Web草思
オタクとは何か? What is OTAKU? 大泉実成
第4回 オタクの自意識?竹熊健太郎氏との対話(2)
批評の対象になるのがイヤ

???1977年のアニメブームの時は僕も劇場に行きましたけど、作品はひどいなと思って、あの人波の一人になるのは嫌だなと思いましたね。
竹熊 最初はすごく期待していたけど、期待したぶん、納得できなかったですね、僕も。要するにこいつら(大勢の観客)はどこ見てんだ、って話だよね。作品見ないでキャラだけ見てる。
???ニュースで劇場が映されて「感動した」とか言ってる奴を見て「バカじゃねえの、駄作じゃねーか」と思っていた記憶はあります。
竹熊 「古代君ステキー」とかさ。ガンダムも最初はそうだったのよ。女の子のファンが「シャア素敵?」って。女の子のマニアックな活動のルーツは、僕は宝塚ファンにあると思うんですけど、彼女らは宝塚スターが好きなわけでしょう。あまたいる中で、ひいきができて……。あれを男も真似しはじめたのが、オタク的文化の一つの始まりかなと思ってるんですね。つまり女性の文化を男が取り入れていったのではないかと。たとえば70年代から顕著になった男のアイドルマニアがいますけど、結構アイドル好きが群れて、一緒に応援したりするでしょう。情報交換したり、コレクションを交換するとか。ああいうところから今のオタクカルチャーってできてきたのかなあという気は、なんとなくするんですよ。対象がアニメだったり、プロレスになったりするだけで。
???オタク像の変遷ということで言うと、その後、竹熊さんなんかもそうですけど、送り手側に回るオタクが現れはじめましたよね。
竹熊 僕らの世代の中から送り手が出てきたわけですけど、その中で庵野(秀明)さんみたいなクリエイターになる人と、岡田(斗司夫)さんみたいな……。
???プロデューサータイプ。
竹熊 プロデューサーというか、評論家ですよね。僕自身もそうなんですが、評論家になるタイプって、クリエイターにはなれない人が多い。批評意識が強すぎて、たとえば自分の作品にどういうツッコミが入るかということを異常に警戒してしまう。自己批評意識というのはクリエイターにとっても実は必要な資質なんですが、それが勝ちすぎてしまうと、なかなか創作ができないんですね。
 クリエイターってさ、ある意味バカになって、ノーガードで自分の実存をぶつけなきゃいけないところがあるでしょう。そこがお客を感動させる原動力にもなる。批評の対象になることを恐れてはならないというか、作品を世に問う最後の段階では、あえて考えないようにしないといけない。その反面、批評家タイプの密教オタクって、他人の作品にはあれこれ突っ込むくせに、自分が批評の対象にされるのは嫌なわけですよ。これはまあ自戒も込めて言うわけですが。
???批評の対象になるのは嫌か。それは思いつかなかった。
竹熊 (密教オタクは)突っ込まれるより突っ込む側、つまり常に批評する側にいたいわけ。だから『エヴァ』で庵野さんが、創作者の立場からオタク批判をぶった時に、激烈な反発をかったのはそのせいですよ。
???そこか。それは非常に本質的な発言ですね。
竹熊 自分は頭がいい位置にいたいわけ。それで誰からも突っ込まれないかわりに、創作はできなくなっちゃうと。

