Web草思
オタクとは何か? What is OTAKU? 大泉実成
第13回 オタク修行篇10 ものにこだわる感情
「6.30アキハバラ解放デモ」

 6月30日に、オタクが「秋葉原解放」「オタク偏見報道糾弾」などを謳って秋葉原でデモをやった(*1)。人数はおよそ500人。僕はGさんのところにゲームの企画会議をやりにいってそれを教えてもらったのだが、異様に見えたのは、デモ行進の写真の中にオタクとはあまりにも喰い合わせが悪い左翼系ヘルメット姿と、「革命」「解放」といったお決まりの熟語が踊っていたことだった。「ネタだよね、これ」というのが一番初めに思ったことで、実際Gさんは大笑いしたという。
 その後、主催者側のブログなどを読んで、「おおお、本気だったんだ」と驚いたわけだが、ちょうど「オタク革命」について考えていただけに意表を突かれた思いだった。
 意表を突かれたというのは、僕がイメージしていた「オタク革命」では、デモとかヘルメットに象徴される暴力といった古典的な「革命」の形をとることはありえないだろうと思っていたからだ。「オタク革命」というものがもしあるとしたら、それは伝染病のように人と人の間に蔓延していき、終いにはそれが常識になって、何が変わったのか誰も気にしなくなるような類の「革命」だろう。
 さらに言えば、こうした行動を「思想運動」の一環として考えた場合の困難さである。七〇年代に学生運動が挫折して以降、この国では思想運動が根付くことが極めて困難になってしまった。オタクもまた、そうした時代の流れとともに生まれてきているため、思想運動としての側面は乏しく、作品という具体的な商品を核として増加してきたという歴史がある。ここで改めて思想運動としてオタクを推し進めることには無理があるだろう。
 したがって、こうした動きがオタクの歴史の本流になることはまずありえないだろうと思っていたし、その考えは今も変わらない。だからこそ、意表を突かれたとも言える。そして、人付き合いが苦手で架空の世界に生きようとするオタクが、現実の場に集まってデモなんかをやるようになったのか、という一種の感慨を持った。むろんその背景には、オタクが着実に世代を重ねて増加していることや、オタクと一般人との間の垣根が低くなったことがある。オタクの増加と多様化が、一つの表現形態としてこうしたデモにたどり着いたのだろう。なんというか、エネルギーがありあまっているという感じだ。
ともあれ、ネット上では賛否両論が巻き起こった。
 なんといっても圧倒的に多かったのは、「キモイ」のひとこと。自分の趣味に口を挟まれたくないので他人の趣味も認めるというのがオタクのベーシックな態度だと思うのだが、一方で彼らの美意識はどうしてもこのデモを許せないようだった。「こいつらはオタクじゃない」といった批判も頻出した。群れて現実に働きかける、というのは、確かにオタクの本流には見えない。しかしこの連載をやっている身としては「じゃあどういう人間が本当のオタクなんだよ」と思わず反問したくなる。いずれにせよ、ネット上の声は賛否で言うと圧倒的に「否」の方が多かった。
 一方で、小さくはあるが、彼らの行動に「賛」ずる声もあった。オタクの苦手な行動をやりぬいたその行動力を称えるものや、一種の祭りとして容認するものなどさまざまである。
 デモそのものもそうなのだが、こうした反応を見ても、オタクの多様化はますます進んでいくなと思わずにはいられない。そのような意味でも、オタクの今日的な状況を象徴するような事件だった。

ゲームセンターでカードゲームをやる

 ゲームセンターに行ってみることにした。
 ターゲットは『三国志大戦』(*2)というゲームである。
 もともと店には現在のオタク本流である萌えオタとは別の、アクション系ゲーム派というべき人たちがいて、その中心にいるのが、ゲームセンターの住人、Qさんだった。幼少のころからゲームセンターに通いつめ、『キングオブファイターズ(KOF)』(*3)では戦うと周囲に見物人の人垣ができてしまう中学生だった。Qさんとは『モンスターハンターポータブル2nd』で数え切れないほどともに狩りに行き、すっかり気心が知れたので、彼の楽しんでいる世界を見せてもらおうと思ったのである。その中心にあるのが、この『三国志大戦』だった。
 『三国志大戦』は戦国シミュレーションゲームとトレーディングカードゲームが融合したもの。三国志の武将が描かれたカードを動かすことで自軍を操作し、敵城を落とすというのがゲームの基本的なコンセプトである。ゲーム機はサーバーを通して他のゲームセンターとつながっており、居ながらにして全国のゲーマーと対戦できるという点では、ネットゲームのような性質も帯びている。さらに、一戦が終わるとゲーム機から新しいカードを受け取ることができ、何が出るかで一喜一憂するという点では、まさにトレーディングカードゲームである。
 もっともこちらは、ゲーセンに行くのは15年以上ぶり、以前熱中したのは『ハングオン』(*4)という化石のようなオジサンである。シミュレーションゲームもトレーディングカードゲームもやったことはなく、「デッキ(*5)って何ですか」というような人間であるから、教えるQさんもたいへんであったろうなと今にしてようやく思う。
 しかし、なにはともあれ、やってみることである。
 ところが、このゲームを始めるに当たって、店の先輩方の様子がすこしおかしいのである。というのも、いつにも増して異常に親切なのだ。貴重なカード(らしい)はバンバンくれるし、デッキの組み方や戦いの駆け引きなどについても丁寧に教えてくれる。
 「カードがダブったら廻してください」
 「ぜひ店内対戦しましょう」
 はじめは、付け加えられるこれらのセリフをなんとなく聞き流していたのだが、後になって気がついた。言い方は悪いが、これはネズミ講みたいなものなのだ。つまり、引くカードはダブるものなので、後輩を増やせば増やすほどカードが手に入れやすくなるのである。そうであれば新参者には親切にしてカードを交換しやすい状況を整えておいたほうが得である。彼らはそれを意識的にやっているわけではなく、無意識のうちにこうした振る舞いが身についているようだった。さらに言うと、キャリアの浅い新参者は限りなく弱いので、ベテランの彼らとやれば敵うはずがない。新参者からすればいい勉強をさせてもらうことになるが、彼らからすれば、胸を貸すだけで難なく一勝がゲットできることになる。まあ、あまり面白い戦いにはならないであろうが。
 「これが、カードゲームというものか」
 僕は人間関係すら微妙に変えてしまうこのゲームの力学に、しばし唖然とすることになった。

