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オタクとは何か? What is OTAKU? 大泉実成
第1回 なぜ「オタクとは何か?」と問うのか?
 オタクについての言説は数限りなく存在する。しかし、「オタクとは何か?」と問われて、自信を持って答えられる人がはたしてどれだけいるだろうか。
 あるいは「オタクとは誰か?」と聞かれて、本当にこの人はオタクだと言い切れる対象はいるだろうか? 仮にいたとして、それはどんな人なのか。
 どうも、ノンフィクションライターの大泉です。相変わらず太平洋の鈍色に濁った海のそばで、モンスーン式気候に時々訪れる青い空の下、原発事故の多発する茨城県東海村で生きております。そしてこのたびは、いきなり原理的な話を大上段に振りかぶったりして失礼しております。
 話を戻すと、それではお前には「オタクとは何か?」という問いの答えがわかるのか、と問われれば、わからない、と答えるしかない。なんだそりゃ、じゃあ何を偉そうに話を振ってんだよ、というご批判はもっともである。しかし、わからないところに、ノンフィクションライターの仕事があるのである。わからないものをわかろうとしてあがくこと。僕のやっているルポルタージュという仕事は、実にそれだけなのである。延々とあがきながら、少しでもにじり寄ること。
 したがって本稿は、非オタクのノンフィクションライターの、(主観的に)徹底した取材による「オタクとは何か?」という問いに対するルポルタージュ、を目指すことになる。
 しかしここで一つの疑問が生じる。僕は自分を非オタクだと思っており、まさに今そう書いた。しかし僕をオタクだと呼ぶ人がいる。僕は、自分はオタクではないと思っている。アニメ、マンガ、ゲームに対するあの圧倒的な知識と執着が僕にはない。したがって僕が自分をオタクだというのはあまりにもおこがましいし、少なくとも自覚的にそう考えることはない。
 しかしここですでに僕はオタクに関して一つの定義を下している。アニメ、マンガ、ゲームに対する知識と執着があるものがオタクで、そうでないものはオタクではないと。しかし本当にそうなのか。例えば僕は将棋が好きだが、将棋を異様に好きな人間はオタクではないのか。いや、ジャンルにとらわれすぎているのかもしれない。そもそも、オタクの定義とは、ジャンルを超えたより本質的なものではないのか。
 第一、オタクとは何かを考えている人間が、自分がオタクであるか否かを早々に結論付けるのが間違っているのだ。
 では、考えよう。そもそも僕はオタクなのか、それともオタクではないのか。結局多くの問題はここに帰着する。

 本題に移る前に、確認しておきたいことがある。
 それは、なぜ僕が、この「オタクとは何か?」という問いにとらわれてしまったのか、ということだ。「オタクとは誰か?」という問いも考え合わせれば、これらを「オタク問題群」と呼んでもいい。よりによって、なぜこんな問題群に……。
 こう思うのは「○○とは何か?」という問いが、いつも極めて不毛だからである。それは時に、定義をめぐる果てのない議論に終始する。
 定義を直接問題にしなくとも、やはり困ってしまう問題というものがある。たとえば、
「人間とは何か?」
「存在とは何か?」
「神とは何か?」
 といった問題。そんなの正しい答えなんか出しようがないじゃないか、という問題である。いわゆる「大問題」。
 こんなことにかかずりあっていてもいいことは何もない。それがわかっているので、通常であればこんな問題には手を出さない。しかし今、僕は「オタクとは何か?」という問題が気になって仕方ないのだ。
 なぜなのか。それは僕にもわからない。あえて理由をつけるなら、「オタクとは何か?」という問いが、長い間まったく自分のものとしては感じられなかったのに、今は何か切実な問いに感じられる、ということである。では、それはなぜなのか。

