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駅前の空はだれのものか 小林信也
第2回 「本当にみんな反対ですか?」
 市役所を訪ねて明らかになったのは、
 〈建築計画はまだ市から承認を受けていないので、計画変更の望みは残されている〉
 という事実だ。
 〈市民から反対の声が多数寄せられたら、市長や市役所は事業主に計画変更を求めざるをえない〉
 しかし、前夜の説明会の帰り際、話すとはなしに何人かと言葉を交わしたとき、激しい反対意見をまくし立てていた住民すら、
 「市と業者の話し合いがここまで進んでいたら、建つのはもう止められないでしょうね」
 あきらめ顔で言っていた。
 昼、食事に入ったレストランで店主にビルの話題を向けたときも、
 「その話聞きましたよ。とんでもない計画ですよね。でも、もう建っちゃうんでしょ?」
 なぜか、あきらめムードが蔓延している。高齢者が多いためか、分別のよい大人たちが住む街だからか。「高層ビルは絶対反対!」と言う一方で、「反対運動を起こそう」という行動の兆しはあまり感じられない。
 僕は駅前に立って空を見上げた。
 いま、気持ちよく青空が広がる建設予定地の上空に、103メートルのビルがドカーンとそびえ立つ光景を想像してみる。
 付近で最も高いビルの2倍半以上の高さに視線を向ける。首が痛くなりそうだ。背中が後ろに反っくり返る。心の中で、
 (割り切ってしまえば、高層ビルを歓迎できるだろうか)
 と自分に問いかける。だが、
 「超高層マンションの建設は、いまはもう当たり前と申しますか、中央線沿線だけでも中野、荻窪、三鷹駅の南側にも八王子にもすでに建設中もしくは建設が予定されています」
 説明会で聞いた事業主の言葉を思い出すと尚更、強い違和感がこみあげる。
 (こんな一大事が、市民に内緒で決まるなんて、どう考えてもおかしい)
 素朴な思いがまた湧き上がってくる。居ても立ってもいられない気持ちになって、僕は市役所に向かったのだ。

 市役所を出てすぐ吉祥寺東町に向かった。その町で、マンション建設をめぐって大きなもめごとが起きていると聞いたからだ。いまそこにある法政一高が、4月に三鷹市牟礼に移転する。当初は武蔵野市も購入交渉をしたが、価格面で折り合わず、法政は好条件を提示した長谷工コーポレーションに土地を売却した経緯があるらしい。
 長谷工は、高さ30メートルの大規模マンション建設を予定している。周辺住民はこれに強く反対し、「高さを15メートルに下げろ」と運動している。
 吉祥寺駅の北東約1キロ、ゆるやかに蛇行する通りを法政一高に近づくと、2階建ての木造住宅が軒を並べる道の両側、家々の塀やベランダに横断幕が掲げられている。
 『15mは地元住民の切なる願い!』
 『市案の25mは町を破壊する!』
 『良好な環境を守るには15m!』
 『法政大もうけの犠牲者は住民!』
 地域住民が団結して反対している様子が見て取れた。
 (三鷹北口でも、こういう反対運動が始まるだろうか……)
 事務所に戻って、武蔵野市役所のホームページにアクセスした。すると、『市民と市長のタウンミーティング』がこの夜ちょうど開かれると書いてある。場所は本宿コミュニティセンター。まさしく、法政一高跡地問題で揺れているエリアだ。
 (これはラッキー、行くしかない。市長に、三鷹北口高層ビルについて直接聞くこともできるはずだ)
 時計を見ると、すでに午後6時に近づいている。事務所から本宿コミセンまでは距離がある。自転車で20分はかかるだろう。
 (すぐに出なければ)
 鞄に荷物を詰め始めたとき、手元の電話が鳴った。
 液晶画面を見ると、0422で始まる電話番号。地元だが、未登録の相手だ。
 (誰だろう)
 と訝りながら、電話を取る。
 「武蔵野市役所の……です」
 電話の向こうで、相手が名乗った。建築業者と直接話をしている窓口、都市整備部の担当者(主査)からだった。
 市役所を訪ねたとき「会議中なので、あとで電話させます」と言われた。それがその日のうちにかかってきた。とかく揶揄されがちな「お役所」の対応としては、なかなか迅速だと感じた。
 僕は、昨夜の説明会をきっかけに市役所を訪ねた理由を話した。
 「三鷹北口に103メートルのビルが2棟も建つなんて。バブルの時代ならまだわかりますが、ビックリしました。昨日の説明会でもほとんどみんなが反対していました」
 思いに任せて言うと、主査は冷静な声で問い返してきた。
 「本当に全員でしょうか」
 「……? え、いや全員かどうか、そりゃ定かじゃありませんが」、少し出鼻をくじかれた。電話の相手はざっくばらんな会話を好む協力者でなく、あくまで公的な立場を崩さない〈お役人〉なのだと、思い知らされた。発言に誇張や思い込みがないよう気をつけて、僕はもう一度言った。「少なくとも、質問した人、意見を言った人の大半は103メートルに反対でした」
 「ああいう会で発言する方は、だいたい反対の人なんじゃないですか」
 主査はあくまで冷静だった。僕は、事業主と直接会話しているこの武蔵野市役所の主査の姿勢に苛立った。彼は住民たちの素朴な感情を否定する立場、まるで事業主の側から物を考え、喋っているように聞こえたからだ。
