Web草思
NHKのウワサ 眞木のぼる×田原茂行
最終回 NHKと民放が競う公共性への道
政府・与党・NHKの談合体制

 ──今日は最終回ということで、「まっすぐ、真剣。」のNHKが、結局今後どうなるのか、視聴者にとってなにが問題か、をうかがいたいですね。
 「この数カ月、政府・与党・NHKがそれぞれ改革案をぶちあげるアドバルーン競争をしていましたが、その結果が、「通信・放送の在り方に関する政府・与党合意」(6月20日発表)という、50行足らずの中身のないメモになりました。調査データも、問題点の分析も何もない“合意”です。結局思いつきの規制緩和案は全部棚上げ、不祥事を生む体質を徹底改革してほしいという視聴者側の期待からは目を逸らし、残ったのはNHKの延命装置だけです」
 ──たまたま同じ時期に、社会保険庁のとんでもない実態が表に出て、公共的な組織を蝕むビールスの姿が少し見えてきました。独善性という名のビールスです。これは、抜本的な手術をしなければ、健康な体になりそうにはないですね。
 「NHKの発表では、7月末の受信料支払い停止・保留件数は115万件、5月末からの支払い再開が2万9000件で、再開のペースが鈍っています。しかし、橋本会長は、政府のスポーツ部門の切り離し案を牽制し、スポーツ部門については、金の動きを管理する監督機能と、番組を制作する機能に分離して法令遵守を図るという案で、組織解体を防ぐのに専心してますね。
 現場にとっても経営にとっても何の改革にもならない、その場かぎりの対症療法ですね。経営陣にこんな自己診断と自己治療をやらせていては、病状は悪化の一途です。
 私は、スポーツ番組の公共性というような問題こそ、新聞が、政府や識者の見識を問う論議の場をつくりやすい材料になると思ってたんですが、いまや、新聞はまったく無気力な傍観者ですから、政府・与党・NHKの談合体制がますます強まりますね」
 ──インターネットのNHK問題に触れるサイトでも、真面目な提案が乏しくなったように感じますね。新聞が無気力だと、視聴者の動きも鈍くなるようですね。

「報道は民放」「娯楽はNHK」

 「大新聞は、70年代に放送事業との合体を図り、それ以降、新聞と放送がお互いに広報機関化して、放送制度の基本的な問題点を批評する力を無くしてしまいましたね。NHK改革といっても、NHKだけを見ているから、放送制度全体の改革の必要性が分からないんです。NHKの現状に責任があるのは、政治と官僚と並んで実は民放なんですよ」
 ──どういう責任ですか?
 「そもそもNHKほど、民放に関心があり、民放経営に見習おうとしてきた組織はないんです。その民放は、番組の公共性よりも組織の利益優先の実例をつくりました。民放と同じ視聴率データを競い、民放の給与水準がNHK職員の目標になりました。民放のような役員給与をもらい、民放のように交際費を使うのが夢だったと、元会長の島圭次本人が書いてます。これが、彼の行動の原動力で、実際にこれをほとんど実現し、結局公私とも民放を上回る特権を手にしたんですね」
 ──島圭次会長が夜の渋谷の帝王といわれたというのは、民放が赤坂、銀座、六本木でいい顔をしてたのに対抗してたんですね。
 「真面目なNHKの制作者は、70年代に「民放の報道が弱くなって、NHKの報道局が威張り出して手に負えなくなった、民放の報道よ頑張ってくれ」と嘆いていたことがあります。報道現場でも、民放の徹底した視聴率主義への追随に向かいました。海老沢体制ではそれが極端になりましたね」
 ──NHKに独自性はないんですか。
 「民放のような、あからさまな公共性の形骸化ではなく、手の込んだやりかたという点で、独自性があります。しかし民放が報道番組の娯楽化を図り、NHKが公式情報だけ伝えるというのは、視聴者からみれば、肝心な情報が抜けているという点で表裏一体です。つまり、いまや両方がもたれあい、悪い点を共有している現状ですが、民放がNHKよりも自由な立場に置かれていた面があるだけに、安易な経営方針を進めた責任は大きいと思いますね」
 ──それは個々の経営者の責任ですか、それとも制度ですか?
 「両面あります。幸い、民放の制度改革と理念の転換を考えるには、民放スタートの原点、そして現在民放地方局の果たしている役割という具体的な手掛かりがあります。戦後、民放の制度が導入された時、免許申請にあたって、各地域の民放申請者とNHKが、編成計画の公共性を競い合ったという話を以前あなたにしましたね。そして実際に開局すると、その公共性競争の結果が出たんです。民放が誕生してからの十数年は、「報道は民放」「娯楽はNHK」というのが一般の見方でした。首相吉田茂も主に民放でしゃべりましたね。録音構成の分野でも、民放のドキュメンタリーが話題を独占しました」
 ──「報道は民放」「娯楽はNHK」ですか。
 「民放のネットワーク化が進み、地方局の自社制作番組が減っても、全国のほぼ全県で、民放の取材体制はNHKをはるかに凌いでいましたね。その結果、合理化と人員削減が進んだ現在でも、民放地方局の取材態勢と企画力の強さが生き残っているわけです」

