Web草思
駅前の空はだれのものか 小林信也
第16回 工事事務所長が描くストーリー
 着工を目前に控えて、市民の間では『工事協定』の締結を急ぐ動きが始まった。
 高さの見直しを求めて運動してきた『考える市民の会』とは別に、『武蔵野三鷹駅北口の環境を考える会』が新たに発足した。会長は超高層が建つ中町一丁目に在住の山脇貞司さん(静岡大学名誉教授)。
 10月10日に設定された着工前に事業主と協定を結ぼうと、大急ぎで会の骨子をまとめ、9月30日には発足総会を開いた。翌日から、会長自ら周辺の商店を精力的に訪問するなどして、高さの見直しには無関心だった周辺住民、あるいは超高層マンション建設に賛成している商店主たちとも一体になるべく、動き始めた。山脇会長自ら起草した会の規約に書かれているとおり、『環境を考える会』の目的の第一は、周辺住民の立場を尊重した工事協定の締結で、工事中の生活環境や安全を守ること。第二は、将来も含めた三鷹北口の環境を考え、関係する住民や商店会が一丸となること。
 僕自身の中には、工事協定の締結への強い気持ちがわき起こって来なかった。
 「着工は決まってしまったのだから、もう次の対策に動くしかない」
 それも正論だろうが、僕はまだ、103.7mのツインタワーが本当に建ってしまうことを受け容れ切れていない。大人の世界が、これまで連載に書いてきたような欺瞞にあふれ、普通の尺度で判断すれば「ウソ」「ごまかし」としか言いようのない強引なやり方がまかり通っている現実に、呆然としている。子どもの教育行政を司り、健全な社会を実現する立場の市長、市役所本体がこのような基本姿勢では、世の中が荒廃するのは火を見るより明らかだ。これが日本じゅうに蔓延する共通の実態、体質なのだろうか。前途に深い絶望を感じて、僕は打ちひしがれた。
 それでも超高層マンションが二棟も建つ。その現実は受け容れるしかない……。
 10月10日、南棟の工事が着工。三鷹駅北口ではついに工事の音が響き始めた。いよいよ103.7mのツインタワーがその姿を着々と現わす工程へと突入した。

あなた方に協定を結ぶ資格があるのか

 工事協定を求める『環境を考える会』と野村不動産ら事業主との第1回交渉は、気分の悪いものだったらしい。
 野村不動産の担当者は、考える市民の会とあまり顔ぶれの変わらない新たな会が、相変わらず超高層ビルの建設そのものに反対する目的ではないか、周辺住民を代表して工事協定を結ぶ資格の持ち主なのかと、そこをまず突いてきたらしい。
 頭を切り換えることのできない僕のような人間は、その交渉の席を遠慮している。それでも、僕が会に関わっていることも問題にしたらしい。
 彼らは、市の承認が得られたことですべてが肯定されたとみなし、それに異議を投げかけていた我々をまるで犯罪者扱いするかの態度だ。
 『考える市民の会』の代表で、今回も最初は固辞しながら副会長に推され使命感に燃えて引き受けた河原雅子さんは、こうしたやりとりに激しい憤りを覚え、泣きながら訴え、席を立ったという。
 事業主は相変わらず、住民の気持ちなど無視して、自分たちの目的だけを果たそうと突き進む。ますます空しい思いが広がる。しかし一方で、工事は着実に進む。これから2年半、毎日忌々しい思いで工事の槌音を聞くのは耐えられない。
 工事協定の締結に僕がさほど熱心になれないのは、もうひとつ理由があるからだと、何となく気がついた。
 超高層ビルとは比較にならないが、自分自身が文章という〈ものづくり〉に携わっている。職人としての誇り、使命感を強く抱いて日々仕事に携わっている。商売人の思いは正直よくわからない。だが、職人さんには、それがどんな業種であろうと、理屈抜きにシンパシーを覚える。職人さんは、決してごまかしの利かない世界に生きている。そう感じるからだ。
 着工が決まって、この連載もあとわずかで終了することが決まった。論理的に考えれば、最後にもう一度事業主に取材を求める、市役所の担当者に取材する、市長に改めてインタビューを求める、等々、ジャーナリストならすべきことがあるだろう。怒りをこらえて、如才ない笑顔を浮かべて彼らの懐に飛び込むことも、必要だろう。だが、どうしてもそれをする気持ちになれなかった。
 たった一箇所、僕が足を運ぶ気持ちになれたのは、現場の工事事務所だった。着工の翌日、僕の事務所があるビルの二軒となりに開設された工事事務所を訪ねると、甲角敏弘所長はあいにく打合せ中だった。甲角さんは、2月5日の事前説明会のときからずっと、事業主と一緒に、説明のテーブルに着いていた人である。事業主から発注されて、工事を請け負う三井住友建設の工事事務所長。平たく言えば、現場の監督さんだ。夕方になって、打合せを終えた甲角所長が僕の事務所を訪ねてくれた。