 「昨日の説明会を聞いていたら、市と業者はかなりのコミュニケーションを重ねていて、いろいろ取引きしているわけですよねえ。このまま計画が進んでしまったら〈とんでもないことになる〉と、私は個人的に感じているんですが、そういう市民の声を聞くとか、市から業者に計画の変更を申し入れてもらうとか、きちんと手順を踏んでいただけるのか。そこをお聞きしたいんです」
 主査はじっとこちらの話を聞いたあと、こう話し始めた。
 「えーっと、どこからお話したらいいか。まずひとつ、先ほど取引きというお話があったんですが、ま、言葉の選び方としては取引きという形になってしまうかもしれませんが、んー。ひとつあるのは……、総合設計制度はご存知ですか?」
 「はい。昨日の説明会でお聞きしました」
 総合設計制度とは、建築基準法による特例制度で、敷地内に歩行者が自由に通行・利用できる公開空地を確保することで容積率、高さ、斜線制限等の緩和を受けられる制度だ。
 「総合設計を適用するかどうかの話がありまして。元々商業地域の、容積率が500とか600とかあるところで、事業者がタワーマンションをやりたいと考えたときに、まあ8000平米からの敷地があるわけですから、法令上は出来てしまう。それを市が防ぐ手だては、まずない」
 「でも容積率がオーバーしていることは、事業主の方も明言していました」
 「そうです。ええあの、まず順番に言うと」
 「あ、すみません、どうぞ」
 「100メートル程度のタワーマンションは総合設計を使わなくても出来てしまう。しかも、業者の方はタワーマンションを建てたいという希望を持っているようです」
 さらに彼は、三鷹駅北口の活性化のため、その事業が武蔵野市にとって歓迎すべき計画だと話した。真意を確かめたくて、僕は訊ねた。
 「昨日の説明会でも事業主が〈土地のポテンシャル〉という言葉を使ったのですが、この街に住む僕らが考える三鷹北口のポテンシャルと、彼らの考えるポテンシャルはまったく違うと感じました。いま伺っていると、市と業者の考えるあの土地のポテンシャルは〈一致している〉という意味ですか」
 「そうですね」
 回答を聞いて、僕は唖然とした。
 「うわーっ、それはとっても残念ですね。じゃあ、我々が大事に思っている三鷹北口の街の雰囲気は、市役所にもまったく無視されているわけですね」
 思わず感情的な言葉を口にした。しかし、主査は動じる様子もなく、〈業者が、法令で定めた容積率その他の基準に従って建築すれば問題はない〉〈市は、認めざるをえないというより、変更を求める立場にない〉。その過程で「市民の意向を諮る必要もない」と明言した。さすがに怒りがこみあげて、僕はやや語気を荒げた。
 「ビル周辺の道路用地を無償提供する代わりに高さ制限が緩和されるという説明でした」
 「道路の拡幅は以前から市が計画していたものです」
 「だとすれば、無償提供じゃなくて武蔵野市がきちんと買い上げれば、業者に容積率の緩和や高さ制限の緩和をしてあげなくても済むわけですよねえ?」
 「買うとなると、市の財政的にはかなり厳しい、高すぎる額なんです」
 「高すぎるって、元々土地の拡幅を市は計画していたわけでしょう」
 それに対するはっきりした回答はなかった。最後にもう一度聞いた。武蔵野市は、三鷹北口に103メートルものツインタワーが建つのを歓迎しているのか?
 「歓迎ではなくて、容認です」
 「昨日から、法律ばかり持ち出されて、やるせない気持ちになっているんです。法令が盾というか、法律がすべての判断の基準にされている。人生、大事なことを決めるときは、法律だけじゃなくて、気持ちとか、内容とか、そういう面がまず一番じゃないですか。市は、市民の気持ちは守ってくれないんですか。業者から打診があったとき、〈これはかつて武蔵野市にはなかったとんでもない出来事だから、市役所だけでは判断できない。ちょっと市民に諮ってみます〉と言う発想や認識はなかったのでしょうか」
 市としてはその点はどうにもならない、市民に諮る必要もない、主査はそう繰り返すばかりだった。
 「あなたは武蔵野市を壊してしまうような、大変なことを平気でされましたね」
 僕は思わず言った。まだ計画は承認されてはいない。しかし、直接担当者がこの姿勢では、粛々と申請作業が承認に向けて動き出すのは時間の問題、という心配がにわかに現実味を帯びてきた……。
 電話を切ってすぐ僕は事務所を飛び出した。すっかり夕闇に沈んだ冬空の下、自転車を吉祥寺・本宿コミセンへと走らせる。2月初旬の午後6時半、手袋を忘れた両手が北風で強ばってくる。
 (市長は、ツインタワー計画をどう考えているのだろうか?)
 それを一刻も早く確認したい。強い気持ちに衝き動かされて、一心にペダルを踏んだ。本宿コミセンに着くころには、シャツの下にうっすらと汗をかいていた。
 武蔵野市の邑上守正(むらかみもりまさ)市長は、市民派、改革派の立場で2年前に初当選した。職業は「都市プランナー」。
 (この市長なら本来、我々住民の気持ちに沿って、動いてくれるはずだが)
 期待と不安を胸に、市長と住民の質疑がすでに始まっている会議室の一角に腰をおろした。

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