Web草思
駅前の空はだれのものか 小林信也
第3回 市民と市長のタウンミーティング
 邑上守正・武蔵野市長が、本宿コミュニティセンターに集まった100名近い地域住民の前に立って、様々な質問に答えている。
 吉祥寺東町・法政一高跡地に長谷工コーポレーションが高さ30メートルを超えるマンションを計画し、住民は「15メートルが限度」と反対している。感情を高ぶらせ、対決姿勢で発言する住民の意見を、邑上市長はしっかりと聞き、やわらかな語り口で回答する。
 「長谷工に対し、住民側の希望をくみ取るよう理解を求めるのも私の役目でございます。地域の皆さんの要望と長谷工のせめぎ合いの中で、いろいろ工夫して市の案を作ってまいりました。高さ15 メートル程度の建物が多い町並みの中で、25ないし34メートルの建物は非常に目立つことは理解できますが、周辺から見て最大限環境を守る形の中で、どのような工夫ができるか。なるべく周辺の街並みとの連続感を持たせる観点から、都市計画道路計画線から20メートルの範囲と南北を走る法政通りから10メートルの範囲は、高さを15メートルに制限する。ただし、15メートル制限の内側の部分は高さ25メートル以下としております。この地区に高さ25メートルの建物がふさわしいかと言われると厳しい部分はございますが、全面的に高さ25メートルはふさわしくないと思っております」
 過去に政治の経験がない邑上市長は、政治家にありがちな強引さや慇懃無礼さは感じさせない。反面、双方にバランスを取って穏便に解決しようとする姿勢が、住民たちを苛立たせている。
 2年前、22年間続いた土屋正忠市長の後継者を破り、市民派の邑上市長が当選した。だが少数与党の悲哀を味わい、初年度の予算案を自民党、公明党を中心とする野党に否決され、市政は混迷を窮めた。そうした苦い経験を経て「融和路線」に活路を求めた邑上市政は、本来の市民派・改革派の旗色を弱めていると指摘する声がある。まさに、目の前に立つ邑上市長の雰囲気はそのとおりだった。市長の調停案はたしかに論理的で、都市プランナーらしく吟味された折衷案かもしれない。だが住民たちは、論理的に説明されればされるほど、市長が業者の肩を持っているように感じてしまう。そのズレに、邑上市長はどこまで気づいているだろう。正直僕も、じれったい気がした。
 (この市長は、住民の怒りや切実な気持ちをどこまで感じてくれているのか……)

ひとりで駆けつけた、老婦人の訴え

 タウンミーティングが熱気を帯びる中、ひとりのご婦人が、『三鷹北口超高層マンション建設計画』について質問を始めた。
 「三鷹駅北口に100メートルを超える高層マンションが2棟できると、説明会で知らされました」
 その声はマイクを通してさえ、か細く聞こえた。見ると、前夜の説明会で見かけた年老いたご婦人だった。昨夜、同行者に支えられるようにして、やや腰を曲げて帰る姿、それでいて鋭い眼差しが瞼に焼き付いていた。その老婦人が、三鷹北口から電車とバスを乗り継いでも30分はかかる本宿コミセンまでどんな思いで足を運んだのか。胸中を察すると、こちらの胸も痛くなった。
 「高層マンションを建設すると、風害や電波障害の恐れがあります。交通渋滞も予想されます。これからは、市の担当者にも説明会に出席していただけませんか」
 言葉の上では穏やかな要望だが、僕にはそれが別の言葉に聞こえた。
 (自分が住むマンションの目の前に、100メートルを超える超高層マンションが2棟も建つと聞いてショックを受けました。この計画を何とか変更してもらうよう、市長にお願いします)
 はっきりとそう訴えていた。細い声だが、言葉の奥には、鋭い迫力が秘められている。
 彼女は、超高層ビル建設予定地のすぐ北側に建つマンション(クリオレミントンハウス)の住民らしい。晴れた日には、窓の外に青空が広がる。晴れ晴れした景色が103メートルの超高層マンションによって奪われる。それは、耐えられない変化であり、理屈抜きの脅威・恐怖だろう。
 老婦人の訴えにも、市長はそれまでと変わらぬ表情で淡々と答えた。
 「三鷹駅北口の超高層マンション計画に関しては新聞でも報道されていますが、昨日と今日の2日間、説明会をやっているはずです。現在、市ではまちづくり条例について検討しています。この中では、事業者に対して、市と正式に事前協議に入る前に、地域の方に説明して理解を求める手続きを定める予定で、今回はこの手続きを前倒しで採用しています。住民への説明会を開催し、住民の声を聞いた上で市との事前協議を始める段階を経ますので、皆さんもご意見やご心配な点を事業者へ出していただきたいと思っております」
 丁寧な回答。その場にいない者がレポートを読んだら、「誠実な回答じゃないか」と拍手を送るかもしれない。だが、怒りを抱えてその場に駆けつけた当事者には、何とも取り繕った綺麗事、心から感じていない回答に聞こえ、苛立ちを覚えた。
 (「住民の声を聞いた上で」って、いまこうして彼女が切々と訴えたじゃないか! これが住民の率直な怒りだ、不安だ。市長はこの一大事を、一大事だと思っていないのか!)
 タウンミーティングが終わってすぐ、僕は邑上市長に歩み寄って質問をした。
 「市長から事業主に指導していただく以外に決定的な方法はなさそうです。多くの市民が超高層マンションに反対しているとわかったら、市長から事業主に計画変更を求めていただけますか?」
 「これから市民の皆さんの声をお聞きして、対応したいと思います」
 あくまで冷静中立な表情を崩さずに、邑上市長は言った。僕がもし市長なら、「私だって反対ですよ。何とかしましょう」とでも言うだろう。さすがに実際に市長の立場になると、そう簡単な発言もできないのか。やや肩すかしを食った思いがした。ともあれ、市民の声が集約されれば、市長は事業主に変更を求める約束はしてくれた。
 (何かを始めなければ!)
 行動への思いがムクムクと身体の中に広がった。
 (一体、何ができるだろう)