民放地方局の本当の実力

 ──つい先日、ドミニカ共和国に移住した人たちが、国の提示した移住条件は現地に行ってみたらまったく違っていたということで、国の不法行為責任を認めさせようとする裁判をテレビで見ましたが、確かにあれは現地での長年の取材の結果だということが見ていて分かりましたね。
 「山口放送の制作者が、9年間取材した『祖父の国 父の国──祖国を訴えた日本人移民』という番組の反響が大きく、小泉首相が移民に謝罪する事態になりましたね。私は、放送の公共性というのは、抽象的な役割論でも、扱う素材でもなく、じっくりした取材で、市民の運命を左右するような一次情報を発掘する姿勢だと考えています」
 ──ニュースはインターネットを見ればいい、とホリエモンがいいましたが、同じネタ元の二次情報をたらい回しにするだけでは、公式発表を垂れ流すメディアと変わらないわけですね。
 「キーワード検索は便利ですが、時代のキーワードを生み出す現実を発掘するのが公共的なメディアの役割だと思います。今年の8月も、戦争と原爆を扱う番組がありましたが、NHKは8月6日に『調査報告・劣化ウラン弾──米軍関係者の告発』を放送しました。広島の原爆ではなく、現在の放射能の脅威、劣化ウラン弾を採り上げたものでした」
 ──あれは見ましたよ。米国の劣化ウラン弾の開発関係者が、政府が公式に認めていない放射能の危険性を認めていましたね。
 「実は、これまで注目すべき原爆番組をつくり続けてきた民放地方局の一つ、広島ホームテレビがちょうど1年前、『埋もれた警鐘──旧ユーゴ劣化ウラン弾被災地を行く』を全国放送しました。
 1991年の湾岸戦争以降、ボスニア戦争、コソボ紛争、イラク戦争で発射された劣化ウラン弾2330発の影響を追い、旧ユーゴ被災地では、スタッフが放射能測定器を手に取材してまわった報告でした。私は専門誌で、これまでの終戦記念番組になかった企画性と取材内容を高く評価しましたが、この番組では、米国側の取材がありませんでした。ところが今度のNHKの『調査報告・劣化ウラン弾』は、まさに米国の当事者に直に取材し、米軍側の意識と科学的なデータが報告されました。二つの番組を合わせると、劣化ウラン弾問題の全容が浮かび上がりました」
 ──なるほど。民放とNHKの公共性の競い合いの実例ですね。いま国際放送について、NHKだけでなく民放も参加する提案が出てますが、だれも見てくれない国威PR番組でなく、こうした両者の競争の成果を展開できるような編成体制ができればいいいですね。
 「いまの放送の致命的な欠陥は、すべての視点が“ドメスティック”、ひたすら内向きという鎖国性ですね。災害があっても「日本人は」としかいわない。しかしいまは食べ物の話題ひとつとっても、国内の問題をちょっと掘り下げると世界全体の問題になる。国際的な視点を抜きにして、公共的な主題を扱うことは難しい時代です。では国際的な視点とはなにかというと、これがつかみにくいんですね。だから国際的な番組というと、とかく国籍不明な番組ができあがってしまうのです。しかし民放地方局の優れた番組の多くが、地域のかかえる問題の丹念な取材から始まって、世界の情報を探す取材になり、自然に、国際的な視点への広がりをもっていますね。地域性が国際性へ、というのは逆説的なことに見えますが、現実をまじめに掘り下げる姿勢の結果ということで、逆説でもなんでもないんです。アスベスト、拉致、残留孤児、放射能、日本民謡などを扱った地方局制作の番組を見ると、いずれも地域的な主題に国際的な視点の光を当てられ、今後の放送の果たすべき公共的な役割がここに示されていると感じますね」
 ──しかし、デジタル化投資の圧力もあって、地方局の経営力は減少の一途と聞いてますよ。今後制作体制は維持できるんでしょうか。
 「地方局の制作力がなくなれば、地方局の存在理由がなくなることは、だれの目にもはっきりしています。しかしその対策を立てるには、民放の制度改革と経営体質の転換がどうしても必要になりますね。いまのままなら、民放地方局の力の低下は避けられません。さすがに民放キー局も、経営的な危機感から、放送の本質としての公共性を考えざるを得なくなっているのでしょう。最近は、「国民生活や民主主義」に対して民放の果たすべき役割を語る経営者もいます(7月27日の民放連放送計画委員会特別小委員長城所賢一郎の講演)。そして放送行政を握る総務省は、地方放送局が経営破綻した場合、キー局による合併や吸収を認める方向で、来年度中に、さらに抜本的な対策として、系列局全体が出資する持株会社の設立を認めようとしてます」

