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新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
第14回 おばあさんは家に帰れたか(つづき)
アルツハイマーは遺伝するか?

 家族性アルツハイマー病の遺伝子が単離されて遺伝子診断が可能となった頃、若年性のアルツハイマー病で母を亡くした息子が、自分の発病の可能性を遺伝子診断してもらおうとして、決めきれずに悩み苦しむ姿がテレビで放映されていた。
 遺伝子診断の結果、発病の可能性がなければ、そんな良いことはない。が、もし、「あなたも近い将来アルツハイマー病になるでしょう」と医師に告げられたら、地獄の暮らしとなるだろう。そこでは、現在の医学で治療できない悲惨な病気の有無を事前に知ることの是非が問われていた。
 私たちの周りにはアルツハイマー病の患者が大勢いる。アルツハイマー病になりやすいといった家系もある。しかし、その時テレビで紹介されていたような、片親がアルツハイマー病であれば、子供の半数が発病するといった遺伝の家系はごく稀である。
 アルツハイマー病の発症は多くの場合、遺伝というより老化によっているようにみえる。私自身もいつなるかもしれないと思っている。実際に、65歳以上に発症する遅発性のものは一応、老化によるとされている。が実際には、老化にも遺伝子が関係しているのである。いつまでも若々しい人もいれば、40代でシルバー・シートに座ってもおかしくない人もいる。
 アルツハイマー病について、300人余りの双子の高齢者を追跡調査したデーターがある。それによると、双子の一方がアルツハイマー病を発病した場合、残りの一人が発病するまでの期間は、一卵性双生児では平均3年余り、二卵性双生児では8年余りだという。やはり遺伝的素因も関わっているようにみえる。
 研究者たちによれば、アルツハイマー病に関しては遺伝的素因の影響が60%から80%程度あるという。しかし、これは逆に考えれば、アルツハイマー病の発症を環境によってコントロールできる可能性が示されているともいえる。

発症のメカニズムを追う

 なんの病気でも治療にはまず、その発症のメカニズムを知らなければならない。で、アルツハイマー病の克服に向けて、大勢の研究者たちがその発症のメカニズムの研究を開始したのは20年ほど前からである。今では年間3000編もの研究論文が発表されているという。おかげで治療のメドもたちつつあるようだ。
 アルツハイマーの患者の脳を死後に観察すると、脳に老人斑(アミロイド斑)とよばれる小さな斑点が多数みられる。これはずっと以前から知られていたから、多くの研究者たちは、その発症にはアミロイド斑が関わっているとまず推測した。それは仮定に過ぎなかったが、研究が進むにつれて、その仮定を裏づけるデーターが次々に積み重ねられてきた。
 まずアミロイド斑が調べられた。それはβアミロイドとよばれる短いポリペプチド(アミノ酸の連なり)が凝集して細胞外に沈着したものだった。では、βアミロイドはどこからきたのだろうか。さらに調べると、神経細胞から排出されていることが示された。
 細胞の膜は薄い脂質でできている。そして、そのなかに小さなタンパク質の分子が氷山のように浮いている。神経細胞の膜にはそうした分子が沢山あるが、その一つにアミロイド前駆体タンパク質(amyloid precursor protein=APP)とよばれる分子がある。
 APPはアミノ酸が700個ほど連なった分子で、働きはあまりよくは分からないが、細胞の接着や神経細胞では刺激の伝達などに関わっていると考えられている。
 APPのアミノ酸の配列を調べてみたところ、そのなかに、老人斑をつくるβアミロイドと同じ配列のアミノ酸部分があることが分かった。βアミロイドは、膜タンパク質のAPPが分解するとき切り出されてくるのだ。
 アルツハイマー病の原因がアミロイド斑での沈着、蓄積にあるのなら、病因はさかのぼってAPPにあるといえるだろう。この推測は、若年性のアルツハイマーの家系の遺伝的解析によって支持される。調べられた家系の人たちはAPPをつくる遺伝子に突然変異がおこっていたのである。
 さらに、それとは別の若年性アルツハイマーの家系の遺伝的解析によって、APPからβアミロイドを切りだす酵素の遺伝子に突然変異がおこっても発病することが示された。
 これらの遺伝子はプレセニリン1(PS1)、プレセニリン2(PS2)とよばれ、APPを切断する酵素γセレクターゼとβセレクターゼの働きに関わっている遺伝子である。

