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駅前の空はだれのものか 小林信也
第4回 ついに正式な標識が掲示された
 「あれが出たら一気呵成です。ご覧になったでしょう? これで業者は、着工に向けて突き進むでしょう」
 説明会で知り合ったひとりの男性(N氏)を訪ねると、さばさばした調子で言った。
 「三鷹北口に超高層が建つのは絶対反対です。でも現実には、高さの変更は難しいでしょうな。ここまで進んだら、まず無理でしょう」
 ツインタワー建設予定地のフェンスに『建築計画のお知らせ』と題する標識が設置された。3月7日、野村不動産を幹事社とする事業主は、武蔵野市に『事前協議書』を提出、この標識を掲げたのだ。
 N氏は数年前に仕事をリタイアし、いまは建設予定地のすぐ北側に建つクリオレミントンハウスに、文化人として活躍中の奥様と居を構え、悠々と趣味を楽しむ生活を送っている。南向きにベランダが広がる富士山方向の見晴らしは、ツインタワーによって完全に閉ざされる。景色も日照も奪われる。切実に生活環境が変わる当事者だけに、怒りや落胆は一般市民の比ではないだろう。だが、逆に自分の気持ちを早く整理しようとする意識も働いてか、クールな調子でこうも言った。
 「私は建設関係ではありませんが、多少、開発プロジェクトに関わった経験もあるので、建設業界の事情はよくわかっています。あの看板が出たら、もう計画は動かせませんよ」
 標識が出たことで、一種の敗北感が住民たちの心をおおった。
 説明会で多くの住民がかわるがわる「高さの変更」を求めても、事業主は聞き入れようとしない。他の細かな要望には前向きに対応するが、高さとなると、
 「建物の基本的な構造につきましては、変更する予定はありません。このままの計画で進めさせていただきたいと考えております」
 説明の中心に立つ野村不動産の住宅カンパニー事業四部・伊藤和高副部長が繰り返しそう回答するにとどまっている。言い方こそ丁寧だが、まったく要望を聞き入れる余地のない態度に、多くの住民が苛立ちを募らせている。市の指導要綱に則って「説明会をやった」という事実だけ重ね、淡々と手続きを進める。そういう姿勢がこれで明らかになった。
 「周辺の住民が建築計画を知らされたのは、2月5日ですよ。なのに『その時点で異議を唱えても、もう遅い』と言われたら、住民はいつ反対したらいいんですか?」
 N氏に訊ねる。N氏は渋い顔で答えた。
 「そうなんだけど、業者にとってはどうでもいいような細かな要望をのんで、それで終わりでしょう。住民の反対は織り込み済みで、痛くもかゆくもないですよ」
 その後の取材で、N氏の言葉がいかに現実を的確に表しているか、ぼくは何度も確認する羽目になった。
 3月13日、ひとりで市役所を訪ねた。都市整備部まちづくり推進課・伊藤保彦担当課長が取材を受けてくれることになっていた。
 「(事前協議書が提出されて)やっと土俵に乗ったという状況でございますので、できるだけみなさんの意見を採り上げていくという風に考えています」
 伊藤課長は丁寧な物腰で、基本的な姿勢から話してくれた。
 「従来ですと、市の指導要綱に沿って事前協議書を申請して、看板が出て、それからみなさんに説明という手順ですけれど。市のまちづくり条例をいま検討しておりまして、計画がコンクリートする前に、みなさんの意見を聞けるものはできるだけ取り入れてくださいと、そういう趣旨で申請より前に近隣の方にご説明いただきました。いちおうその説明を、完全に満足できたかできないかは別にしまして、やりましたので、これから市も正式にものを言っていこうという状態です」
 伊藤保彦担当課長は、すべて「これから」と強調した。けれど、具体的な質問を重ねるにつれ、ツインタワーに対する市の姿勢はすでにはっきり決まっていて、住民が少しくらい反対しようが、その方針は基本的に変えないという空気が明らかになった。
 「これから市としての意見も当然言わせていただきます。ただ一方的にね、こちらからこう言われたからこうしろではなく、いろいろな影響にも配慮しながら、できるだけみなさんの意見を採り上げていくという風に考えています」
 住民の意見や市の方針はどこで集約されるのだろう?
 「最終的にはですね、市の指導要綱というのがあります。その中の審査会(宅地開発等審査会)です。市の指導要綱は法律ではございませんので、業者にある程度お願いというか、あくまで指導の範囲だという点をご理解ください。説明会の内容は業者から報告を受けていますので、それをうちの方で見せていただいて判断する形になります」
 事業主がまとめた説明会の議事録を読んだ複数の住民から、
 「議事録では、私の発言が削除されているのですが」
 「都合の悪いことは、議事録に載せてないんじゃないですか」
 そんな意見も相次いで出されている。事業主が市に提出する報告書が市の判断材料となれば、ますます住民は分が悪い。
 ぼくは、一番の関心事である高さに関して、市の基本姿勢を確かめた。
 「市の基本的な考え方として、高さを云々というよりも、空地をいっぱい取ってくださいというのをベースで考えています」
 公開空地を確保するより、高さを低くしてほしいとの要望が説明会では大勢を占めている。それでも市は、高さの変更を指導する意思はないらしい。
 「基本方針の中で、高さはある程度認める、としています」
 ある程度というのはどのくらいを想定しているのか?
 「だいたい100メートルくらいです」
 「じゃあ、この高さ(103メートル)は容認なわけですね」
 「はい」
 武蔵野市の伊藤課長はきっぱりと答えた。

