Web草思
おすもうさん 高橋秀実
第8回 なぜ? と訊かないで
 土俵は神聖な場所とされている。国技館の場合、その上には天井から2本のワイヤーロープで吊り下げられた重さ6トンの「吊り屋根」が設けられている。これは天照大神を祀る伊勢神宮に倣った神明造り。つまり土俵は神殿と見立てられているのである。また屋根には「水引幕」と呼ばれる紫色の幕が張り巡らされている。「水」は不浄の塵を祓うとされており、それを北から東、南、西と張り巡らすことで、土俵を清めているのである。
 力士たちは一礼をして土俵に入る。水(「力水」「清めの水」と呼ばれる)で口をすすぎ、紙(「力紙」)で身を清め、塩をまいて土俵を清め、そして四股を踏む。これも土中の邪気(「しこ」)を祓って清めるためだとされている。
 土俵を清めまくる。
 場所の取り組みをじっと眺めていると、ほとんどの時間は「清め」行為に費やされており、相撲とは闘いというよりお清めを目的としたものではないかと思えてくる。となると注目すべきは「呼出よびだし」である。彼らは一日中土俵を掃いている。立ち合いの直前まで「まだ足りない」という様子で掃き損じた箇所を探すように箒で掃き続けている。終盤戦に差しかかると、四方八方から呼出が現れて12人がかりで掃いており、その動きを注視していると力士が邪魔に思えてくるほどである。土俵が神聖な場所なら、さしずめ呼出はそれを守る人々だといえる。そもそも土俵は彼らの手でつくられているのである。

3日かけての土俵づくり

 早朝7時。観客のいない国技館内は橙色の電灯に薄暗く照らされていた。「土俵築(土俵づくりのこと)」が行われると聞いて私はやってきたのだが、なぜか土俵はすでに国技館の中央にあった。
 一辺6・7メートル、高さ58センチの四角い土の固まり。横からみると台形で、土手のような印象である。
 国技館の土俵は、毎場所新たにつくるわけではない。場所が終わるとそのままの形で残され、次の場所が始まる前に、表面の土を鍬で深さ15センチまで掘り起こし、その土に水を含ませてまた元に戻す。藁などが混じった土は捨てて、その分新たな土を入れる。そして土を盛ったら、「たこ」と呼ばれる把手のついた臼のような道具をふたりで持ち上げては落として土を固め、さらに棒の先に重い角材をつけた「たたき」でたたく。土俵を「つくる」というより、できるだけ土をリサイクルして土俵の表面を「付け替える」という作業なのであった。
 呼出がおのおの作業着姿で土俵に上り、畑仕事のように鍬を振っている。現在、呼出は 41人。全員総出の作業である。
 ──この土はどういう土なんですか?
 呼出のひとりにたずねた。
 「荒木田です」
 ──それはどういう土ですか?
 「荒川の土手でとれる土で、昔から壁土として使われていたんです。でも今はとれませんから」
 そう答えると、彼は「あっ」とつぶやいて土俵の反対側へ走っていった。掘り起こした土の状態をチェックしているらしい。私は追いかけて問うた。
 ──では、どこから持ってくるんですか?
 「わかりません」
 業者に訊かないとわからないという。私は業者を探そうとしたのだが、早朝の国技館には呼出しか見当たらないので、あきらめた。ちなみに仕上げに土俵に入れる砂がどういう砂なのかを相撲協会に確認した時も「砂は砂です」という答えが返ってきた。
 ──この作業はどれくらい時間がかかるんですか?
 私が質問を変えると彼が即答した。
 「3日かかります」
 作業工程は以下の通り。

