Web草思
新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
最終回 おばあさんを家に帰らせるには
インド人にアルツハイマーが少ない本当の理由?

 昨年の夏だったか、カレーを食べるとアルツハイマーにならないというニュースが話題をよんだ。ことのおこりは、インドでは、アルツハイマー病の患者の数が少なくアメリカの4分の1である。それはカレーを食べているせいだ、ということだった。
 カレーはいくつもの香辛料を混ぜてつくられるが、独特のあの色はターメリック(和名ウコン)という香辛料による。ターメリックはインドをはじめ主に東南アジアで採れるショウガ科の植物で、漢方薬にも使われている。ターメリックにはたくさんの成分が含まれているが、その主成分の一つ、クルクミンとよばれる物質がアルツハイマー病の予防に効いているのだという。
 この話を聞いたとき、私はずっと以前に聞いた別の話を思い出した。それは、インドには癌患者が非常に少ないというので医師団が調査にでかけたという話である。その結果、インドでは平均寿命が短くて癌になるほど高齢まで生きる人が少ないからだと分かったというのだ。
 今ではインド人の平均寿命も延びて61歳ほどである。それでもアメリカは男性が75歳、女性は80歳で、インドの平均寿命とはかなりの隔たりがある。
 アルツハイマー病も癌と同じように、高齢になるほどその数が増える。65歳以上になると5年毎に患者の数が倍増するといわれている。で、インドでアルツハイマー病の患者の数が少ないのは、平均寿命が短いせいではないかと、つい思ってしまったのだ。
 それに加えて、患者の数が少なければ、医師はアルツハイマー病の患者を診ても、そう診断しないかもしれない。日本でも1952年までは、アルツハイマー病と診断された患者は一人もいなかった。
 カレーの話のもととなった研究の調査方法や解析方法が分からないので、判断できかねるのだが、その調査とは別に、クルクミンがアルツハイマー病の予防や治療に効くという研究は、実験動物や細胞レベルですでに幾つか報告されている。
 カレーと同じように、コーヒーが効くという報告もある。ビタミンCとEを一緒に摂るとよいというのもある(これは、それぞれ単独で摂取しても効かないそうだ)。その他にも、アルツハイマー病の予防に効くという食べ物はいろいろと報告されている。
 それらの真偽はともかく、アルツハイマー病も遺伝だけでなく、生活習慣とくに食習慣によって、その発症率が違ってくるのは確かだ。

あなたは過去10年間に週何回魚を食べたか?

 実はインドといわず日本でも、アルツハイマー病の発症率はアメリカの5分の1である。インドと違って日本は平均寿命がアメリカより長い。したがって、この場合、高齢者の数の違いにすることはできない。しかも、日本人でアメリカへ移住した人たちのアルツハイマー病の発症率は本国の日本人たちよりも高い。同じように、アフリカ系アメリカ人たちも発症率が元のアフリカ人たちよりも高いという。
 このように、アルツハイマー病は生活慣習の違いによっても発症率が変わる。で、アルツハイマー病は生活習慣病だという医師もいる。
 生活習慣病と聞いて、すぐに思い浮かぶのは糖尿病や高脂血症、高血圧などだろう。これらの病気は日頃の生活習慣でなるとされていて、「自分でちゃんと気をつけなさいよ」と私たちはいつも医師にいわれている。
 ではもし、アルツハイマー病が生活習慣病だというのなら、日頃の生活習慣に気をつければアルツハイマー病にならないのだろうか。で、なにをどう気をつければいいのだろう。誰もが知りたいところだろう。
 最近アルツハイマー病について、たくさんの疫学調査がおこなわれ、その結果から、それを予防する生活習慣というのがかなり明らかにされてきた。
 ところで、疫学調査という言葉であるが、あまり馴染みのない言葉かもしれない。これは、ある地域や集団を調べて特定の病気の原因などを突きとめるための統計的な調査方法である。昔から伝染病の発生やその予防のためになされてきた手法なので、疫病(伝染病)の疫の字をとって疫学調査といっている。
 疫学調査はなかなか大変で難しい仕事である。ある地域の何百人、あるいは何千人という人たちを対象に、その健康状態や生活習慣などを調べ、ときにはその後、何年も何十年も追跡調査したりもする。
 調査は、研究者たちがどんなに正確を期しても、得られる結果には限界がある。たとえば、食生活の調査で「あなたは過去10年間、平均して週何回くらい魚を食べましたか」などと訊かれても、誰も正確には答えられないだろう。それに、得た調査の結果を解析し、解釈するのがまた難しい。
 そんな訳で、疫学調査は往々にして同じことを調査しても、研究グループによって結果が食い違うことが多い。最初に調査したグループの結果が、次のグループの調査でしばしば否定される。それでも、たくさんの調査の結果が積み重ねられると、一定の共通結論が得られてくる。

アルツハイマーを防ぐ生活習慣とは?

