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この世があの世に見える時──老年の幸せと不幸せ 岡野薫子
拝啓
電話でも申し上げましたが、耳は聞こえず声は出ずで、どうしたら良いかわかりません。これは神さまが感覚を一つづつ消していって、あの世の生活に慣らさせて下さっているのかも知れません。

 坪田譲治氏が七十九歳の時、私宛に下さった葉書の冒頭の部分である。坪田先生はこのころ難聴に悩まされ、いつも補聴器を使っておられた。補聴器は、ふとしたはずみに耳から外れると、ピーッと甲高い音で鳴りだす。まさか、耳の中でその音が鳴りひびくとは思わないが、器械の助けがなくては話が聞えないというのは、どんなに不自由なことかと察せられた。
 葉書の文面には、悲観的な心情が表われているものの、いつも坪田先生に接する限り、そうした暗さは全く感じられなかった。氏独特のユーモアのセンスで、ご自身の老いについて体の変化を客観的に認め、しかもそのことが不思議でならないというふうであった。
 
 帰りの切符を買おうと思って、ポケットに手を入れたところ、もう、そこに切符があります。見ると、ハサミが入っています。来る時の切符なんです。それにしても、それを渡さないで、どうして改札が通れたか、首をひねっても、ひねっても解りませんでした。

 当時、私は四十歳代に入ったばかりで、老年期の苦労や悲哀など全く理解できなかったから、まるで落語か笑い話をきくような気楽さで耳を傾けていた。それは多分に、氏の飄々とした語り口のせいもあった。
 夜道で誰かに後をつけられて怖い思いをしたという話。帰宅時、一人で淋しい道を歩いていると、誰かが後をつけてくる。立ち止まると、その相手も立ち止まる。こちらが速足になれば、相手もそれにあわせて速足になる。ようやくわが家の門まできて、さっと後ろを振り向いたが、そこには誰もいなかった……。
 全ては補聴器のなせるわざで、聞えていたのは自分の足音だった。「実によくできた話だ」と、先生ご自身で感心されている。
 氏の晩年のエッセイには、そうした老年の不思議が屡々とりあげられている。
 老いるということ自体、本人にとって未経験のことばかりである。その時々に自覚するわが身についての発見は、幼な子の発見の驚きにも似ている。幼な子と異り、老人の場合は、こんなことができなくなったという逆の発見だ。
 人生の最終段階とは、こういうものだったのか。そのことが身にしみて判ってくるのは七十五歳頃からではないだろうか。人間の一生も全ては自然の大法則の上に成り立っているわけで、“生かされている”という気持も、特別な感情ではなしに、極めて自然に実感として生まれてくる。
 老年期の自覚症状として、誰もがふとしたおりに気がつくのは、“もの忘れ”である。
 いや、“もの忘れ”よりもっとはっきりした形をとって表われてくるのが、目の老化である。但し、肉体的にはまだ活力に満ちている時期なので、目の老化についてとりたてていう人はあまりいない。生まれつきの近視の人もいたりで、老眼は比較的受け入れやすい。
 私の場合は、老眼になるのが普通の人よりも早く、四十歳代の半ばには既に老眼鏡が必要になった。私にとって、メガネをかけることは決していやではなかった。それによって、もの心つくころからの顔へのコンプレックスからぬけでることができたためである。メガネのフレームひとつで、顔の表情はひきしまって見えたし、一種の変装気分を楽しめた。メガネをかけたり外したりが面倒で、かけたままでいたら、視力のほうがそれに追いついて、メガネをかけずにはいられなくなった。私の場合、普通より早く老眼になったのは、こうしたことも原因の一つであっただろう。何事によらずマネをしていると、そのようになってしまうことはよくある。
 時の経過と共に、私の目の調節能力の衰えは加速度的に増していった。遂には、いくら度を強くしても、視力の補正は効かなくなった。“水晶体”という目のレンズそのものが濁ってくる老人性の視力障害「白内障」が始まったためである。さながら霧の向こうに物を見るようなぐあいで、はっきりしない。濁ったレンズは使いものにならないので、これを砕いてとりだして、代りの人工レンズととりかえなくてはならなくなった。
 七十代になれば二人に一人の確率で白内障になるともいわれ、周囲に、白内障手術をうけた友人も多い。誰もが「あんなのは手術のうちに入らない」などと簡単そうにいう。「新聞を読むのにメガネが要らなくなった」と喜ぶ者もいる。しかし、私の場合、仕事の上で目を酷使することもあって、術後は確実に疲れやすくなった。しかも、目からくる疲れは全身にひろがる。肉体の老化との相乗作用があってのことなのである。「老衰はどの機能が最初にそこなわれるかによって、千差万別の形をとる」といったのはボーヴォワールであった。
