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オタクとは何か? What is OTAKU? 大泉実成
第2回 オタク修行篇・序章
 それは、何の変哲もない店だった。

 2004年の僕には、少なくともそう見えた。
 茨城県にある東海村は人口約3万人の「原子力の村」である。研究者など、一部のインテリがいるにはいるが、もともとは貧しい農村であった。そこに原子力産業がやってきて、農村の次男、三男が就職するようになったという場所柄である。原子力というのが特徴的なだけで、形としては日本中にある企業城下町と変わらない。
 その店は、そんな町の中にある、新刊書と、ゲームソフト、CDなどを扱う郊外型の大型系列店だった。
 2005年に、僕は「萌え」という現象をルポルタージュするため、いくつかの美少女ゲームソフトをプレイしてみた。そして時折この店を訪れていたのだが、奇妙なことに気づくようになった。
 まずはじめに気がついたのが、不思議なPOPだった。
 それはセイバーというキャラクターの描かれた『Fate/hollow atraxia』(*1)という美少女ゲームのPOPだった。大ヒットした『Fate/stay night』(*2)のファンディスクである。店員手作りのもので、それだけなら不思議でもなんでもない。
 ところがそこに、手書きの文字で「この商品は当店では扱っておりません」と書かれていたのである。扱っておりません? そう、その店ではパソコン用の美少女ゲームソフトを扱っていなかったのだ。つまり、『Fate/hollow atraxia』はもちろんのこと、大ヒットした『Fate/stay night』すら扱っていないのだ。誰が扱っていない商品のPOPを作ったのか? しかも『Fate/hollow atraxia』の発売は、そのPOPを目にした日から10か月も先のことだった。なぜ10か月も先に発売する、しかも自分の店では扱わない商品のPOPを飾るのか。
 次に気がついたのは、店の入り口にある大量のガチャポンである。
 ゲームを売る店の入り口にガチャポンがある。きわめて当たり前の光景である。小さな子供たちが、ワクワクしながらその前を走って店の中に入っていく。
 問題はそのガチャポンの中身であった。メモによれば、それはこうである。

『はじめてのおるすばん』(*3)
『魔法天使ジブリール』(*4)
『七瀬恋』(*5)
『ぱすてるチャイム』(*6)
『To Heart 2』(*7)
『褌娘』
『Fate/stay night』

 これを見ても、2004年の僕には何のことやらわからなかったであろうと思う。1年間の萌え取材を経験して初めてわかったのは、この店の店頭で扱われているガチャポンフィギュアのほとんどが、「18禁美少女ゲーム」、つまり「エロゲー」と呼ばれているもののキャラクターだということである。しかもどれもこれもこの店で扱っていないものばかりなのだ。特に『七瀬恋』などは「鬼畜系」「陵辱系」と呼ばれているかなりきつい内容である。3、4歳の幼児とか、小学生とかが喜びいさんで走りこんでいく何の変哲もない地方都市の店の店頭にこれがあるのだ。
 なぜこのようなものがここにあるのか。理由は一つしかなかった。少なくとも僕にはそう思えた。
 「ここには間違いなくオタクがいる」
 この店で働いてみようと僕は思った。

 しかし、世間はそう思うようにはならないものである。例えば、その店では求人が出ていない。
 それは仕方のないことである。そこで僕がやったのは、この店と同じような条件の店の求人を探すことだった。街角で無料の求人雑誌をあさり、生まれて初めてハローワークに行った。
 ネックになったのは年齢である。そういう店の求人は、上限が30歳から35歳くらいまでだった。考えてみれば僕はもう44歳になってしまっているのだった。
 つぶしがきかない歳になったものである。そういえば桜玉吉さんもそう嘆いていたなあ。
 しかし、ノンフィクションライターというのは極めてあきらめの悪い生き物である。そのうち、ハローワークの求人も、町の求人誌も、放っておけば次々に出る、という当たり前のことに気づいた。そのようにしてひと月ほど待っていると、上限が「40歳くらいまで」という店が一件だけあらわれた。東海村にあった店と同名のチェーン店である。44歳は四捨五入すれば40歳くらいであろう。このような強引な解釈のもと面接に行き、奇跡的に採用されてしまった。
 その店は予想どおりの、いや、予想を超えた場所だった。

 まず書いておきたいのは、僕はこの店の内部の潜入ルポ、なんてことをまったく目指していないということである。
 僕が求めているのは、生活の中での有機的なつながりを持った彼らとの関わりである。さらにはなんというか、一種の道場と考えている。ここでたくさんの友人を作り、そこで公私ともども鍛えてもらおうと思っているのだ。
 そんなわけで、店員として働き始めてから、かれこれ2か月になる。まだまとまった文章が書ける段階ではないが、この間、この問題について考えたこと、気づいたこと、疑問に思ったことなどをつらつらと述べたい。

 1. なぜこれほど「買う」のか?

