Web草思
NHKのウワサ 眞木のぼる×田原茂行
第11回 NHKに、挑戦性・独創性・革新性はあるか?
情報操作に踊らされる護送船団ジャーナリズム

 ──前回、NHK番組の国際的力量評価が中途になってしまったので、今日はその話をお聞きしたいですね。あの時、日本のメディアの国際的情報収集能力は、日本のサッカー並みだとおっしゃいましたね。
 「そうです、鮮やかにパス回しをして攻めているように見せるけれど、肝心のゴールにボールを打ち込めない。そのボールも、自分で奪ったものではなく、アメリカ国務省、CIAをはじめとする外国諜報機関、日本の官邸・外務省などが情報操作のためにリークしてピッチに入れてくれたものがほとんどなのです」
 ──そういえば、テポドン発射と安保理決議問題の時には、あたかもそのような機関の代理人ではないかと思いたくなるような人たちが、どの放送局でも声高に幅を利かせていましたね。よくニュースソースのクロスチェックなどということを聞きますが、あれではチェックのしようもありませんね。
 「このような独立した取材力がない状態では、かつてのワシントンポスト紙のウォーターゲート事件の摘発や、以前お話しした「イラク大量破壊兵器情報疑惑」を指摘したBBC報道(連載第8回)など出てきようもありません」
 ──では国内の政治・社会ニュースはどうでしょう。
 「似たり寄ったりです。私が何べんも言うように、悪名高い記者クラブに座ったままで得られる政治家・官庁・警察・企業の発表とリークという情報操作に、いまだに依存しているのです」
 ──最近偶然、インターネット上の「言論NPO」の「言論ブログ」というサイトで読んだのですが、元官房長官であった加藤紘一氏が、小泉内閣の官邸による情報操作と、それに安直に乗っているマスコミを厳しく批判していました。例の首相の仕組まれたワンフレーズ会見など、意味もないものをいちいち放送するのをNHKぐらい止めてみませんかね。
 「日本の護送船団ジャーナリズムではそのような決断はできないでしょう。国政報道においてさえそうですから、松本サリン事件の誤認逮捕をめぐる人権侵害報道のように、警察の巧みなリーク作戦に躍らされた末、全メディアがそろって間違いを犯すこともあるのです」
 ──あの事件はNHKも例外ではありませんでしたね。
 「あの事件を反省したとしても、取材態勢の基本構造は変わっていません。海外のメディアはそれを知っているから、災害報道を除いて、NHKの報道など重視していません」
 ──日本は外交政策ではアメリカ追随か、操られていると思われているのですからなおさらですね。最近のNHK改革案のどれもが、英語によるテレビ国際放送の拡充を言っていますが、まず情報の内容と質の問題を解決しないと、世界で見てもらえませんね。
 「まったくです。BBCワールドが世界的に信頼されているのは、国益からも中立を保ち続けているからです。また新興のアルジャジーラ放送がアラブ語の放送であっても世界のメディアが注目しているのは、イスラム世界独自の情報をBBCに学んだ方法で送り続けているからです」