たったアミノ酸二つの差で

 アルツハイマー病のメカニズムの解析は、このように、ごく稀な若年性アルツハイマーの家系の遺伝的研究によって一気にすすんだ。その結果、病因がアミロイド斑だとするアミロイド仮説が研究の主流となってくる。
 この仮説によれば、アルツハイマー病は遺伝子の働きに変異が生じた結果、脳にアミロイド斑が蓄積し、その影響で周りの神経細胞が消滅、あるいは、変性して神経原繊維変化をおこして死滅するためだという。
 では、遺伝子に突然変異がおこってAPPの構造が変わったり、βアミロイドを切り出す酵素の働きが違ってくると、なぜアルツハイマー病になるのだろうか。
 APPの切り出し酵素であるβセレクターゼやγセレクターゼの遺伝子に突然変異がおこると、APPの切断される箇所が違ってくる。そのために凝集しやすいβアミロイドがつくられたり、切り出されるβアミロイドの量が増えたりするためだという。
 普通にAPPが分解されたとき生じるβアミロイドはアミノ酸が40個連なっていて、切り出された後には凝集しにくい。そして、他の酵素によってさらに小さく分解されていく。そのためアミロイド斑の形成はあまりない。
 ところが、APPの構造に変異がおこったり、切り出し酵素セレクターゼに異常が生じると、切断される箇所が変わって、アミノ酸が42個連なったポリペプチド、βアミロイド42がつくられてくる。βアミロイド42は非常に凝集しやすく、アミロイド斑を形成して脳に沈着集積する。
 アミロイド斑の沈着は脳の神経細胞を死滅させるが、実際にはβアミロイドが溜まり始めてからアルツハイマー病が発病するまでには10数年かかるとされる。このため、痴呆症状は神経細胞が死滅して脳の細胞が減少するためというより、神経回路をつくるシナプスが障害を受けるためと考えられている。それを裏付けるデーターもある。

もう一人の有力な犯人

 さて、アミロイド斑以外にアルツハイマー病患者の脳にみられる、もう一つの変化は、神経細胞内に繊維状のもやもやとしたものが現れる神経原繊維変化である。神経原繊維変化はどうして生じ、発病とどう関わっているのだろうか。
 細胞には細胞の形を支えたり、薄い脂質の細胞膜を内側から裏打ちする細胞骨格とよばれる構造体がある。その一つに微小管という繊維構造があって神経細胞の軸索を形成して物質の輸送などにも重要な働きをしている。
 神経細胞内にみられる、もやもやは、この微小管に結合しているタウとよばれるタンパク質がリン酸化されて微小管から離れ凝集して繊維状となったものである。
 神経原繊維変化をおこした神経細胞は、微小管の働きを失って機能しなくなり死滅、脱落する。その結果、脳の細胞数が急激に減少して萎縮し痴呆症状がでてくる。
 このように、神経原繊維変化もアミロイド斑の沈着と共に痴呆の原因となっている。けれども、その発現を時間的にみると、アミロイド斑の方が先に生じ、数年後に神経原繊維変化が生じてくる。したがって、アミロイド斑の方が主犯であると一般的にみられている。
 神経原繊維変化はアルツハイマー病以外の神経変性の疾患にもみられるが、患者の痴呆の程度はアミロイド斑より神経原繊維変化の方が相関が高い。そのため、神経原繊維変化を主犯とする研究者もいる。どちらが主犯かについては長い間アミロイド派とタウ派に分かれて論争が続けられてきた。現在では、多くの研究者がアミロイドが主犯だと考えている。
 「アミロイド主犯説」(アミロイド・カスケード仮説)によるアルツハイマー病発症のメカニズムは、繰り返せば、こうである。まず、脳の細胞に遺伝的あるいは老化による異常がおこって、凝集しやすいβアミロイド42が多量に切り出され蓄積してアミロイド斑ができる。
 アミロイド斑は毒性をもち周囲の神経細胞を死滅させる。死滅はミトコンドリアのエネルギー産生を妨げるためだという。同時に、アミロイド斑によって神経原繊維変化が生じて神経細胞が消滅、脳の萎縮がおこって痴呆症状がでてくるのだ、ということになる。
 アルツハイマー病の原因については「アミロイド主犯説」以外にも諸説あって、まだ論争が続いている。おそらく、症状は同じでも原因は一つではないのだろう。けれども、「アミロイド主犯説」を支持するデーターは沢山あって、アミロイド斑の形成がアルツハイマー病の主な原因であろうことは間違いなさそうだ。
 さて、病因がアミロイド斑の蓄積ということになって、その形成や影響のメカニズムがここまで分かってくると、治療薬もつくれるだろうという気になってくる。要は、アミロイド斑をつくらせなければいいのだから。そして現在、さまざまな治療薬づくりが試みられている。これについては、また次回に述べることにしよう。
 ここに記したのはアルツハイマー病研究の流れをざっと示した、ほんの概要に過ぎない。だが実際には、20年余りにわたって何千人もの科学者たちが心血をそそいで記した膨大なデーターがそこにはある。そして、その多くは流れの底に沈んで見えなくなっていく……

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