 「老年は、たいてい突然はじまるものである。それも、なにか特別の出来事、たとえば病気などと共にやって来ることが多い。これは、軍隊で『前哨』と呼んでいるものと同じ役目を果たすのである」と、ヒルティも、『幸福論』のなかで記している。
(註・前哨とは、休止中の軍隊の前方に警戒のために配置する軍隊のこと。本格的な活動にはいる前の準備的な活動の意)
 ヒルティはまた、「最後におとずれる試煉は、老年における感覚的諸力の衰えである」と記している。「このことは自然のままの人間を悲しみで満たし、強い性格の人をもしばしばほんとうの絶望につき落とすことがある」と。そして、それらは自分がその身になって初めて知ることばかりだ。耳の聞えがわるくなりはじめた知人が或る時、述懐した。
 「としとって耳が遠くなるのは静かになることだと思っていたら、そんな単純なことではないんですね。不要のものがまぎれこむのだということが判りました」
 不要のもの──つまり、どうでもいい音と必要な音との境があいまいになって判断を狂わすということなのである。
 こうした諸々の試煉を、人生最後の段階にうけることで、私たちは完成されるということなのだろうか。
 さて、白内障をきっかけに、病院が身近なものになり、私は初めてそこが、これまで思っていたような特殊な環境ではなかったことを知った。
 私自身は生まれつき健康に恵まれて、これまで病院とは殆ど縁がなく、たいていは自然治癒に任せて薬もあまり飲んだことがない。患者の見舞いに行くのと自分が患者になるのとでは、こんなにも感じ方が変るというのは、一つの大きな発見であった。
 医学の進歩のおかげで、今では誰もが自分の体の状態を、かなりな精確さで知ることができるようになった。それは、かつての予防医学の範疇を遥かに超えている。
 病院は必ずしも重病人だけが行くところではなくなった。しかも、老齢者はいつでも必ずどこかが不調なので、一旦気にしだすと、始終検査をしてもらわなくては気がすまなくなる。医療保険で、費用も驚くほど低額だし、誰もがその恩恵を受けられる。日常的に時間に拘束されず、暇ができた分、その関心は自己の健康状態へと向けられる。暇のある年寄りが、本当の重病人の検診を妨げる事態を招いているとしたら……。そのことのほうが心配になってくる。
 また、こうした過剰な関心によって、逆に病気を呼び寄せてしまうこともありそうだ。検査結果の数値に一喜一憂する人たちを見るにつけ、そう思わずにはいられない。生きている体は流動的で、決してひと処に止まってはいない。不調がおこれば、これを阻止しようとする生体の反応が自然の力でおこってくる。いつのまにか治っていたというのも、そうした結果なのである。
 いや、治る筈の病気が手おくれになる場合だってある──と、反対する人たちもいるだろう。老人の病気は若い人より治りにくいものなのだ──と。しかし、だからといって、老年期の生きる目的が自分の健康にのみ向けられるというのでは、残り少ない命をつまらなく費しているようなことになってしまう。
 脳の検査をしてもらった友人が、医師から、脳梗塞の痕がいくつかあるといわれてショックをうけ、次はどこに梗塞がおこるか教えてほしいといった。彼女はクリスチャンで信仰に篤い人だ。
 「脳のどこにおこるか、それが重大な箇所であっても、わたしには覚悟ができています」と、彼女自身がいったのは、医師がそれを隠していると思ったからである。医師は「判らない」と答えたあと、「それほど心配なら、予防に頭痛薬を飲んでみては」といったそうだ。その頭痛薬は血流をよくする効果があり、最近、脳梗塞の治療に使われはじめている。しかし、副作用のほどはどうなのか。
 老いた肉体のどこにいつ異変が起るか。気にしだすときりがない。若い時にはなかったことだ。若い時は何よりも、自分のすることに関心が向けられていたからである。老いて体の動きがぎこちなくなると、何をするにも自分の体を意識しないわけにはいかなくなる。体は疲れやすく、億劫さを増す。このことが怠惰につながる。
 人間はもともと怠け者にできているのだろうか。年金生活で、働かなくても収入があるとなると、それだけで何もしなくなってしまう人が多い。
 頭の働きにしても、文字を書くのを億劫がっていると、字を忘れ、辞書をひくことも考えることも面倒になってくる。その分、頭は錆びついていく。結果として、豊かな時間を所有しながら、住む世界を自分で狭めていってしまうのだ。しかも、せっかくのゆとりの時間を体への関心に多く費すことにでもなれば、これほど自分にとっての損失はない。為すべき仕事がないためにおこる悪循環である。
 アレキシス・カレル博士(ロックフェラー医学研究所)は、『人間この未知なるもの』(訳・桜沢如一、角川文庫)のなかで、心理的活動が器官に及ぼす影響について、「精神のすべての状態は、それぞれ生理的に現われる」と述べている。心理的に興奮してくると、口が渇いたり、指先がふるえたり、心臓の鼓動が速くなったりするのは、私たちが日常的に経験することである。こんな時は、意識していくらおさえようと努力しても、体のほうで勝手に反応してしまう。

