Web草思
おすもうさん 高橋秀実
第6回 しようがないこと
待ってもらえる格闘技

 目前にすると、土俵は案外広かった。直径4.55メートル。20俵の小俵が円形に埋め込まれている。東西南北4カ所が1俵外側にずれており、これを「徳俵」と呼ぶ。かつて野外で相撲を取っていた時代、土俵の中に溜まった雨水を掃き出すためにこうなったらしいが、力士にとっては、ずれた分、足が外に出ることを免れることから「得俵」、転じて「徳俵」と呼ばれるようになったそうである。
 土俵に入るべく、私は西側の徳俵の前に立った。すると秋山がおもむろに東側に立った。取組の所作を教えてくれるというのである。
 「まず、お互い、目を合わせます」
 遠くから秋山が私を見つめた。私も彼を見つめる。
 「一礼します」
 礼をして、土俵の中に入る。仕切り線近くまで歩み寄り、向き合って塵浄水ちりちょうずをする。
 「ずっと相手を見ていてください」
 と秋山。
 ──ずっと、ですか?
 「そうです。ずっと見つめ合うんです」
 秋山の小さな目が光っている。見つめ合うのは、立ち合いの瞬間だけではないのだ。
 ──こうですか?
 手を止めて見つめる私。
 「そうです」
 見つめ返す秋山。
 ──なぜ、ずっと見つめるんですか?
 「相手の動きに合わせるんです。そうしないと立ち合いのタイミングも合わないんです」
 通常の格闘技であれば、審判が試合開始を合図し、その瞬間に闘いが始まる。ところが相撲は、お互いが息を合わせてぶつかり合うのである。行司はそれを確認して「ハッキヨイ(発気揚揚のつまったもの)!」と発声するにすぎない。「始め」ではなく、「始まった」という追認なのである。つまり相撲は敵と闘う以前に、敵に合わせることのほうが重要。秋山によれば、「闘う」ことより「合わせる」ことのほうが難しいらしい。
 秋山と私は見つめ合いながら塵浄水をし、四股しこを踏んだ。そして腰を落とし、右手をつく。こうして体重を充分にため、左手をついた瞬間に相手にぶつかっていくという段取りなのだが、確かにそのタイミングがよくわからない。お互いがまず息を吐き、八分目ほど息を吸い込んで止め、その瞬間に立つのが理想とされているが、秋山は息をしていないように見える。
 私のすぐ目の前に秋山の顔がある。考えてみると、男同士でこうして至近距離で見つめ合うことは滅多にない。さっきまであんなに大きかった秋山だが、こうしてお互い屈んで顔だけ見ると、何やら小さく見える。
 いい人なんだろうな、この人。
 ふと私は思った。とても優しい目をしており、きっとそのせいで出世が遅れているのだろうなどと。そう、こうして見つめていると、相手の人格まで見えてくるような気がするのである。
 そういえば、追手風おいてかぜ部屋の大翔鶴だいしょうかくもこう言っていた。
 「自分、キリッとした顔は苦手なんッスよ」
 相手がキリッとした顔だと戦意を喪失するらしい。
 ──なぜですか?
 「なんかこう、自信のある顔というんですかね。そういう顔見ると、ビビッちゃうんですよ。顔に翻弄されるというか」
 ──自分も自信を持てばいいじゃないですか?
 「いや、そりゃそうなんですけどね」
 ──…………。
 「まあ“おれも序二段だ”と思えばいいんですけどね。でも序二段って、別に言い張るようなことじゃないですよね」
 彼は基本的に外国人も苦手だという。顔も彫りが深くてキリッとしている。単に人種の違いのような気がするが、彼に言わせれば、自分たちと違ってハングリー精神もあり、それが顔に出ているのだという。私が察するに、理由はそれだけではなく、外国人の顔は見つめても人格が見えないからではあるまいか。外国人力士が次々と台頭してくるのは、このあたりの「気持ちの通じ合い」をなぎ倒すようにぶつかってくるからではないか。