「非常に恥ずかしいこと」

???それは僕も感じるところがあって、例えば、オタクって自分がオタクと呼ばれると怒る、って言うじゃないですか。それは、オタクと呼ばれた時に、ある種批評の対象になっているわけで、今の話と同様の心理が働いてると思うんですよ。ところが、今回僕がこんなことを始めたのも、自分が「オタクだ」と呼ばれた時の違和感からなんですよね。「えーっ」と思ったわけです。ただ冷静に考えてみると、僕にもオタク的要素がないわけではないし、そんなに激しい反応をする必要はないのに、なぜ反応してしまったのか、と思うんですよ。
竹熊 多分ね、密教オタクから見て大泉さんが特異なのは、たとえば「綾波萌え」みたいなことを平気でするからでしょう。
???そりゃーしょうがない。現実だから。
竹熊 それを素直に表明することは、オタク密教的に言うと、非常に恥ずかしいことなんですよ。
???そりゃーそうでしょう。オタク密教的に言わなくても恥ずかしい(笑)。
竹熊 ところが大泉さんは、一方ではルポライターとして社会的に認められる仕事をしているでしょう。賞もとってる、知性も教養もある文化人としての大泉さんが「綾波萌え」ってやるのはねえ。あれでまわりが混乱したんですよ。僕だけでなく、太田出版の編集者とか、あとあえて口には誰もしなかったけど、ガイナックスの人たちも(笑)。
???混乱したんですか(爆笑)。
竹熊 だって心の底から「綾波萌え?」ってやるのは、バカなわけでしょう。冗談めかしてやるのならともかく。
???(爆笑)でもそこはしょうがない。そういう現象が自分に起きてしまったんですから。
竹熊 だからそこは素直なんだよね。大泉さんは、自分の気持ちや衝動にはとことん素直な人。しかしキャラ萌えのような部分で、自分の気持ちに素直に振る舞うというのは、「オタク顕教」の振る舞いなんですよ。それはアニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵?」って黄色い声をあげていたのと同じなんですよ。それは密教的な立場からすれば、批評意識のないただの「信者」であるわけで、カモでありバカだと、悪い言葉を使えばね。密教オタク的に言えば、ステージが低いオタクということになるわけです。
???たぶん世代的なものもあるんでしょうけど、むしろ最近では「キャラ萌えするのがオタクだ」という認識がありますよね。
竹熊 第一世代と、それ以降の世代の違いはそこですね。僕は第一世代の密教オタクとして、屈託なくキャラ萌えを表明することは非常に恥ずかしいことだと思っている。もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね。でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。
 で、もしやるとするならば、「あえて」バカみたいに振る舞う。これも実は密教徒の特徴的な振る舞いなんですね。「あえて」恥ずかしいバカを演じてみる。で、「あえて」の身振りをそれとなく示しておくわけですよ、同類の密教徒にはわかるようにね。で、「あいつはわざとやってるんだな」と思われれば、むしろ勇気のあるステージが高いオタクとして、仲間から認められるんです。
 しかしね、そうするとオタクについてわからない一般世間から見るなら、密教と顕教が同じように振る舞っているとしか見えないわけです。でもそれは、密教からすると「あえて」やってるから、全然意味が違うんです。世間的にチャイルディッシュだと言われる振る舞いを、あえてやる。それこそ密教的にステージが高い人でないと、よくわからないところですよ。
???すると、どうなんでしょう。例えば下の世代で、東浩紀さん(第二世代)はエヴァの時「アスカ萌え」を表明していましたよね。
竹熊 その意味ではあの人も大泉さんといっしょなんですよ。東くんは萌えキャラに対してほんとに萌えてるんです。ところが、一方ではそれを分析する知性もあるでしょう。第一世代の密教オタクからすると、それが同居していること自体、信じられない振る舞いなんです。
???うーむ。
竹熊 繰り返しになるけど、「○○萌え?」って「あえて」やると。さまざまなエクスキューズをつけた上で、わざと俺はバカやってますよというのはOKなんです。密教オタクであれば、「おたく、なかなかわかってらっしゃる」ということになる。バカを自覚している人と、自覚していないその辺のミーハーとでは、同じ振る舞いであっても、明らかに意味が違ってくるわけです。
 ところが、その人が本当に萌えていて、それを恥ずかしげもなく表明できて、そのうえでちゃんと分析までできちゃうというのは、密教の立場とは明らかに違う。要するに、密教の立場に立つか、顕教の立場に立つかで、オタクの見方が180度違ってくるんです。それで東くんや大泉さんのように、知性と教養があって、それでも「萌え」を素直に表明できるような、顕教にも密教にも属さないタイプが出てくると、第一世代は混乱するんですよ。

