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新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
第11回 「私を撃ってください」
平和主義の町でおこった惨劇

 夕刊に小さな囲み記事がのっていた(2006年10月7日付、朝日新聞夕刊)。ペンシルベニア州のランカスターという地区で、銃をもった男が学校に押し入り5人の少女を射殺したという。アメリカではよくある事件である。しかし、これは他の事件とは違っていた。
 ランカスターにはアーミッシュと呼ばれるキリスト教の一派の人たちが住んでいる。彼らは周りの社会とは隔絶した彼らだけのコミュニティーをつくり、暴力を徹底的に否定した平和主義に生きている。事件はそのアーミッシュの学校でおきた。
 コミュニティーの外から銃をもった男がやってきて教室に押し入り、女の子だけを残して教師と男の子たちを追いだした。6歳から13歳までの女の子10人が残された。事件はすぐに通報されて警官隊が駆けつけた。男は女の子たちを人質にとって教室にたてこもる。そして、おそらく、こう叫んだのだろう「包囲を解かなければ人質たちを殺す」と、が、警官隊は包囲を解かない。
 男は銃口を子供たちに向けた。すると、最年長の13歳の子が進みでてこういったという。「私を撃って下さい。代わりに他の子たちを助けてあげて!」犯人はその子を撃った。けれども、包囲は解かれなかった。彼はまた同じことを叫んだのだろう。すると、次に11歳の子が進みでた。結局10人すべての子が撃たれ男は自殺した。
 撃たれた女の子のうち5人が死亡し、あとの5人は重傷をおった。事件後アーミッシュの人々は外部から駆けつけてくれた警官たちに厚く礼をいい、犯人の家族が分かると、その家族に赦しと慰めの言葉を述べたという。
 囲みの記事は短く乾いたものだったが、読んだ後、それまでに余り感じたことのない不思議な情感がからだの内から湧いてきた。映画のシーンのようにその場の光景が浮かんだ。犯人の前に進みでた13歳の女の子の毅然とした顔が見えるようだった。そして、彼女が倒れた後、その脇へ進みでた11歳の女の子の顔も見えるような気がした。かって、こんな話を聞いたことがあっただろうか。深い感動を覚えた。

質素ゆえの豊かさもある

 アーミッシュという宗派は16世紀スイスにおこった。ヨーロッパでは受け入れられず17世紀に信仰者たちはアメリカへと移住した。主にペンシルベニア州に住んだのでペンシルベニア・ダッチとも呼ばれている。
 ダッチ(Dutch)という言葉は、オランダのスペインからの独立以降、「オランダの」という意味で使われているが、ペンシルベニア・ダッチはオランダからきた人々ではない。この Dutch は古いアメリカの俗語で Deutsch(ドイツ)に由来し、「ドイツの」という意味である。アーミッシュの人々がドイツ語を話したため、そう呼ばれた。
 彼らは主に農業に従事し、いまでも移住した当時の風俗、習慣を受けついで暮らしている。周りの喧噪社会とは一線を画している。水道を使わず井戸を掘り、電気を使わずランタンを灯し、洗濯板で洗濯をする。農作業は家畜の助けを借りて手作業でする。トラクターなどの機械類は使わず、車も使わない。外出のときは黒塗りの馬車にのってでかける。
 彼らはみんな同じような質素な服装をしている。男性は白い下着に牧師のような黒い服を着て、縁の広い帽子をかぶる。女性は地味なロングスカートをはいて色物は決して着ない。旅をするときは列車やバスにも乗るが、フィラデルフィアやニューヨークの街なかでもこの服装なので、アーミッシュの人だとすぐに分かる。
 現代の便利で快適な生活を享受せず、ひたすら昔ながらの素朴な暮らしに徹することで、より心豊かで宗教的、人間的な生き方ができると信じている。心の中心にはつねにイエス・キリストのこと、そして、周囲の人々のことがある。自分のことはいつも、その後におかれている。
 50年ほど前、ランカスターのアーミッシュの人たちの集落を訪れたことがある。幾重にもつづく丘陵地帯に、きれいに耕された畑がどこまでも広がり、その間をゆるやかな農道が走っていた。静かで限りなく平穏な世界であった。
 昼どき、レストランらしい家があったので入ってみた。畑のなかの大きな家だったが中は薄暗く、天井の高い広々とした空間に大きなテーブルが幾つか無造作に置かれていた。客は私たち以外に誰もいない。椅子に座るとウエイトレスらしい女性がやってきた。メニューを差し出されたかどうか記憶にないが、ミートソースのスパゲッティとサラダをたのんだ。すぐにできると思ったから。
 ところが、いつまでたっても料理はでてこない。先ほどのウエイトレスはどこへ行ってしまったのか。辺りは静かで何の音も聞こえない。20、30分した頃、脇戸が開いてトマトを山に盛った篭を抱えた女性が入ってきた。
 ようやく調理場の方から音が聞こえてきた。さらに20、30分して、やっとスパゲッティとサラダができてきた。にっこりしながら差し出された料理はこの上なく旨かった。かって、こんなに旨いスパゲッティを食べたことがなかった。そして、その後も食べたことがない。サラダもまた素晴らしかった。事件はあの村でおこったのだ。
 極限の状況にあって幼い女の子たちを助けようと、自ら銃口の前に進みでた少女たちの行為は、たまたま生き残った子の口から語られた。聞いた報道関係者たちは「理解を超える」といって驚嘆したという。自己中心の現代社会、とりわけ「力」だけを信奉するアメリカの社会にあって、この少女たちの行為はまさに「地の塩」であった。