 秋山がじっと私を見ている。このままぶつかっていいのだろうか。ぶつかったら受け止めてくれるだろうか。その際、ケガのないように留意してくれるだろうか。それとも優しそうな顔をして先に向こうからぶつかってくるのか。そうなると大変なことになるので、やはりこちらからぶつかったほうが無難である。しかし今、立った瞬間、同時に向こうからぶつかってこられたら、それこそ大ケガをしてしまう。「今」は危険。もう少し様子を見てから、などと「今」を先送りしているうちに、私の体は動かなくなっていた。足のどの方向に力を入れれば前に出られるのかわからなくなってしまったのである。
 「待った」
 たまらず私は言った。こういう場合に備えて、相撲の世界には「待った」という制度があるのである。
 息が合わないから、ちょっと待った。考えてみれば、格闘技の世界で相手に対して「待った」と声をかける競技は相撲をおいて他にないだろう。ボクシングに譬えるなら、パンチがきそうな時に、「待った」と相手に呼びかけるようなものである。
 『相撲大事典』(金指基著/日本相撲協会監修/現代書館/2002年)によると、「待った」にも3種類あるらしい。そのひとつが「行司待った」。「呼吸の合わない立ち合いや公正でない立ち合いが行われたときに、行司、審判長(まれに審判委員)が立ち合いを中断してやり直させるために、両力士に警告すること」(同前)である。もうひとつが「廻し待った」。力士の廻しがゆるんだ時に、行司がいったん取組を中断させること。これらは競技上、合理的な「待った」といえるのだが、不思議なのは力士同士の「待った」である。
 「立ち合いの際に、相手と呼吸を合わせられなかったり気合いが入らなかったりして、相手が突っかけてきたのに対し立てないこと、または立たないこと」(同前)
 「気合いが入らず、立てない」ということは、負けたも同然なのだが、そこで「待った」と言える。「立たない」とは勝負を放棄したも同然なのだが、そこで「待った」と言える。勝てるわけがない私も、ここで一言「待った」と言えばその場をしのげるのである。
 「待った」を最初にしたのは、江戸時代、享保年間(1716〜1736年)の力士、八角楯之助だとされている。当時、谷風という強力な力士がおり、それにどうすれば勝てるかと八角は思案した。そこで当時行司だった尺子一学せきしいちがくが、こうアドバイスしたらしい。
 「(谷風は)大力無双の関取なり、然りといへども相撲になりては急(せ)く気性あり……汝苦痛をこらへたやすく立ち合うことなかれ」(『相撲今昔物語』子明山人著/1785年)
 相手はせっかちだから、すぐに立ち合うな、ということ。これを聞いて八角は土俵の上で「待った」をしたそうである。
 言い伝えの真偽はさておき、興味深いのは、『相撲大事典』にこのエピソードが「『待った』の工夫」と書かれていることである。つまり何かのアクシデントで生まれたものではなく、最初から勝つための「工夫」だったとされているのである。
 また、『日本相撲史』(横山健堂著/冨山房/1943年)に収録されている横綱大錦の自叙伝には、こんなことが書いてある。
 「明治四十五年の夏場所のことであった。さるやんごとなき御方の台覧を仰いだ時、某々両力士は、その立合に、待つたを繰り返すこと五十四回に及び、終に立ち上がるまで一時間三十七分といふ長時間を費した」
 明治天皇の天覧相撲。ある取組で「待った」を54回、立ち合うまでに1時間37分もかかったというのである。
 ちなみに今日の相撲では「仕切り制限時間」が決められている。呼び出しが力士の名前を呼び上げ終えた時から、時計係審判が時間を計り、幕内は4分、幕下以下は2分以内に立ち合わなくてはならない。この制度が出来たのは昭和3年、ラジオ放送が始まった年である。つまり放送時間に合わせるために、力士たちは早く立ち合わなくてはならなくなったのだ。「待った」を重んじる横綱大錦は当初から制度に反対していた。

