相撲は日本の国技と言われる。しかし文献を調べてみると、そう認知されたのは今から約100年前。明治42年に東京・両国に相撲の常設館が建設され、それを「国技館」と命名したことに由来している。つまり、国技だから国技館というより、国技館だから国技なのである。
いずれにせよ、はじめに言葉ありき。言葉とともに、相撲は「日本固有の文化」と言いたいところだが、現在、その国技の最高位である横綱は日本人ではなく、モンゴル人だった。
外国人向け季刊誌『にっぽにあ』(平凡社)で、私は相撲を外国人に紹介する記事を書くことになった。伝統文化の象徴というべき相撲を、世界の人々に知ってもらおうという企画だ。
相撲とは何か? 中学生程度の日本語で、外国人にわかるように簡潔明解に説明しなくてはならない。容易に思えたのが、相撲とは……と書き始めて、私の筆はすぐに止まった。相撲は格闘技と言えるが、儀式でもある。スポーツのようだが、生活様式でもある。では一体、何なのだろうか?
語句の説明も難しかった。例えば、相撲を取る人のことを「相撲取り」と呼ぶ。土俵から押し出すことは「押し出し」で、寄り切ることは「寄り切り」。相撲取りを土俵に呼び出す人を「呼出」というのだから、動詞を名詞化しているだけで何の説明にもなっていない。言葉が体に張りつくようで距離が取れない。相撲とは相撲である、としか言いようがないのである。
とはいえ、説明できないということは、わかっていないのだと私は気づき、埼玉県草加市にある追手風部屋を訪れた。
実際この目で確かめてみなくてはならないと思ったのである。
土俵の上のひらひら
谷塚駅から徒歩約20分。住宅街の中にポツンと部屋は建っていた。古い日本家屋を想像していたのだが、瀟洒なマンションという構えである。
3階建ての1階が稽古場。2階、3階が力士たちの宿舎になっている。重い扉を開けて稽古場に入ると、12畳ほどの板の間があり、その向こうに土が敷きつめられた空間が広がっている。中央には丸い土俵がひとつ。細い俵が円形状に土に埋め込まれているのである。
「日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定」の中に「土俵規定」があり、その大きさはもとより、俵の数(計20個)や敷きつめ方(六分を土中に埋め、四分を地上に出す)まで細かく定められている。
「競技場は、土俵をもって作られているので、相撲競技における競技場を土俵という」(「土俵規定」前文)
土俵でできているから、これを「土俵」と呼ぶ。公式的にも、相撲の世界は同語反復なのである。
土俵の中央には、小山のように砂が積まれ、そこに一本の木片が差し込まれている。木片には神棚に飾るような稲妻形の白い紙がひらひらとぶら下がっている。その位置といい、形といい、相撲の世界では中心的な「何か」に違いなかった。
──あれは何ですか?
私がたずねると、
「何なんでしょうね」
若猛は身長191センチ、体重121キロ。相撲取りと聞くと、ぶよぶよな体を想像しがちだが、彼らの体は内側から張り出すようにぱんぱんで、近寄って思わず叩いてみたい衝動に駆られる。そして頭には
私は再び、ひらひらを指差してたずねた。
──何か、神聖なものじゃないんですか?
「はあ」
若猛はおもむろに巨体を持ち上げるように立ち上がり、隣にいた
「これ、何?」
「さあ」
「お前、知ってる?」「さあ」「お前は?」「さあ」……丁髷を揺らしながら、彼らは揃って首を振った。
「なんか、清めるもんじゃないの」
「
板の間中央に座る
──どういう意味なんでしょうか?
