Web草思
駅前の空はだれのものか 小林信也
第13回 市民の「良識」は届くのか
 邑上市長は、「8月23日の建設委員会で陳情が不採択になれば、事業主から出されている事業計画承認審査願を決裁(承認)する」と、8月1日のタウンミーティングで明言した。
 2月初めに事前説明会で建築計画が発表されて以来、一貫して高さの見直しを求めてきた市民有志は、いよいよ土俵際に詰め寄られた。
 8月5日、『考える市民の会』の中心メンバーは、河原雅子代表の自宅に集まり、大詰めの活動をどう展開するか、話し合った。
 「市も事業主も、高さに関する説明を一切してないんだからね」
 「そうよ。『高さは変えられない』の一点張り。本当はもっと高い物も建てられるって。それしか言わないんだもの」
 河原夫妻の会話が、端的に市と事業主の姿勢を表している。考える市民の会がいくら高さの見直しを求めても、高さについては、その理由すら示していない。
 「要するに我々はなめられているんだよ」
 Nさんが、捨て鉢に言った。
 悲観的なその声には取り合わず、途中から活動に加わったYさんが言った。
 「今からでもポスターを貼りましょうよ」
 「絶対貼るべきだね」
 Sさんが賛同した。しかし、次の声が続かない。重苦しい空気を破るようにNさんがきっぱり否定した。
 「今さらもう遅いよ。やるなら最初にのぼりを立てるべきだった」
 じっと聞いていた河原さんのご主人(透さん)が、おもむろに口を開いた。
 「違法なポスターを貼るくらいなら、私はデモをやった方がいいと思う」
 「人数が集まるかしら」
 すかさず、会の代表者である河原さんの奥さんが首を傾げてつぶやいた。
 「人数なんて、我々だけでもいいんだよ」
 ご主人は毅然と顎をあげたが、デモに賛成する声もまた上がらなかった。
 結局、考える市民の会では、残された約2週間で次のことをやろうと合意した。

1 建設委員である6名の市議に直接面談を申し入れ、これまでの経緯や、いまわかっている超高層建築の問題点などを伝える。
2 考える会が発行するチラシを作って、駅前周辺地区、できるだけ多くの家庭にポスティングする。
キる。

イギリスでは超高層住宅が禁止になった

 3日後にはチラシを作り終え、有志の約10人が手分けしてポスティングを始めた。猛暑の中、5千部近くを各戸に配布した。そのチラシには、超高層ビルが建った際にどう見えるかの想定写真や、すっかり「データ発掘の鬼」となった河原透さんが新たに見つけた国際的な事実も紹介されていた。それは、
 〈イギリスでは、超高層住宅に住む子どもたちの非行が調査の結果明らかになり、超高層マンションの建築が禁止され、立て替えも進められている〉
 という情報だ。市も事業主も、この計画を建築法規の面からしか検証していない。考える市民の会は一貫して、「超高層マンションは単に武蔵野市の景観や環境を破壊するだけでなく、住む人や街の心を破壊するものだ」と訴えてきた。イギリスの事例は、まさにそれを具体的に裏付けるものだ。
 駅前のツインタワー計画は、建築にとどまらず、教育問題でもあり、老人福祉にも関連する。
 超高層マンションを、建築法規の観点からしか検証せず強行すれば、それこそ武蔵野市のレベルの低さを象徴することになる。イギリスでは超高層マンションが禁止になった、そんな重大な情報に触れて、
 (それは本当か)
 (すぐ事実を確認し、精神科医や心理学者、教育の専門家たちと一緒に検討すべきじゃないか)
 そう考えるのが、市長や市の役人なら当然ではないだろうか。それを平然と無視する神経はまったくわからない。鈍感というのか、この問題はとにかく「速やかに強行」という大方針を崩す気持ちがないのか、市長も役人も事業主も、一切市民の声に反応しない。