 店で働いていてこんなことを疑問に思うのははなはだ僭越ではあるが、同僚のみんなはほんとによくものを買う。「ゲー今日もまた本6冊買っちゃった」などというのはありふれた光景である。一度レンタルビデオとして寿命の尽きた中古のビデオを目の前で20本ほど一気買いしているのを見たことがある。僕は「綾波萌え」ということになっているが(もちろん自覚はある)、実は『新世紀エヴァンゲリオン』は持っていない。場所をとるし、見たいときはビデオ屋で借りればいいと思っているからだ。このような人間からみると、その所有欲の根源にあるものは何か、というのは実に謎である。アイデンティティの形成のため? あるいは蒐集癖? 自分たちを喜ばせてくれる文化への投資? それとも他の実用的な理由があるのか?
 人がなぜものを買うのかというのはそれだけで一つの根源的な問題だが、考える店員として一番初めに驚いたのはこれだった。

 2.「エロゲーをやる人」と「やらない人」。そして「人間はみんな変態である」。

 現代のマンガ、アニメ、音楽、ゲームに精通した同僚の人たちであるが、彼らは二つのグループに分けることができる。すなわち、「エロゲーをやる人」と「やらない人」である。これは、世のオタク集団に広く見られる現象であろう。
 店ではこの二つの集団は反目しあうというようなことはなく、きわめて仲がいいのだが、それゆえ激しいからかいが起きる。たとえば反エロゲー派が、エロゲー派に「おまえらどっかおかしいよ。変態だろ変態」みたいなことを言う。しかしエロゲー派は毅然と、「人間はみんな変態なんだよ」と述べてゆるぎなかった。さすがである。僕ははなはだ感銘を受けた。
 以前、筒井康隆氏をインタビューした時のことである。『隣のサイコさん』(*8)という本の取材で、僕は筒井さんがどんな人を既知外と考えているのかを知りたかった。ところが筒井さんは「人類はみな既知外。世界は精神病院。違うのはどのような既知外であるかだけだ。そこが面白いんだ」と言い切った。筒井さんの認識が僕が考えていたよりもはるかに先を行っていたので、この時も僕ははなはだ感銘を受けたのだが、それ以来のことであった。
 人間はみんな変態である。
 変態の反意語は正常だろうが、では正常な性的嗜好とは何か。現実の人の成熟した性器を見せられて興奮すればそれでいいのか。だが人間の性的嗜好はそんなに単純にはできていない。何を正常の軸にするかというのはきわめて決定しづらいのである。人間はみんな変態である。誠にそのとおりではないか。
 反エロゲー派はエロゲー派が2次元に描かれているキャラクターに性的興奮を覚えることを糾弾しているのだが、そこには何か性に関わることが描かれているのだからかわいいものなのである。世の中には、真っ白な紙でなければ興奮しないという人間もいるのだ。

 3.「オタク」という語の使用と差別。

 同僚の人たちにはそれぞれ得意のジャンルがある。ある時、1人の先輩に「得意ジャンルは何ですか?」と尋ねたところ、その人は「えーっ、大泉さん、俺は『引きオタ』ですか」と答えた。引きオタとは引きこもりのオタクの略称であり、『俺はまともな社会生活を送れないダメ人間ですか』というわけである。職場で仕事をしている以上引きこもりではありえないので、そこには冗談も混じっているのだが、そのニュアンスには『自分は自分をオタクだとは思っていない』というものがあった。
 彼らといっしょに仕事をしてみて気づいたのは、オタクという言葉がそこでは稀にしか使われないということである。したがってこれは稀なケースであり、しかも質問者の僕はオタクという言葉を使っていない。しかしそこに『オタクとしての得意ジャンルはどこか』という含意を汲み取られたのであろう。
 オタクという言葉の使用は、その言葉の歴史から考えても、常に差別の可能性を含んでいる。しかも、職場にはオタクではない人もいるし、オタク的な人でも自分はオタクだと思っていない場合がある。僕はわりと無造作にこの言葉を使ってきたが、抜き身の日本刀を扱うような慎重さが必要だと痛感した。

 4.刷り込みの違いと世代間論争

 同僚の人たちは大半が大学生か、20代の、しかも前半である。世間で言われる「第3世代」に当たる。一度「大泉さんはいつごろから本を書く仕事をしているんですか」と聞かれて「一番初めに取材したのは1985年ですね」と答えたら「それは私が生まれた年です」と言われ衝撃を受けたことがある。これくらい年齢差がある集団に入ると「ああ、オレは第1世代なんだな」と改めて痛感する。同世代のオタクと話している時は、相手との個性の違いに敏感になっていたが、ここではむしろ違うのが当たり前なので、共通の土台作りにとりかからなければならない。
 何が違うのか。見てきた作品はもちろん違う。しかしそんなことより重要なのは、成長期の、最も感性が柔らかい頃に刷り込まれているものがまったく違うということだ。オタクの世代間論争の根源は案外この辺にあるのかもしれない。
 それでは話が盛り上がらないかというとそんなことはなく、熟練の同僚の人たちは絶妙のサーチングで僕がどういう話題ならついてこれるかを見出してくれる。やはりエヴァの話とガンダムの話は盛り上がる。エロゲー派の人と話していてもっとも盛り上がったのは『Air』(*9)だった。やはり普遍的な名作は強い。

 以上、気づいたことは当たり前のことばかりだが、2か月ではこんなものか。ここで修行を積み、僕なりに経験値を上げて「オタクとは何か?」という問いについての考察を深めていきたい。
(以下次号)

*1 『Fate/hollow atraxia』発売:TYPE-MOON/2005年/http://www.typemoon.com/hollow/
*2 『Fate/stay night』発売:TYPE-MOON/2004年/http://www.typemoon.com/fate/
*3 『はじめてのおるすばん』発売:ZERO/2001年
*4 『魔法天使ジブリール』発売:フロントウイング/2004年
*5 『七瀬恋』発売:M no Violet/2005年/http://www.mink.co.jp/violet/ren/index.html
*6 『ぱすてるチャイム』発売:アリスソフト/1998年
*7 『To Heart 2』発売:AQUAPLUS(PS2)/2004年/http://www.toheart2.net//発売:Leaf(PC)/2005年
*8 『隣のサイコさん』別冊宝島229/1996年/新装版(文庫版)/2005年
*9 『AIR』発売:Key/2000年

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