「宮崎勤」そして「エヴァンゲリオン」

 僕は1988年に処女作を出版しノンフィクションライターとしてデビューした。翌1989年、太田出版という会社から『Mの世代』(*1)という本に寄稿するように求められた。Mは宮崎勤のM。くしくも僕の世代、そして僕のデビューは宮崎勤事件と重なっていたのである。
 この本の中核にいたのは、「彼がぼくの読者であった以上、ぼくは彼を守ってやる」という発言で注目を集めていた大塚英志と、「おたく」の命名者であった中森明夫だった。より正確に言えば、ロリコン雑誌「漫画ブリッコ」(*2)の元編集者であった大塚英志。1983年にその雑誌で中森が「『おたく』の研究」という連載を始めた時、それが差別的で読者が受けつけなかったため、中森と決裂することになった大塚こそが、まさしくこの本の中核にいた。ロリコンという言葉を明示し、
「今回メディアによって裁かれているのは、結局、ぼくらの感受性なんじゃないかと思うからです」
 と言い切れたのは、唯一彼だけではなかったろうか。大塚はオタクインサイダーであればこそ誰よりもオタクへの差別に敏感だったし、宮崎という人間を同じ感受性を持つものとして守らなければならなかった。
 まあ当たり前のことではあるが、結局のところ、大塚が何をやろうと宮崎を守ることなどできはしなかった。何があっても幼い少女が性的にいたずらされ殺されることがあってはならない。それが当たり前の、しかし激しい世間の意思表示だった。
 だが、日本中が宮崎的なもの、つまり「オタク」を排除しようとしている中で、自分の身を危険にさらしあえて宮崎を擁護する大塚の「覚悟」は一種の迫力を持って伝わってきた。
 この年、僕は27歳だったが、宮崎事件は何か遠い喧騒のように感じられた。宮崎の名前も、逮捕後しばらくしてから友人の電話で知ったくらいである。というのも、この当時僕は、何かと問題になっていたビデオやビデオデッキはおろか、テレビすら持っていなかったのである。もっともそれは18の頃からの僕のライフスタイルで、僕にとっては、何かをしようとするためにはテレビは邪魔ものでしかなかった。
 この頃の僕に「オタクとは何か?」という問いについて尋ねたところで、それは大塚や中森、それにデビューしたての宅八郎の問題、つまりオタクやオタクを巡る評論をしている人たちの問題であって、それがオレに何の関係があるのか、と答えたと思う。

 そして次にオタクと深く関わったのが、1996年。
 『新世紀エヴァンゲリオン』(*3)。
 ああ、話がややこしくなったのは、まさにこの作品のためである。多分この作品がなければこの文章を書くこともなかったろうし、僕の人生はずっとストレートで「それがオレに何の関係があるのか」と言い続けていたことだろう。
 綾波レイというキャラクターにはまるという、これまでの人生で初めての経験をした。もっとも、僕が一人で生きていれば、こんなことは起こらなかったと思う。1990年に結婚した相手が、高校時代にアニメ同好会を創設したという筋金入りであったのが原因だ。好きなマンガをアニメ化させるという妄想に入り込むと、聞いたこともないような声優の名前を連呼するといった程度で、それまでの結婚生活にオタクであるが故の問題というのはまったくなかった。その配偶者が、1996年の初め、東京に取材に行く僕に「フィルムブックを買ってきて」と依頼した作品がエヴァだった。
 この作品は、まさしく「オタクとは何か?」という問いが血肉化した作品だった。エヴァにはまった結果、僕は監督の庵野秀明やスタッフにインタビュー(*4)することになった。庵野監督は同年代であったし、そこで語られていたオタクについての問題は宮崎事件よりはずっと自分にとって理解できるものであったが、その時の僕にとってはまだ自分の問題ではなかった。
 それはいわば、庵野秀明という一人のオタクの問題だった。そして同時に、それを無視できなかった無数のオタクの問題でもあった。このとき取材で僕は数多くのオタクに会い、彼らが発揮する徹底性や完全性への強い希求を見て何度も舌を巻き、そして自分には到底こんなことはできないと思った。それゆえ、自分はオタクとはまったくかけ離れた存在であり、エヴァで提示されたオタク批判はまさに彼らの問題であると、よりいっそう強く感じたのである。
 その後、庵野監督の作品は何本か見たが、どういうわけか入り込めなかった。後にも先にも、日常生活で思わず作品内のセリフを使ってしまうのはエヴァぐらいである。
 オタクとはまったく違うライフスタイルで生きてきたが、たまたまエヴァと綾波レイに捕まってしまった一般人。当時日本中に無数にいたこうした人々の一人なのだと自分では認識していた。
 だが、僕がそうした人たちの一人になりきれなかったのは、やはりものを書くという行為を仕事にしていたからだろう。そして翌1997年、ほんの小さな事件が起こる。

