Web草思
オタクとは何か? What is OTAKU? 大泉実成
第8回 オタク修行篇5 むちゃくちゃ楽しいじゃないか!
今日もみんなで狩りに行く。

 しかし、何なのだ、この生活は。
 むちゃくちゃ楽しいじゃないか。
 俺のこれまでの人生はいったいなんだったのだ。
 原稿なんか書いている場合なのか。

 いやいや、落ち着かねばならない。いったい今何が起こっているのか、記述するところから始めなければならない。
 何が起こっているかといえば、今晩深夜一時からみんなで狩りだ。みんなに迷惑をかけてはいけないのでそのための準備をしなければならない。今夜のメインの相手はティガレックス。前回Qさんと2人で行ったが共に討ち死にし、店のみんなが一肌脱いでくれることになったのだ。
 ここのところこいつとやって死ぬパターンは決まっている。うっかり強烈な一撃を貰って、気絶して、動けないところに突進を食らって死ぬのだ。
 気絶を防ぐにはどうすればいいのか。気絶耐性を上げなければならない。となれば装飾品だ。耐絶珠か抗絶珠かを作らなければならない。やはり抗絶珠か。うおっ、ドスランポスの皮にゴム質の紫皮、必要素材がどっちもねえじゃねえか。瞬殺して来なければ……。
 いや、違う。違うぞ。これは確かに今の俺に起こっていることなのではあるが……。

 前号で、『モンスターハンター2』に嵌ったことは報告した。結局2か月近くかかってゲームをクリアし、クリア後の敵と激しく戦闘しているまさにその時、2月22日に、『モンスターハンターポータブル 2nd』(*1)というものが発売された。
 これが実にやばいゲームだった。
 何がやばいといって、通信機能がついているので、ネットにつなげなくても仲間と協力していっしょに狩りをすることができるのだ。だいたい人類というのはマンモスをはじめとするさまざまな大動物を絶滅に追いやったほど狩りが好きな生物で、その遺伝子は脈々とわれわれにも受け継がれている。しかもここはバーチャル世界なので生物の絶滅を心配する必要も、自分が傷つくことを心配する必要もない。非常に複雑で自由度が高く、しかもその仮想現実は恐ろしくリアル。45歳の大泉は、正直「ゲームの世界はここまで来ていたのか」と何度もあきれるほどだった。この自由度の高さのため、シングルプレイではプレイヤーは自分の個性に合わせて戦略を練り、それぞれの狩りのスタイルを編み出している。今度はその個性を、集団の狩りで活かしあうことができるのだ。無限の狩りのスタイルが絡み合い、そこにさまざまな物語が生まれる。
 連日の協力プレイで思ったこと。それは、オタクといえども、いや、オタクだからこそ協力し合って一つの目的を遂げる快感に歓喜するということだ。敵が強ければ強いほど協力プレイは冴え、目的を遂げた後の喜びは激しかった。一方、勢い込んで行ったのに、あっさりとやられてしまった時のむなしさといったらない。
 「みんなすまん、俺の防具が弱いばっかりに……」
 「ドンマイドンマイ」
 「復讐だ、復讐しかないっす」
 「行きましょう、リベンジマッチ」
 われわれは難敵を倒すたびにハイタッチを繰り返し、熱狂の中で一体感を強めて来たのである。
 そんなわけで、しばし行ってまいります。

 は?。帰ってきました。今、朝の8時半。眠いっす。ビールが沁みるっす。しらふで一睡もせずに7時間も狩りしてたのか。アホだなあ実際。ダメ人間一直線でありますな。
 いやいや、すっかり忘れていたが、これは仕事なのだ。
 今夜の主な戦果はティガレックス2匹とシェンガオレン2匹、それに数々の中堅モンスターども。おかげで僕のハンターランクは一気に2から4へと上がった。目をつぶれば、さまざまな狩りの情景が浮かび上がってくる。
 今夜のメンバーは、パロディの人Gさん。ゲームセンターの住人で、さまざまなゲームに習熟するQさん。そして、この連載では初登場のAさんと僕の4人。これが店の常連メンバーである。
 実は、このゲームに嵌ってみて最大の発見は、Aさんの存在であった。オタクの肥大化を象徴するような人物である。

