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おすもうさん 高橋秀実
第7回 おすもうさんの自覚
 相撲教習所では約3時間の実技が終わると、続いて学科の授業だった。私たちは廻しを外し、浴衣を着て教室に着席する。牛乳の1リットルパックが全員に支給され、それをラッパ飲みしながら先生がやってくるのを待つのだが、待っている間にほとんどの力士が机にうつ伏せになって寝入ってしまう。
 「寝る、というのは自然の流れなんです」
 ある力士が飄々と私に釈明した。彼らは日頃早朝5時に起床。午前中に稽古して、ちゃんこを食べて昼寝する。そして夕方4時頃に起きて掃除して、ちゃんこを食べて10時頃に就寝。運動してお腹に何かを入れたら寝る、というのが生活習慣なのである。
 「ほら、起きろ! 一般の人たちは働いている時間だぞ! 目を覚ませ!」
 大山親方の怒鳴り声で、力士たちはおもむろに顔を上げた。
 学科の講義内容は基本的に「社会人としての一般教養」である。月曜日から金曜日まで毎日1科目(1時間)。例えば、「社会」では日本国憲法を通じて国民の権利と義務を学び、「国語」は書道。「相撲」「国技館」「成長」などの文字をきちんと毛筆で書けるように練習する。「運動医学」は骨格見本を見ながら、ケガをした場合の注意点などを教わるのである。いずれも先生たちは高齢の元大学教授。その口調は穏やかで、聞いているうちに、彼らは再び頭をゆらゆらさせながら、眠り始めた。教室内はけだるい空気に包まれ、私までうとうとしてきたのである。
 机の間を補佐役の若い衆が力士たちを起こして回る。竹の棒でつついたり、額に指を当ててパチンと弾いたりする。座禅の修行のようなもので、力士たちは一瞬目を覚ますものの、しばらくするとまたゆらゆらする。講義というより、眠気との闘い。彼らがまず学ぶべきは、人が話をしている時はきちんと起きて聞く、ということなのである。

インタビューの答え方

 金曜日に行われる「修業心得」の授業は言うなればマナー講座である。講師はNHKのアナウンサー。私が参加した日のテーマは「自己紹介」だった。
 教室内が薄暗くなり、黒板脇のスクリーンに「人の印象を決める要素」と題された円グラフが映し出された。講師が解説する。
 「人の印象は3つの要素で成り立っています。第一に“見た目”です。見た瞬間の印象ですね。次が“音声”、つまり声です。ボソボソ喋るのではなく、弾むような大きな声で挨拶することが大切です。そして最後が“言葉”、つまり話の内容です」
 印象の内訳は、見た目55%、音声38%、言葉7%。言葉は耳から入ってすぐ消えるらしい。話す内容より、「明るく元気な人間性」をアピールしましょうという趣旨なのである。そのためのポイントは3つ。

  ・5〜6m先の人にも届く高めの発声
  ・スマイル
  ・アイコンタクト

 相手の目を見ながら、笑顔で高音ぎみに発声すればよい。
 「それでは全員に参加してもらいましょう」
 講師が小型のビデオカメラをバッグから取り出し、構えた。ひとりずつインタビュー形式で自己紹介の練習をしようというのである。教室内がざわめくなか、自己紹介の基本フォーマットがスクリーンに映し出された。

  こんにちは、○○部屋の○○です。
  〜ショートスピーチ〜
  よろしくお願いします。

 ショートスピーチとは何か? そのフォーマットも3パターン映し出された。

  1.なぜ相撲の道を選んだのか?
  2.いま自分が課題としていること
  3.将来どんな力士になりたいか?