 ……時としては悪い報せを聞いて冠状動脈に収縮を起して、心臓の貧血などで急死を招く人がある。部分的な血液循環増進または減少によって、感情がすべての腺に働きかけ、分泌を増加したり、止めたり、時としてはその化学的性質を変化することさえある。(中略)
 羨望や憎しみや恐れなどが、常に習慣的に続けられると、身体にいろいろな変化が起って、遂に本当の病気を招くことがあるということは、人の知るところである。心配事は非常に深く健康を左右する。実業家で心配事を巧みに解決することを知らない人々は若くして死亡する。長年の経験ある医師は、長い間の悲しみや、不断の心配などは癌の発展を助成する事実があるようにいっている。非常に感動し易い人々にあっては、いろいろな感動が組織や体液に著しい変化を及ぼすものである。(前掲書)

 カレル博士は一九一二年にノーベル賞を受けた世界的に著名な生理学者である。また、この本が書かれたのは今からおよそ七十年も以前で、当時既に博士は、人間が機械や物理的・物質的な世界に没頭することの危険を憂え、「人間の肉体や心霊に眼を向けなくてはならない」と警告している。

 ……文明が進めば進むほど人間が退化して行くから、どうしても此処らで一度、それが人間にどんな影響を与えているか、人間を果して幸福にしているか、それとも不幸にしているかをはっきり篤と見極めておく必要がある(中略)
 人間は「生きていない物」「生命なき物」の科学(物理や化学や……)の見事な進歩に魅惑されて、人間の肉体や精神が星の世界の法則のように正確で、しかも、それよりも遥かに不可解な法則に従うものであるということは解していないし、それを犯せば忽ち危険に瀕するものであるということをも知らない。
 だから人間は、人間を宇宙に結びつけ、また人間同志を互に結びつける避けがたい関係を知り、また肉体の組織と精神の関係も是非とも知らねばならない。実際に於て人間は万物の頭である。
 人間が退化して衰えて行くとなれば、我々の文明の豪華さも宇宙の壮大さも消え失せてしまうであろう。(前掲書・まえがきより)

