Web草思
おすもうさん 高橋秀実
第3回 相撲の起源
大食らいの秘密

 正午が近づくと、相撲部屋にはちゃんこの匂いが立ち込める。ちゃんこ当番の若い衆が、稽古の途中で静かに台所に向かい準備を始めるのである。力士たちは稽古を終えると、番付が上の者から順番に風呂に入り、浴衣姿になって床山に丁髷ちょんまげを結い直してもらい、身ぎれいにしてからちゃんこを食べる。流れ作業のようなもので、食べるのもその順番。まず黒海こっかいが食べ、その後、追風海はやてうみ濱錦はまにしき大翔大だいしょうだいと続き、最後に若い衆たちがみんなでちゃんこを囲むという段取りだ。
 「よろしければ、ご一緒にどうですか」
 大翔鶴だいしょうかくに勧められ、私も席に着いた。板の間に直に置かれた脚のない丸テーブル。こういうテーブルでないと巨体が車座になれないのだという。中央にはぐつぐつと煮立った鍋。関取たちの残り物のようにも思えるが、出汁が十分に出た後に野菜などを新たに入れるので、かえって美味しいらしい。
 「一般の人は“ちゃんこ”と聞くと鍋のことだと思っていますが、違うんです。鍋に限らず、相撲部屋で食べる食事はすべて“ちゃんこ”と呼びます。カレーライスでも“ちゃんこ”なんです」
 どんぶり飯を片手に大翔鶴が解説した。彼らは昼にちゃんこを食べ、その後三時間ほど昼寝をする。そしておもむろに起き出して部屋の掃除などを済ませ、七時頃に再びちゃんこ。昼のちゃんこは鍋中心だが、夜のちゃんこはカレーライスになることが多いという。
 ──つまり、食事のことを「ちゃんこ」と呼ぶわけですね。
 「そうです。“ちゃんこ”という名前の由来にはいろんな説があります。中国語で鍋のことを“チャンゴー”という説と、“ちゃん”は父で“こ”は子、親子で食べるという説です」
 かく言う大翔鶴は夜のちゃんこの後に、コンビニ弁当三個とレジの隣にある揚げ物などを毎晩食べるらしいが、それらは「ちゃんこ」と呼ばずに「コンビニ弁当」と呼ぶらしい。
 ともあれ、彼らにとって食べることは稽古のひとつだ。ちゃんこの度にどんぶり五〜六杯を平らげ、その後昼寝をして体を太らせるのである。
 「自分たちはずーっと、食べ続けられるんです。持久力があるんでしょうね」
 自身のことながら不思議そうに大翔若だいしょうわか(序二段三十四枚目)がつぶやいた。彼は静岡県出身。おばさんっぽい風貌から「大家族のおかあさん」などと呼ばれている。高校時代は柔道の選手だったが、ある日、実家の寿司屋に追手風部屋後援会の人がやってきた。何しにきたのかな、と思っているうち、「気がついたら」入門することになっていたという。ちゃんこも同じように、気がついたらずーっと食べていたという感じである。
 ──ずーっと、ですか?
 「はい、いつまででも。大食い選手権のような早食いはできませんけど」
 先日、焼肉屋に出かけた折も、十人でご飯六升、焼肉百五〇人前を食べたそうである。なぜそんなに「ずーっと」食べられるのか? と首を傾げると、兄弟子の大翔馬だいしょうま(幕下東二十一枚目)がそのコツを教えてくれた。
 「食べているうちに、さすがに喉元まで食べた物がきます。そしたら、どこか一点を見つめるんです」
 ── 一点いってん
 「例えば、そこにあるペットボトルのキャップとか。じっと見つめていれば、大丈夫です」
 大翔馬が風船のような体をのけぞらせ、後ろ手に板の間をおさえながら目線を定めた。確かにそうすると姿勢が固定される。この状態で消化されるのを待つということか。
 「この前、こうやってじっとしていたら、後援会の人がやってきて、寿司を一桶差し入れてくれました。もちろん断るわけにはいかないので、ちゃんと食べました。ところが、その後トイレに行きたくなって、思わず立ち上がっちゃったんです」
 ──目線がずれたんですね。
 「そうです。そのままドアまで歩いていったんですが、そこで噴水のようにゲロを吐きました。その勢いでドアが開きました」
 まるで胃圧ポンプである。
 ──よくそこまで食べられますね。
 私が感心すると、講釈好きの大翔鶴が隣ではにかんだ。
 「たとえ腹いっぱいになっても、そこから自分らは食べられるんです。一般の人と違って」
 ──どこが違うんですか?
 「ちょっとでも圧があれば食えるんです」
 ──圧?
 「例えば、その場に親方や後援会の人とかいれば食えます」
 つまり、「食べなくてはいけない」という圧迫感である。
 「自分たちは外で食べる機会も多いんです。すると、どの店でも『おすもうさんだから食べる』ということで、頼んでもいないのに必ず大盛りにしてくれます。おすもうさんのイメージで大増量してくれるんです。相撲取りとして期待するんですね。そうしたら期待に応えたいじゃないですか。それに残したら失礼じゃないですか。そういうことをずーっとしているうちに、無理がきくようになってくるんですよ」
 ちなみにすでに引退した親方でさえ、後援者に呼ばれると「食いたいか?」といまだに言われ、そう言われると「はい、食いたいです」と答えるしかなく、その結果体重が維持されている。付き合いを大切にすると、一日七食になることもあるらしい。彼らは自分の意志で太るのではなく、人々の期待に応えているうちに、肥大化していくのである。
 「自分たちはビルみたいなものですから」
 大翔鶴が続けた。
 ──ビル?
 「そうです。町を歩いていると『あっ、これ』とか言って目の前で指差されますから」
 ──「これ」、ですか?
 「そうです。まるで建物でしょ」
 近づいてじろじろ見られるのは当たり前。中にはいきなり体を叩く人もいるし、「モンゴルに負けたらいかん!」と怒られることもある。勝手に写真を撮られた後、「朝青龍?」などと訊かれ、「違います」と答えると、「じゃ、武蔵丸?」と言われたこともある。確かに私も電車などで相撲取りを見かけると、思わず見つめてしまう。誰なのかというより、相撲取りであることをしげしげと確認したくなるのである。
 ──腹が立ちませんか?
 大翔鶴にたずねると、彼は苦笑して答えた。
 「別に立ちません」
 ──なんで?
 「なんでって、自分たちはおすもうさんですから」
 きっと彼らは相撲取りとして見られることで、相撲取りになっていくのである。