 こうして現在、得られているアルツハイマー病予防の生活習慣は次のようである。
 まずは食事である。
 「魚をたくさん食べること」そして、
 「野菜や果物をよく食べること」だ。
 「肉はあまり食べないこと」である。
 有名なのはオランダでおこなわれた疫学調査で、アルツハイマー病などの認知症の発症について、55歳以上の人たちを5000人ほどの規模で2年余り追跡調査した結果がある。それによると、アルツハイマー病の発症にはコレステロールと飽和脂肪酸(肉類の脂やバターなど)のとり過ぎが関係していると結論している。一方、不飽和脂肪酸を含む魚をよく食べると発症が60%ほど抑えられるという。この結果は他の多くの研究グループの調査からも支持されている。
 それから、運動である。
 「毎日、適度な運動をすること」が大事だ。
 生活態度としては、
 「つねに知的好奇心を絶やさず人とのコミュニケーションを欠かさないこと」だという。
 これが膨大な研究費を費やして得たアルツハイマー病の予防法である。なんだか、あまりに、ありふれていてピンとこない。頼りなくてほんとかなアーという感じでもある。
 その他には、
 「頭をつよく打たないこと」などがある。
 これは大事なことで、ラグビーや拳闘あるいは格闘技などのスポーツをしている人たちはくれぐれも気をつけて欲しい。
 さらに、抗酸化剤としての「ビタミンCとEを摂ること」
 「タバコを吸いすぎないこと」などである。
 「カレーを食べる」
 「コーヒーを飲む(あまり多量でなく)」
 なども入るのかもしれない。
 ところで、この予防法を聞いてハテ?と思った人は多いだろう。どこかで聞いたことがあるのだ。そう。その予防法のかなりの部分は糖尿病や高脂血症の患者たちが、いつも医師にいわれている予防法だ。

奇跡の抗コレステロール薬?

 ではなぜアルツハイマー病の予防法が高脂血症や糖尿病、高血圧などの生活習慣病の予防法と同じなのだろうか。同じ、あるいは似ているということは、これらの病因のあいだに、なにか関連があるということだろうか。確かに、これまでの研究結果によると関連がありそうだ。
 たとえば、高脂血症(高コレステロール症)との関連である。コレステロールは主に肝臓でつくられるというが、実は脳でもつくられている。しかも脳には、からだの総コレステロール量の4分の1もが含まれていて、神経細胞の発達やその機能の維持にきわめて重要な働きをしている。
 その一方で、コレステロールはアルツハイマー病の主因とされるβアミロイドの産生にも関与する。動物にコレステロールを多量に与えると脳のβアミロイド産生が増加してくる。さらに、コレステロールは、アルツハイマー病のもう一つの原因とされるタウ・タンパク質のリン酸化にも関与している。
 フィンランドで地域の住民の健康状態を20年にわたって追跡調査した結果がある。それによると、中年期にコレステロール値が高かった人は、高齢になってアルツハイマー病に罹りやすいという。けれども、抗高脂血症薬をずっと飲んでいた人は罹りにくかったとされている。
 もし、抗高脂血症薬がアルツハイマー病の発症を抑えるなら、そんなうまい話はない。最初から苦労して抗アルツハイマー薬を開発する必要がないからだ。それに、抗高脂血症薬の安全性はほぼ確立されている。
 で、ほんとうに抗高脂血症薬はアルツハイマー病に効くのだろうか。ごく普通に医師たちが高脂血症の患者に処方するメバロチンやリポバスなどスタチン系とよばれる薬で早速、臨床試験がおこなわれた。
 すると、これらの薬を2年以上、継続して服用すると、アルツハイマー病になる危険率が60~70%減少するという結果が得られた。しかも、軽症の患者では脳脊髄液中のβアミロイド量が低下したという。結果は上々に思われた。
 しかし、その後さらに多くの被験者を対象としておこなわれた臨床試験では否定的な結果が得られたのだ。抗高脂血症薬を服用してもアルツハイマー病の発症にはなんら影響ないという。疫学調査の難しいところである。
 そんな訳で、抗高脂血症薬がアルツハイマー病を予防するかどうか、まだ、はっきり判定できていない。だが、高脂血症とアルツハイマー病のあいだに関連があることはさまざまの研究結果から確かである。