 この警告にもかかわらず、私たちは現在、機械文明を遥かに超えた電子化の時代を生きている。
 何事も画面での疑似体験により、生物体としての人間そのものが弱くなり、感動もなく、生きている感じが稀薄になっているという事実。また一方では、エスカレーターやエレベーターなどの日常的な乗りものが、筋力の衰えた老年者にとって生きやすい世の中にもしている。
 老年期はしかし、人によって早い遅いの差はありながら、肉体的には確実に衰えていく。精神的には様々な経験を積んだ後の高揚の時期でもあるだけに、肉体の衰えとのこの落差はきつい。自然は大きな営みのなかで、その一環として、次の世代に引き継ぐための準備を始めてしまうのである。人間もまた生物である以上、誰もがこの事実を受け入れないわけにはいかない。こうして、私たちの肉体は個人の意志とは関係なく、成熟を経て終末(死)へと向う。時間をとめることが不可能なように、誰もその進行をくいとめることはできない。
 老化による異変は日常的に、ちらちらと顔を覗かせてくる。
 例えば、指先の感覚がおぼつかなくて、缶詰の蓋が開けにくかったり、また、服の袖に腕が通しにくかったりする。最初はそれが、自分のせいではなくて相手のほう、つまり、特別開けにくい缶詰のせいであり、特別着にくい服なのだと考える。また、今まで無意識に手をのばせば楽に取れた食卓の上の小壜が、すぐには取れなくなったりする。腕の筋肉がすんなりのびてくれないのである。中華料理のターンテーブルでも同じ思いをすることになる。テーブルの下に誤って落したナプキンも、拾うのがなかなか難しい。足裏の感覚も衰えて、ものにつまずきやすくなる。
 また、突然、体のどこかに痛みが走るかと思うと、たちどころに消え去る。
 初めは日によっておこっていた、そうした現象は、やがて執拗におこるようになり、これまで漠然としていた“老い”は、徐々にはっきりした形をとりはじめる。“人生は束の間”。誰もが、俄かにこの感覚に襲われる。
 老年期とは、こうして、誰もがいやでも存在の有限を自覚させられる時期である。自分の存在が無くなるというのだから、自分にとって、これほど一大事のことはない筈なのに、そうした不安は老年者以外には理解してもらえない。いや、同じ年代の者たちの間でも、本気でそのことを話題にすることは避けている。これは、弱音を吐かないという戦時中の教育のせいだという者もいるけれど、他人に老いの不安を悟られまいとするのは、多分に本能的なものではないかと思う。私が住んでいるマンションの管理人(男性)は、年齢より若く見せるために髪を染めている。そうした見かけで、立ち入りの業者たちにバカにされずにすみ、睨みがきくのだという。
 人はとかく、自分の幸せを相手の不幸せと比較して優位に立ちたがる。誤解を恐れずにいえば、弱者を労る気持のなかにも、こうした気持は紛れこむ。年老いた人間は、世の通念からすれば弱者といえるからである。気が強く負けず嫌いな人ほど、“老い”の自覚には抵抗があるだろう。しかも、他人の目は非情にもこれを見抜く。自分の目はごまかせても他人の目はごまかせない。
 “老い”の現実はまさにドラマティックな世界そのもので、文学や劇にしばしばとりあげられる。
 “エドマンド・モリス”の戯曲『木の皿』は、“老い”がテーマのドラマで、タイトル通り木の皿が象徴的な意味を持つ(一九五四年にイギリスで初演、その後ブロードウエイで公演。以来、世界各地で上演され、一九六〇年にはアメリカでテレビ化された。日本では二〇〇三年に加藤健一事務所により公演)。

 肉体的に衰えのきている七十八歳のロンは、すぐ物を壊してしまうため、彼の食事だけ陶器の食器ではなく、木製の食器『木の皿』に盛って出される。そのことは、大の大人が子ども用の食器で食事をさせられているようで、ロンのプライドはひどく傷つけられる。陶器の食器は、人間としての尊厳をも象徴しているのである。(加藤健一事務所二〇〇三年公演パンフレットより)

 アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』は、老いたセールスマンを主人公に、“時間”が大きな主題となって全篇を貫いている。
 過去と現在は、老いたセールスマンの頭の中で激しく交錯する。時折過去に戻っての若々しい自信に満ちた行動は、現在、年老いた彼の錯乱によるものでしかない。そんな哀れな主人公に、私たちは共感を抱く。普遍的な人間性を余すところなく見せてくれるからである。
 劇中、主人公ウィリーの兄が訪ねてくる短い場面がある。金鉱を掘り当てた成功者だというにしては、この人物は暗く鋭く、闇からの使者にふさわしいイメージで登場する。手にしたステッキもいつ凶器に変るか判らない恐しさを垣間見せる。彼は、しきりに引きとめようとする弟に向い、懐中時計をとりだしながら、「もう時間がない」と繰返し、あわただしく去っていく。もう時間がない。その言葉の重みを、主人公のセールスマンは気づいていない。過去の出来事のなかで語られるこの場面は、忽ち現在に戻るから、観客はそれを年老いた主人公にだぶらせて観ることになるわけである。
 この芝居を私は何度か観たが、若いころは主人公のセールスマンと同じで、兄の言葉のもつ意味の重さに気づかなかった。ただ、妙に心に引っかかり、印象にのこる場面であった。この人物が殺気をはらんでいたことと、“時間がない”の台詞のせいだった。
 「老いるとは少しずつ孤独になることである」とは、『老いのレッスン』(クロード・オリヴェンシュタイン、鳥取絹子訳、紀伊國屋書店)のなかの著者の言葉である。また、「老いは比較から生まれる」と、次のように述べる。
 
 老人とひと口に言っても、いろいろなレベルがあり、年齢がある。老人たち自身、お互いを観察し合い、誕生日や肉体的な自立能力を比べる。行動範囲が狭くなった様子をうかがい、平均寿命から自分の余命をはかる。すべて比較である。

 私自身は、老年後期に足を踏み入れた今、これまでとは違う世間の目を意識させられるようになった。例えば日常の買物ひとつにしても、店員は釣り銭を渡す時に下から手を添える。勿論、落とさないようにとの心遣いだ。年寄りと見たらそうするように訓練をうけているのだろう。邪険に感じる手もあれば、温もりを感じる手もあるが、総じてその接触は不快である。誰しも(店員の側にとっても)それは同じらしく、最近はどこの店でも、レシートにのせて手渡すようになった。
 年寄りというだけで、憐れみ、軽蔑の目で見られることもある。まるで目下の者にでもいうようなぞんざいな言葉遣いと出会うのは、主に公的機関である。それも、相手が自分のミスに気づいた場合や、こちらが何かを教わる場合で、相手が優位に立っていることを自覚したいと思う時に、そうなるようである。
 「老人が容易に階段をのぼることができなかったり、よろよろとした歩き方しかできないと、思考力や記憶力も損なわれていると判断されてしまう」と、『ライフサイクル、その完結』(E・H・エリクソン、J・M・エリクソン、村瀬孝雄・近藤邦夫訳、みすず書房)にも記されていて、どうやら、これは国を問わず人間社会共通のことらしい。エリクソンは、それが、現代における老人の数の増大のせいではないかと考える。
 
 古代、長く生き延びた老人は、称賛され崇敬すらされたと記録されているのに、年老いた人たちに対する今世紀の人たちの反応は、嘲りであり、侮辱の言葉であり、激しい嫌悪ですらある。救いの手が伸べられる場合でも、大袈裟でやり過ぎになる。プライドは傷つけられ、自尊の念は潰れかかる。(前掲書)