フェティシズムの発生

 そんなわけで、デビュー戦の夜。
 その日は店が忙しく、仕事が終わったのが深夜1時過ぎだった。車を飛ばしてQさんの行きつけのゲーセンに着くころには2時近くになっていた。きょうびのゲーセンはなかなかこじゃれており、ボーリング場にプールバーまで併設されていた。そこで大急ぎでハンバーガーなどを詰め込み、まずはQさんの模範演技を見る。
 恐ろしく押したり引いたりが多いゲームだった。
 戦力が拮抗するようなルールになっており、しかも消耗しやすいので、一方的に攻め込もうとするとつぶれてしまう。したがって、攻め込んでは引いて回復、攻め込んでは引いて回復というサイクルを何度も繰り返す。僕が、
 「押したり引いたりが多いゲームですね」
 と思わず感想を漏らすと、Qさんは
 「実際の戦もそうでしょう」
 と言った。
 Qさんのゲームは、まるで高段者の将棋を見るようだった。細かな対応の応酬が続き、実に見ごたえがある。将棋との違いは、状況がいつも動いているので、こちらが一手さすのを相手が待ってはくれないということである。したがって、構想力や読みばかりではなく、反射神経や瞬時の決断が必要とされる。なかなか甘くないゲームだ。
 そしていよいよデビュー戦。
 チュートリアルモードでの解説が続いた後、コンピュータとの実戦がはじまる。
 初戦の相手は黄布族で、一気に三国志の世界へと運ばれた。僕のデッキはQさんお薦めの、劉備玄徳を中心にした「大徳デッキ」というもの。それが優秀なのか、あるいはゲームのシステムなのかはわからないが、対CPU戦を次々とクリアすることができた。もっとも初心者もいいところなので、誰も敵がいないところに雷を落としてみたり、ボタンを押し間違えたりと散々な目にもあったが、Qさんの適切なアドバイスもあり、何とか乗り切ることができた。
 1ゲーム300円というのは僕の生活感覚からすると少し高く感じるが、ゲームが終わるごとに新しいカードがゲーム機から出てくることを考えると、その不満も和らぐ。
 1時間ほど経過したころに、「天地を喰らう 張飛」というカードを引いた。するとそれを見ていたQさんが、
 「大泉さん、めちゃくちゃ引きが強いですね。それ俺が欲しいくらいですよ」
 と言った。3年以上のキャリアを誇るQさんも持っていないカードらしい。
 三国志大戦のカードは有名マンガ家が手がけることで評判である。山田芳裕、CLAMP、岩明均、安野モヨコなど、僕の好きな作家たちも参戦している。それが、トレーディングカードゲームとしての楽しみを盛り上げている。オタク文化のクロスオーバー性とでも言うべきなのか、ゲーム、漫画、アニメが双方向的に影響を与え合い、そして時にはこのように具体的な形で顔を出す。
 これらのカードは、出現しやすい順に、

 コモンカード
 アンコモンカード
 レアカード
 スーパーレアカード
 レジェンドカード

 に分けられている。そしてレジェンドカードでは、本宮ひろ志と横山光輝という両巨匠の絵が使われている。
 僕の引いた張飛のカードは、やたら金色や銀色が使われているのでおかしいなと思っていたのだが、本宮ひろ志の『天地を喰らう』というマンガに出てくる張飛だった。つまり僕は初日にしてもっとも出にくいといわれるレジェンドカードを引いてしまったわけである。
 もっともこういうことは後になってから調べたことで、この時はよくわかっていなかった。しかしこの時、不思議な思いにとらわれたのも事実だ。
 とにかく、カードゲームというものをやったことがなかったので、この時まで、僕はこれらのカードを紙切れみたいに思っていた。どうせ取材のためにやっているのだし、そんなにいいものならお世話になっているQさんに即座にあげてしまうべきところである。
 ところが、Qさんにうらやましがられた僕は、やたらきらきらしたこの紙切れが、掌の中で急に貴重なものへと変化する、子どもの心にとらえられていた。そしてなんとなく、このカードを手放したくなくなっていたのである。ある種のフェティシズムに支配されたのであろう。僕にはグッズを蒐集する趣味がまったくないと書いたことがあるが、オタクがものにこだわる感情とは、あるいはこのようなものなのかもしれない。
 フェティシズムの発生とともに、心も活性化するようだった。どうもこのゲームにはのめりこみそうである。
 玩物喪志という言葉を、久しぶりに思い出した夜だった。

*1 http://akiba630.moemoe.gr.jp/
*2 http://www.sangokushi-taisen.com/
*3 http://kofaniv.snkplaymore.co.jp/top_j.html
*4 『HANG-ON』1985年にセガが発売した、実物大のバイクにまたがる体感型アーケードゲーム。
*5 deckとはカードの集まりのこと。ここでは対戦で使用する様々なカードの組み合わせをいう。

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