 1日目/土を入れ替えて成形する
 2日目/土俵に新しい俵(円の部分など)を埋め込む
 3日目/上がり段をつくって仕上げ

 ──3日もかかるんですか。
 総勢41人もいるので急げば半日でできる作業に思えるのだが、皆どこかのんびりした様子である。毎回やっているはずなのに、鍬を担ぎながら「これどうする?」「あれどうする?」と逐一相談しているし、土俵の下で俵を編んでいる人たちも「これで2日でできるの?」「普段より時間かかってない?」などと雑談している。私が質問しようと話しかけた瞬間だけ忙しくなるようで、どうやら作業は「3日かかる」というより「3日かける」ようなのである。
 「機械で早くやればいいと思われるかもしれませんが、やはり手作業でやらないときれいに固められないんです」
 控室の座敷でテレビを見ていた秀男さん(56歳)が解説してくれた。呼出の人々には姓がない。「秀男」「次郎」「拓郎」「太助」など下の名前だけしかないのである。
 ──ところで、“秀男”というのは本名なんですか?
 「違います。本名は秀人ひでひとです」
 ──ではなぜ、秀男さんなんですか?
 「何か用事を言いつける時、“ひでひと”だと呼びにくいからです。“ひでお”なら呼びやすいでしょ。それで兄弟子からそう付けられたんです」
 実際、発声してみると確かに呼びやすい。「じろう」「たくろう」「たすけ」なども一息で呼べる。どうやら呼出とは、力士を呼び出すとともに、呼び出される存在でもあるらしい。

「呼出」の決め事

 彼らは力士と同じようにそれぞれ相撲部屋に所属している。そして番付まであるのである。下から紹介すると、

 序ノ口呼出(月給1万4000〜2万円)
 序二段呼出(月給2万〜2万9000円)
 三段目呼出(月給2万9000〜4万2000円)
 幕下呼出 (月給4万2000〜10万円) 
 十枚目呼出(月給10万〜20万円)
 幕内呼出 (月給20万〜36万円)
 三役呼出 (月給36万〜40万円)
 副立呼出 (同前)
 立呼出  (同前)