「萌え」との出会い

 2004年の夏に、講談社の編集者から「『萌え』についてのルポを書いてくれませんか」という提案を受けた。この言葉はまるで空気のようにいつのまにかわれわれの日常に侵蝕してきた。そして世間に蔓延していき、流行語大賞にまで顔を出すことになった。その編集者はガチガチの非オタクであったため、いったいどんな顔をした人が何を考えて「萌え」という言葉を使っているのか、強く疑問に思ったようだった。僕は核問題をテーマにしたノンフィクションを書いていたので「何を言い出すんだろう」と少しあきれていた。その背景には、「ほんの小さな事件」を経験した時の、萌えに対する強い違和感があった。
 1997年、僕は、自殺してしまったマンガ家とか、いつの間にか消えてしまったマンガ家を追うという仕事(*5)をしていた。これをマンガ原作者で、いっしょに庵野監督のインタビューの仕事をした竹熊健太郎が面白がってくれ、彼が相原コージと組んでやっていた『サルでも描けるマンガ教室』(*6)にゲスト出演することになった。この作品は連載をすでに終えていたが、新装版のためのボーナストラックが必要だったのである。
 僕に割り当てられたのは、マンガ家を消すと恐れられ、しかも憑かれたように「消えたマンガ家」相原・竹熊を追いかけるルポライターというものだった。ある意味、実に直球の役回りである。上がってきた作品を一読したところ、いささかデフォルメはされているものの、普通の自分が描かれているだけだった。
 少しホッとしてもう一度読み直した時、奇妙なことに気づいた。マンガの中で僕は日本中を走り回って二人を追いかけているのだが、その時、小さな文字で何かを叫んでいるのである。それが「アヤナミ萌え?」というセリフであった。
 それを読んで僕は目をパチクリさせることになった。「萌え」という言葉の意味がわからなかったからである。
 まあこういう言い方はより誤解を招くのかもしれないが、僕が綾波に対して「特別な感情」を抱いているのを、もっとも至近距離で見ていたのが竹熊さんだった。二度にわたる庵野監督インタビューでも、エヴァ・スタッフインタビューでも、その場にいる全員にあきれられながら綾波についての質問を繰り返す僕を、何かあきらめたように見ていたのが竹熊さんだった。さらに僕が「綾波レイとは何か? それは……」が延々と続く一文を書き、それがいつしか「綾波ポエム」と呼ばれ、こころある多くの人たちから「さすがにさむい」「こわいよこれ」と言われ続けていた時、「オタクというのはいかに熱くならずに作品にのめりこむかという矛盾した存在なんだ」と冷静に教えてくれたのも竹熊さんだった。すなわち僕の行為は、容易にキャラクターに熱くなってしまう初心者の行為だったわけである。耐性というものがないのだ。まさに一般人。
 「何年後かには恥ずかしくなるんですかね」
 「そりゃそうだ」
 という当然のやり取りがあり、それは僕がいまだにそのぺージを読み返せないことで証明された。現在ポエムはネット上にさらされているが、自戒のため放置してある。