オタク密教徒こそ、真のオタクである

???僕はそもそも自分がオタクとすら思っていなかったので、まったく無自覚に振る舞っていたわけですね。オウム信者のオタク的心性を分析する大泉は、一方で綾波レイというキャラに恋をしてしまう。でもそれは自分にとってはなんら矛盾もないわけなんですけど、オタクという集団から見ると……。
竹熊 正確に言えばオタク密教の集団から見ると、ということになります。さっきも言いましたが、「萌え」は極めて顕教的な振る舞いなんですよ。顕教オタクというのは、基本的に密教から見ると恥ずかしい存在なんです。バカの集団に見える。
???たしかに韓流スターに血道を上げてるオバサンと大して変わらない部分はある。僕が自分のブログで「キャラ萌えすればオタクなのか」と問いかけた時に「程度問題だと思うが、大泉さんの場合は周囲から引かれるというレベルに達してしまったので、オタクと呼ばれても仕方ないのでは」というような書き込みがあって、反論不能だった。
竹熊 俺も正直引きましたよ、綾波ポエムの時は(笑)。
???(爆笑)読み返せませんからね、今。
竹熊 いやもう、だからエヴァ本を一緒に作っていた時は、「どうしようこれ」と思って。今は笑い話ですむんだけど、密教オタクからすれば、大泉さんのあの時の振る舞いは死んでもできないような、恥ずかしいことなわけで。でもまあ、あの時の大泉さんを「オタク顕教徒」として見るなら、完全にオタクですよ。
???あの時、僕がオタク密教徒でないことははっきりしたわけですね。
竹熊 でね、密教からすれば、「オタク密教こそが真のオタク」なんです。
???おおお、そうだったのか。じゃあオタク顕教はオタクじゃないんだ。
竹熊 世間的にはもちろんオタクと見られるわけですが、密教的には「ミーハー」なんです。
???なるほどね。じゃあ東さんは複雑な立場じゃないですか。
竹熊 東さんは第二世代ですよね。第二世代あたりから、ああいう人が出てきた。
???ああいう人ってどういう人ですか。
竹熊 つまり顕教とも密教ともつかないタイプ。オタク第一世代の密教徒からすれば理解不能の「新人類」に当たるわけですよ。
???なるほど、理解できないものは「新人類」。じゃあ僕は新人類の走りなわけだ(笑)。
竹熊 走りです。こういうふうに言うと分かりやすいでしょう。
???確かに。じゃあ岡田さんって密教徒なんですか。
竹熊 もろに密教徒ですよ。
???そうか。じゃあ岡田さんからすると、俺はほんとのバカに見えたんですね。
竹熊 たぶんね(笑)。
???バカだから何を書いてもいいと思って、「週刊アスキー」の原稿にむちゃくちゃ書いたわけだ。
竹熊 そうそう。
???ところがバカなはずの俺に「この記述の根拠は何か?」と論理的に問い詰められて、驚いたんですね(爆笑)。それで俺に「全面謝罪します」って言っちゃったのか。ある意味気の毒な人だねえ。
竹熊 そういうふうな構造だとすると、よく分かるでしょう。でもあの時の岡田さんの謝罪は、たぶん本人からすれば謝ってない。周囲には「シャレで謝ってみました」ってことではないかな。周囲も「見事な謝罪芸でしたね?」みたいな。
???謝り方が演技過剰でしたね。そういう性格の人なんでしょうが、人が本当に謝る時はあんなふうに多弁にはならないですよね。芸でやったとしたらむしろひどい芸ということになる。一応謝ったので何も言いませんでしたけど、ああいうことを続けて行くと、取り巻きはいくらでもできるんでしょうが、信頼できる人間関係というのがどんどん減っていくんじゃないでしょうか。

エヴァンゲリオンとオタクの政治

竹熊 俺もエヴァをめぐって岡田さんとはケンカになったけど、あのあたりの出来事は、裏でものすごい政治力学が働いていたことが、後でわかってきたんですよね。渦中にいた自分は、最初は無自覚だったんだよね。だから俺が庵野さんやエヴァを支持したり、ガイナックスを取材することに、なんで彼はあそこまで神経をとがらせて、俺に意地悪し始めたのかがわからなかったんですよ。
 ところが関係者の取材を通してだんだん分かってきたのは、エヴァの中で庵野さんが批判したオタクって、実は岡田斗司夫そのものではないかとか、だんだん見えてきたんですよ。まあ岡田さんだけじゃなくて、山賀(博之)さんなんかも、批判の対象だったと思うんですけどね。ここは庵野さんの発言ではなくて、俺の想像なんだけど。現在ガイナックスの社長をつとめている山賀さんは、俺に言わせれば密教オタクの最たる人で……。
???『がんばれベアーズ特訓中』を10回見て監督になった人でしょう。マンガとかアニメとかは恥ずかしいと思っていた人。
竹熊 オタクでもなんでもないって自分で言ってるけど。でもオタク商売をやって成功を収めたという意味では、すごい人ですよ。自分に興味がないことでも、オタクの喜ぶものを作る才能はある。たとえばオタク受けした『トップをねらえ!』のシナリオは山賀さんが書いてるでしょう。「非オタク」を自認しながらね。
???庵野秀明が涙したというシナリオ。
竹熊 そうそう。
???じゃあ庵野さんてそういう意味ではどうなんですか。
竹熊 庵野さんは顕教徒なんですよ。つまり彼は本当に「メカと美少女」が好きなの。本気でそういうアニメが好きなんだよ。
???でも密教的見地からすると、顕教はバカなんでしょう。ミーハーで。
竹熊 だから俺に言わせると、庵野さんっていう存在は、ガイナックスの中ではずっとバカにされてたと思うんです。別にいじめられていたのではなくて、愛すべきバカ、みたいに見られていたと思うね。庵野さんがいなかったら、オタク受けする面白いアニメが作れないわけだから。
???だから手放せない。
竹熊 だって自分たちが庵野さんのような作画ができるかっていったら、できないんだもん。それがガイナックスという、密教・顕教が渾然一体となった組織のダイナミズムにつながったと思うんですよ。エヴァという作品の本質は、そういう周辺事情や組織構造も含めて見て考えないと、分からないですよ。僕はガイナの取材をする過程で、その辺がなんとなくわかってきた。僕が「クイック・ジャパン」で一連のエヴァ特集の最後にやった「山賀博之インタビュー」は、僕の中でのエヴァ仕事の白眉だった。よくも悪くも山賀さんは、僕らの世代の重要人物だったんだなっていうのが分かったわけです。