相撲の起源

 ここで相撲の起源について考えてみたい。果たして相撲はいつ頃始まったのだろうか。(財)日本相撲協会相撲教習所の教科書『相撲の歴史』(竹内誠著、平成五年)によると、それは神代にまで遡るらしい。同書にはこうある。

 『古事記』によれば、天照大神あまてらすおおみかみは出雲国を支配していた大国主命おおくにぬしのみことに、出雲国を譲るように使者を遣わした。大国主命の子の建御名方神たけみなかたのかみは、使者の建御雷神たけみかずちのかみに対して“力くらべ”によって事を決しようと申し出た。そこで二人の神は、出雲国伊那佐いなさの小浜で相撲を取り、建御雷神が勝ったので、平和裡に国譲りが行われた、というのである。
 この神話は、重要なことを決めるにあたり、相撲を取ることによって神の意志がどちらにあるかを知ろうとしたこと、つまり相撲の起こりは神事にあり、神占いと深い関係があったことを物語っている。

 いわゆる「出雲の国譲り」の神話がその起源を伝えているというのである。相撲の勝敗で神の意志を占う。いわば宗教儀礼に思えるが、実際に『古事記』を読んでみると、話はそれほど単純ではなかった。
 そもそも『古事記』に登場する神々には、あまり意志がないのである。「序」からして、こう始まっている。

