Web草思
おすもうさん 高橋秀実
第2回 ふつうの相撲
 あらためて言うまでもないが、前回登場した「大翔鶴だいしょうかく」や若猛わかたけ追風藤はやてふじなどの名前は彼らの本名ではなく「しこ名」である。漢字で書くと「醜名」。みにくい名前という意味なのである。『相撲大事典』(金指基著 日本相撲協会監修 現代書館 2002年)によると「しこ名」とは、
「大地を踏みつけて地中の邪気(しこ)を追い払う神事を行う者の名称を指したという。また、『醜』の文字には『醜い』の意味があり、『醜名』は自分の名乗りを謙遜する意味もあった」
 相撲取りは地面の下にある「醜」を踏みつけて、おはらいしたのだという。今日この所作は「四股」と呼ばれているが、それは「醜」に当て字をしたものらしい。つまり相撲取りとは一種のお祓いをする人。醜を踏む人の名前が醜名なのである。
 しかしなぜ、醜を追い払う人にわざわざ醜い名前を付けて「謙遜する意味」を持たせるのだろうか?
 我が身に置き換えて考えてみよう。弟子たちは親方の醜名から一字をもらうことも多いが、昔から「力士の出身地の山、川、海などの文字がつけられる伝統」(前出『相撲大事典』)がある。私は日頃「高橋さん」と呼ばれている。そして、相撲取りになって例えば「横浜」などと醜名を付けられたとする。不思議なことに、こう呼ばれると個性が否定され、何やら我が身が土地と一体化するような気がしてくる。人格が埋もれてしまいそうになるので、思わず地面を踏みつけたくなってくるのではあるまいか。あくまで私の個人的解釈だが、地中に邪気があるからそれを踏むのではなく、醜名が付けられたから地面を踏みつけたくなり、そこに邪気があるかのように思えてくるのではないだろうか。
 外国人力士たちの活躍が最近めざましいのも、その醜名が要因なのかもしれない。「風斧山かざふざん」はカザフスタン共和国、「露鵬ろほう」はロシア連邦、「琴欧州ことおうしゅう」(ブルガリア)はヨーロッパ大陸を背負っているし、「大露羅おおろら」(ロシア)に至ってはオーロラという大自然が相手である。

グルジアの怪物

 追手風部屋(総勢十三人)の出世頭もグルジア共和国からやってきた黒海(東前頭二枚目)である。黒海に面した土地の出身だから、そのまま「黒海」。平成十三年に入門するや否や、瞬く間に日本人の兄弟子たちを追い抜き、わずか二年で十両(関取)に昇進した。

 午前中の稽古が終わると、黒海は土俵脇にある大きな姿見の前に立ち、自分のまわし姿をじっと見つめていた。マシュマロを思わせる色白の体に密生する胸毛。彫りの深い顔立ちに長い睫毛をしばたたかせている。
「やっぱ、カッコいいよね、俺」
 黒海が振り返り、流暢りゅうちょうな日本語でつぶやいた。「カッコいいと思わない?」
 私に訊いているのであった。
──カッコいいですよ。
「やっぱりね」
 彼はグルジアでアマチュアレスリングの選手だった。ヨーロッパ選手権でも優勝経験があり、オリンピックを目指していたらしい。格闘技が盛んなグルジアではアマチュア相撲も行なわれている。親方の出身校である日大相撲部とも交流があり、その縁でこの部屋にスカウトされたのである。
──どうして、相撲をやろうと思ったんですか?
 姿見を見続ける黒海にたずねてみた。
「レスリングには体重制度があるじゃない。自分、130キロ級だった。でも制度が変わって、130キロ級がなくなり120キロ級が一番重くなった。自分、135キロあったでしょ。そしたら120キロ級出れないっすよ」
──体重を減らさないといけなかった、ということですか?
「そう。でも厳しかった、やせるのが」
 それまでは5キロの減量で済んだのが、15キロの減量をしなければならなくなった。だから相撲に転向したのだと言う。確かに相撲は体重無制限である。しかしそれだけの理由でわざわざ日本に来るとは到底考えられない。
──それだけですか?
「何が?」
──なんで日本に来たんですか?
「プロになりたかった。強くなりたかった」
 きっぱりと黒海は答えた。グルジアにプロスポーツはない。サッカーなどが人気スポーツだが、選手たちは外国に出てプロ選手になる。
──グルジアでは相撲をやったことがあったんですか?
「ちょっと」
──どれくらいちょっと?
「最初にまわしを締めたのは、日本に来る一週間前」
 ほとんど下準備のないまま彼は入門し、たちまち関取になったのである。彼の相撲は小賢しい技を一切使わず、ひたすら突っ張って相手を土俵の外に突き飛ばす。元レスリング選手らしからぬ技を無視した猪突猛進ぶりで、「グルジアの怪物」という異名をとるほどである。その十両昇進までの戦績を辿ってみよう。
平成十三年五月場所
七月場所
九月場所
十一月場所
平成十四年一月場所
三月場所
五月場所
七月場所
九月場所
十一月場所
平成十五年一月場所
三月場所
五月場所
初土俵
序の口
序二段