オタクとオリジナリティー

???そのインタビューは読んだ記憶があります。ずいぶん関係が整理されてきましたね。
竹熊 さっきも言いましたが、密教的な見方を突き詰めていくと、作品がつくれないんですよ。
???そうかもしれない。
竹熊 すべてを批評的にしか見られないから。だから文芸批評家って小説書けないじゃないですか。
???少なくとも庵野さんが原動力にしていた「オマージュ」は発生しない。
竹熊 基本的に創作をバカにしてるしね。だから庵野さんみたいに創作者としてはバカになりきれない。まあ庵野さんもさすがに無邪気じゃないわけですけどね。例えばその上の世代の宮崎駿とか、富野由悠季っていう人たちに比べれば、庵野作品も十分に「批評的」ではあります。これは世代の問題がやはりあると思う。宮崎さんと富野さんって同い年なんですけど、個性はまったく違いますよね。ただ一つだけ共通していることは、作品をつくるということに対する疑いがないことです。
???なるほど。
竹熊 例えば僕の世代から宮崎さんの作品を見ると、やっぱりパワーが桁違いに凄いんですよ。でも、オリジナリティーがないんだよね。つまり僕の世代が批評家的に見ると、宮崎さんの元ネタが分かっちゃう。僕らが創作をやろうとすると、元ネタを露骨に示して、パロディになってしまうわけですよ。ところが宮崎さんは、元ネタがあるにしても、それを自分の「オリジナルと信じて」出せるわけ。そこが下の世代である僕にしても庵野さんにしても、できないところです。心底、これは俺のオリジナルだと信じて、世の中に提示することができないんです。
???庵野秀明の場合はエヴァの時に、その時の自分の状態を「ドキュメンタリー」にして、作品化しなければならなかった。少なくとも自分はオリジナルだから。
竹熊 それをやるしかなかった、彼の場合はね。基本的にクリエイティブって全部パクリですからね。元ネタがないクリエイティブはありえませんから。作者が天から降ってきた霊感だと感じられるものでも、それは過去の人生で触れてきた多くの作品や、知識や、出来事が元ネタにあるわけですよね。それを「パクリ」と自覚するか、それも天から降ってきた霊感のように信じられるかどうかが、「本物のクリエイター」とパロディ世代の分かれ目だと思うんですよ。
 手塚(治虫)にしてもなんにしても、彼らは霊感を信じている。創作することに対する疑いがない。そこは世代の差としか言い様がありませんね。だから、僕もオタク第一世代とか新人類とか言われましたけども、そう言われる僕たちは批評家にはなれるにしても、創作家にはなれないですね。なったとしてもエクスキューズのある創作(パロディ)しかできない。80年代からこのかた、ずっとそうだったんじゃないですかね。僕の場合は、それが『サルまん』だったわけですけども。
???世代的に大きな共通体験がないということはありますね。戦争だとか学生運動だとか。その時に自分の実存をかけてなんかやったということがない。
竹熊 だからそれ(決定的な原体験がないこと)が僕らの世代のコンプレックスになっているし、その中でオリジナルをやろうとしたら、90年代半ばの時点では、『エヴァンゲリオン』みたいなやり方しかなかったんだろうね。世代的に、オリジナルなんてもう存在しないのだという心の叫びとして。これは「神は死んだ」に近いものがあるよね。
???今僕らの世代で萌えアニメを作っている人がいますよね。彼らは女の子がかわいいというのを、自分のオリジナリティーというか、強固な岩盤にして、立脚点にしようとしている。逆に言うと、そこにしか賭けるところがない。
竹熊 確かに僕らの世代からそういう人は出てきました。80年代のロリコン漫画の描き手には、そういう人がいた。でもああいうのは、密教とはちょっと違うよね。自分の生理的な快感原則に素直に表現するということは。それで、そういう人たちは手塚とか白土三平みたいに、ストーリーに対する思い入れはないんだよね。
???非常に効果的に泣かせるだとか、そういう能力は高い。僕が『萌えの研究』を書いていた時に思ったのは、昔の泣かせる少女マンガのエッセンスを男向けに使って作り直してるなということでした。
竹熊 そうそう。ただそれはさあ、80年代以降のサブカルチャー全般における傾向で、音楽だと「テクノ」が出てくるでしょう。テクノポップも、はじめは総体としては「音楽」だったと思うんだけど。80年代後半から90年代にかけて音楽が解体してしまって、音楽ではなく「音」になってしまって、気持ちのいい「音」の組み合わせだけで音楽を作るということが起こる。リズムパターンだけがあってメロディーらしきものがないとかさ。
???東さんの言うポストモダン化ですね。要素に分類して要素の組み合わせをやってんだと。
竹熊 東くんはデータベース化って言うわけだよね。データベースから要素を抽出して組み合わせる。それが現代における「創作」になっている。いい悪いは別にして、それしかできないわけ。