 れ混元既に凝りて、気象未だ効れず。名も無く為も無し。誰か其の形を知らむ。

 訳すと、混沌とした天地万物の根元はすでに凝り固まっていたが、万物の形は、まだはっきりと現れない。名前もないし、働きもない。こういう状態で誰がその形を知りえようか、ということ。『古事記』はこのような、なんだかわからない状態の中に神が次々と生まれ、わからないゆえに神々が「つどひて」「はかりて」(会議を開いて)物事を決めていく物語なのである。
 「出雲の国譲り」の節も、まず天照大御神が出雲の国を平定すべく、他の神々にこう問う。
 「何れの神を使はさば、けむ(どの神を派遣したらよいのだろうか)」
 そして話し合いの結果、天若日子あめのわかひこを派遣するが、あろうことか出雲の国を支配する大国主神の娘と結婚してしまった。神々の中から、天若日子を問いただすべきだという意見が出て、問いただすために雉である鳴女なきめという者が選出される。そして彼女が現地に到着してその旨を天若日子に言うと、ある者が天若日子に「此の鳥は、其の鳴く音甚悪し。故、射殺すべし(この鳥は鳴き声が悪いから殺してしまいなさい)」と進言し、言われるままに天若日子は鳴女を矢で射殺する。するとなぜかその矢は天にいる天照大御神の元にまで届いたので射返してやると、それが寝ていた天若日子の胸に当たり、彼は死ぬ。悪気はなかったのに、彼は死んでしまうのである。
 「また、いずれの神を遣さば、吉けむ(では、どの神を派遣したらよいのだろうか)」
 天照大御神は再び問うて、神々はまた話し合う。そして今度は建御雷神が選ばれる。彼は大国主神に直接会って、「汝が心は、奈何いかに」とたずねる。すると大国主神は、私には申し上げられません、わが子の八重言代主神やえことしろぬしのかみが申すでしょう、と答える。神は子供に責任転嫁するのである。そこで建御雷神が八重言代主神にたずねると、国を差し上げます、と即答。建御雷神はこれでOKと思い、再び大国主神に確認しようとする。すると大国主神は、実はわが子はもう一人、建御名方神がいる、と言う。そもそも言代主神とは名前の通り、神託を伝える神で、それが「よい」と言っているのだから受諾と考えて当然である。にもかかわらず、今度は建御名方神に決断を委ねられた。仕方なく建御雷神が建御名方神を訪ねると「力競べを為むと欲ふ」と言われ、結局、ふたりは海岸で対決することになる。
 これが「出雲の国譲り」のあらすじである。読めばわかるが、『相撲の歴史』に書かれていたように「相撲を取ることによって神の意志がどちらにあるかを知ろうとした」のではなく、どの神も意志がはっきりせず、一向にらちが明かないので、最後は「力競べ」で決着をつけたという物語なのである。『相撲の歴史』によると、「力競べ」は「人間の本能的なもの」とされている。しかし『古事記』に描かれているのは、闘う本能というより、闘わされる運命。支配者たちの意志がはっきりしないと、使われる身は「力競べ」するしかなくなるのである。実際、追手風部屋の力士たちを見ても、本能で闘っているようには思えない。親方ですらこう言っていた。
 「本番前は、こわくて仕度部屋でえずくんですよ。みんなそうだし、自分もそうでした」
 「えずく」とは吐き気をもよおすこと。力士たちは土俵に上がる前に恐怖と緊張のあまり、みんな「うえっ」と吐くのである。本能で闘うというより、本能に逆らって闘わされているというべきであろう。
 『相撲の歴史』(前出)には、もうひとつの相撲の起源として、『日本書紀』にある野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはやの対決が紹介されている。垂仁すいにん天皇の時代、当麻邑たぎまのむらに当麻蹶速という力自慢がいた。彼が「四方に求むに、あに我が力に比ぶ者有らむや(この世に私より強い者はいない)」と豪語するのが天皇の耳に入り、これを倒すべく天皇は野見宿禰を当麻蹶速と対決させるのだ。原文によるとその様子は熾烈である。