 そして講師はそれぞれの文例まで提示したのである。

  1.「相撲が好きだったから」
  2.「もっと体重を増やしたい」「もっと四股しこを踏みたい」
  3.「横綱になりたい」など。

 「みんな大きな目標を持っていると思います。夢や抱負を盛り込んで答えてください」
 大きな目標、夢や抱負を持っているはず、という前提。それを踏まえた上で答えなければならないのである。私は以前、追手風おいてかぜ部屋で同じようなインタビューをしたことがある。力士たちのほとんどは「気がついたら、相撲取りになっていました」「昼寝ができるから」などと動機がはっきりしておらず、将来の夢についても「『横綱目指して頑張れ』と言われると腹が立つ」と怒っていた。こうなると前提を覆してしまうのでどうにも都合が悪い。相撲中継の総合演出はNHK。全国から力士たちが横綱目指して頑張っている、という企画意図に沿った「自己紹介」であるべきなのである。
 講師がカメラを抱えて一番後方の席までやってきた。最初のインタビューは、新弟子検査を練習と勘違いして落ちた大翔竜だった。
 「こんにちは」
 カメラを向けて講師が呼びかけた。すると、大翔竜はすらすらと答えた。
 「こんにちは、追手風部屋の大翔竜です。相撲の道を選んだのは、相撲が大好きだからです。よろしくお願いします」
 カメラ目線と適度な笑顔。ほぼ完璧である。
 「シンプルだったね」
 と講師。照れる大翔竜。
 「もう一言あるといいね」
 答えが文例通りで面白味に欠けるのだろう。続いて答えた力士もまたシンプルだった。
 「将来の目標は関取(十両以上)になることです」
 それで?
 と問うようにカメラを向けたままの講師。しかし続きは特になく、彼は「よろしくお願いします」とお辞儀をした。
 「もう少し明るく明瞭な声で話そうね。それと最後の“よろしくお願いします”も、きちっと言うと、“誠実ないい子だな”“いいおすもうさんだな”と思ってくれます」
 誰がそう思うのだろうか? ともあれ、彼はうつむき加減にうなずいた。
 「ちゃんとした声出る?」
 「はい、出る時もあります」
 彼は正直なのである。しかし正直なだけでは「いいおすもうさん」が演出できない。
 「目標にする力士は誰ですか? とマスコミの人に必ず訊かれますから、事前に考えておくといいね。師匠や兄弟子ということになると思うけど、事前に考えておけば、間髪入れずに答えられるよね」
 大切なのは話す内容より声質と笑顔ということだったが、やはり内容が伴わないと表情が表れてこないのである。師匠や兄弟子のようになりたいと答えれば、目標が具体的に定まり、なおかつ自分の立場も明確になる。紹介すべき「自己」がそこに生まれるというわけである。素直な力士がこう答えた。
 「将来の目標は、安馬あま関のような相撲を取ることです」
 すかさず講師が注意した。
 「単に“安馬関のようになりたい”ではなく、“安馬関のように廻しを取ったしぶとい相撲を取りたいです”と一言付け加えるといいですね。答える時は、誰でも想像できる内容ではなくて、“この人ならでは”という答えをしてくれると、イメージがはっきり浮かぶので、みんな喜んでくれます」
 みんなとは誰なのだろうか? 「皆様のNHK」の「皆様」なのだろうか? いずれにせよ力士たちは誰かの期待に応える存在。個性を発揮して周囲を喜ばせるのが力士の役割なのである。やがて力士たちはそれぞれ個人的なことを語り始めた。
 「今、自分の課題はお父さんを追い抜くことです」
 ある力士が答えた。極めて個性的なので講師がカメラを向けて問いかける。
 「いいねえ。大きな夢だね。お父さんの四股名は?」
 「玉桜です」
 「ずいぶん上まで行った人じゃないですか?」
 講師はあくまで夢の大きさにこだわった。
 「三段目です」
 「じゃ、すぐ抜くかもわからないね」
 夢がしぼんだように講師はいなし、カメラを下ろした。個人的なことを語り始めると、次第にやりとりが難しくなってくるようである。
 「将来の目標は、しゃべりの強い力士になることです」
 元気一杯に答えた力士もいた。相撲は強くなくていいのか? と問いただしたくなる答えで、講師も「部屋を明るくする存在になるってことだね」と応じるしかなかった。
 意表をつく目標を掲げた者もいる。
 「なぜ自分が相撲界に入ったかというと、相撲界の中身を知りたかったからです」
 取材のために相撲取りになったようなもので、これでは私と同じである。
 「それで、わかったのかな?」
 「わかりません」
 激励のしようもなく、講師も絶句した。
 「自分が今、課題としていることは、身長を伸ばすことです」
 ある力士が笑顔で答えた。これは前向きである。講師が問う。
 「今、身長は?」
 「171.5です」
 「ずいぶん細かいねえ」
 感心する講師。
 「はい」
 「あとどれくらいあればいいですか?」
 「175です」
 目標もはっきりしている。
 「身長を伸ばすために何かしていますか?」
 「はい、とにかく寝ることです」
 期せずして彼らが今望むことを代弁したかのようで、教室内にはどっと爆笑が沸き起こったのであった。