最悪の事態に比べたら超高層はずっといい

 市の話を聞けば聞くほど、「みなさんの意見をできるだけ採り入れて」という言葉は、形式的な言い回しにすぎず、実際には事業主と市が了解し合っている様子が浮かび上がって見えた。既定の方針に沿って粛々と承認作業が進む印象が重くのしかかってくる。果たして、武蔵野市には、住民の声を受け止めてくれる機能はあるのだろうか。訊ねると伊藤課長は、次のように教えてくれた。
 「方法は三つあります。一つは『市長への手紙』。すでに手紙も届いているようですね。市長は必ず目を通し、返事をお出しします。二つめは市議会を通じての陳情。三つめは我々担当課への電話なりお手紙。直接お越しいただいても結構です。量が多ければいいというわけではありません。質も判断材料にさせていただきます」
 要望の質が大事。質とは何か? 質問したが、確たる答えは返ってこなかった。
 それにしても、なぜ武蔵野市は、超高層マンションを最初から容認する前提に立っているのだろう。改めて訊ねると、実感のこもった答えが返ってきた。
 「小林さんも、三鷹北口に長くお住まいならご存知だと思いますが、あの土地はいろいろと問題があって、我々もずっと心配していたんです。そこに例えば、遊技場のビルができちゃったり、商業施設ですからいろいろ音の出る施設ですとか、そういう可能性もあったわけですよ。いかがわしいといったらあれですが、そういった開発がされるのが一番不安ですよね。いままでの土地所有者を考えると、それがあってもおかしくなかったわけです」
 風の噂では、その土地が巧妙な手口で地上げされ、様々な業者が絡んで難しい訴訟になっていたという。このたび、市がきちんと話のできる大手企業が共同で土地所有者となった。いかがわしい建物にならなかったことで市は胸をなでおろしている。
 なるほど、一般住民はいきなり超高層マンションの計画を知らされてビックリしたが、市の担当者からしたら、風俗街になるよりはずっといい、という安堵があるわけだ。
 その気持ちはわからないでもない。吉祥寺の通称近鉄裏がかつては風俗街として栄えていた。これを健全化するため、武蔵野市はそこにあえて図書館を建てるなどして、街の浄化を図った。その甲斐あって、風俗店はかなり少なくなっている。せっかく吉祥寺で成果を挙げたのに、三鷹北口が一大風俗ゾーンになったのではたまらない。
 3月18日夜、クリオレミントンハウス住民に向けた説明会のあと、野村不動産の伊藤和高副部長がぼくの事務所で取材に応じてくれる約束になっていた。夕方、その伊藤副部長から電話が入った。
 「実は、いろいろと難しいタイミングでもありまして、私の一存だけでお話しできないという判断になりました。また近いうちにご連絡しますので、今度は新宿の方(野村不動産本社)にお越しいただいて、他の事業各社も一緒にという形になるかもしれません」
 残念だが仕方がない。素直に了承し、次の連絡を待つことにした。
 翌3月19日、さらには4月2日、3日と説明会は繰り返し行われた。標識が設置されたあとの説明会は、武蔵野市の指導要綱に基づいた〈正式な説明会〉だという。
 彼らが〈正式な〉と繰り返すたびに、周辺住民には十分な説明をしながら進めていますよという「証拠づくり」、「手続き」だけが粛々と進んでいく不安を感じる。住民たちはいったい何を、何のために説明されているのだろう?
 市長にメールや手紙を送った数人の住民によれば、市長からの返事は「まだない」という。ぼく自身、邑上市長にも取材依頼を出したが、伊藤課長から、
 「市長は現時点でお話しできることは何もないので、私からお話しするようにとのことでした」
 と、やんわり断られていた。市長も市も、高さの変更に取り組む姿勢を見せてくれない。ならば、もうひとつの手がかり、市議会はこの問題にどう取り組んでくれるのだろう。ぼくは武蔵野市議全員に、超高層マンションに関するアンケートを送った。

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