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駅前の空はだれのものか 小林信也
第5回 水際の攻防戦
 小学生のころ、ヒーローと言えば長島茂雄と新潟県出身の大関・豊山だった。同時に、心の奥にどっしり存在していたのは田中角栄。時には毎日のようにテレビのニュースに登場する地元選出の田中角栄を見て、
 (自分も将来は政治家になって、世のため人のために働きたい)
 ひそかな憧れを抱いた。その夢は、高校一年の夏、田中角栄首相就任でいよいよ大きくふくらんだ。ところが大学入学で田舎から上京し、都会の大きさに押し潰されそうになりながら懸命に自分探しの日々を送っていた20歳の夏、政治への淡い幻想は砕け散った。ロッキード事件で田中前首相が逮捕されたのだ。じりじり照りつける太陽の下、渋谷のハチ公前で号外を見て呆然とした。
 (政治は正義を貫く舞台じゃないのか。世の中を創るのはもう、政治家じゃない……)

武蔵野市議全員にアンケートを送った

 だから市役所の伊藤保彦課長が、住民の声を伝える方法のひとつとして「市議会への陳情」を挙げたとき、ぼくには市議への期待など正直抱けなかった。市議たちが住民の気持ちをどれだけ受け止めてくれるのか。住民の声が市議を通して活かされた例を実感した経験もない。
 だが取材者として、どのスイッチを押せば何かが動き出すか、問題の核心にたどり着けるかと考えていくうち、いくつか想定される起動スイッチの中で、いま自分が押せるスイッチはこれではないかと直感した。物事は、案外理屈を超えた脈絡で動き出す。市議への期待より、そこから取材が展開するのではないか、大きな渦が生まれる期待を漠然と感じて、武蔵野市議全員(30人)に『三鷹駅北口ツインタワー・ビル』に関するアンケートを送った。
 1・計画に賛成か反対か。2・その理由。3・高層ビルの計画を知ったときどう感じたか。4・市議としてどんな行動や対応を準備しているか。5・市民から「ビルの高さをもっと低くしてほしい」等の声が大きくなったとき、市長や市議会、市役所はどう対応すべきと考えるか。5つの質問にまとめた。
 発信して1時間もしないうち、真っ先に返信をくれたのは、鈴木ありおみ市議だった。
 「反対です」「根本的な計画変更を求めるために動く」。鈴木市議はたしか自民党系だが、法政一高跡地問題で揺れる東町で柔道塾を開いている。それが背景にあるのだろう。
 翌日、〈武蔵野リニューアル〉の三宅えい子市議からメールが届いた。三宅さんとは事業主の説明会のあと言葉を交わしていた。「反対」「住民と行政側が話し合う機会を作ろうと努力している」そして「3月初めの市議会の代表質問で、ツインタワー計画について市長に質問しました」と添えてあった。
 直接電話をくれたのは、〈市民の党〉の山本ひとみ市議。反対の立場で、「できるだけの協力をしたい」との申し出だった。
 そして午後、山下倫一市議会議長から電話が入った。
 「この地域に縁の深い9人の議員で『三鷹北口議員連盟』という超党派の会を作っていてね、高層ビルの問題にはずっと働きかけをしてきたんです。小林さんのアンケートにどう対応しようかと、いまも9人で話したんです。小林信也って誰だってね。僕はほら小林さんがどんな人かよくわかっているから」
 言われて思わず苦笑した。議長は続けた。
 「この問題、選挙の前には回答しにくいんですよ。選挙が終わるまで待ってもらえませんか。三鷹北口議員連盟の9人は、だから選挙前には回答しないということで」
 「はあ」
 「ところで小林さん、焼鳥屋さんで会ったとき話したとおり、僕はこれでけじめをつけます。ちょうど16年やりましたからね」
 少し思索をめぐらせて、それが市議引退の表明だと気がついた。すると今日閉会する本会議が彼の最後になる。胸が騒いで、ぼくはすぐ事務所を飛び出し、市役所に向かった。
 山下議長とは数年前、あることをきっかけに知り合った。実は、三鷹駅北口で選挙の演説に立った山下市議を宣伝カーの下から激しく野次り続けたことがあるのだ。野球場でさえ野次を飛ばさないぼくがそれほど憤りを感じた理由はここでは省くが、それを機に、山下市議とは道ですれ違えば短く言葉を交わす間柄になっていた。