 老人というひと括りのなかで出会う現象についての考察である。しかし、全体的に老人の数が多くなったという事実は、それだけ有能な老人の数を増したと考えることもできるのではないだろうか。
 日常、思いがけず見知らぬ若い人の親身な心遣いに出会ったりすると、結局、その人その人の人間性は、弱者と接する時、はっきり表われてくるものなのだということに気づく。そうとわかれば、こちらもゆとりをもって、どんな相手とも接することができるというものである。人間観察の絶好の機会といってもよいかもしれない。
 老人の側も、相手の反応にいささかも動じない威厳ではなしの包容力を身につける必要があるだろう。
 私自身は若い頃からの一人暮らしで、きょうだいもいないことから、母が亡くなった後は全くの一人になった。家族運に恵まれない代り、他人の情けが身にしみる。山荘の仕事場での生活も、地元の人たちのおかげで成り立っているようなところがある。冬の雪おろしも、管理人を兼ねている大工がひきうけてくれるから、東京にいても安心だ。しかし、家族のない年寄りということで、労りのなかに、以前とは違った距離の縮まりを感ずることがある。有難いと思う反面、それは必ずしも快いことばかりではない。わが家をなおそうとしても、もう先が短いのに──と、大工までが勿体ながる。親身になってくれるのは判るけれど、これがもし家族だったらどうなのだろう。家族ともなれば、もっと遠慮なく、私のなかに踏みこんでくるだろうし、一人暮らしでいるのとはまた違った身内との葛藤や試練が待ちうけているかも知れない。
 “老い”は、肉体の面ばかりでなく、もの忘れという厄介な症状を伴って、私たちの上に表われてくる。「帰りの切符を買おうと思ってポケットに手を入れたら、もう、そこに切符が入っていた」というような不思議の体験を、人様々に老年期には味わうことになるのである。相手の名前がなかなか思いだせないなどは、まだ序の口だ。
 生理学の本を読むと、決まって、「脳の神経細胞は三十歳を過ぎると一日に10万単位で死ぬ」というようなことが書いてある。一年で約4000万、十年で4億、五十年後の八十歳になった時、神経細胞の死ぬ数は20億にも達する──と。ならば、“もの忘れ”は、こうした生理的な変化があってのことなのか。
 実際、買物をして支払いをすませながら、品物はその場に置き忘れてきたり、探しものをしながら、途中で、何を探していたか判らなくなったりする。今そこに置いた筈の物が忽然と姿を消す。──かと思うと、忽ちまた目の前に現われたりする。特別大切なものだからと、特別な場所にしまえば、そのまましまい忘れて、永久にその所在は行方不明になってしまう。こうした場合の救いは、老人の常として、あまりその物にこだわらなくなっていることだろう。
 私は最初、相手(物)が見えなくなっても、かくれんぼうだなどといって、面白がっていた。何よりも探しものは疲れるからで、しかも相手は、いざとなると、ちゃんと自分から出てきてくれた。しかし、どこから出てきたか、その都度、きちんと確認しておかないと、同じ失敗を繰り返す。
 老眼鏡を冷蔵庫にしまい忘れた友人がいた。老年者というだけで、正常者である。この場合、冷蔵庫と、メガネをいつもしまう戸棚との接点は、片開きのドアなのであった。
 また、別の友人は、旅先でコイン・ロッカーの鍵を紛失し、未だに荷物を放置したままだという。係に届け出ればよいものを、そうしなかったのは、どのコイン・ロッカーだったか記憶がおぼつかなかったためらしい。そんなロッカーがあちこちにあるというから驚く。若い頃とは、もの忘れの質が違ってきたことを思い知らされる。「小さい物ならともかく、大きな物が見えなくなるから不思議よね」と話すのは、八十歳を越したばかりの友人である。彼女は以前、学校で古典文学を教え、今はコーラスグループの主要メンバーの一人である。琉球紅型(びんがた)の型染めなども楽しむ趣味豊かな女性で、一人暮らしをしている。
 大きな物が見えなくなる……。コートとか、お気に入りのバッグとか。こうした事の真相は、目に入っていながら見えていない。──つまり、認識されていないということなのである。特定の物は周囲の風景のなかに埋没されてしまい、情報は脳まで届いていない。いわば“だまし絵”の世界といってもいいだろう。自分が好むと好まざるとにかかわらず、老年者は常にパズルをさせられているようなものだ。自分の財布が他人のバッグのなかから出てきて驚いたことが、私にもあった。似たような黒いバッグが隣においてあり、間違って他人のバッグに自分のものを入れてしまったというのが事の真相である。
 また、現在進行形の物事が、何かの形で中断された場合、その障害がとり除かれたあと、前後がつながらなくなるという事態もよくおこる。