高さをある程度、妥協するか否か

 考える市民の会は、3日後に3回目のあっせんも控えていた。この会議にどんな方針で臨むかも、メンバー間でいつになく激しい議論が交わされた。
 「あいつらさ、今回で打ち切りにしようと決めているに違いないんだ」
 Nさんが言った。それは誰もが危惧している。河原透さんが投げかけた。
 「何とか調停に持っていく方法を考えたいんですけど」
 「無理でしょう。市はまったくその気がないからね」
 Nさんの答えはおそらく現実を的確に言い当てている。
 大学の名誉教授で法律の専門家であるYさんが毅然とした調子で発言した。
 「紛争予防条例の条文を読むとね、第8条の3に、〈市長は、当事者間をあっせんし、双方の主張の要点を確かめ、紛争が解決されるよう努めなければならない。〉と書いてある。その努力をしないのは条例違反ですよ」
 本来は、市が積極的に調停をしなければならない。だが、調停役の役人が、建築審査会で精魂こめて事業推進のプレゼンをする姿を見ている面々には、もはやその正論を市にぶつけて受け入れられるという暢気な希望は抱けなかった。
 武蔵野市は暗黒政治みたいな体制になっちゃっている。市民の声なんて、強引に抹殺されて終わりなのだ……。空しさが広がる。条例の9条、10条は次のように続いている。

(あっせんの打ち切り)
第9条 市長は、当該紛争について、あっせんによっては紛争の解決の見込みがないと認めるときは、あっせんを打ち切ることができる。
(調停)
第10条 市長は、前条の規定によりあっせんを打ち切った場合において、必要があると認めるときは、当事者に対し、調停に移行するよう勧告することができる。
2 市長は、前項に規定する勧告をした場合において、当事者の双方がその勧告を受諾したときは、調停を行う。
3 市長は、前項の規定にかかわらず、当事者の一方が第1項に規定する勧告を受諾した場合において、相当な理由があると認めるときは、調停を行うことができる。
4 市長は、調停を行うに当たって必要があると認めるときは、調停案を作成し、当事者に対し、期間を定めてその受諾を勧告することができる。

 市長にやる気さえあれば、調停への移行は可能だ。そして、何らかの妥協案を示して、双方に歩み寄りを促すことができる。しかし今回、これまでの市長や役人の発言から察して、市が積極的に調停に乗り出す見込みは皆無だった。完全に事業主を支持する態度を明確にしているのだ。
 「それよりさ」
 Nさんがまた声を上げた。
 「この期に及んでまだ我々は『周辺と同程度の高さ』にこだわるのかどうか。もしそれを主張し続けたら、間違いなくあっせんは打ち切られますよ」
 これもみんなが考えているところだ。Nさんが続けた。
 「どうせならさ、せめて南口のクレセントタワーと同程度の21階建てとかね。少しでも低くしてもらいたいよ。せっかくここまで運動して来たんだしさ。成果ゼロってのは淋しいよね。ただ、それをこっちから言い出すかどうか」
 「今さら、私たちの方からそんなこと、言えませんよ」、河原雅子代表が即座に声を上げた。「こっちは『周辺の建物と同程度の高さ』を要望して、事業主は103mをガンとして譲らない。妥協案を出すのは市役所の役目じゃないんですか」
 「でもさ、妥協案が出たら応じるつもりがあるという意思表示くらいはしてもいいんじゃないの」
 Nさんの言ったことは、多くのメンバーが心の中に抱える気持ちでもあった。せめて何メートルかでも事業主が高さの変更に応じてくれれば、どれだけ気持ちが晴れるだろう。
 かつて高層ビルを建てる側の責任者だったSさんが言った。
 「それくらい、できるんですよ。全体の容積を確保すればいいんだから。ちょっと建物が太くなるけどね。でもまあ、100mを越えるって、そこにこだわっているんだろうね。宣伝もしやすいし、売りやすいからね」
 陳情を提出するときも、そこは議論された。「少しでも低くするよう指導してほしい」とする案もあったが、それでは提案の根拠がない。それで「周辺と同程度」とする方針に集約されたのだ。
 市に真っ直ぐ市民の声を伝える。いかなる政党ともプロ的な市民運動とも関わらない。この問題への怒りで集まった考える市民の会は、その真っ直ぐさで勝負する。それが通用しない、受け入れられないなら、武蔵野市の政治や行政はよほど独善的で住民無視。まさかそんなことはないだろうと高をくくっていた。だが現実の手応えは、その「まさか」の方だった。