超高層ビルに関して議会はオール与党

 初めて傍聴する市議会は、淡々と運営されていた。最終日のそれも終盤とあって、とくに白熱する議案もなかったのだろう。
 少数会派の女性議員が発言しようとすると、わざと失笑したり、半身になっていかにも小馬鹿にした態度を取る市議がたくさんいた。その退廃的な雰囲気に驚かされた。前向きに社会の施策が創られていく雰囲気は感じられない。正直がっかりした。
 閉会後、議長室に山下議長を訪ねると、三鷹北口議員連盟の長老格である井口良美議員を呼んでくれた。井口市議は、武蔵野市の大地主一族のひとりで、過去に議長も経験しているいわば市議会の重鎮だ。
 井口市議と山下議長ら9人の三鷹北口議員連盟は、地域の住民のために様々な要望をまとめて市に提出した経緯を話してくれた。要望したのは「駐輪場の設置」「公共スペースの提供」「公開空地の確保」「道路拡幅のための用地提供」などだ。「それをふまえて実現したのが今回の計画なんですよ」と言いながらも、選挙でこの問題は争点にしにくい、という気配を色濃く漂わせていた。そういう経緯なら堂々と主張してはどうかと思うが、どうやら現市長と与野党とのねじれ現象があるからだとわかってきた。
 つまりこうだ。駅前の土地は長年の懸案で、自民党系の議員がかねてより積極的に関わってきた。ようやく解決を見る目途がついただけに、このまま決着したい。ましていまや自民党系は野党だ。一方、邑上市長は民主党、共産党ほか、〈武蔵野リニューアル〉などの市民派に支持されている。彼ら与党側もいまのところ、三鷹北口超高層マンションには反対ではないらしい。ここは寝た子を起こしたくない、という思惑が浮かんで見えた。どうやらこの問題に関しては、自民、公明、民主、共産、ほとんどの党が賛成する、オール与党的な状況になっているのだ。

『考える市民の会』が発足

 翌日、三宅えい子議員が、同じ〈武蔵野リニューアル〉の大野まさき市議らとともに事務所を訪ねてくれた。
 民主党の川名ゆうじ市議からは、賛成か反対か「どちらとも言えない」との回答があった。「基本的に、民間の計画であること。武蔵野市には、まちづくり条例、景観条例など開発についての理念や方向性の根拠がないこと。遅れているため、何がよいのかの指標がないためです」。あなたの考えはどうなのかと訊いているのだが、その答えはなかった。
 「これまでの市政のツケが出ている問題です。責任者は現市長ですが、今まで動いてこなかった議会にも責任がありますし、そのような市政を許していた有権者も考える必要があると思います」
 まるで他人事の回答だ。市長と議会、おまけに有権者にまで責任をなすりつけている。その評論家的な姿勢に呆れた。市議でありながら、行動する姿勢が感じられない。
 日本共産党の本間まさよ市議、向谷千鳥市議からは、「反対」の回答が届いた。
 それ以外の議員からは回答がなかった。北口議員連盟の9人を合わせて回答は16名。うち反対が6名。どちらとも言えないが1名という結果だった。
 目前に迫っている市議選(4月22日)では、案の定、「103メートル」は争点にならなかった。選挙公約を伝えるチラシで超高層マンションに言及している候補者はわずか3、4人。その中で、三鷹北口議員連盟に所属する自民党のやすえ清司市議は『「三鷹北口開発」に全力 地域の要望を建設計画に反映させる』との見出しで、「私たちの要望の全てが計画に反映される事になりました」と高らかに書いていた。あれだけ熱心に反対している三宅えい子市議でさえ、邑上市長を支持する与党の立場があるためか、選挙ではこの問題に言及しないスタンスを取っていた。