NHKは最良のアマチュア

 ──報道に比べると、NHKの一般番組は少しましですかね。サッカーに喩えれば一次予選は突破できますか。
 「この十数年間いたずらに民放の後を追いかけ全局あげてバラエティ化したため、番組クオリティの低下が著しいので、確信をもって言えませんが、それでも、ものによっては準々決勝くらいまでは行けるかな。特に教育テレビの質は、「教育テレビでも視聴率獲得」という前会長たちの旗振りの中でも、平均的にはまあまあを保っています。中でも、数少ない専門家が残っている幼児向け番組は未だになかなかのものです」
 ──私の子供時代には『セサミストリート』という面白い番組がありましたが、あれもそうですか。
 「いやいや、あれはアメリカの番組です」
 ──アメリカですか。すごいのを作りますね。
 「そうです、たかが幼児番組と考えないでください。これは一つの象徴です。あそこまで独創的でしかも誰にでも親しめる番組を創る発想力が足りない、ごく一部の人や番組を除いてはね。それがNHKチームの欠点なのです。そのような人材を生み出せない、あるいは殺してしまう、NHK企業文化の問題でもあるのです」
 ──なるほど、それで生き残ったお利巧さん集団のNHKは、パクリとなるのですね。
 「よく言えば、学んで改良する、悪く言えばパクる。そして時間とお金をかけた丁寧な制作、一見非の打ちどころがない。しかしです、ある国際通のNHK人が「NHKのコンテンツは世界のトップレベルから見れば、最良のアマチュアであっても、プロではない」と言っていたことがあります」
 ──NHKで巨匠と言われた人たちは怒るのではないですか。でも、言いえて妙ですね。
 「そうでしょう。私も思わずうなずいてしまいましたよ」
 ──でも、アマチュアの良さもあるでしょう?
 「プロにない独創性とか挑戦性とかがあればね」
 ──しかし、その「最良のアマチュア」の「最良」も最近では失われてきているのではないですか。
 「まさにそうです。ただまあ、決定力不足は、NHKとサッカーだけの問題ではなく、日本文化とその風土の問題でもあるのです」
 ──そう言われると、お先真っ暗ではないですか。しかし、たしか先ほど、ごく少数の人と番組を除いてはとおっしゃいましたね。世界レベルの決定力のあるジダンやベッカムもいるのですね。
 「ええ、もちろん」
 ──それはドキュメンタリー分野ですか。
 「いやいや、この分野は時には準決勝クラスの作品が出ますが、世界のメディアと人々に深い影響を与えた作品はありません。例えば、20年以上前にNHKが総力を上げて制作し一年間放送した『シルクロード』というドキュメンタリーシリーズを覚えていますか」
 ──今の『新シルクロード』は面白くありませんが、前のシリーズは、子供心にわくわくしながら見ていましたよ。落日の砂漠を行く駱駝の列。日本人のノスタルジーをそそる音楽。未知の生活と文化。今でも脳裏に浮かびます。
 「そうでしょう。このころNHKのドキュメンタリーは『NHKスペシャル』を中心に絶好調といわれていました。一年間にわたって放送されたこのシリーズも日本では大人気、放送に関連した出版物もベストセラーになりNHKは鼻高々でした。NHKはこれを海外の放送局にも放送してもらおうと、ソフト王国BBCに売り込みました。ところが、BBCは全12本12時間の作品を、わずか90分1本に編集しなおして放送したのです」
 ──えっ、もったいない、わずか90分ですか。
 「そうです。彼らにとってドキュメンタリーとは、何を伝えたいのかというメッセージにしたがって事実をきっちりと積み重ねてゆくものなのです。NHKの作品は、彼らにすれば情緒的なものが多く、まして取材班が現地の家族と食事し酒を酌み交わし「おいしい」と叫ぶシーンなどはまさにアマチュアがすることなのです。それをみなカットしたのです」
 ──それって、ぜんぜん違う作品じゃないですか。
 「NHKの作品は、ドキュメンタリーとしては叙情的過ぎ、仲間内のスタッフを出すなど、事実に対する厳しい目が足りず、文化に対する深い思想がないと言うのです」
 ──うーん、プロとアマと言うより、文化の伝統や感性の違いではないですか。
 「もちろんヨーロッパだけが世界ではありません。しかし世界を目指すのであれば、文化のアイデンティティを主張しながらも、その違いを超えなければなりません。それがプロでしょう」