 この時、僕は萌えという言葉に初めて出会ったわけだが、いったいそれが僕の「特別な感情」のどのへんを指している言葉なのかわからず、語感から推察するしかなかった。しかも萌えという言葉にはどことなくエロティックな響きがあり、推察すればするほど想像はおかしな方向へと流れていったのである。
 竹熊健太郎という人もまた、自他共に認めるオタクである。テーマはアニメでもあるし、するとこれはオタク用語であろう。しかし僕にはこの言葉を使ってオタクたちがどのようなコミュニケーションをしているのか、さっぱりわからなかった。ひょっとするとこれはオタク世界のものすごい差別用語なのではないか。あるいはものすごく恥ずかしいことを意味しているのでは?
 「いったい萌えとは何なんだ」と苦悩する日々が続いた。周囲のオタク系の友人たちから情報を集めたりして徐々にその意味がわかっていったわけだが、この時期に僕の中の「萌え」に対する違和感は決定的なものになっていったのである。
 したがって2004年に「萌えについてのルポを書いてくれませんか」と提案された時、一度は断ろうかと思った。しかし、時がたつにつれ「俺は萌えに借りがあるのだ」と感じるようになっていった。そしてしだいに、自分なりに「萌え」の世界と決着をつけたい、と考えるようになったのである。
 「オタク」は自分の問題として感じられなかったが、「萌え」は自分の問題であると感じたのだ。
 そんなわけで、およそ一年の間萌え取材を敢行し『萌えの研究』(*7)という本を書いた。
 といっても、たいそうなことはまったくやっていない。オタクたちが萌えると言っているライトノベルやゲームやマンガやアニメを体験して、その感想を主観的かつ身勝手に書いただけである。本の中にも書いたが、普段の僕はテレビアニメは見ないし、ライトノベルは読まない。美少女ゲームはやらない。マンガは読むが、いわゆるラブコメは嫌い。おまけにグッズの蒐集にはまるで興味がない。およそオタク的習性を持たないので、彼らの世界は逆に新鮮に感じられた。
 いずれにせよ、オタク世界にも萌え世界にもうぶな初心者が本を書いたので、当然熟練のオタクの目からすれば穴だらけということになる。お笑いでいえばボケの状態になっており、ネット上でたくさんのオタクの皆さんからツッコミを受けた。みんな実に気持ちよさげに突っ込んで下さって、ここまでは予想どおりだった。
 予想していなかったのは、僕が非オタクの立場から萌え世界をルポする、という立場を打ち出したのに対して「大泉が非オタクとか言うのはちゃんちゃらおかしい」という批判が相次いだことであった。僕の自覚とはうらはらに、どうも人様の目には僕は非オタクとは映っていないようなのだ。
 「『消えたマンガ家』などという本を書き、庵野秀明のインタビュー本をつくり、『水木原理主義者』と称して水木しげると妖怪を探して世界を旅し、あまつさえ綾波萌えとか言っているやつのどこが非オタクなのだ」
 というのがおおむねの主張である。うううむ、反論できん。
 挙句の果てには「薄オタ」とすら呼ばれた。濃いオタク、の反対語である薄いオタクの略称である。僕の本を読んで僕がオタク的知識が薄いことがわかったようで、このような称号をいただいたのである。濃いことが尊いとされるオタク内の序列からすれば、一種の蔑称であろう。自ら非オタクと言っている人間に対して、あえてオタク内に引きずりこんだ上でその価値観で序列付けをするのであるから、ひょっとしてオレにケンカを売っているんであろうか(書評の内容はそういうものではなかったが)。
 このような批判を受けた後も、自分が非オタクであるという自覚は変わらなかった。しかし、心の底に次のような疑問がめばえたのである。
 『オレは本当にオタクではないのだろうか』

「オタク」が世界に滲出していく

 ここで、話は冒頭に戻る。では、そもそも、オタクとは何なのか。そしてオタクとは誰なのか。
 無論、それは本稿の最終的なテーマなのでここで結論が出るはずがない。しかし、仮説的な定義を作っておかないと、話が先に進まない。ということで、暫定的にネット事典に書かれている「オタク」の定義を起点にし、それを作業仮説にしてみよう。いわゆる、たたき台というやつ。
 ということで、Wikipediaを見てみる。こうある。