偽証と不遜を繰り返す事業主

 あっせんの会議は、またしても不毛だった。
 今回は、考える市民の会が提案した『地球温暖化の防止に配慮したエコロジーなマンション』に関してと、同じく会が質問した『東京都景観条例の改正に関連する事業主の社会的責任について』の回答が主な議題と予定されていた。
 エコロジーに関しては、河原さんが提案した根本的な哲学を建築計画に盛り込むものでなく、「使用する素材を環境に配慮したものにする」といった程度のレベルだった。設計担当者の回答のあと、補足的に伊藤和高副部長が微笑しながらこう言った。
 「実は社内的にコストの面で採用してもらえなかった素材があったのですが、今回のあっせんでご指摘いただいたことで社内的に認めてもらえた素材もあって、みなさんには感謝しています」
 なんという発言だろう。あっせんの席での提案が、彼らに便利に利用されている。しかもそれを恥ずかしげもなく伝えてくる神経。
 前回のあっせんの席で、「東京都景観条例の改正は知らなかった」と平然と言った野村不動産のK課長が、今度は「改正が見えておりましたので」とまったく逆の科白をこれまた平然と言った。
 問い質すと、「詳しくは知らなかったと言っただけです」、惚けた顔で言ってのけた。
 「それは違うでしょう。改正の事実そのものを知らなかったという言い方でした。いくら何でも不誠実です」
 声を上げずにはいられなかった。平気でウソをつく。それを市が容認する。とんでもない茶番があっせんという公式な席でも展開されている。
 山脇さんが、8条に関して市の担当者に質した。
 「努めなければならない、とあります。なぜ調停案を示してもらえないんですか」
 正論だと思うが、市の担当者は、「それはできません。あっせんはそういうものではありません」と繰り返すばかりだった。
 事業主は、3回目のあっせんの席でも、ついに103メートルの根拠はひと言も語らなかった。譲歩する姿勢は微塵も見せなかった。
 一体、何のためのあっせんだったのか。少なくとも双方が望んで3回もテーブルに着いたのだ。一切応じないのであれば、あっせんに応じる必要そのものがない。
 3回もあっせんの会議に応じた、それは事業主が「誠意ある対応をした証拠」を残すためのパフォーマンスだったのか。だとすれば、考える市民の会は証拠づくりに使われたにすぎない。
 8月20日の週を迎えて、事態は風雲急を告げる様相になった。市からは正式に「あっせん打ち切り」の報せが届いた。
 河原雅子さんはじめ中心メンバーは、お盆休みが明けてようやく面談のアポイントが取れた建設委員たちと精力的に会った。
 田中節男(自由民主クラブ)、やすえ清治(自由民主クラブ)。桜井和実(会派に属さない議員)。松本清治(民主党・無所属クラブ)。橋本しげき(日本共産党武蔵野市議団)。委員ではないが、山本あつし市議(市民の党)も自分から連絡を取ってくれて、会談した。委員の中では、桑津昇太郎市議(市議会市民クラブ)にだけ会えなかった。
 21日(火)には、開示請求していた『三鷹北口開発計画調査検討委員会』の議事録が河原さんの手元に届いた。第1回は平成16年9月9日。河原さんから、怒りの電話が入った。
 「これを読んだら、もう3年も前から武蔵野市が103mを認めていたのがわかります。それなのに、邑上市長はタウンミーティングでも、『これから市民の皆様の声をしっかりと聞いて』だなんて、よくそんな白々しいことが言えたものだと思います。私たち市民は完全にバカにされていたんです」

草思社