Web草思
新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
第13回 おばあさんは家に帰れたか
かつて見た光景

 アルツハイマー病の患者が増えている。認知症の半数以上がアルツハイマー病で、今後ますます増えるだろうという。増加は生活環境の変化にもよっているらしい。
 それにしても認知症は、かっては“老人呆け”などとよばれ齢をとれば程度の差はあれ、そうなるのは仕方のないこととされてきた(気がする)。それが今では歴とした病気とされて、アルツハイマー型認知症とか脳血管性認知症などと呼ばれている。病気ということになれば当然、治してもらえると思って患者は医師のところへいくだろう。それでは、アルツハイマー病は治せるのか。現状はどうなのだろうか。
 20年余り前、筑波の大学に勤めていた頃、日曜の夜おそく、いつものように常磐線の荒川沖駅から「筑波大学行」の最終バスに乗った。その頃は週日を筑波の単身赴任宿舎で過ごし、週末は東京の自宅で、そして、日曜の夜に宿舎へ戻るというパターンをくり返していた。宿舎は大学の一つ手前の停留所前にある。
 駅で最終バスに乗る乗客は、ほとんどが列車から降りてきた人たちで、その日は小柄なおばあさんが、たまたま私の斜め後ろに座った。バスは途中の停留所に停まっては一人、二人と乗客を暗闇のなかへ降ろしていく。終点に近くなったときには車内には、おばあさんと私の二人だけとなった。
 宿舎前の停留所で降りようとして立ち上がって、ふと、おばあさんの方をみた。おばあさんは、一人じいーっとバスの天井をみつめている。この夜更けにどこへ行くのだろうかと気になった。この先の停留所は大学のキャンパス内で雑木林と学校の建物しかない。
 おばあさんに聞いてみた。
 「失礼ですが、どこまでいらっしゃるのですか」
 おばあさんは戸惑った顔をした。
 「この先は大学のキャンパスで、もう遅いから誰もいませんが、どこで降りられますか」
 と、また聞く。暫く間をおいて、
 「おじいさんと一緒だから」
 とおばあさんは答えた。そして、からだをよじらせて後ろの座席を眺めまわして、はて?という顔つきになり、
 「おじいさん」「おじいさん」
 と呼んだ。(もちろん誰もいないから)返事はない。
 急に不安そうになって、
 「おじいさん、どこへいったのかしらん」
 という。
 さて、どうしたものか、とこちらも考えた。運転手さんに相談してみよう。
 バスは終点から折り返して、また駅にもどる。結局、途中でおばあさんを降ろさずに駅まで乗せて帰り、交番のお巡りさんに住所を探してもらおうということになった。おばあさんは自分の住所か電話番号を知っているかもしれない。あるいは、それを書いた紙片をもっているかもしれない。
 その頃、知り合いにも同じようなお年寄りがいて、ちょっと散歩にでたまま帰り途が分からなくなったりしていた。若い頃、電車で通勤していたせいか来合わせた電車につい乗りこんでは遠くまでいってしまう。家族は心配して、いつも住所氏名を書いた紙をもたせていた。けれども、年寄りがそんな風になるのは、ごく自然で仕方のないこと、と家族は考えていたようだった。
 この20年でそれが変わった。今では、そうなるのは病気のせいだという。病気なら病院へいけば、なんとかなるだろうと家族も患者も期待する。どうしてそういう状況になってきたのだろうか。