「言葉の意味?」
──そうです。
「言葉の意味なんてわかりません」
『相撲大事典』(金指基著、財団法人日本相撲協会監修、現代書館、2002年)を調べてみると、「裂いた麻や
見ているだけで疲れる
稽古は早朝6時すぎから始まり、午前11時には終わる。NHKなどでは「毎日の厳しい稽古」などという決まり文句で語られるが、稽古は午前中のみ。目前で見ていると、厳しさより何やらけだるさに襲われた。
若い衆(幕下以下の力士のこと)が三々五々、稽古場に現れる。彼らは木の柱に向かって鉄砲をしたり、
一種の準備運動なのかと眺めていると、誰が合図するわけでもなく、番付の下の者から土俵に入って相撲を取り始める。相手を土俵の外に出すなり、投げるなりしてどちらかが勝つ。すると勝った者のところに、他の若い衆が体を寄せるようにして群がり、その中からひとりを選んでまた相撲を取る。これを「申し合い稽古」と呼ぶらしい。相撲に勝ったほうが相手を「買う」、選ばれたほうが「売れる」という。売買が成立すると相撲になるわけだが、先着順というわけでもなく、やる気順というわけでもない。そもそも順番ではなく、その場の空気、言わば「あうんの呼吸」で選ばれているのである。
いずれにしても負けてばかりいると稽古にならない。土俵はひとつ。土俵上にはふたりしかおらず、それ以外の人は土俵の外にいる。ぼんやりしているようで、休んでいるようでもある。
「申し合い稽古」の合い間に「ぶつかり稽古」がある。相手に向かって何度もぶつかり、土俵の外まで押し出してゆくのだ。通常のスポーツならトレーニングメニューというものがあり、「次は○○」という段取りがあるが、相撲は号令ひとつなく、自然に流れるように事が運んでいく。流れるように「申し合い稽古」と「ぶつかり稽古」を交互に繰り返すのである。
彼らは「ゼイゼイ、ハアハア」と息遣いは大変荒く、体やまわしをパンパン叩いて音は威勢がよい。しかし、よくよく見ると、流れの中で体をゆらゆらさせ、ただ何かを待っているようだった。
「見ているだけでも疲れるんです」
若い衆のひとりが解説してくれた。確かに私も体を動かしていないのに、疲れた気がする。
──なぜ、なんですか?
「雰囲気に呑まれてしまうんです。だから、休んでいる気がしないんです。見るのも稽古です」
この空気に毎日身を晒すことが、稽古なのである。
まわりに勧められて入門
「すいません、すいません」
ぶつかり稽古の最中、若猛が相手の
「なんで、謝るの?」
すかさず追手風親方が訊いた。
「すいません」
土俵上の若猛が申し訳なさそうに答える。
「なんで謝る?」
問い詰める親方。
「いや、今、ぶつかりそうで……」
相撲はぶつかり合うものである。
「遠慮してるの?」
親方がたずねると、首を振って照れる若猛。
「遠慮しなくていいから。思い切りいっても、怒られないから。怒らないから大丈夫だから」
「はい、すいません」
若猛は序二段の西四十四枚目だった。相撲の番付は下から、序の口、序二段、三段目、幕下(ここまでが「若い衆」と呼ばれ、給料はなく、場所ごとに手当てを受け取る身分)、そして十両、前頭、小結、関脇、大関、横綱と上がっていく。大翔馬は幕下東二十一枚目なので、若猛のほうが格下である。加えて、相撲の世界では「兄弟」という関係がある。入門の早いほうが兄弟子で、後から入門した者が弟弟子。若猛は格下で弟弟子なので、日常生活では遠慮しなければならないだろう。しかし土俵の上ではその必要はないはずである。
「まだ遠慮してるぞ! 遠慮すんな!」
親方が叫ぶと、若猛が頭から大翔馬に突っ込んだ。ズンと鈍い音がして若猛は土俵上でひとり踊るように一回転した。完全な頭突きだった。彼の目は朦朧としており、軽い脳震盪を起こしたようである。
──遠慮しているんですか?
稽古の後であらためて私がたずねると、若猛が答えた。
「わかんない、す」
──…………。
「こわい、す」
正面からぶつかるのが、こわいらしい。ぶつかるのが相撲だと思っていたが、実はそれが難関なのである。
「それに自分は、自分の相撲ができてないんです」
──自分の相撲、とは何ですか?
「突き押し、突っ張りです」
彼はきっぱり答えた。相撲の取り口を大きく分けると、突く相撲と組む相撲に分類できる。相手を突いて、土俵の外に突き出していくタイプと、まわしを取って投げるタイプ。若猛は前者が「自分の相撲」なのである。
「自分は最初は組む相撲だったんです。でも組んでも、力が入らなかったんです」
──なんで?
「こわい、す」
組むと膝に力が入る。膝の怪我を抱えている若猛には、これがこわいのであった。
──だから、突き押しなんですね。
「でも、手が伸びない、す」
──なんで?
「思いっ切り、当たってないからです」
──当たればいいんじゃないですか?
「当たりが弱いんです」
──なんで、ですか?
「わかんない、す」
──…………。
「ぶつかると、首も痛いし、頭も痛いし……」
──痛いから当たれないんだ。
「痛い、す。くらっとします」
彼は愛知県名古屋市の出身だった。中学を卒業してすぐ追手風部屋に入門した。
──そもそもなんで、相撲取りになろうと思ったんですか?