連載決定、関係者への取材を始める!

 誰も行動を起こさなければ、103メートルのビルが予定どおり2棟建ってしまう。
 (三鷹駅の北口に、そんな超高層ビルが建っていいのか……)
 何度想像しても、三鷹北口の空を103メートルもの超高層ビルが占領する風景にはなじめない。僕はかねて連載の打合せをしていた『Web草思』に、このテーマを提案した。自分にできることはやはり、文章でこの出来事を発信することだ。
 自分の住む街で、街の核心に関わる大事なことが、市民の知らないところで決まろうとしている。
 (これに憤りを覚えているのに、何も行動しないなんておかしい)
 取材・執筆を天職と感じながら、何かを恐れて、社会的なテーマを避けてきた自分を感じた。何を守ろうとしているのか、恐れているのか。僕はこれまで、身近にある大切なテーマを素通りして生きてきた。
 (理屈じゃない。伝えなければいけない)
 「これは単に武蔵野市だけの問題じゃありません。きっと、似たようなことが、日本中で起こっているんじゃないでしょうか」
 僕は担当編集者に、企画の趣旨を熱く語った。
 「言葉は適切じゃないけど、おもしろいですね」、話を聞き終えた担当編集者は言った。「市と市民で駅前の土地に見る〈ポテンシャル〉がちがうとか、〈公共〉に奉じる市役所が、市民の意向は聞かなくていいと言い切るとか、そしてだれも満足できない代物ができあがる……。どうしてそんな不条理劇みたいなことになってしまうのか、物事がどうやって決まっていくのか、できるだけいろんな関係者から見える風景を取材してください」
 連載が決定した。僕は「103メートルの超高層マンションに違和感を覚えた一住民」であると同時に、この問題をあらゆる角度から取材し伝える作家として関わることになった。
 まず初めに武蔵野市役所に出向き、市長の秘書に邑上市長あての取材依頼書を渡した。同時に、市役所の担当者(以前、電話で話した主査)、事業主(責任者である野村不動産の伊藤和高副部長)らに連載の開始を伝え、正式に取材を申し入れた。
 真っ先に、市役所の主査から連絡が来た。
 「部内で調整した結果、取材の対応は、課長がすることになりました。課長から改めて日程の連絡をさせます」
 事業主との窓口になっている主査は直接取材に応じてくれないのか? 残念だが、これもまたひとつの現実。市役所の体質を知る機会と思い、甘んじて受け入れた。
 課長からは翌々日に連絡が来て、週明けにすぐ会うことになった。
 「市長は、いまお話できることは何もないなあと言っていますので、私が代わってお答えします」
 「それはつまり、市長は取材に応じて下さらないという意味ですか」
 「今回は私(課長)がお答えさせていただきます」
 市長にはやんわりと取材を断られた形だ。まあ、それもよし。いずれ市長には会う機会が訪れるだろう。
 野村不動産の伊藤和高副部長からは、取材依頼書を郵送してほぼ1週間後に本人から電話をもらった。
 「今週日曜の説明会のあとはいかがですか。時間的に遅くなりますが、小林さんさえ差し支えなければ、事務所にお伺いします」
 断る理由はない。取材に応じてくれるというわけだ。僕の発信で事態が好転するかどうかはわからない。ともあれ、取材は活発に動き始めた。

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