地域性と公共性を取り戻す改革を

 ──キー局も系列局も持株会社の傘下に置くというのは、実際はキー局による地方局の財政的なテコ入れを合法化するためですね。
 「しかしキー局といっても本来、関東地方を抱える地方局に過ぎません。キー局が、アメリカのネットワーク会社に近い商売ができるのは、地方局の編成権、営業権の代行契約によるもので、法的にはネットワークは認められないタテマエです。今回、系列の存在を前提にした持ち株会社を容認するというのは、行政がネットワークの実態を既成事実として認める方針です。この制度改革は重要な意味をもっています。私は実は、系列の持株会社を、地方局救済策を越えた、ネットワーク運営に対する地方局の正当な発言権を認める場にしたいと考えています。これまで、キー局と地方局の関係はあくまで個別の契約によるもので、ネットワークは自然発生の組織だというフィクションで運営されてきましたが、持ち株会社なら、そうは行きません。系列の重要事項は、系列全体の意志による決定が必要となるはずです。そしてネットワークを合法化するなら、その中に、かつてアメリカのFCC(連邦通信委員会)がやったように、地方局制作の番組と、公共的な番組の放送時間の確保の規定を設けるべきですね」
 ──へえ。アメリカじゃ、国が、ネットワーク会社に対して番組の時間制限までしてたんですか?
 「戦後しばらく、このFCC規則がアメリカの放送制度の公共性を支えていましたが、ハリウッドの圧力などで潰されました。しかし私の意見では、日本でなら成立する条件がそろっていると考えています。系列を基礎とする公正なネットワークの在り方については、日本の70年代に綿密な構想が生まれ、私もその計画立案に関わりましたが、今の時点で見直せば、決して絵に描いた餅じゃありません。いずれ公表するつもりで準備中なんです」
 ──もし民放全体が、その生き残り戦略として、NHKと放送の公共性を競い合うような方向に向かえば、NHKも変わる可能性があるでしょうか。
 「もし民放の制度改革が行われ、地方局の活力を生かすような経営方針の転換があれば、NHK改革のきっかけが生まれると思います。しかし、そうした変化が起こらない限り、特殊法人NHKが、視聴者の信頼を拠り所に、政府・国会から自由な公益法人に自ら脱皮できる可能性はないでしょうね」
 ──自由な公益法人の可能性に一縷の望を託しましょう。私は家内と番組の5段階評価を続けながら、貴方の制度改革案を待ちますよ。なるべく早くお願いします。
(了)
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