 秀男さんは副立呼出。力士でいえば横綱にあたる立呼出が空位のため、彼が呼出の最高位なのである。
 「でも、上から下までやってることは同じですから」
 秀男さんがにやりと笑った。
 相撲協会の『寄付行為施行細則』によると、出世の基準は「勤続年数」と「成績」で決められる。成績とは、力士の呼び上げ、太鼓つき(場所の前日、各相撲部屋を回ってたたく『触れ太鼓』、場所中やぐらに上って毎朝たたく『寄せ太鼓』、全取り組み終了後にたたく『跳ね太鼓』)、そして土俵づくりの評価らしい。
 ──どうやって評価するんですか?
 私がたずねると、秀男さんが答えた。
 「仲間うちでA、B、Cのランクをつけるんです」
 ──仲間うちで?
 「三役、幕内などにそれぞれ監督役をおいて彼らが評価するわけです。で、最終的には私が評価することになりますね」
 秀男さんは言わば呼出の総監督。私は呼出の仕事内容について教えていただくことにした。
 土俵上で彼らは動きやすいように着物に裁着袴(たっつけばかま)を穿いている。着物は一種の広告媒体で、「なとり」「紀文」「救心」などのスポンサー名が大きく入っている。場所前に15日分の着用ローテーションが決められ、それに従って着替えるらしい。そして帯には白扇子。土俵上で扇子を開き、「ひが〜し〜○○、に〜し〜○○」と力士の名前を呼び上げる。節回しは民謡のこぶしに似ており、先輩の真似をして覚えるそうだ。呼出の世界にも記録文書の類いがなく、すべて見様見真似で受け継がれているのである。
 ──なぜ、扇子を持つのですか?
 「唾が飛ぶからです」
 おそらく神聖な土俵に不浄な唾を飛ばさないためなのである。
 「おそらくこじつけでしょう」
 ──こじつけ?
 「はい。だって何も持たないと、かっこがつかないでしょう」
 呼び上げを終えると、土俵を掃く。箒には竹箒と座敷箒の2種類があり、あらかじめ土俵下に立て掛けておく。竹箒は庭掃除などで使われる市販品。土俵は1時間おきにジョウロで水をまき、竹箒で砂と水をかきまぜて湿り気を維持するのである。技量が要求されるのは座敷箒の扱いらしい。座敷箒は土俵の表面を平らに掃きならすために使う。土俵の円の外側には「蛇の目」と呼ばれる砂がまかれている。これは力士の踏み越しの跡を確認するためのもので、ここを完璧な平らにしなければならないのである。
 「足跡がつくのは、大抵1カ所。それがきちんとわかるようにしなければいけない。砂が波打っていてはいけないんです。だから、みんなじっくり掃くんです。でもそうやっても、仕切り1回でまたやり直し。いつも時間に追われるくらいなんです」
 彼らは必ず右手で箒を持つことになっている。右から左へ向かって箒を動かすことになるので、しばらく掃いていると土俵の俵近くに砂が溜まり、そこに傾斜が出来てしまう。そこで傾斜の砂を掃き出して平らに整える。しかしそうすると出た砂が新たに波をつくるので、それをまた平らに掃きならす。ある意味、きりのない作業。力士たちの仕切り制限時間は、呼出たちにとっても掃く制限時間なのである。
 「箒も扇子も右手です。力士を呼び上げる時も、奇数日には東方の力士から、偶数日は西方の力士からです」
 秀男さんは呼出の決め事を列挙した。そして、「なぜか? って訊かないでくださいね」
 と私の質問を制したのである。
 ──なぜ、『なぜか?』と訊いてはいけないんですか?
 「答えられないからです。考えられる理由がないんです」
 ──ないんですか……。
 「あんまり意味はないような気はしますけどね」
 意味がないから決め事にしたのかもしれない。何事も決め事にしてしまえば、従うこと自体に意味があるともいえる。
 ──呼出の皆さんは場所以外の時は、何をしているんですか?
 「それぞれ自分の相撲部屋で寝泊まりしています。稽古の間は特に用事はありません」
 ──ないんですか?
 「親方にお茶をいれるくらいです。それで稽古が終わったら土俵を掃いて整備します。午後になったら太鼓の練習したりします」
 ──お忙しいですか?
 「いや、暇がありすぎて困った、という感じですね」
 超然と秀男さんは話すのであった。
 ──そもそもどういうきっかけで呼出になったのですか?
 「高校を卒業する頃がちょうど大学紛争の時代で、大学に魅力を感じなかったんです。それで相撲か落語かと考えまして。ともかく日本全国を歩き回りたいなという軽い気持ちでしたね。自分としたら、人生を捨てたんですかね」
 世捨て人感覚で彼は呼出になったらしい。たまたま父親が伊勢ケ浜部屋の後援会長と知り合いで、その縁で入門したという。実は呼出になる人のほとんどが「部屋に呼出の空きがあるから」という理由で呼出になるそうである。呼出の定員は45名。呼出志望者(義務教育を修了した満19歳までの男子)は空きが出た部屋へ入門することになるわけだが、現在4名の空きがあるにもかかわらず志望者がいないそうである。
 『寄付行為施行細則』には、評価対象となる仕事以外に呼出は「その他上司の指示に従い服務する」と記されている。
 ──これ、具体的には何ですか?
 私がたずねると、秀男さんは「知らない」と微笑んだ。
 ──知らないんですか?
 「笑っちゃうでしょ、知らないなんて」
 秀男さんが笑ったので、私も笑った。そして笑いながら、
 ──土俵づくりもあまり効率的でないような気がしますが……。
 と言うと、彼がきっぱり明言した。
 「合理的でないことはいっぱいありますよ。でもね、それを言い始めたら呼出も何も要らないっていうことになっちゃうでしょ」
 合理性を追究すると、相撲は「無」に帰するのである。
 土俵は相撲の神聖なる中心である。彼らが土俵をつくるというより、土俵が彼らに仕事をつくり出しているように私には思えた。土俵は力士に踏まれることで掃かれる。まさに「無」から「有」が生み出されているのである。

※ 番付は取材時のものです。

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