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駅前の空はだれのものか 小林信也
第8回 紛争調整の申し出
 市民と市長のタウンミーティング、後半に入っても超高層マンション問題は「いろいろ意見が出るだろうから」と後回しにされ、他のテーマが先に質疑されたお陰で、話をほとんどしないうち終了時間になってしまった。
 「ここは何時まで使えますか?」
 市長がコミセンの担当者に尋ねた。
 「最高9時半まで。片付けもありますので」「じゃあ9時半までやりましょう。あと20分くらいありますので」
 これが邑上市長の見せた、この日最大の誠意だった。参加者から様々な質問や意見が出たが、邑上市長は飄々と答えるだけで、何ら市民の気持ちを受け止め、何かを実感しようという姿勢は感じられなかった。業を煮やして、『考える市民の会』代表の河原雅子さんが立ち上がって訴えた。
 「考える会の代表としてお願いがあります。この問題は、武蔵野市の環境が壊れるかどうかの問題だと思います。私たちの意見を採り入れてくださって高さを低くする考えをお持ちいただければ、私たちも市長さんの与党となって応援しますので、政治生命をかけて守ってください。市長さんは真剣に考えてらっしゃらない! もう少し真剣に考えてください。ご自分のお家の横に100メートルが建ったらどうお考えですか!」
 そして、三鷹北口ツインタワーに関して、市長と市民が語り合う会の開催を強く求めた。
 しかし、市長はそれを頑なに拒み続けた。その姿勢に参加者はさらに苛立ちを募らせ、市長に疑問や意見をぶつけた。
 「これだけ意見とか要望が出ている中で決定を下すというのは、ちょっと拙速すぎるんじゃないかと思うんですね。出来上がってから、何故あんなものを作ったんだとならないように、みんなが納得できるプロセスを経てやるべきじゃないかと思います」
 そうした意見の数々にも市長は頑なな姿勢を崩さなかった。河原雅子さんが、最後は涙と憤りのまじった震える声でもう一度訴えた。
 「私、500名の署名を集めました。500名の市民が高さを低くしてほしいとおっしゃっているんですから、市長さんもそれくらいなさってください。お願いします。私たちが場所を用意してもいいですから。市長さんと市役所の方、今日初めてですよ、みんなの前でこの話をしたのは。真剣に考えてください、本当に、お願いします」
 市長が渋々答えた。
 「この地域の大きな問題はやはりツインタワー問題だと、私も認識してまいりました。結果どうなるか保証もできませんが、(会を開くことを)検討しましょう。高さの変更は保証できないこと、それ前提ですよ。(会を)開いたからといって高さを下げるぞ、ということにはならないかもしれないので」
 わざわざそこまで市民に念を押した上で、ようやく市長は会の開催を承諾した。
 タウンミーティングの後、考える会のメンバーは一様に失望と虚無感に襲われていた。
 市長が会の意向に賛同を表明し、事業主に計画見直しの指導をしてさえくれれば、大きく展開が変わると、誰もが淡い期待を抱いていたのだ。しかし「市民の声を市政に活かす」と公約して市長に当選した邑上市長が、市民の声に何ら心を開こうとしなかった。ましてや、都市プランナーという肩書きに寄せていた期待は何だったのか。
 「都市プランナーって、結局、デベロッパーと同じ側の人間だったってことだね」
 誰かが呆れた声で言った。その言葉にみんなが力なくうなずいた。
 「邑上市長は、103メートルのビルを建てたいんだよ。景観を守る都市プランナーじゃなくて、超高層を立派な建物だと思っている都市プランナーだったとはね」
 「邑上タワーって呼んでやろうか」
 「だめ、そしたらきっと喜ぶよ。こっちはバカにしてるのにさ」
 片付けが始まった会場で、その日発言した参加者と会話を交わしているとき、荒々しい声に驚いて、思わず振り向いた。
 「メディアがそうやって煽るから」
 見ると荒げた声の主は邑上市長だった。コメントを求めた読売新聞の若い女性記者を上から見下ろすような格好で、邑上市長がさらに何か、責めるような調子で記者をしかり続けている。さっきまで、市民のどんな質問にも終始感情を抑え、決して心のひだを見せなかった邑上市長の、違う一面を垣間見た。
 それにしても、「メディアが煽る」という言い方には引っかかった。報道によって、市民に広くこの問題が知れ渡り、関心を持たれるのが困るような言い方ではないか。