 二人相対あひむかひ立ち、おのおの足を挙げ相蹶あひくう。則ち当麻蹶速が脇骨を折り、また其の腰をみ折りて殺す。

 ふたりは蹴り合いになり、野見宿禰が当麻蹶速のあばら骨を折った上、腰まで踏み砕いて殺した。キックの応酬による闘いぶりは「すもう」というよりむしろ空手のようで、彼らもまた天皇の命令によって、死ぬまで闘わされたのであった。
 とは言え、これらの記述に「相撲」という言葉はまだ使われていない。実際に「相撲」という言葉が初めて登場するのは、『日本書紀』の雄略天皇の巻である。『相撲の歴史』には一切触れられていないが、素直に読めば、これが日本の記録における最初の「相撲」ということになる。
 雄略天皇は「誤りて人を殺したまうことおほし。天下、誹謗りて言さく、『はなはだ悪しくまします天皇なり』とまをす。(誤って人を殺すことが多かった。人々からは最悪の天皇だと言われていた)」ような残忍な天皇である。例えば、狩りに出かけ、自分でなますを作りたいと言い、臣下たちが黙ると怒って斬り殺してしまう。実にキレやすい天皇なのである。雄略十三年(西暦四六九年)の九月。天皇は木工猪名部真根こだくみいなべのまねの仕事場に出向いた。真根は刃を損なうことのない木工名人だった。そこで天皇が「つねに誤りて石に当てじや(誤って石に当てることは一度もないのか?)」とたずねると、彼は「つひに誤らじ(決して誤ることはありません)」と答えた。そこで天皇は一計を案じる。

 すなは采女うねめ喚集めしつどへて、衣もを脱きて犢鼻たふさきけ、露所あらはなるところ相撲すまひとらしむ。ここに真根、暫停め仰ぎ視て削る。不覚おぼえずして、手誤ち刃をそこなふ。

 天皇は真根の前に、采女(宮仕えをする女性)を集め、服を脱がし、ふんどしをつけさせ、よく見える所で「相撲」をとらせたというのである。真根は手を止め、それに見とれたまま木を削った。そして思わず誤って刃を傷つけてしまった。それ見たことか、と言わんばかりに天皇はその場で彼を死刑に処することに決めたのだった。
 無茶苦茶な話である。真根のミスを誘うという、たったそれだけの目的で雄略天皇は女性たちに裸で相撲を取らせたのである。美女を見るとすぐに妃にした雄略天皇らしい行為だが、これが日本で記録上最初に「相撲」を取らされた記録である。今日、大相撲の土俵は女人禁制だが、始まりは女性だった。取る人の闘争本能ではなく、見る側の「思わず見てしまう」という目線こそ「相撲」の原点なのである。

自然なすもう

 「おかわり、いかがですか?」
 どんぶりのご飯が減ってくると、追風藤はやてふじ(序二段東八十八枚目)が私に声をかけた。「もう、満腹です」と遠慮すると、彼が続けた。
 「ご飯をよそう時、一回でよそってはいけないんです。必ず二回でよそわないといけないんです」
 何やら意味ありげである。
 ──なぜですか?
 「仏壇にご飯をお供えする時は、一回でよそいますよね。それとは違うということなんです」
 ──仏様ではないから、二回でよそうんですか……。
 「そういうことにしてるんです」
 ──そういうことに?
 「はい」
 ──親方などにそう教えられたんですか?
 「いいえ」
 ──じゃあ誰に教わったんですか?
 「いや、自分が考えたんです」
 ──追風藤さん自身が、ですか?
 「そうです」
 ──なんで、そんなことを考えたんですか?
 「みんなに訊かれるからです。なんでそうするんですか? と。とにかく、いろいろ訊かれるんですよ。仏壇は一回だから、ここでは二回。そう言えば、大抵は納得してもらえるんです」
 追風藤はぎょろりとした目で私を見つめながら、そう言った。
 見られるから相撲を取る。訊かれるから意味をつくり出す。負け越しが続いても超然としている追風藤と話すうち、それが千五百年もの長きにわたって日本人に脈々と伝えられた物事の自然なあり方ではないかと思えてきた。
 「相撲には、自分たちも意味がよくわからないことがたくさんあるんですよ」
 大翔鶴がそう言って笑った。例えば、彼らはまわしを洗うことを禁じられている。不潔なのはわかっているが、なぜか洗ってはいけないことになっているのだ。
 ──理由はないんですか?
 「おそらく、ないと思います。でも、そういうことって必要だと思うんです」
 ──意味よりも?
 「だってそういうことがないと、統制がとれないじゃないですか。たとえ意味がなくても、団体生活にはルールが必要ですから」 
 意味はその内容より、機能が大切なのであった。

※ 力士の番付は取材時のものです。

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