“老人呆け”はいつから病気になったか

 アルツハイマー病は100年も前から知られていた。ただ、それは稀な家族性の神経疾患で神経科医だけが知っているような病気だった。ドイツの精神科医A・アルツハイマーは、たまたま、自分の顔のつもりで他人の顔をなでるような、ひどい痴呆患者を診ていた。患者の死後、脳を調べたところ普通の人の脳にはない黒いシミのような斑点(老人斑)が多数あること。そして、周りの神経細胞の内部に、もつれた糸くずのようなもの(神経原繊維変化)がみられること。脳がひどく萎縮していることを見いだした(1906年)。
 アルツハイマーのこの発見の後、ひどい痴呆患者の脳にはしばしば同様な変化があることが分かった。そのため、老人斑や神経原繊維変化は痴呆と関連があるとされ、このような病変を脳にもつ病気を発見者の名前にちなんでアルツハイマー病とよんだ。
 それは特定の家系だけに現れ、患者は40代から50代で発症する。もし両親のどちらかがアルツハイマー病であれば、その子供の半数が発症する。この遺伝の仕方は簡単なメンデルの遺伝の法則に準じ、常染色体上の単一の優性遺伝子によるとして説明することができる。そう、アルツハイマー病は非常にはっきりした遺伝病だった。
 その症状はまず物忘れから始まる。それも古いことは覚えているのに、新しいことはすぐに忘れてしまうような物忘れである。したがって、電話で伝言を頼まれても、受話器を置いたとたんに伝言の内容も電話があったことも忘れてしまう。やたらに忘れ物をするから一日中探しものをして明け暮れる。食事をしたことも忘れてしまう。
 記憶だけでなく見当識障害もでてくる。年月日や曜日はもちろん(これは随分と前から私も分からない)、バスで出会ったおばあさんのように、外出すると自分がどこにいるか分からなくなって迷子になる。そして、一緒にいない、おじいさんもいるような気がしたりする。妄想がでてくる。こうして、徐々に精神機能が衰えて他人と意志疎通もできなくなって、最後には家族の顔も分からなくなる。やがて寝たきりとなる。
 では、100年も前に発見され、あまり知られていなかったアルツハイマー病がなぜ最近になって、誰もが知るような病気になったのだろうか。80年代、それまで普通の“老人呆け”とされていた高齢者の脳にも、アルツハイマー病の特徴とされる老人斑や神経原繊維変化、脳の萎縮がみられることが分かったからだ。こうして、それまで特定の家系の遺伝病とされていたアルツハイマー病が、突然、高齢になれば誰にでも起こりうる身近な病気へと変わったのである。
 けれども、高齢者におこる(一応65歳以上とされている)いわば遅発性のアルツハイマー病は、40代、50代でおこる家族性(早発性)のもののように、一般的には、はっきりした遺伝性をしめさないようにみえる。これは発症の遺伝的背景が家族性のものと異なるからだ。高齢者のアルツハイマー病では早発性のものと違って、多くの遺伝要因が環境因子と複雑にからみあって発症している。
 65歳以上で遅発性アルツハイマー病になる人は全体の5%、85歳以上では25%にもなるという。そして、世界の患者数は1800万人以上と推定されている。
 こうして、アルツハイマー病は誰にも身近な病気になった。私の友人は「若いときは物忘れをしても少しも気にならなかったのに、この頃はちょっと物忘れをすると、すぐにアルツハイマーかとひどく気になる」とこぼす。

謎だらけの病気に挑む

 患者の数が多くなると、医師や研究者たちは、なんとかしてその疾患を治したいと願い努力する(少ないとほっとかれる)。こうして80年代後半から90年代にかけて、アルツハイマー病はエイズや癌とともに、研究者たちにとって、もっともホットな研究課題となった。もし、その治療薬を開発できれば研究者も製薬会社も巨額な報酬を得ることができるだろう。こうして巨大企業も参入して熾烈な競争が始まった。
 1996年、カリフォルニアで車で帰宅した日本人の大学教授が娘とともに自宅前で射殺される事件がおきた。日本の週刊誌が妻を犯人扱いした記事を書いて憶測が憶測をよんだ。犯人は結局分からなかった。しかし、研究者たちの間では、彼は企業と組んでアルツハイマー病薬の開発研究をしており、開発に決定的なデータを得たために対立する企業側から狙われたのではないか、という憶測が広がった。競争はそれほどに激しかったのだ。そして、今も激しい。
 アルツハイマー病の特徴は脳に老人斑と神経原繊維変化が生じることとされている。けれども、実は老人斑はときとして健常な人の脳にもみられ、神経原繊維変化はアルツハイマー以外の疾患にもみつかる。にもかかわらず、多くの研究者たちは、まず、この二つの特徴を手がかりにアルツハイマー病の解明に取り組んでいった。
 老人斑や神経原繊維変化とは一体なんなのか。その物質的基礎は? それらはどうやって脳に生じてくるのか。老人斑と神経原繊維変化の間の因果関係は? それらは神経細胞の死滅脱落、脳の萎縮とどう関わっているのか、などなど、解明すべき課題は山ほどあった。
 科学がもっとも大きな力を発揮するのは、一つのテーマに大勢の研究者たちが寄ってたかって流れを作ったときである。天才の閃きもその流れのなかで閃いてこそ輝く。
 アルツハイマー病の発見以来100年、克服に向けての流れが起こって20年余り、その間に研究者たちはどんな成果を得ただろうか。アルツハイマー病は間もなく克服されるのだろうか。
 散歩にでた、おばあさんは迷子にならずに家に帰ってこれるようになるだろうか。(次回へ続く)

草思社