事業主に異議を申し出る

 邑上市長が、市民の声に触れて考えを改め、事業主に変更を求める可能性を期待するのは、この時点ではかなり難しそうに思えた。
 翌日から、考える会のメンバーたちはそれぞれで別の打開策を模索し始めた。いまできることを、いまできる限りやるしかない。
 事業主は、連休明けにも『事業計画承認審査願書』を市に提出する運びだという。
 (これが市に承認されてしまえば終わりだ)
 無言の重圧が、のしかかる。
 5月2日、考える会は二回目の会合を開いた。それぞれが、いろいろな資料を調べ、アイディアを持ち寄った。議論の末に、いくつかの行動方針が確認された。
 ひとつは、署名運動を引き続き展開し、市長や市議、市の担当者が「超高層マンションに反対しているのが決して一部の市民でない事実」を証明すること。そして、
 「市長が味方になってくれないなら、事業主に直接訴えるしかない」
 「説明会でいくら文句を言っても、それは正式な抗議にはならない。我々の反対運動は、まだ非公式な遠吠えにすぎない。きちんと、公の形で、これを表明する必要がある」
 その方針で気持ちは一致した。
 武蔵野市には、『武蔵野市中高層建築物の建築に係る紛争の予防と調整に関する条例』がある。この条例に基づいて、考える会は、『紛争の調整の申出』を市にすると決めたのだ。条例の第8条にこうある。
 第8条 市長は、当事者の双方から紛争の調整の申出があったときは、あっせんを行う。
 2 市長は、前項の規定にかかわらず、当事者の一方から調整の申出があった場合において、相当な理由があると認めるときは、あっせんを行うことができる。
 連休中に書類を作成し、連休明けの5月7日、仕事でどうしても都合のつかない河原雅子代表に代わって、ご主人の河原透さんが市役所の建築指導課に書類を提出した。
 申出の主旨は「建物の高さを周辺の建物と同程度にそろえるよう計画を変更するよう求める」とした。
 建築指導課の担当者は、それが日常業務だから当然といえば当然だが、表情ひとつ変えることなく、淡々と書類を受理した。
 「あっせんに応じるかどうか、事業主に確認します。事業主があっせんに応じた場合には、あっせんの期日を後日お知らせします」
 数日後、「野村不動産が、あっせんに応じた」との知らせとともに、あっせんの日時は「5月17日、午前10時」と伝えられた。あっせんの席に着けるのはそれぞれ5人までだと言う。
 野村不動産があっせんに応じたと聞いて、考える会のメンバーは奮い立った。
 もし事業主が応じなければ、あっせんそのものが成立しない。逃げられたら終わりだ。その意味では、誠意のある事業主と言えるのかもしれなかった。
 そして市長からも、超高層マンションについて語る会を5月15日の夜に開催するとの連絡が来た。場所は、駅から少し離れた、別のコミセンと指定された。
 ともあれ、市長にもう一度訴えるチャンスがもらえた。その二日後には、あっせんの席で事業主と公の対話ができる。考える会のメンバーは、市民運動のシロウトが自発的に始めた活動が、最初の大きなヤマ場を迎えている緊張と武者震いを感じていた。
 果たして、どんな訴えをすれば、状況を打開できるのだろう。少しでも、市長が、事業主が市民の要望に耳を傾け、計画を変更してくれる糸口になるのは何だろう。

市民の思いを証明するアンケート

 この頃から、河原代表のご主人である河原透さんが、猛烈な勢いで武蔵野市役所のホームページを検索し、関係ありそうな議事録や調査結果等々を発掘し始めた。その中には、いくつか有力なデータが眠っていた。
 「面白いものが見つかったんですよ」
 電話を受けて河原さんのアトリエに出向くと、一冊のコピーを、ご主人は含み笑いを浮かべながらテーブルに載せた。表紙には、『武蔵野市の景観に関するアンケート調査結果報告書』とあった。日付は平成18年2月。武蔵野市の企画政策室がまとめた、無作為抽出の市民500人を対象とした調査結果だ。
 「これを見てくださいよ」
 河原透さんが開いたのは、質問6の調査結果だ。
 質問6 武蔵野市の約8割は住居系用途地域で低層住宅中心の町並みですが、あなたが考える武蔵野市の良好な街並みのイメージは、どのようなものですか。
 回答は、「現状の低層住宅中心の街並み」が148人で63.0%。「中高層と低層が調和した街並み」が68人で28.9%。「超高層ビルが存在する近代的な街並み」はわずかに1人、0.4%。
 質問7では、駅周辺の商業地域など高容積率の地域では超高層建築物の建設が可能ですが、どのようにお考えになりますかと訊き、
 「周辺に空間が確保されていれば、一定の高さまで容認」が、66人、28.1%。
 「周辺に空間が充分に確保されなくても、できるだけ低く規制」が、98人、41.7%。
 その数字を確認し、顔を上げたとき、河原透さんは、それまでに見せたことのない満足そうな微笑みを浮かべていた。まさしく、考える会が主張しているとおりの傾向がすでに武蔵野市の調査によって明らかになっている。
 「このアンケートは、あっせんでも大きな根拠になると思うんですよ」
 もうひとつ、5月15日の読売新聞夕刊に載った記事も、会のメンバーに勇気を与えた。
 記事によれば、東京都の景観条例が改正され、今年4月1日に施行された。調べてみると、都の景観施策の中に、「周辺の建築物群と統一感のあるスカイラインとする」とする主旨がはっきり書かれている。
 「もしかして、これが適用されたら」
 「あのビルは建たないはずですが……」
 微かな期待が込み上げてきた。まだはっきりとは確信できない。しかし時代は確実に、「規制緩和で超高層」から「景観保全、防災安全」の方向に流れているのが明らかになった。ささやかではあるが、いくつかの追い風を背に受けて、5月17日午前10時、5人は市役所の会議室に入った。そこにはすでに、野村不動産の伊藤和高副部長をはじめ、いつも説明会で前に並んでいる面々が先に座っていた。向かい合って、考える会の5人も座った。説明会のときよりも、はるかに近い距離で向かい合って、あっせんの会は始まった。

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