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駅前の空はだれのものか 小林信也
第1回 梅林に103メートルのビルが建つ!
《ご近隣の皆様へ 説明会のお知らせ》

 コピーで印刷されたA4サイズのビラが事務所の郵便受けに入っていたのは、1月末のことだった。
 (あの話、本当に動き出すのか……)
 途端に胸騒ぎのような気持ちが広がった。頭の片隅に封印していた記憶が、こじ開けられた。
 三鷹駅北口駅前に「高層ビルが建つ」という噂は数ヵ月前に聞いていた。
 「梅林の跡に、100メートル以上のビルを二棟建てる計画らしいですよ」
 町内の知人から聞かされたとき、あまりの突拍子のなさに「えっ!」と、開いた口がふさがらなかった。
 「あそこに高層ビルだなんて。これだけ環境問題とか、防災意識が高まっている時代に、本当ですか?」
 時代錯誤と思えるツインタワーが、よりによって三鷹北口に建つとは想像しなかった。たとえ業者が建設を計画しても、武蔵野市も市長も街づくりの趣旨に沿わないそんな建物を認めるわけがない、市民だって多くが賛同しないだろう、と高をくくっていた。
 新宿からJR中央線の特別快速で14分。三鷹駅の改札を出て左に降りると三鷹市、右に降りると武蔵野市が広がっている。今回は三鷹駅北口、つまり武蔵野市が舞台だ。
 線路と交差して玉川上水が流れ、昔ながらの土手の風情を残す上水沿いには桜並木が続いている。国木田独歩の小説で知られる『武蔵野』の面影や雰囲気が、わずかずつだが随所に残っていて、この街にのどかさを醸している。
 駅前にも、背の高いビルはあまりない。徒歩1分、12階建ての最上階に「居酒屋白木屋」の赤いネオンが設えてある。1キロ離れた自宅の窓からはっきり見える。それくらい高さの低い街、その分、空が気持ちよく広がっている。
 都心から近いのに、駅を降りると都会の喧噪とは明らかに違う、
 (ああ、自分の住む街に戻ってきたな)
 理屈抜きに落ち着いた空気が、この街にはある。それこそが、この街にずっと住みたいと思う理由だと僕自身感じているし、多くの住民に共通の思いだろう。
 その象徴のひとつが、中央通りのすぐ右手につい最近まであった広い梅林だ。早春には満開の梅が、道行く人たちを和ませていた。その梅林が突然伐採された。昔からの地主が巧妙な地上げに遭って土地を失い、訴訟になっているとの噂だった。どうやら決着が着いて、にわかにビル建設が現実化したらしい。

「建設することになりました」

 一週間後、2月5日(月)夜、開会予定の6時半少し前に会場に着くと、すでに満席に近い人が定員154名の席を埋めていた。渡された資料、《建築計画のお知らせ》と題する一枚目には、こう書かれていた。