 市議会が選挙戦に突入し、103メートルどころじゃない、という雰囲気に包まれている頃、住民たちの不安どおり、事業主はその間隙を縫うかのように、着々と事務手続きを進める気配を窺わせた。次の説明会は選挙直前の4月20日に開くとのビラが配布された。
 住民たちはいよいよまとまって行動する必要を感じ始めた。説明会で知り合った人たちが声をかけ合い、『三鷹北口超高層マンションを考える市民の会』が結成された。中心になったのは、河原雅子さん。自宅で帽子とカバンの手作り工房を開いているご婦人だ。
 「私は夜、部屋の窓から満月を眺めるのが好きなんです。超高層マンションに遮られて、月が見えなくなると思うと、悔しくて夜も眠れないんです」
 『考える市民の会』は4月13日に集まり、「高さの変更を求めて市議会に陳情をする。そのための署名を集める」ことを決めた。そして「この会は、特定のどの政党にも会派にも市民運動団体にも深くかかわらず、三鷹北口超高層マンション建設に異議を感じる人たちの素朴な会であること」を確認し合った。
 
「陳情は自動的にないことに──」

 考える市民の会に賛同する人々が寄せてくる情報や言質を総合すると、どうやら事業主は、20日の説明会で周辺住民への説明を済ませ、連休明けにも事業計画承認審査願書を提出。早ければ5月16日(水)の審査会で承認される運びではないかと会は懸念した。ひとたび承認され、市長が決済印を押してしまえば、これをくつがえすのは一層困難だ。
 「何とかこの承認の前に、できる手は打っておきましょう」
 こうして4月20日の朝、考える市民の会代表の河原雅子さんが周囲にひと声かけただけで、わずか一日のうちに84名の署名が集まった。それを携え、河原さんは市役所を訪ね、市議会事務局に陳情書を手渡した。
 「次の市議会本会議が開かれるのが6月ですから、それ以前にこの計画が承認されてしまった場合、この陳情は自動的にないものになってしまいますが、よろしいですか」
 担当職員が事務的に河原さんに訊ねた。
 「陳情が出ているのに、市はそれを無視して承認を進めるんでしょうか」
 河原さんは当然の反問をした。担当職員は「それはこちらでは何とも申し上げられません」と、心底申し訳なさそうに、規定どおりの回答を繰り返した。
 「そんな市民をバカにするようなこと、武蔵野市がなさるわけありませんよね」
 穏やかだが、毅然とした口調で河原さんが訴えた。陳情や署名が、無駄な努力に終わるのかもしれない……。いや無駄に終わるはずがない。市の良識と、自分たちの未来を強く信じるかのように、河原さんは真っ直ぐな眼差しで職員を見つめ続けた。

肩書き・再開発プランナー

 その夜、3回目の〈正式な〉説明会が開かれた。
 質疑応答の中で、改めて「高さの変更を求める」声があがった。しかし、説明の中心に立つ伊藤和高副部長(野村不動産)は、従来の説明会でもそうだったように、
 「建物の高さについては変更する予定はありません。このままの計画で建築したいと考えています」
 その一点張りで、とりつく島がない。
 僕は挙手をし、質問した。
 「最初の説明会の時に『武蔵野市がいま作っているまちづくり条例ができたら、こんな超高層ビルは建たないぞ』と指摘した市民がおられました。そのまちづくり条例策定委員会の議事録をネットで見ていたら、策定委員の中に〈伊藤和高〉という名前があったんです。あれは伊藤さんですよね?」
 正面中央に座る伊藤和高氏が、黙って肯いた。会場全体から、ざわめきが起こった。
 まちづくり条例とは、現在ある指導要綱や都市マスタープランの中核をなす市の理念を強制力のある条例にまとめて、まちづくりの規制を強化する目的で検討されているものだ。そこでどんな議論がされているのか、高さ制限は定めるのか、市役所ホームページにある議事録を見ていてそれに気づいたのだ。
 委員の名簿には、大学教授なら「成蹊大学法学部」と、具体的な所属が併記してある。伊藤氏の肩書きは〈再開発プランナー〉とだけあり、社名はなかった。それを指摘し、何かごまかすような印象があると水を向けた。すると伊藤副部長は色をなして答えた。
 「条例の制定委員の肩書きの所に野村不動産の名前を広告のように出すことは私としては出来ないんじゃないかなと思いまして、再開発プランナーということでお話しさせていただいております。私は一回目の会合の時に『再開発プランナーとして出ておりますが、民間事業者の代表として野村不動産に所属しております』とちゃんと申し上げております。ですので、先ほどの詭弁ないしは隠している(と言われたこと)については反論させていただきたいと思います」
 今度は住民の間から、失笑と非難の声が同時に上がった。

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