三段目
幕下

六勝一敗
六勝一敗
七戦全勝(序二段優勝)
七戦全勝(三段目優勝)
三勝四敗
六勝一敗
五勝二敗
二勝五敗
四勝三敗
六勝一敗(幕下優勝)
五勝二敗
十両昇進
 序の口、序二段、三段目は1〜2場所であっと言う間に通過している。幕下以下は関取と違い、一場所に7回しか取り組みがない。勝ち星が同じ者が相撲を取るという、いわゆる「星の潰し合い」と呼ばれる制度で、全勝(あるいは六勝)を守った力士が優勝、そして昇進するのである。

「ふつう、っす」

──日本の相撲界は厳しいでしょう。上下関係もあるし……。
 スピード出世とはいえ、黒海は幕下で負け越し経験もある。その苦労をたずねようとすると、黒海はあっさり答えた。
「ふつう、っす」
──ふつう?
 外国人の彼にとって、裸で丁髷ちょんまげまで結う相撲界が「ふつう」なはずはない。それとも「ふつう」の使い方を間違えているのか。
──ふつうって何?
「厳しくないっす。ねっ、厳しくないよね」
 黒海が付け人の大翔鶴に訊いた。大翔鶴が微笑みながらうなずいた。大翔若も大翔力だいしょうりきも若猛もみんなうなずいた。「厳しい」と言われれば、「どこが厳しい?」と話の糸口がつかめるが、「ふつう」では取りつく島がない。
 しかし言われてみれば、稽古中の黒海は「ふつう」である。午前十時頃、やや眠そうな表情で稽古場にやってきて、まずフラフープのようにゆっくりと腰をくねらす。太ったおばさんの美容体操のようである。いつまでやっているのか? と目を凝らして見ていると、おもむろに腕を肩越しに後ろに回して体をのけぞらせ、ミロのヴィーナスのような格好で静止する。きっと筋を伸ばすストレッチなのだろう。そしてそのまま遠くを見つめながら胸毛をいじる。かゆみに気づいたのか、手を丁髷頭に持っていき、指を入れてき始める。仕舞いにはおちょぼ口を縦に伸ばし、欠伸あくびをしたりする。そうこうするうちに稽古は終わり、実に「けだるいひととき」という感じなのである。
──稽古の後、ひとり、どこかでトレーニングしたりするんですか?
 おそるおそる黒海に問うと、
「してないっす」
 また、あっさり否定された。
 食べ物など日常生活の苦労も特になかったという。しかし来日当初は日本語もできなかったのだから、苦労して当然。否、日本の伝統という観点からしても苦労すべきだと私は思った。念のため、親方にも訊いてみる。
──黒海は稽古熱心ですか?
「ふつうですよ」
 親方は即答した。やはり「ふつう」なのである。
──ふつうって何ですか?
「ふつうはふつうですよ」
──親方の見ていないところで、練習したりしてないですか?
「してないと思います」
──いいんですか、それで?
「やれって言ったって同じですよ。やる人はやる、やらない人はやらない。学生じゃないんですから、我々はプロなんですから」
 追手風部屋の指導方針は「基本は力士をほうっておくこと」だった。「僕は怒るとこわいですよ」と親方は言うが、怒るのは年に一回ほどだという。
「相撲部屋で大切なのはコミュニケーションなんです。こいつ何かあるな、スカす(部屋を脱走すること)なと思ったら、そのポイントポイントで声をかける。これが自分のモットーです」
 相撲部屋の多くは親方が竹刀を持ち、力士たちに罵声ばせいを浴びせかけたりするが、追手風部屋は違う。若い衆に、「また働いてるフリして〜」とか「お前、食べてる」「はい」「食べなければ勝てるよ」などと冗談を飛ばす。相撲の指導には「わけのわからないことを言うことも大切」なのだと言う。その甲斐あってか平成十年に部屋を立ち上げて以来、まだひとりもスカしていないらしい。若い衆たちも口を揃えて「親方はいい人です」と語るのであった。
 黒海は来日当初、立ち合いで相手に正面からぶつかることができなかった。睨み合って立ち上がると、すぐ身をかわそうとしてしまうのである。本人によれば、レスリングはまず相手と組んでからこの先どうするかと考えることができたが、相撲は考える時間がない。いきなり勝負という感覚が馴染めなかったのである。
「相手をはじかなきゃいけないんです」
 親方が解説する。
──はじく?
「そうです」
──ぶつかるのと違うんですか?
「こういう感じです」
 親方はそう言って、隣の椅子に座る私に軽く体当たりをした。巨大なゴムまりが当たったようで、私はそのままはじかれ、椅子から転げ落ちそうになった。単に小突かれたようだが、一瞬、一点にその体重が集中していたようで、私はまさに、はじかれたのだ。
──これを教えようとしたわけですか?
「そうです。でも、こっちはロシア語がわかりませんから、和露辞典で単語を指差すしかなかったんです」
 日本語がまったく通じなかった黒海の場合、コミュニケ−ションは「これ」と「ここ」だけだったそうである。辞書片手にページをめくりながら「これ、じゃなくて、これ」と指導したらしい。それであの激しい立ち合いを覚えたのだから驚嘆するしかない。
 さらに親方は黒海にやる気を出させるために番付表を見せた。「お前は今、ここ」と一番下の段を指差した。そして一番上の段に指を持ってゆきながら、「ここ、じゃなくてここ」と教えた。「これ」と「ここ」。要するに「相手をはじいて昇進せよ」。わずか二語の日本語指導で黒海は本当に昇進したのである。彼の才能かもしれないが、それだけで伝えられるとなると、伝統とは何か? とあらためて考えざるをえなくなる。

