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ネパールの熱燗 大倉直
第2回 お兄さんがいるから大丈夫
nepal02.jpg カトマンドゥの繁華な地区からミニバスに乗り10分ほど走ると、もう丘陵が間近にせまってきた。田園風景のなかにぽつぽつと建っている人家を見ながら、ミンマ・シェルパは説明する。
 「10年前はね、ここはぜーんぶ田んぼだけね。もう田んぼはみーんな売っちゃったから、たぶんあと2年ぐらいでぜーんぶ家になるね」
 ミンマ一家が暮らしているアパートも、その田んぼのなかにあった。各階にひと世帯ずつという小さな4階建ての集合住宅だ。
 夫婦の部屋、子ども部屋、居間、そして台所という間取りで、きちんと整理されている。
 「本当はね、もうひとつある。でもまだできてないね」
 コンクリートがむき出しで、配線もされていない奥の部屋をミンマは見せてくれた。実はこのアパートは未完成なのである。最後になって建設資金がたりなくなり、工事がストップしてしまったらしい。それにもかかわらず、すでにどの階にも住人が入っているというのがおかしかった。
 台所にもシンクはあるのだが水道がきていない。
 「水、これからくるのかな」
 ミンマは他人事のようにそういって笑った。水道も電気もない山村で育った彼にしてみれば、別にたいした問題ではないのだろうか。
 いまは階段の踊り場に大きなプラスチック製の樽をたくさん並べ、そこに水を配達してもらっている。
 私とミンマは居間の長椅子で、ビールを呑みはじめた。
──ミンマさんは、日本人とネパール人の一番大きなちがいってなんだと思いますか。
 「日本人はね、ボスがいなくてもみんな働くでしょ。ネパール人はね、ボスがいなかったらぜんぜん働かない。それがちがいますね」
 ミンマは日本でいくつもの飲食店で働いた。たしかに日本の店では店長が不在だからといって、従業員が突然だらけたりはしない。ミンマにはそれが印象的だったのだ。
 「それに日本では、お客さんがいなくてもみんな何か仕事しているでしょう。椅子をちゃんと並べたり、メニューをおしぼりできれいにふいたり。ネパールのお店はね、お客さんいなかったら誰も働かないね。日本はすごいね。いつから日本はああいうふうになったのかなあ」
──ほかにもありますか? 日本人とネパール人のちがい。
 「いろいろあるね。仕事にくるの遅れたら、日本人はすぐ『すみません』いうでしょ。ネパール人は理由をいうね。頭が痛かった、バスが遅れた」
──それは嘘?
 「嘘もあるし本当もある。でも最初に理由をいうね。最後に『すみません』いうこともあるけど、何もいわない人も多い。それよくないでしょ。4人のコックさんがいて、自分が遅くなったら3人でやらなくちゃいけない。だから最初に『すみません』、それいいね」
 ミンマはビールをひと口ぐーっと呑む。
 「犬! 犬も日本人とネパール人はちがうね」
──どういうこと?
 「ほら、日本は犬の散歩でもビニール袋を持っているでしょ? あれすごいね。もし犬のウンコそのまんまだったら、何かある? えーっとなんだっけ、バッキンある? まわりから悪く見られるだけ? すごいね。いつから?」
 妻のツェリンがほかほかのジャガイモを用意して、私たちのところに持ってきてくれる。 彼女は16歳でミンマと結婚したのだが、もうすっかり貫禄のある三十女になっていた。
──ミンマさんが日本にいるあいだ、寂しかったでしょう?
 ミンマが通訳してくれる。
 「そんなことはない。いまでもまた日本に行ってほしいよ。もっと稼いでほしいわ、ハッハッハッ」
──ミンマさんに恋人ができるんじゃないかって心配しなかった?
 彼女は今度も笑って答えた。
 「しなかった。そういうことをしない人だってわかっていたから」
 ミンマは「毎週土曜日ね、私はいーっつも電話していたから」と補足する。
──ツェリンさんも日本に行きたかった?
 「そう。ふたりで働けばもっとお金がたまるからね。でもビザが取れなかった。いまでも行きたいよ」
 「奥さんが日本にきたら、私はいまでもまだ日本にいたかもね」とミンマ。
──でも夫婦で日本に行っちゃったら、子どもの世話は?
 ミンマ夫婦にはふたりの子どもがいる。しかし彼はこともなげにいった。
 「大丈夫。私のお兄さんたちもいるからね」
 その台詞、日本でも何度となくきいた。いくら毎月多額の仕送りをしているとはいえ、いくら毎週電話をかけているとはいえ、何年間も家を留守にしていては家族の様子もわからず心配だろうと、私はひとり勝手に案じていた。しかもふたり目の子どもには、一度も会ったことがないというではないか。妊娠中にミンマは出国したのだ。
 「ミンマさん、大丈夫? 心配じゃない?」
 と私がいうたびに、彼はこう答えていた。
 「大丈夫。私のお兄さんもいるからね。弟もいる。大丈夫ね」
 日本でその言葉をきいたときはもちろん、ふたたびネパールで同じことをいわれても、私には意味がよくわからなかった。私にも兄がいるし、兄弟仲は悪くないけれど、だからといって子どもを置いて夫婦で出かせぎにいったりはしない。
 後日、ミンマの兄の家に出かけたおり、そこに1歳数ヵ月の女の子がいた。彼女を抱きあげたミンマがいう。
 「これね、私の娘」
 日本から帰国後、夫婦には3人目の子どもが産まれていたのだ。知らなかった。しかしその子がどうして兄の家にいるのだろう。
 「うちにいるとね、ごはんをぜーんぜん食べないからね」
 「それだけですか」
 「お兄さんのところはね、子どもがいないから、よーくかわいがってくれるからね」
 どうも腑に落ちないが、とにかくそんな理由で兄夫婦のところにあずけているらしい。
 カトマンドゥ滞在中、私は何度もミンマの家へ遊びにいった。いつ行っても夫妻の親戚や友人、あるいは近所の子どもたちがとにかくごちゃごちゃと出入りしていて、私はなかなかみんなの顔をおぼえられなかった。
 それでも何度か通ううちに、いつも同じ10歳ぐらいの女の子がそこにいることに気づいた。誰なのだろう。
 「私のお兄さんのね、奥さんのね、弟の娘」
 つまり、いまミンマの末っ子を面倒見ている義姉の、姪ということになる。
 少女の母親が死に、父親は娘を邪魔に思いはじめたらしい。そこでミンマ一家と暮らすようになり、学費などはミンマの兄が払っているという。目が大きく、照れた表情がかわいい女の子だった。
 ミンマの末娘やこの少女のことは、特別でもめずらしいことでもなく、「どーこでもあるね」と彼はいう。
 「お兄さんがいるから大丈夫」の意味が少し実感できたような気がした。こうやって血族が助け合うシステムが機能しているから、ミンマは7年間も安心して日本で働いていられたのだ。
 大家族による助け合い……。なつかしい香りがし、またうらやましくも思った。しかし日本人はそうした扶助システムよりも個人主義的な社会を選択して歩んできたわけで、その結果得られた自由を私も大いに享受している。安易に「私たちが失ってしまった大切なものがここにはある」などというつもりはない。

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