何が何して、何とやら

 NHKの講師が退室すると、今度は拍子木を打ちながら國錦さんが入ってきた。彼は元力士(國錦とは現役時代の四股名)で現在は相撲甚句すもうじんくの先生。入室するとそのままひとしきり甚句を歌いながら机の間を巡るのである。
 相撲甚句とは江戸時代末期から明治にかけて流行した一種の民謡である。歌詞は七、七、七、五の四句で構成され、歌の間に「どすこい、どすこい」という囃子詞はやしことば(掛け声)が入る。基本的に巡業先などで披露するものらしい。
 黒板に歌詞が書かれた模造紙が貼り出される。力士たちはそれを見ながら、ひとりずつ歌うのである。歌詞(『当地興行』)の一部を紹介しよう。

 当地興行も本日限りよ
 勧進元や世話人衆 御見物なる皆様よ いろいろお世話になりました お名残り惜しゅうは候えど 今日はお別れせにゃならぬ われわれ立ったるそのあとも お家繁盛、町繁盛 悪い病いの流行らぬよう 蔭からお祈り致します これからわれわれ一行も しばらく地方を巡業して 晴れの場所で出世して またのご縁があったなら 再び当地に参ります その時ゃこれに勝りしごひいきを どうかひとえに願いますよ 折角なじんだ皆様と 今日はお別れせにゃならぬ いつまたどこで逢えるやら 思えば涙がパラリパラリと

 お客さんとのお別れを惜しむ甚句である。節回しが難しく、素人の私などは歌えるはずがないと思ったのだが、先生と唱和しながらゆっくり読み上げていくと七五調のリズムが心地よく、歌えるような気がしてくる。そして歌いこなせれば、自ずとお客さんへの感謝の気持ちも込み上げてくる感じがするのである。
 しかし教室にはまったく歌えない力士がひとりいた。グルジアからやってきた司海。彼はまだ日本語が読めないのだから仕方がない。すると先生が優しく言った。
 「読めなくても大丈夫です。皆さんも歌詞を忘れたらその部分はこう歌えばいいんです」

  何が何して、何とやら

 誤魔化しているといえばそれまでだが、これはこれで全体の意味を損なうことなく流れてゆく。大切なのは形式でやはり内容ではないのである。先生の拍子木に合わせ、みんなで歌ってその日の講義は終了。教室を全員で掃除した後、整列して黒板に向かって「相撲練成歌」を歌う。

  国技の伝統 守りつつ
  新たな技量 みがきつつ
  土俵に飾る 晴れ姿
  輝く我等 輝く我等 相撲道   (『相撲練成歌』3番)

 力士たちと一緒になって歌いながら私は考えた。果たして、誰が相撲を「国技」だと認定したのだろうか?

※ 力士の番付は取材時のものです。

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