〈さてこの度私どもは、「(仮称)武蔵野中町一丁目計画」を建設することになりましたので、先ずは事前に書面をもってご挨拶申し上げます〉

 建設は決定済み、計画は既定の事実のように書かれている。
 建築主は野村不動産、三菱地所、エヌ・ティ・ティ都市開発、ランド、オリックス・リアルエステートの五社。設計施工は三井住友建設、総合企画はピー・エム・エスとある。
 計画は噂どおり、狭い道路をはさんだふたつの土地に、それぞれ高さ103.70メートルのビルを二棟建てる。駅に近い南棟は5階まで商業施設が入り、その上が住居(28階建て)。北棟は1階だけが店舗で地上31階建て。準備工事を8月1日に始め、着工は9月1日と書いてある。8月といえば、もう半年を切っている。
 (ここまで計画は進んでいるのか)
 焦りと怒りと、どうしたら計画を変更できるのか、藁をもつかむ思いが交錯する。
 建築主側は、武蔵野市とも協議した結果、
 〈周辺の道路を拡幅するため、必要な道路用地を無償で提供する〉
 〈建物周辺に公開空地を設け、緑化にも充分に配慮する〉
 〈市民が利用できる公共の集会場を建物の中に設ける〉
 〈駅前周辺の課題となっている駐輪場不足を解消するため、地下2階に1500台収容できる駐輪場を作り、提供する〉
 などの要望を受け、計画に盛り込んだと誇らしげに説明した。市からの要望に応える代わりに、容積率や高さ制限の緩和を受け、地上103メートルの認可を正当に受ける段取りが整ったのだという。
 こうした説明は、すでに市役所と建築主が相当な会話と検討を重ねている事実を、いやでも印象づけた。
 (市は、市民の意向を何ら確認もせず、そこまでの認可を与えているのか?)
 (もうすでにこの計画は動かせない、最終段階にまで至っているのか)
 焦りと憤りがまた募る。
 南棟の商業施設は、〈1、2階がスーパーマーケット、3、4階がスポーツ・ジム、5階が医療モールを予定している〉とも説明された。建物全体のイメージ図、最上階までの配置図を示した図面も目の当たりにして、ビル建設の現実感がいやでも押し寄せて来る。
 説明が終わって質疑応答に移ると、出席した住民が次々と不安や怒りを表した。
 「これは武蔵野市の『百年の計』を誤る計画です」
 「金太郎飴のような時流に乗った施設。すでに隣のビルにあるジム。流行の医療モール。笑っちゃいます。何という理想のなさ。もっと理想を持った計画を作ってほしい」
 「ここに100メートルもの建物が二棟建つなんて、想像できません。なんとか50メートルに下げることはできないのでしょうか」
 これらの発言に先頭に立って応えたのは、幹事会社である野村不動産の事業責任者・伊藤和高氏だ。肩書きは、「住宅カンパニー 事業開発四部副部長」。伊藤副部長は、細かな要望には「検討して次回、お答えします」と丁寧に応える一方、高さの変更を求めるなど、計画の根本に関わる変更要求には、
 「この計画で進めさせて頂きたいと考えております」
 丁重かつ淡々と繰り返した。
 「我々としましては、この土地が持っているポテンシャルを最大限に生かした開発をしたいと考えています」
 この土地のポテンシャル……。
 伊藤副部長の言った言葉が頭の中で響き続けた。業者の考えるポテンシャルと、その街に住む人々が考えるポテンシャルの隔たり。
 僕は手を挙げて、質問をした。
 「事業を担当する方々の中で、三鷹北口に住んだ経験のある方はおられますか」
 誰もが小さく首を振る中、ひとりだけ、端っこにいた、企業では中堅世代と思われる男性が、おずおずと手を挙げた。土地を取得したランドの担当者だ。
 「私は20年ほど前に、住んでいたことがあります」
 僕は続けて訊いた。
 「当時はもちろん梅林だったはずですが、その脇を通るとき、(ああ、ここに高層ビルを建てたいなあ)と思っておられましたか」
 すると彼は、少し困惑した表情を浮かべたあと、
 「私はこういう仕事に就いていますので、はい、建てたいと思っていました」
 はにかみながら、言った。その答えに、場内から失笑が洩れた。なかなかの忠誠心だなあと、僕は感服したが、すぐまた別の考えも浮かんだ。高層ビルの建設に携わる者ならば、本当に彼がそう思って、あの駅前の梅林を眺めていても、おかしくはない。

「三鷹北口に高層ビルなんていらない」

 翌日、僕は市役所に自転車を走らせた。
 この計画はすでに認可されて、もう止められないのか。それとも、まだ変更の余地を残しているのか。そこを確かめたかった。
 都市整備部を訪ねると、直接担当者は会議で不在。代わりに、武蔵野市がいま制定を進めている「街づくり条例」の策定担当者に概要を聞くことができた。
 「駅前の高層ビル計画は、もう認可されて、変更できないんですか」
 すると、資料を目の前に示した上で、その担当者はきっぱりと首を振った。
 「高さ10メートルを超える中高層建築物を建てる場合は、この手続きに従って承認を得る必要があります」
 「100メートルじゃなくて、10メートルですね?」
 「そうです。10メートルです」
 資料は「武蔵野市宅地開発等に関する指導要綱」の最初に図示された「手続きフロー」だ。フローの一番上に「事前相談」とあり、次に「事前協議書提出」とある。その下に10個以上のプロセスが並び、最後の方に「市長決裁」「承認書交付」などと続いている。
 「今回の計画は、『事前協議書』の提出もまだですから、一番上の段階にすぎません」
 「ということは、地域住民が求めれば、計画の変更は充分にありえるということですか」
 確かめると、担当者は静かに肯いた。

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