するんです」
 今は一応この神様、ということらしい。神様は絶対的ではなく、暫定的なのである。
 ──以前は違う神様だったんですか?
 「戦前は、天照大御神だったらしいです」
 ──神様を替えたわけですか?
 「日本はアメリカと戦争して負けたでしょう。その時、マッカーサーに“天皇はまだ天照大御神を崇拝しているのか”と思われないように抜いたらしいんです」
 神様を「招く」こともあれば、「抜く」こともあるのだ。
 敗戦は昭和20年8月15日。この日を境に日本は一変したとされるが、記録によると、その年の11月には通常通り国技館で秋場所が開かれている。その直後、国技館は占領軍に接収され、「国技館」という名称は「メモリアル・ホール」に改称させられた。やがて館の使用も禁止されたので、大日本相撲協会は場所を明治神宮外苑の相撲場に移したのである。協会理事長だった出羽海秀光氏が当時の様子を次のように語っている。
 「あすこ(神宮外苑相撲場)も往生したですよ。桟敷なんかみんなに無理して買ってもらったんですが、そこに進駐軍が入ってどかないんですね。せっかくお客がみえても座るところがなくて、どっかに変わって見てもらうということで、あの時はわれわれも神経を使いましたよ。その時分には進駐軍が明治神宮外苑を全部押さえておりましたからね。進駐軍の好意で借りたのはいいが、進駐軍の好意も日本人の迷惑になったのは弱りました」(小島貞二編『はなしの土俵』ベースボール・マガジン社、昭和31年)
 客席をどかなかった進駐軍。彼らの監視の中で、静かに神様を入れ替えていたのである。
 ──当時の神様は、天照大御神だけだったのですか?
 「それと“天神七代地神五代”と言っていました」
 これは神々をまとめる総称らしい。
 「なにしろ神様がいっぱいいますから、全部読み上げていたら半日も一日もかかってキリがないですもん。だから一応、一部を招いて祈願するんです。時代時代で変わってきているんです」
 安政5年(1776年)に書かれた『相撲伝秘書』によると、江戸期の神様は「郡八幡宮、天照皇大神宮、春日大明神」の三者だったらしい(前出『相撲の民俗史』より)。軍国主義の時代には天照大御神中心に、敗戦したら別の神様に替える。暫定的というより便宜的な神様なのである。
 土俵上のしきたりが現在のように定められたのは、明治42年に国技館が設立された時である。その8年前に書かれた『相撲史傳』(三木愛花著、 曙光社、明治34年)には、相撲の神事についてこう記されていた。

 式禮(しきれい)の整備と云ふことは要するに複雑と云ふ意に過ぎざれども

 式礼を整える、とは複雑にすることなのである。複雑にすることが即ち式礼。そうすれば自ずと「幾許(いくばく)の厳粛を示す」ことになると著者は説いていた。つまり、わけがわからなくなると厳粛な様子になるというのである。同書は土俵の由来について、東西の入り口が陰陽、外側の四角い俵が儒道、丸い土俵が仏教、そして真ん中に立てられた御幣が神道で、相撲は「神儒仏の三つなり」という説を紹介しているが、それに続けて次のような解説を加えている。

 土俵の数は旧記と相違あり。其天象に法(のっと)ると云ふものにも大同小異ありと雖(いえど)も、要するに土俵其ものが後世のものたるを以て故実と称するも一定せる故実あるにあらず。其の時々に依って多少の異同を生ぜしは論ずるに及ばず。且つ天象に準じて云々するものも後世何人かが附會したるの説に過ぎざるべく、始めより斯くの如き高尚なる理を以て土俵を創設したるものなるべしとは信ずべからざるものなり、と雖も姑(しばら)く記して此書を読む人も取捨に任せんとす。

 くれぐれも土俵を最初から「高尚なる理」に基づいてつくられたものと信じてはならないと戒めている。それらは後から尤もらしく辻褄を合わせようとしているだけなのだからと。木村さんの「祈願しているだけ」というのはそういう境地なのである。
 そして大切なのは、この短い文章に2度も出てくる「と雖(いえど)も」ではないかと私は思った。祝詞といえども時代で変わる。神様は天照大御神といえども今は戸隠大神。相撲は神事といえども意味は後付け。後付けといえども厳粛さのためには必要。「といえども」があれば、すべてがつながる。神様の名前より、綿々と物事をつなぐこの「といえども」に私は言霊のようなものを感じたのであった。

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