「超高層を受け持てるのは、うれしい」

 甲角所長は、高校を卒業した昭和48年に三井住友建設(当時は三井建設)に入社。以来、ひと筋にこの道を歩いてきたという。
 「最初に所長をやらせてもらったのは、王子の現場でした。15階建て、全部で400戸の公団住宅。駅で言えば東十条に近い場所です。いまでも近くを車で通ると、『お、まだあるある』って、思わず見てしまいます」
 若い所長は、現場の職人さんたちの不満を一手に引き受ける役回りでもある。当時はかなり厳しい風当たりの中で鍛えられたという。
 「気の荒い人もいますからね、大工さんにげんのうを持って追いかけられたこともあります」
 会社の中で、甲角さんが一目置かれる存在になったのは、平成元年。バブル経済の絶頂で、日本じゅうで建築ラッシュが起こっていたころ。
 「仙台郊外のショッピングセンターを10カ月の大突貫で造る工事でした。うちの会社でも前例がないほど工期のない現場。これを何とか完成させて、すぐ次はさらに規模の大きな物流センターを川崎に造る仕事でした。これも10カ月で。仙台は周囲に何もない、夜中に工事しても文句の出ない環境でしたが、川崎は周囲に住居もある。無理ができない中での工事でしたから大変でした」
 連続して難しいプロジェクトを遂行した甲角所長は5年前、メディアにも大きく取り上げられた建物も担当した。
 「南麻布の、一番高い部屋は12億5千万円で売り出された超高級マンションをやりました。六本木ヒルズのすぐ隣り。ほとんどの部屋が4億から5億。全部で119戸、10階建てのマンションでした」
 こうした実績を聞くだけで、甲角所長が、今回のツインタワーの工事事務所長に選ばれた理由がよくわかった。しかも、
 「その南麻布の事業主が、野村不動産さんだったんです。その仕事ぶりに満足して頂けたのでしょうか。今回、三鷹北口に超高層を建てるにあたって、甲角はどうかと、打診していただいたようです」
 甲角所長自身、超高層を建てることにどんな思いがあるのか。
 「超高層は、魅力があります。もちろん、建ててみたい。張り合いがあります。でもいまは、責任の重さ、いろいろな重圧が大きいので緊張しています。私は、事前の説明会からずっと、周辺の住民の皆さんと顔を合わせる機会には全部出席して、じっと皆さんの声を聞かせていただいていましたから。これからそれに対応していく重圧はすごく感じています」
 正直に、甲角さんは心の内を話してくれた。「超高層には魅力がある」ときっぱり言う甲角さんに、僕が心を許せる気持ちになるのは矛盾と思われるかもしれない。だが、素直に語る人の言葉は、素直に心に染み込んでくる。市長とも、役人とも、事業主とも、ほとんどこのような会話はできなかった。

「当たり前に建てたら意味がない」

 ものづくりに懸ける様々な話は、知らないながらも魅力的だった。気がつくと会話は2時間を超えていた。窓の外はすっかり夜のとばりに包まれている。最後に甲角所長はこんな風に話してくれた。
 「超高層を普通に建てても意味がありません。私が所長を務める以上、私のやり方で独自の取り組みをする。自分の中で、もうストーリーはできています。うちの会社では所長をプロジェクト・マネジャーと呼ぶのですが、工事全体のビジョンを私が作ります。どんな工法で建てるのか、そのためにどんなスタッフを選ぶのか。今回は『音を出さない』『震動をさせない』『埃を出さない』、そのための工法を選びました。プレキャスト工法といって、柱や梁は工場でPC化して(事前に造り上げて)持ってくる。地下を掘ったら、先に床を造りますから、外からは地下の穴も見えない。その中で地下の作業をしますから、音も聞こえにくい。床の上で作業する重機の音はもちろんしますが、皆さんが想像されているような、ガシャーンガシャーンと鉄杭を打つような騒音はこの現場では出しません。駅のすぐ前、近くにお店も住宅もある地域ですから、十分に配慮した工事をやります」
 自信と責任にあふれた表情で甲角さんは言った。その眼差しには、机の上で作業してきた人にはない、真っ直ぐな意志の強さがにじんでいた。理屈の通用しない職人さんたちと、日々共同作業を重ねてきた人の温もり。
 「工事に携わるのはほとんど外注の人たちです。たくさんいる職人さんたちに、できるだけこまめに声をかけて、意欲を持って仕事をしてもらえるよう気を配っています」
 これまでもう数え切れないほど、甲角さんとは相対してきた。住民たちの感情的な言葉を、甲角所長はじっと無言で聞き続けていた。そのたび僕らは、不毛な思い、常にはぐらかされ、発展のない空しさに打ちひしがれてきた。しかし、
 (それが決して、無駄ではなかったのかもしれない)
 かすかな希望を覚えた。思えば、超高層マンションの建設に激しい違和感、言葉に尽くせない憤りを覚えたのは、単にその高さのためだけではなかった。事前の説明会で発表されたビルの概要が、あまりにも陳腐で、プロフェッショナルな仕事と思えなかった。野村不動産の担当者は言った。
 「1、2階にはスーパーマーケット。3、4階にはスポーツジム。5階は医療モール」
 「中央線沿線、ほとんどの駅で超高層が建つか、計画があります」
 武蔵野らしさなどかけらもない。この土地に独自のものを建てようとの情熱もなければ〈ものづくり〉に懸ける志もない。武蔵野という土地に対する敬意も愛情も、謙虚さもない。そういう強引さ、次元の低さが許せなかった。市長も市の役人にもそれが感じられなかった。
 工事事務所長は、はっきりとプロフェッショナルの誇りと気概を語ってくれた。超高層は建ってしまうけれど、工事の面ではかすかにわだかまりが消え始めた気がした。
 工事用地と周辺道路を隔てる高いフェンスに、周辺住民に要望された騒音計と震動計が設置された。1秒ごとに刻々と変わる赤い数字は、掘削機がわずかに1台稼働し音を立て始めただけで65デシベルを超えた。基準値である80デシベルを突破するのは、超高層の建築が本格化すれば時間の問題だろうと予想される。それをどう解消するのか。甲角所長の描くストーリー、その職人技を見せてもらうことがちょっと楽しみだと思う気持ちが、駅前の新しいビルの工事を何とか歓迎したいと願う僕の中に、芽生えた……。

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