雪駄とゴム草履

「ものが違うんですよ」
 付け人の大翔鶴が悟ったように語った。彼は黒海よりひと回り小柄、もちもちした肉感で和菓子を彷彿ほうふつさせる体型。自称「しゃべりは横綱級」である。
「自分たちはよく、『外国人に負けるな!』『ハングリー精神が足りない!』とか言われますが、しょうがないですよ。彼らには日本人にないスピードとパワーがあります。相撲の型がどうしたという問題じゃないんです。自分たちにもそういうものがあったらええな、とは思いますけど。それに彼らは自分たちと違って、選ばれた人たちなんですから。一緒にされても困るんです」
「ものが違う」外国人力士に勝つことは「ふつうは無理」だというのである。
──でも、やる以上は上を目指しているでしょう?
「それはそうです」
──横綱になるっていう……。
「うーーん」
 大翔鶴がうなった。しばらく間。じれったいと言いたげに隣にいた青風せいふう(序二段東二十一枚目)が切り出した。
「なれないんじゃないですか」
──誰が?
「いや、自分」
 青風は小学生時代から愛知県岡崎市にある少年相撲教室、青風館で相撲を習っていた。小6ですでに身長169センチ、体重98キロ。英才教育を受けて育った相撲取りで、その体も筋肉質ではち切れそうである。
「ただ単にやらされていただけです」
──でも相撲が好きだったんでしょう?
「ぜんぜん」
──じゃあなんで入門したんですか?
「他にやることがなかったんです。頭悪いし」
──でも、やる以上は上を目指しますよね。
 私は質問を繰り返した。上を目指さないと相撲をする意味がないように思えたのである。
「そうやって一般の人は、簡単に『横綱目指してがんばって』とか言いますよね。軽々しく言うな、と思います。横綱になるってことは野球で言うとイチローになることくらい難しいんです」
 切々と訴える青風を見て、私は恐縮した。確かに横綱朝青龍あさしょうりゅう(モンゴル)などは強すぎる。黒海にしても、あの巨体から闇雲に繰り出される突っ張りは強烈すぎる。強いほうがどうかしているのである。
──じゃあ何が目標なんですか?
「十両です」
 照れくさそうに青風が答えた。相撲界では十両以上が「資格者」と呼ばれ、月々の給料が日本相撲協会から支給される。そもそも十両とは、かつてその給金が十両だったことに由来する。
──十両ですか。
「ほら、こうやって『夢は十両です』と言うと、質問した人は必ず、もの足りない顔をするんですよ。だから言いにくいんです。でも本当のことを言えば、十両でも夢が大きすぎると思っています」
──じゃあ、本当は何に?
「三段目に上がりたいです」
──なぜ三段目に?
「雪駄がけるんです。自分たちは今、ゴム草履ですから。雪駄によく似たゴム草履もあるんですけど、裏がゴムで金具がついていないから、歩いていても音が鳴らないんです」
 別に有名な力士になりたいわけではない。せめて歩いている時は雪駄の音を鳴らせたいのであった。
 相撲の階級にはそれぞれ特権というものがある。簡単にまとめると、

 三段目/雪駄が履ける。
 幕下/羽織、外套を着れる。番傘をさせる。
 十両/紋付き袴を着れる。付け人がつく。

 序二段だと外出時は浴衣姿でゴム草履。とても一人前には見えないのである。
──それはそれで厳しいですね。
 彼らの控えめな願いがわかったような気がして、私は溜め息をついた。すると大翔力がニコニコしながら首を振った。彼は熊本出身で、すでに三段目東九十八枚目。「相撲をやる気はありませんでしたが、スカウトの人にスカウトされたので」中学卒業と同時に入門を決めたという。
「でも、一般のサラリーマンに比べると自分らは楽ですよ」
──どこが楽なんですか?
「だって、稽古は短期集中で、昼寝付きですから。自分は夜寝るより昼寝が好きなんです。昼寝は最高っす」
──相撲をやめたいと思ったりしないんですか?
「しないです」
──なぜ?
「だって途中でやめたら、田舎の父親が恥かきますから。やめるわけにはいきません」
 ふつうの相撲は勝負というより生活である。そして私にとって意味深い伝統文化も、彼らにとっては慎ましやかな日常なのであった。

※ 力士の番付は取材時のものです。

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