 「『待た(待った)の長いのは角力(すもう)を亡ぼす』などといふ人もあるが、力士側から言はせれば、角力は一度立ってしまへば、数秒の間に勝負がついてしまふ。萬事休するのである。されば力士に取つては、立つまでの仕切りの間が極めて大切なので、その間に敵の策戦を窺ひ、自己からの注文もつけなどして、慎重を重ねて敵に對するのである。かうして一方ばかり気が充ちて突掛けても、他方の気が充たなければ立てるものではなく、つまり双方、気が合して同時に突掛ける時に、始めて立てるのである」(前出『日本相撲史』)

 立ってしまうと勝負がついてしまう。だからお互い「気が充ち」、「気が合する」までずっと待つ。大錦によれば、それにたとえ1時間以上かかってもやむなし。ラジオやテレビがなければ、相撲はほとんど「待った」状態だった。今日、相撲は土俵上のぶつかり合いだと考えられているが、それは番組編成上の都合に過ぎない。相撲は取るものというより、じっと「待つ」ものなのである。

西から昇ったお日様が

 「不思議でしょ。相撲は不思議だらけ、謎だらけなんですよ」
 休憩時間中に大山親方がうれしそうに語りかけた。
 ──そうですね。
 私がうなずくと、親方が私の足元を指差した。
 「例えば、ここは西でしょ」
 私が立っているのは、土俵の「西」だった。
 「でもご覧のように、こっちから太陽が出ています」
 振り向くと朝日が差し込んでいる。つまり、ここは方角としては東なのである。
 ──東なのに「西」なんですか?
 「そうです」
 ──なぜ、ですか?
 「正面があっちだからです」
 親方が神棚の方を指差した。神棚が置かれた所が「正面」。正面から見て、右が「西」、左が「東」なのである。
 ──なぜ、正面があちらなんですか?
 「玄関がそこにあるからです。玄関のある所が正面なんです」
 ──じゃあ玄関はなぜ、そこなんですか?
 「それは建築上、そうなんでしょう。道路の事情とかいろいろあって、玄関はあそこに作ったんでしょう」
 早い話、方角に基づいて設計されたのではなく、建てた結果、土俵の東西南北が決まったのである。
 「国技館の土俵もそうです。玄関を入った所が正面になっています。方角としては西ですけど」
 国技館の土俵は「西」と呼ばれる所が南、「東」は北になる。これもまた建築上、道路事情などでそう建てるしかなかったからだという。地方場所の体育館などでは、座席に方角通りの東西南北が印字されており、それでも玄関がある所から「正面」「向正面」「東」「西」と決めるので、混乱をきたすこともあるらしい。何やら話を聞いているうち、私は方向感覚がおかしくなってきた。
 ──それでいいんですか?
 「本当は方角とピッタリ合っていたほうがいいのかもしれません。しかし、しようがないでしょ」
 ──しようがない?
 「だって建築上そうなんですから。でも、東西南北の神様にちゃんと来てもらっているから、大丈夫です」
 国技館の吊り屋根には、東方の守護神である青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武が祀られた房が飾られている。土地の風水に合わせて土俵をつくるのではなく、建築上の事情に合わせて土俵をつくり、方角もそれに合わせて神様まで動かしてしまうのであった。
 掃き掃除が終わると、力士たちは漏斗を持ち、稽古場にまんべんなく水をまく。
 ──水で清めるんですね?
 私が確認すると、親方が答えた。
 「それもありますが、現実的には砂が乾いてしまうんで、水をまくんです」
 相撲とは、現実と伝統の不思議な調和である。建築事情、放送事情、社会事情も呑み込んで独自の意味づけをしてしまう。
 ──相撲は変わっていますね。
 「変わっているといえば、変わっています。でも、そうは言ってほしくない」
 親方が私を見つめた。
 ──では、どう言えばいいんでしょうか?
 「独特、と言ってほしい」
 相撲は「唯一」とされるものである。唯一のものに根拠はいらず、他と比較することもできず、すべては「しようがない」。しようがないから、私も今ここに廻し姿で立っているのであった。

※ 力士の番付は取材時のものです。

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