利他的遺伝子の進化

 それにしても、こうした自己犠牲の話を聞いたとき、人はなぜ驚愕にも似た深い感動を覚えるのだろうか。思うに、人の心には本能に近い倫理観が存在していて、こうした行為を見聞きするとき激しく共鳴するのかもしれない。
 自己犠牲をともなう利他的行動は決して人間に特有なものではない。ヒトを含めた霊長類をはじめ、ゾウやイヌのように群れをつくって生きる動物たちには、しばしば見られる。アリやハチのような昆虫にも見られる。
 利他的行動が群れや社会をつくって生きる動物たちの間にも見られるのは、多分こうした行動が群れのなかで生きるのに有利だったからだろう。進化の過程でたまたま利他的行動に関わる遺伝子をもつ個体が生じ、その行動が群れや他の個体だけでなく、その個体自身にも有利だったため集団内にその遺伝子が広まったと考えられよう。
 こうした遺伝子は長い間にたくさん生じ、また消滅もしてきたことだろう。そして、私たちはいま利他的行動に関わる遺伝子を数多くもっているのだ。けれども、利己的行動に関わる遺伝子の方がもっと沢山あるに違いない。
 これらの遺伝子はおそらく、神経伝達物質の分泌や受容、神経細胞の興奮やその調節、神経回路の形成などに関わっていることだろう。情緒をコントロールするさまざまなホルモンの分泌にも関連しているのだろう。そして、それらの働きの結果として利他的行動が表れる。
 私の家の近くには動物園がある。そこで以前、思いもよらぬ事故がおこった。ゴリラの空堀に子供が落ちたのだ(1978年)。そこのゴリラの住まいはオープンで周りに空堀が巡らされている。空堀の底にはゴリラの側からは降りられるが、観客側からは降りられない。観客側の堀の壁は垂直で4メートル近くある。堀の外側には柵が巡らされ観客は柵と堀越しにゴリラを眺めるようになっている。
 元上野動物園長だった中川志郎氏によると、たまたま母親とゴリラを見にきていた3歳の女の子が、もっと近くから見たいと思ったのか、柵をくぐり抜けて空堀へ落ちたのだ。子供は倒れて身動きもしない。騒然となった。しばらくすると、一頭のメスのゴリラが子供に気づいた。ゴリラはゆっくりと堀の底へと降りはじめた。母親は卒倒した。
 ゴリラは底に降りると倒れている子供に近づいて、そっと両腕に抱きかかえた。そして、そのまま堀を登って自分の居場所に戻ると子供を下に寝かせたのである。飼育者が囲いの入り口から入り、その子を救出したという。この話にも私はいたく感動した。そして、利他的行動の遺伝子は母性行動の遺伝子から派生したのだろうなどと考えた。

利他的行動は利己的なのか?

 動物行動学者には動物たちの一見、利他的にみえる行動、自分を捨てて他の個体を救う行動も、実は利己的なのだ、という人たちがいる。自分の遺伝子と同じ遺伝子をもった同族の個体を救うことによって、自分の遺伝子を次世代に伝えているのだからというのである。けれども、この考えはどうも私には納得しがたい。
 なぜなら、他の個体の救出行為は必ずしも同族や同じ種のもの同士だけではなく、ゴリラがヒトを助けたように異なる種の間でも行われるからである。他の生き物を助けるという行動はゾウやイルカのようにある程度、知能の高い動物たちには共通してみられる。おそらく、ヒトを含めてこうした動物は他の生き物を救うことに喜びを感じるような本能をもっているのだろう。
 私たちの日常生活では、利己的行動が顕在し利他的なものは潜在している。そうでなければ生きていけないと思い込んでいる人もいる。けれども、利他的遺伝子は人がみんなもっているものだ。それで、圧倒的な利他行動に触れると魂が揺さぶられるのだろう。あるいは、些細な利他行動にも心が暖まるのだろう。
 アーミッシュの少女たちのニュースが報じられた数日後、同じ新聞にまた自己犠牲の記事がのっていた。交通事故で足を失った女性が自宅のソファでテレビを見ていたとき、飼い猫がテーブルの上のローソクを倒して火事になった。すると、そこにいた介助犬が彼女の義足と電話をくわえてきてくれ、おかげで、彼女は義足をつけ消防車をよんで家の外へ逃れることができたという。
 ところが、一緒に逃れた犬は、火に包まれた家から猫の鳴き声が聞こえると、再び駆け込んで戻ってこなかったという。
 どういう訳か、このニュースにはあまり感慨を覚えなかった。なぜだろうか、とまた考え込んでしまった。

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