一般人/オタクの境界線

 なぜ取材を始めて半年以上も経つというのに、Aさんの存在に気がつかなかったのか。それは一言でいうと、Aさんに突出したものを感じなかったからなのだ。
 Gさんのようにオタク的知識に溢れているわけでもなく、Qさんのようにゲーセンを住処としているわけでもない。また、UさんやOさんのようにギャルゲーの大家というわけでもない。
 かといって、一般人なのかというとそんなことはない。ギャルゲーもやるし(『KANON』では名雪派ということで、しばしば月宮あゆを「変な女」呼ばわりし、あゆ派の人々と衝突した)、ゲーセンでは『三国志大戦』を好み、Qさんから微細な知識を伝授されていた。店のカラオケ大会ではポケモン派の腐女子に対抗して、延々デジモンの歌を歌っていた。
 つまりは、非常に満遍なく、さまざまなジャンルの作品と付き合っているのである。
 ギャルゲーの大家の2人はモンスターハンターシリーズのようなアクション系には手を出さないし(Oさんにアクション系のゲームはやらないのかと聞いたところ、初めて買ったスーパーマリオをクリアしたのは5年後だったという悲しい話を聞いた)、GさんやQさんは逆にギャルゲーをやらない。つまりAさんはジャンルに対する偏見がなく、同時にさまざまなジャンルを楽しむ資質を備えているのだ。
 僕がAさんと急速に親しくなったのはモンスターハンター2に嵌ってからだが、話し込むようになったのは2人とも片手剣使いだったからだ。このゲームは使っている武器によって世界観ががらりと変わってしまう。Qさんは大剣使いでいついかなる時でもモンスターと正面一騎打ちをやるという美学の持ち主だし、Gさんは万人に感謝される補佐役の狩猟笛使いだった。
 もっとも片手剣を使う理由は僕とAさんではまるきり違った。僕はただ単に不器用で、いちばん扱いが易しい片手剣を結果的に使っていたに過ぎない。一方彼は片手剣の機動力を何よりも尊んでいた。しかし結局のところ同じ片手剣使いなので苦労は共通し、話は盛り上がった。店にモンスターハンターをやる人は何人もいたが、Aさんの話は誰よりも参考になった。
 Aさんの存在感を強烈に感じるようになったのは、一緒に狩りに出るようになってからだった。
 僕はAさんの話がすべて真実だったことを目の当たりにすることになった。それはものすごい機動力だった。4人で狩りに行くと、モンスターを初めに発見するのは必ずAさんだった。彼はそのままモンスターのサイドにへばりつき、ザクザクと毒剣で相手を切り刻み、あっという間に相手を毒状態にしてしまうのである。
 モンスターの動きを読み取り、攻撃を避ける技能も優れていた。僕などよく不用意な一発を貰って、そのままご臨終コースを突っ走ったものだが、彼が死んだのは誰も見たことがなかった。いつもいちばんモンスターに近いところにいながら、いちばん死から遠い男だった。
 後に彼が高校時代サッカー部で主力選手だったことを知った。きっと反射神経や運動神経が並外れているのだろう。それがこのようなアクションゲームには如実に反映する。
 このようなタイプの人は、ファミコン登場以前の僕たちの世代ならこのような現場にはいなかっただろう。子供の時から勉強もスポーツもよくできて、しかも優秀なゲーマーだった彼は、面白いからという理由でゲーセンのカードゲームやギャルゲーにも手を広げたに過ぎないのだ。今では彼のようなタイプを魅了するアクション系ゲームはごまんとあるし、そうした人間を他のジャンルのゲームへ導く道筋も整備されている。このような人が当たり前のようにオタクの現場にいるということは、いかにオタク的生活の敷居が低くなったかを雄弁に物語っていると思う。オタクが肥大化したのか、一般人の生活がオタクに近づいたのかは相変わらずはっきりしないが、両者の境界がますますあいまいになってきているのはよく分かった。
 いずれにせよわれわれハンター仲間4人は、四六時中集まりあっては朝まで狩りをやらかし、店中から「ダメ人間」の称号をほしいままにしたのだった。
 そんなわけで、もう僕のことは何とでも呼んでください。

オタク向けの社会資本

 小学6年の息子は最近の僕の生活態度を四文字に縮めて「狩りカラ」といった。狩りとカラオケばっかりやっている、というわけである。仕事と称してこのような行為に浸る父親の生活態度が彼の成長にろくな影響を与えていないのは間違いないが、狩りのお誘いには例外なく応じている以上、以前よりさらに頻繁になったギャルゲー派からのオタカラオケのお誘いにも応じないわけにはいかない。
 しかしこちらはさすがに一時ネタが尽きかけた。毎回違う歌を歌おうと努力しているのだが、取材のためのにわかオタクの化けの皮がはがれつつあり、だんだん歌う歌がなくなり始めたからだ。
 こうなるともう地を出す以外になく、自分が子供のころのアニソンを思い出して歌うことになる。
 こう開き直ったところ、「俺はこんな歌まで歌えるのか」といささか驚くことになった。子供のころの記憶というのは本当に恐ろしいもので、つまらない歌詞の端々までを実に正確に覚えているのだ。つくづく僕らの世代はアニメや特撮に育てられたのだと思う。根が深いのだ。そんなわけで『マジンガーZ』だの『鉄人28号』だの『ガメラのテーマ』だのを熱唱し、それはそれなりに楽しむことができた。それにしてもどうして彼らは、自分が生まれる20年も前のアニソンをみんな歌えるのであろうか。つくづく、オタクはアニソンで深く結ばれているなと思った。
 彼らも徐々に遠慮がなくなってきて、この酒なしカラオケの時間帯はいつの間にか真昼間になった。なんといっても料金が安い上に店がすいていて、思う存分歌えるのである。毎回5時間を超える耐久カラオケ大会。枯れかけたのどをゼイゼイいわせながら、「オタクの体力はすごいじゃないか」と感心することになった。
 カラオケが終わると、Uさんは「まだまだ歌い足りません」というのを常とした。そのキャラに対する愛はとどまるところを知らないようであった。
 OさんはOさんで、ギャルゲー界では有名な女性歌手の私家製ベストCDを製作して、僕にプレゼントしてくれた。この出来栄えが、ジャケット周りといいCD本体といい、元写真部の実力を発揮した、売り物にしてもおかしくないような、愛情てんこ盛りのものであった。オタク文化は厚くて熱い。ここから次のすごいものが出てこないわけがない。
 それにしても、真昼間からしらふで『マジンガーZ』を熱唱する45歳のオヤジの姿というのは、ある意味地獄のような光景であろう。違和感がまったくなくなっている自分が恐い。
 感心したのは、受け皿としてのカラオケ店の品揃えの豊富なことだった。僕の歌うレトロアニメから最新のギャルゲーや深夜アニメのテーマ曲まで、歌いたいと思ったものはたいてい揃っていた。しかも料金は5時間で一人700円である。オタクに向けた社会資本がいかに整備されているかということを、僕は地方のカラオケボックスの中で痛感することとなった。
 オタク趣味は、かつて一部の人間のものだったが、いまや庶民のものになりつつある。


草思社