 おたくとは、趣味に没頭する人の一つの類型または、その個人を示す言葉である。

 おお、オタクって「趣味に没頭する人」なのか。なんて端的。
 だが、たちまちわらわらと疑問が湧いてくる。まず第一に、それではマニアと同義になってしまう。あるいは趣味人といってもいい。それでいいのだろうか。例えば、盆栽に没頭する人は、盆栽オタクと呼ぶのか。どうもピンとこないが。
 一方で、確かに趣味に没頭する人がオタクと呼ばれる現状があることもわかる。別な言い方をすれば、昔鉄道マニアといわれた人たちはそのまま鉄道オタクと呼ばれている。マニアがオタクに挿げ替えられたのだ。しかしなぜそんなことが起こったのだろう。オタクはマニアよりさらに差別的な響きを持っている。結局人は人を容易には尊敬したがらないので、侮蔑的な言葉の方がより伝播しやすいということなのか。
 しかし、こういう「マニア」的用法は後に派生したものであって、オタクの原義はもっと別のものだったはずだが?

 対象年齢を過ぎたアニメや漫画、アイドル、ゲーム、コンピュータなどを趣味とする独身男性に対して用いられる。

 そうそう、これである。いい年こいてアニメやマンガ、アイドルやゲームにうつつを抜かしている奴。しかし待てよ、では自分はどうなのだ。俺は今でもマンガは読むし、エヴァにはまったのは34の時だ。だけどその程度でオタクなどと呼ばれるものなのか? こんな大人は今はその辺にゴロゴロいて、いわゆる「普通の人」になっているはずでは?
 うーん、なんだか不穏な風が吹いてくるようだ。しかしこの定義だけを見れば、世間の一般人は徐々にオタク化しているようにも感じられる。
 しかし、だいたい俺は結婚している。ここには「独身男性」と書いてあるし、実際のところ、オタクの独身率は高いはずだ。やはり僕はオタクとはいえないのでは?
 ところがこの定義には、実は、続く言葉がある。

 独身男性に対して用いられることが多かったが近年、独身女性や既婚者または、前述以外のややカルト的な趣味を持つ人に用いられることも少なくなくなってきている。

 ここに至ってはっきり認識しなければならなくなった。
 「オタク」という概念は、近年、明らかに広くなってきているのだ。肥大化? 意味の拡散? 多様化? 垣根が低くなった? どれが当たっているのかわからないが、広がっていることだけは確かなようである。
 そして、僕がこの問題がどうしても気になって仕方がない理由も徐々に見えてきた。つまり「オタクとは何か?」という問いは、これまでは圧倒的にオタクインサイダーの問題だった。ところが、このように意味が広がってきたせいで、僕のように自分は一般人だと思っている人間にも適用されることが増えてきたのだ。つまり、昔はオタクの問題だったのだが、今は僕たちがなんとかしなければならない問題になってきているのである。「いったい自分はオタクなのか、それともオタクではないのか」という問題を、一般人の側からはっきりさせる必要が出てきたのだ。
 このように考えると、僕のような人間が「オタクとは何か?」と問うことにも意味があるように思える。

 僕はノンフィクションライターなので、いずれ取材に出て事実と向き合うことでこの問題と対峙するようになるが(というか取材そのものはもう何か月も前から進めているのだが)、今はもう少しこの問題についてパソコンの前で考えたい。
 なぜ僕が、自分はオタクか否かという問題にこれほどこだわるのか、というと、個人的には僕にオタクに対する劣等感があるからだと思う。あの、圧倒的な専門知識に対する畏怖と憧れの気持ち、と言い直してもいい。それはこの仕事を続ける中で数多くの優秀なオタクに出会ってきたせいだろう。2004年から『萌えの研究』の取材のために多くのオタク系の作品を見てきたが、実に豊かな土壌で、これからもまだまだすごいものが出てくるのではないかと感じた。『新世紀エヴァンゲリオン』にしてもそうだが、一つの分野で真に大きな達成をするのは、何らかのオタク的な資質が不可欠ではないか。ある意味で、今の日本を支えているのはオタクだともいえる。
 一方で、僕の中にはオタクの一部の人間に対する生理的な不快感がある。彼らの外見は時に目を背けたくなるし、彼らが人間関係の中で見せる独特の狷介けんかいさ、思い込み、甘え、短絡などには、時にはそれ相応の報復をせざるを得なかった。多くのオタクの友人はむしろ律儀なほどで、こうした傾向を見せるのが一部のオタクであるだけに、実に残念に思うのだ。
 こうしたアンビバレントな感情を持つのは、もちろん僕だけではない。