橋田壽賀子と佐々木昭一郎

 ──こうなると、民放の後追いで増えているNHKのバラエティは当然駄目でしょうね。
 「問題になりません。この分野は、アメリカ・英国が本場です。とくにBBCをはじめとして英国のつくる多様なバラエティ番組は伝統のユーモアと諷刺がぬきんでていて、他のヨーロッパ諸国も太刀打ちできません。それでも今回の「BBC白書」を作る際、中間答申で公共サービス放送にバラエティ・コメディは必要かと視聴者に問い掛けたのです。それに対し、多くの視聴者が「ユーモアと諷刺は英国の生活文化の中心にあるものであり、コメディは庶民の一家団欒に欠かせない」と反論しました。そのため「白書」では、コメディを公共サービスの役目としてきちっと位置付けしているほどです。もちろん他局と一線を画す新鮮なものを持っていなければなりません」
 ──こうなると、世界はますます遠くなりますね。しかし先ほど「いる」と言った、世界に影響を与えるオリジナリティを持ったごく限られた人や番組はどうなりました。
 「今はまったくありません。が、過去にありました」
 ──過去ですかぁ。
 「まあそう言わずに。きっとあなたの記憶に残っていますよ」
 ──うーむ。もしかするとドラマですか。今のNHKドラマはまったくつまらないので見ていませんが。
 「一つは、朝の連続テレビ小説『おしん』(橋田壽賀子作)ですよ」
 ──えっ、『おしん』ですか。極貧の農家に生まれ、両親と別れ、一人いじめや困難の中で成長し、無一物からやがて事業家として成功する、というあれですね。見ていましたよ。日本では大変な視聴率を取りましたが、これがなぜ。
 「朝、さわやかな少女の成功物語を中心とした時間枠に、暗い日本の底辺を描くという点でも挑戦的・独創的・革新的でした。そのうえ人々を強力にひきつけたのです。BBCのクオリティ基準5項目から言っても満点に近い。しかし海外受けをしようなど、作者もスタッフも微塵も考えていませんでした」
 ──そうでしょう、まったく日本的な、ある意味では泥臭い作品ですよね。
 「ところが、当時の発展途上国や、大国のエゴイズムに苦しんでいる国々の人々に大歓迎され、西欧先進国以外の60カ国以上で「おしん」ブームを引き起こしたのです。韓国や中国はもとより、イスラム文化圏のインドネシアやイラン、また中南米でも東欧でも「おしん」は女性たちの生きる指標となり、その心にしっかりと根をおろしたのです」
 ──きわめて日本的であって、かつグローバル。理想的ですね。
 「もう一人います。これもフィクション部門です」
 ──誰です。
 「佐々木昭一郎という作家・演出家です」
 ──あっ、思い出しました。いやぁ彼の作品は、『マザー』『さすらい』『夢の島少女』『紅い花』『四季・ユートピアノ』『川の流れはヴァイオリンの音』など、若いときには逃さず見ていました。今でも、その作品の断片がなぜか夢に出てきますよ。懐かしいなぁ。そう言えば六月、CSの衛星映画劇場で彼の全作品を放送するというので、新聞に彼が紹介されていましたね。
 「放送するチャンネルが、NHKではないところが現在のNHKの駄目さ加減をあらわしていますね」
 ──彼の作品は既成のテレビドラマの枠を超えてしまっていますものね。『マザー』にしても、親のいない子供が母親の面影を求めて一人港町をさすらい、さまざまな人や出来事に出会う、としか言いようのない作品です。しかし分かりやすいストーリーによって語るのではなく、そのディテールの一つ一つが直接心に触れてくるのです。人間の不確かさ、それゆえ求める心のつながり、少しでもつながりが出来たときの幸福感、出来ないときの孤独感。
 「心に触れる、とはいいことを言いますね。彼の作品は常に、アンチテレビ、アンチフィルム、アンチテアトル、アンチドキュメンタリーであり、不条理劇でもあり、時に詩的でもありました。それはそれまでのどの領域にもない挑戦的で独創的で革新的な表現でした。そして既成概念を堅く持った人々は別にして、柔らかい心の人々に彼の存在論を語りかけたのです」
 ──映画『誰も知らない』の是枝監督のように彼の作品に動かされて映像界に入った人が何人もいるということですね。
 「視聴率に表れた数字は低かったけれど、その時期NHK志願者のほとんどが彼のような作品を作りたいと言っていたそうですよ。今でも、インターネット上で彼とその作品を論ずるサイトがいくつもあります」
 ──彼は国内の多くの賞を受賞したそうですね。
 「国内の賞はいわば仲間内の賞です。重要なのは、海外のテレビ祭の賞を多数受賞していることです。『マザー』は彼のテレビ第一作ですが、いきなりモンテカルロテレビ祭の大賞を受賞し、以後の作品は、イタリア賞、プラハゴールデンハープ賞、アメリカ国際エミー賞など海外で多くの賞を得ています。彼の作品は一見難解のようでありながら、言語の壁を越えてさまざまな国の人々の心に直接飛び込んでゆける特質をもっているのです」