やる気というものがあまり感じられなかったので、思わず私はたずねた。
「相撲は興味なかった、す」
──興味ないのに、入門したわけですか?
「そう、す。自分は勉強が嫌いで、体がデカかったから、す」
彼は中学校時代に188センチで130キロの巨体だった。他の力士たちにもたずねてみたが、ほとんどが同じように「頭が悪くて、体がデカい」から相撲取りになったと答えた。平成八年の調査(『相撲』ベースボールマガジン社調べ)によると、力士になった動機について、61パーセントが「周囲の勧め」で入門を決めており、「自分の意志」と答えたのは35パーセントにすぎない。聞くところによると、全国各地で中学生で巨体がいるとの情報があると、親方たちが、つてを頼ってスカウトするというのが一般的で、自分から「相撲取りになりたい」という子は国内にほとんどいないそうである。
変わりもの
「自分もそうですよ」
追風藤がぬっと答えた。
彼は愛知県岡崎市出身。現在、序二段東 八十八枚目である。中学時代に110キロあったという。「中学2年生の時に、産休で代わりの先生が来たんです。その先生が親方と知り合いでして……」
──それで?
「気がついたら、ここにいた感じです」
──どういうこと?
「先生が親方にいろいろ話してくれて、どんどんどんどん話が決まっていったんです。自分で何か行動する前に、もうある程度のことは決まっていたんです。自分としては、なるようになればいいや、と思いまして。どうせおつむは悪いし、行ける高校もないし。自分、運動神経も滅法ダメなんです。持久走もダメだし、50メートル走も一番後ろをトボトボ走る感じですから」
何をやってもダメだと思っていたら、いつの間にか相撲取りになっていたというのである。
──ところで、相撲は好きなんですか?
私がたずねると、追風藤はにやりと笑った。
「なんて言えばいいんでしょう……。嫌いではないですね」
──でも、やるからには出世はしたいでしょう?
「それは少なからずあります。でも、地道でいいかと思います」
やる気がないのか。謙虚なのか。追風藤は不敵に笑みを浮かべるばかりである。
「彼は変わってますから」
隣にいた大翔鶴が私に注意を促した。
彼は大阪市出身。高校卒業後、大学進学も決まっていたが、3月にアルバイトをした相撲茶屋で親方から声をかけられ、急遽入門が決まった。もともと相撲が大好きだったらしい。
「その頃、大学を出ても就職がない、と言われていたんです。だったら四年間、親元を離れて、東京で好きな相撲をやってみよう、いいや、思い切っちゃえ! という感じです」
当時85キロだった体重も、今では130キロに増えている。
「相撲をやってなければ、今頃はただの小太りなヤツです」
とろけるような笑顔で大翔鶴は笑った。相撲好きの彼の楽しみは「相撲をイメージすること」だった。土俵に上がる前に、「こうやって勝つ」と取り組みを頭の中でイメージするのが何より楽しいらしい。
「大抵、イメージは外れますけどね」
彼は親方からいつも「考えるな!」と叱られている。立ち合いの際も、どうやって立つかと考え込んでしまうのである。彼はこれまで実際に人を殴ったこともなければ、キレたこともないという。
ちなみに「相撲が好き」というのは相撲用語だった。『相撲大事典』(前出)によると、その意味は、
「得意の組み手になっても勝負に出ず、じっくりと相撲を取ったり勝負を決めるまでの時間が長くなりがちな相撲をいう」
相撲は好き嫌いで取るものではないのである。では、何で取るのだろう。やはり、相撲取りだから相撲を取るのだろうか。
「やっぱり、変わってますかね、自分たち」
大翔鶴が寝そべりながら、私に訊いた。
──変わっているといえば、変わってますよね。
「そうですよね。この世にデブは多けれど、相撲取りは七百人しかいませんものね」
彼がそう言うと、隣で追風藤が計算機を叩き始めた。そして、「1億5000万人中700人ということは、20万人に1人ということになります」と報告した。
──やっぱり、統計的にも変わっているね。
私が感心すると、大翔鶴が微笑んだ。
「そうですよね。ただのデブじゃない。自分たちには丁髷というオプションもついてますもんね」
相撲取り本人から見ても「変わっている」相撲。部屋を見学することで、私は相撲というものがますます説明できなくなったのである。
※ 力士の番付は取材時のものです。
次回更新予定日 7月28日