認知症の危険を高める生活習慣病

 糖尿病もアルツハイマー病の発症と関連がある。ある調査によると、糖尿病の患者がアルツハイマー病を発症する危険率は、男性で健常の人の2.27倍。女性では1.37倍とされている。相当な危険率である。別の調査でも危険率はほぼ2倍とされている。とくにインスリン治療を受けている患者では危険率は4倍以上という。
 インスリンは膵臓で生産されるが、これもコレステロール同様、脳でもつくられている。そして、神経細胞の機能の維持に欠かせない。
 インスリンの値が脳内で高いとβアミロイドの分泌が抑えられ、低いと分泌が増えて老人斑が形成されやすいという動物実験がある。アルツハイマー患者の脳脊髄液中のインスリン値を測ってみると事実、低い。
 しかし、最近(2007年)、脳内にインスリンが多いと、かえって脳の老化が促進され痴呆が促進されるという報告もでてきた。これもまた結果が一致しない。おそらくインスリンは、あまり多くても少なすぎても、脳を正常に機能させないのだろう。
 もう一つの生活習慣病、高血圧もまたアルツハイマー病と関連している。中年期に高血圧の人は高齢でアルツハイマー病になり易い。また、脳卒中を経験した人は血管性認知症だけでなく、アルツハイマー性の認知症にもなり易いという。
 では、血圧を下げる降圧剤もアルツハイマー病を防ぐだろうか。ヨーロッパで高血圧の患者2000人を対象に2年間、追跡調査したところ、アルツハイマー病の発症率は、降圧剤を飲まなかった人は飲んでいた人の2倍だったと報告された。
 結論として、アルツハイマー病に罹らないようにするためには、高脂血症や糖尿病、高血圧などの生活習慣病に罹らないようにすることが極めて大事なことのようだ。

散歩にいって帰ってこられる老後のために

 けれども実際に、これらの病気の患者は非常に多い。しかも、年々増加の一途にある。高脂血症で医師を訪れる人の数は毎日、10万人を下らないとされ、おそらく、その患者数は2000万人くらいだろうと推定されている。
 糖尿病患者もまたひどく多い。その可能性があると診断される人まで入れると、患者数は02年の時点で1620万人。現在では2000万人に近いだろうという。高血圧の患者も720万人を下らないとされる。しかも、これらの患者のなかには二つ以上の病気を併発している人たちもいて、アルツハイマー病の危険率はさらに高まっている。
 高血圧や高脂血症、糖尿病などに共通するのは、血液循環に障害をあたえることだ。したがって、アルツハイマー病は血液循環、とくに脳の血液循環と関わっているに違いない。おそらく、脳の血液循環を健常に保てればアルツハイマー病は予防できるのだろう。事実、アルツハイマー病の患者の脳を調べると、その半数近くが血管障害をおこしている。
 アルツハイマー病患者の推定数は年々増えていて、2000年には94万人といわれたのが、07年には150万人である。予測によれば、後10年余りすると患者数は倍増する。
 日本人の平均寿命が90歳近くなれば、高齢者の2人に1人がアルツハイマー患者という事態になってくるだろう。アルツハイマー病は当人や家族にとっては極めて深刻な病気であり、社会にとっても経済的負担が著しく重い。
 アルツハイマー病の増加を防ぎ、自分が患者にならないためには、中年のうちに生活習慣に気をつけることだ。少なくとも高脂血症や糖尿病、高血圧などにならないよう努力することが大切である。
 私たちの日頃の生活習慣における心がけが、晩年になっても、安心して散歩にいける、おばあさんやおじいさんになれるかどうか、を決めているのかもしれない。
(了)

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