NHKドラマはいかにして駄目になったか

 ──考えてみると、『おしん』の橋田壽賀子とはある意味で対極の作品・人ですね。
 「そうです。このような対極の作品が同時期、70年代後半から80年代中頃にかけて、同じ部から生まれたということが重要なのです。さらに、シリーズ『人間模様』や『土曜ドラマ』で、『夢千代日記』『あ・うん』『男たちの旅路』など、多様な秀作が次々と放送され、NHKドラマがNHKも放送界もリードしていた時期でもあるのです」
 ──なるほど。多様な才能が挑戦性・独創性を競っていた、その厳しさと自由があった。ということでしょうか。
 「それが、90年代に入るとNHKドラマは次第に色あせて行きました。まず、安全運転しようと挑戦性を失い、自らの成功パターンをなぞり始めます。当然時代に対するメッセージ性は弱くなり、魅力を失います。そこで90年代中頃からは海老沢会長の視聴率獲得指令に、安直にも民放の成功パターンを追いかけ始めます。当然成功などしようがありません」
 ──なるほど、そうして、視聴者にも、民放界からも相手にされない存在になったのですね。
 「最近、NHKドラマの全盛期に新人として入社し現在トップディレクターになっている人に会って話を聞いたのです。
 あのころは、当時の部長の方針で、提案会議と作品が出来上がったときの試写の場は、自由だが厳しい議論の場だった。特に試写のときは、制作に携わったスタッフだけではなく、参加できる人はベテランも新人も集まってきた。そこでは、年功序列に関係なく、自由に率直に批評し合った。時には若手とベテランが激しく対立することもあった。こうして、ベテランは次回作の挑戦性を高めることを考え、若手はより新鮮な表現を目指した。あれはすばらしい時間だった。それが今はない。と言っていました。
 それこそ、(8回目の最後に言いましたが)、放送現場での「創造的戦い」の一つだったのですよ」
 ──しかし、ノスタルジックに過去を回想しても仕方ないじゃないですか。失われた創造的雰囲気を回復するのは難しいでしょうが、その人はトップにいるのですから、自分で行動し再構築しなければならないのではないですか。
 「まったくです。それが視聴者にたいする義務です」
 ──そうですね。その趣旨をNHKの“約束”にさらに付け加えなければなりませんね。例えば、挑戦性・独創性を持った多様で才能あるクリエイター・制作者を育成し、放送文化のみではなく日本文化の創造的力を刺激し高め続ける、とかですね。
 「おやおや、例のBBC「白書」も同じことを言っていますよ」
 ──ほう、そうですか。
 「しかし、多様な才能はNHKだけ求められるものではありません。NHK以外に、映画界・放送制作会社やインディペンデントのクリエイターの中にもすばらしい人々が多数いるはずです。そのような人たちにもっと広く公共放送の番組制作に参加してもらえるようなシステムを作ることがNHKの放送の質を高めることになりませんか。それも公共放送の義務ではないですか」
 ──なるほどね。以前話題にした「デジタル時代のNHK懇談会」の答申では確か「放送は多様な文化を生み出し、行き交わせるための公共的装置である」と言っていましたね。それをNHKの人材だけでなく、日本中・世界中の挑戦性・独創性のある人々に公開するということですね。
 「それも私たちが何べんも言及してきた「徹底した情報公開」とともに重要ですね。またそれこそが真の意味での“開かれたNHK”なのです。最近NHKは、外部の制作会社がNHKに直接提案できる制度を作る試みを始めました。何を選ぶかで、公共放送の将来が見えてきます。注目していましょう」

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