 「社会一般からは価値を理解しがたいサブカルチャーに没頭しコミュニケーション能力に劣る人」というネガティブな見解から「特定の事物に強い関心と深い知識を持つ一種のエキスパート」であるといった肯定的な主張まで、オタクの意味するところは人により大きく異なり定まっておらず論争も多い。

 これは先ほどの事典の続きだが、多くの人の中にはオタクに対するこのように引き裂かれた評価がある。そして、そのような存在として自分が認知されていくのか、という点にジレンマを感じるわけである。「特定の事物に深い知識を持っていればオタクなのかよ」とか「別にコミュニケーション能力に劣るつもりはねーぞ」などと叫びたい衝動に駆られる。やはり何かが間違ってるんじゃないのか。しかし、人からどう思われるかを気にしていたら何にもできないよな、というあきらめに似た気持ちも出てきたりして、何かどんどんもうどうでもいいやという気分になってくる。
 いやいや、それでは話が終わってしまう。ここで僕はあくまで突っぱねることにする。
 少なくともこのネット事典の定義からは、オタクの大雑把なくくりしか見えてこない。何か特定のジャンルに熱中する人ということを言っているだけだが、それだけでは「オタクとは何か?」ということも、「私やあなたはオタクなのか、それともそうでないのか?」ということもいまいち見えてこない。オタクはもちろん特定のジャンルに熱中する人だろうが、彼らが特徴的なのはむしろその熱中の仕方ではないのか。
 では、オタクに特徴的な熱中の仕方、つまりその対象との関わり方とはどういうものなのか?ということで、以下次号。

 最後になったが、この連載タイトル「What is OTAKU?」は、大山倍達のベストセラー『What is Karate?』(*8)に由来する。中学の頃の僕の愛読書であった『空手バカ一代』によれば、大山がヨーロッパへ行った時に空手の威力をまざまざと見た人々が思わずこうつぶやいたことがヒントになったとされている。こういうオタクみたいなことを書くから話がますますややこしくなるんだというご批判はあえて甘受しておきたい。初めて取材でコミケに行った時も思わずこう言いたくなったが、今まさに僕の中には「オタクとは何か?」という疑問が渦を巻いているのである。

*1 『Mの世代──ぼくらとミヤザキ君』大塚英志、中森明夫ほか著、太田出版、1989年
*2 「漫画ブリッコ」大塚英志、緒方源次郎編集、セルフ出版?白夜書房、1982?1986年
*3 『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズ、GAINAX企画・原作、庵野秀明監督、全26話、テレビ東京系列放映、1995?1996年/劇場版『DEATH & REBIRTH シト新生』1997年/『Air/まごころを、君に』1997年/『DEATH(TRUE)²/Air/まごころを、君に』1998年
*4 『スキゾ・エヴァンゲリオン』庵野秀明著、大泉実成編、太田出版/1997年  
   『パラノ・エヴァンゲリオン』庵野秀明著、竹熊健太郎編、太田出版/1997年
*5 『消えたマンガ家』大泉実成著、太田出版、1996?1997年/新潮OH!文庫、2000年
*6 『サルでも描けるまんが教室』相原コージ、竹熊健太郎著、小学館、1991?1993年/新装版1997年/21世紀愛蔵版2006年(8月末刊行予定)
*7 『萌えの研究』大泉実成著、講談社、2005年
*8 『What is Karate?』Oyama Masutatsu著、Richard L. Gage訳、Japan Publications Trading Co./1966年

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