 私は山荘の仕事場と東京の仕事場を往ったり来たりのなかで、日頃、鍵には充分気をつけていた。それなのに、或る日、山荘の玄関の鍵を閉め、地べたのリュックを持ちあげた瞬間、鍵束のことが頭から離れた。とたんに私は鍵をその場に捨ててしまったらしい。玄関前の草むらに鍵束が落ちていたと、あとから管理人が電話でしらせてきて、私はやっと、そのことに気がついた。
 これと似たようなことは、マンションの一人暮らしの老年者の部屋でもおこる。時に、玄関ドアの鍵孔に鍵がさしこまれたまま、束ごとぶら下っている部屋がある。管理人が声をかけると、中に人はいて異常はない。この場合も、居住者の老人は鍵の存在を忘れてしまったのだ。
 鍵に限らず、現在進行形の物事が、特に重要性をもっている場合、“中断”にはよほどの警戒が必要になってくる。
 老年期は全く始末に負えない。“やれやれ”と思った時、それが人生の最後にのこされた必然的な時の姿であることを改めて認識させられた。そうした老いに逆らわずに精神的な安定をはかり、幸せをもたらしてくれるものが“仕事”であることを、最近、私は強く感じはじめている。
 「神さまが感覚を一つづつ消していって、あの世の生活に慣らさせて下さっているのかも知れません」といわれた坪田先生の気持も、今の私には実感として理解できる。そしてまた、
“この世では地獄の上の花見かな”と詠んだ一茶の皮肉も──。
 ただ私には、ここまで生きてきた充足感のほうが強く感じられて、この世を去ることに淋しさは感じられない。戦争をくぐりぬけて生きてこられたことには、運命的なものさえ感じてしまう。老年期とは、人各々に波瀾万丈の生涯を送り、ようやく辿りついた道の終りなのである。振り返ると、起伏の激しい道程は、平坦な道よりもずっと景色の変化に富んでいたことに気づく。
 キケロー(古代ローマの哲学者・政治家)は『老年について』(中務哲郎訳、岩波文庫)のなかで「老年にとって、いわば肉欲や野望や争いや敵意やあらゆる欲望への服役期間が満了して、心が自足している、いわゆる心が自分自身と共に生きる、というのは何と価値あることか。まことに、研究や学問という糧のようなものが幾らかでもあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはないのだ」と語っている。「理性と知恵で快楽を斥けることができぬ以上、してはならぬことが好きにならぬようにしてくれる老年というものに大いに感謝しなければならぬ」という、うがった見方での老いの讃歌である。キケローは次で、「農夫たちの快楽はいかなる老年によっても妨げられぬし、賢者の生き方にも近い」という。この言葉に、ミレーの名画『晩鐘』がすぐさま目に浮ぶ。同時に、黒姫の山荘近くでいつも接する農家の人々の姿が思い浮ぶ。雪が降りだす前の農家は忙しい。十一月末近く行ってみたら、俵のような白菜が庭に幾つもならべてあった。都会のスーパーで縦割りの白菜を見慣れた目は、その見事さに圧倒された。私と同年配の、その家の主婦は、腰が痛いといいながら、大根を50キロ漬けたと満足そうな笑顔を見せた。
 老いて力強い確実な生き方をしている人々は、私の身近にもたくさんいる。わが国の伝統的な木造船(和船)の製作技術と船にかかわる伝承を後世に伝えようと、和船の模型による復元作業に力を注ぐ近藤和船研究所(焼津)の近藤友一郎氏もその一人である。「死ぬまでにたくさん船をつくっておこうと思って」そう語る氏の顔は、少年のように輝いている。
 糸あやつり人形の田中純氏は、七十歳を過ぎて、これから先は公演回数をふやして、少しでも多くの人たちに観てもらいたいと、静かな情熱を燃やす。「今を大事と人形を遣います」と、手紙にあった。
 私自身は、“老い”を意識した時から己れをセーブする力が働いて、創作という仕事そのものが力強さを失うのではないかと、時に恐れもするのだが……。
 砂時計の砂のつもり方は人によって異なる。量の差よりも質の差で、それは時間の密度に関係する。これまでの過し方次第で、老年期は、各々のたっぷりした時間を惜しみなくとりだして使う幸せの時でもある。
 劇場で様々に演じられる音楽や芝居の世界。美術館、博物館で観ることのできる美術品や過去の遺産の数々。そして何よりも季節ごとの自然の移り変りは、これまでより一層の輝きを増して老年者たちの目に映り、心にしみこむ。まさに、この世はあの世に見えてくる。
 よい隣人との出会いも、朝の散歩道での動物たちとの出会いも、空の変化も、みんな今までと違う光彩を放って目に映り、心にひびいてくる。
 老年期の幸せとは、“この世があの世に見える時”に訪れるものなのかも知れない。
(了)

※本文は、2006年2月9日より3回にわたって連載したものをひとつにまとめたものである。
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