なぜ萌えを表明するのが恥ずかしいのか

???なぜ萌えアニメの話を持ち出したかというと現在のオタク像について考えたかったからなんですが……。
竹熊 僕は散々オタクの話をしましたけど、今までやってきたのはあくまで第一世代の密教オタクについての話なんです。岡田さんと唐沢さんが「もうオタクじゃないといわれてもいい」と言っているのは、ある意味よく分かる。下の世代のオタクと話が合わなくなってきたということですね。密教的な「萌えって気持ち悪いよね。でも気持ちの悪いことをあえてやるのが面白いんだよね」っていうひねくれた価値観が、第一世代だと阿吽の呼吸で伝わるんだけど、下の世代と触れ合った時にはそれがなかったりする。だからどう接したらいいのか分からないんですよ。
 下の世代には我々のようなひねくれがない。ほんとに萌えてるわけだからバカ扱いすればいいんだけど、そうもできない。一方では萌えてる自分が分析できて、萌える自分に恥ずかしいわけでもない。東くんもそうだけど、例えば今30代半ばの森川嘉一郎さんなんかもね。今、桑沢デザイン研究所でいっしょに仕事(ゼミ)をしてますけど、彼は本当にゲーム好きの萌えオタクなんですよ。俺の目からするとちょっと恥ずかしいくらいの。でも一方では、そうしたものに対して学者の立場で、非常に緻密な分析ができる。こういう新しいタイプのオタクがここ10年で出てきた。
???森川さんのアキバの分析の本は面白かったですね。
竹熊 彼は本物のオタクですよ。しかも顕教と密教を併せ持っていて、そこに矛盾を感じていない。たぶん彼は第二世代に入るのだろうけど。
???どうなんだろう。むしろ僕からみると「どうして萌えを表明するのが恥ずかしいのか」っていうほうが気になるんですけど。
竹熊 だから俺なんか古い感性を引きずってるんですよ。
???まあ確かに僕にしても、綾波ポエムを書いた自分は恥ずかしいという部分はあるんですよ。でも後悔しているかというと実はあんまり後悔していない。あれをもってしてオタクと呼ばれるのであればしょうがない。
竹熊 ただね、一般の人がオタクについて考える時、どうしても密教オタクと顕教オタクを混同しちゃうんだよね。違う種類の人間がオタクという言葉でいっしょにされてる。そこは内部の、年季の入った密教徒でないとわからないところで、それだけは指摘しておきたいわけで……。
???思うのは、密教的なオタクの人にしてもキャラ萌えはどこかにあるわけですよね。
竹熊 あります。そうした要素がないと、そもそもオタクにはならないとも言える。
???それを何らかの世代的な理由によって、抑圧しているわけですよね。
竹熊 抑圧してるわけだよね。キャラ萌えは勿論あるんだけども、そこは意図的にセーブするのが密教オタクの条件みたいなもので。僕についていえば、やはりトータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。キャラ萌えだけではなくて、ストーリーとか作者の考え方とか、それ以外のディティールも含めて作品なのだと。ある意味古い考え方かもしれない。
???下の世代もトータルで作品は見てると思いますけど。東さんも森川さんも。その上で萌えてる。
竹熊 萌えっていうのはフェチの一種だと僕は思うんだけど、こう言うとうるさいオタクがいて、また反発される(笑)。
???いや、典型的なフェティシズムのあり方なんじゃないでしょうか。
竹熊 ただ、萌えオタクにせよオタクだから、萌えている自分を他人から分析されるのが嫌なんですよ。
???ああ、どのキャラに萌えているかということをたどって、つまりフェティシズムの一つとして分析されて、そこからその人はどんな人かと類型化されたりするのが嫌なのか。
竹熊 性癖に結びつくものだから、そこを腑分けされていくと外部に自分自身がさらされてしまうということで……。
???結局自分は分析されたくない。
竹熊 これがねえ、だいたいオタクに共通する部分でして、密教徒はことさらその傾向が強いわけですが。外部の目で自分をモルモットみたいに分析されるのが、生理的に許容できないわけ。

キャラ萌えは普遍的である

???分析されたくないか。恥ずかしいのかなあ。文筆活動してる人なんかは、それだけ露出すればまる分かりだと思うんだけど。結局60年代以降に生まれた人間は、掘っていったらアニメ、怪獣、マンガ、でしょう。その後ゲームか。それが無意識に刷り込まれている。オタクだろうがそうでなかろうが。みんなそうなんで、いまさらって気がするんですよ。僕が91年から94年まで夢がコントロールできるというマレーシアのセノイ族のところに取材に行ってた時に、彼らとコンタクトをとるために彼らのアニミズムの文脈で自分の夢の話をすると、もう夢に出てきた怪獣の話ばかりですよ。ガメラとかゴジラとかアニメキャラとか。あるいは彼らの精霊に相当するものを日本から持っていくと……。
竹熊 水木しげるとか。
???そうなんですよ。そういうものが連綿と自分の無意識の栄養素になっていて、それをドンとぶつけるしかないんですよ。
竹熊 セノイ族に。すると通じるわけ。
???ものすごいリアクションがくる。面白がるわけですよ。だって自分たちが生きているアニミズムの世界と非常に近いものだから。
竹熊 それは日本にもあるのか、って。そういうことで仲良くなっていくんだ。
???すごい仲良くなったんですよ。でね、自分を掘っていったら、そこしかないわけですよ。だけどアニミスティックなものというのは、人が成長する際に必ず経験するものでしょう。それにどんなに科学が進歩しても、人は奇跡とか神秘とか変身とかモンスターとかいうアニミスティックな物語から離れては生きていけないですよ。ビデオ屋行けばそんな話ばかりでしょう。僕は子供の頃カルトとかにも行ったわけですけど、それをやめてどこに立ち戻るかといったら、結局水木しげるですよ。
竹熊 そうなんだよね。アニメとか怪獣とか、ファンタジーの世界とかがいちがいに無視できないのは、作家たちが自分の無意識を掘り下げてああいうキャラクターを作っていくわけで、その意味で普遍的なんですよね。
???僕がキャラ萌えをあまり恥ずかしくないと思ったり、『ガメラ2』を劇場で三回見て涙したとかを平気で言ってしまう背景には、むしろその世界の方が普遍的だという意識があるんですよ。
竹熊 なるほどね。セノイ族との付き合いから見えてきたわけか。そういう世界というのは大事なもので、しかも誰の中にもあるものだと。
???人間の無意識にあるものは共通しているし、恥ずかしがる必要はないんじゃないか。アニメキャラと戯れながら成長したり、熱くなっていろいろ考えたりするのは、人間にとって普遍的で当たり前のことじゃないかと。だからもういいじゃん、というところがあるんですよ。どこか開き直ってるんですね。
(つづく)

* 竹熊健太郎(たけくま・けんたろう) 編集家、漫画原作者、ライター。1960年生まれ。東京出身。多摩美術大学非常勤講師。桑沢デザイン研究所非常勤講師。著作に『サルまん』(相原コージと共著、小学館)、『私とハルマゲドン』(太田出版/ちくま文庫)ほか多数。ブログ『たけくまメモ』http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/

草思社