Web草思
新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
第10回 わたし少子化の味方です
質素、倹約、リサイクル

 「駅弁を開けると、蓋についたご飯粒から食べ始めるのは昭和一桁」といわれたことがある。確かに一桁生まれの人たちはご飯粒を残さない(ようだ)。それは一桁生まれが戦争で食べ物のないときに育ったからだというが、それだけではないだろう。家内は二桁生まれで戦後の食糧難を充分に経験しているがご飯(粒)はよく残す。一桁生まれの私たちがご飯粒を残さないのは、ひもじかった経験だけではなく、「ご飯粒を残してはいけませんヨ」と親や先生から、やかましく、いわれていたからだ。
 思うに一桁生まれは、江戸時代からの質素、倹約の暮らしを引き継いだ最後の世代だった気がする。一桁生まれや、それ以前の世代の人たちは、みんな食べ物だけでなく身の周りのものすべて、衣類も履き物もすべてを大切にと厳しく躾けられた。
 ほおば(朴歯)というのをご存じだろうか。歯の高い下駄で、高下駄とか足駄ともいうが、私たちは朴歯とよんでいた。昔の高校生たちがよく履いていた。当時は格好いいと思っていたが、要は暮らしが貧しかったからだ。朴歯という呼び名は、下駄の台木に朴の木の板を差し込んで歯としたところからきているのだろう。朴歯のいいところは歯がすり減ったら、また新しい歯に入れ替えればよいことだ。
 私の通った田舎の中学ではみんな朴歯を履いていた。入学のときに親に朴歯を一足買ってもらえば、後は歯だけを入れ替え取っ替えすれば卒業まで履くこともできた。鼻緒もときどきすげ替えなくてはならなかったけれど。
 履きふるして台木まですり減って板のようになると薪と一緒に竈にくべる。竈に溜まった灰は集められて畑に肥料として撒かれる。思えば私たち昭和一桁は、生活は質素で倹約、徹底したリサイクルの社会に生きてきたのだ。ご飯粒もそうだが、こうした質素、倹約の暮らしは遠く江戸時代から受け継がれてきたものである。
 それはただ貧しかったからというのではなく、知恵と活力に溢れた暮らし方だったというべきだ。江戸時代には外国との交易も禁じられ鎖国の状態にあったから、人々は閉鎖された空間で300年もの間、自給自足の生活をしなければならなかった。そして、その間、人口もほぼ3000万人のレベルで保ち、戦争もおこさず、独自の庶民文化の華を咲かせた。これは驚くべきことである。
 1991年、アメリカ、アリゾナ州に「バイオスフィア」とよばれる巨大なガラス張りの施設が造られた。外界と遮断され密閉された建物で、なかに沢山の動物や植物が入れられ、8人の科学者がそこに住みこんだ。目的は、そのなかで自給自足のリサイクル生活ができるかどうか実験することだった。
 理屈としては、動物は植物を食べて炭酸ガスを排出する。植物は動物の排泄物を肥料として成長し、炭酸ガスを吸収して酸素を出す。こうして成長した動植物を人が食べる。この閉鎖空間のなかでリサイクル生活は可能だと考えられた。しかし、結果は、植物は枯れ動物は死に自給自足の生活は成り立たずに実験は2年で中断された。建物はいまも残っていて観光スポットとなっている。
 一方、空間のスケールは違うにしても、島国のなかで江戸の日本人たちは、質素、倹約を旨として独自の慣行、制度のもとで300年もの間、統制のとれた自給自足のリサイクル生活をしてきたのである。

下肥ブランドもあった江戸リサイクル社会

 リサイクルとは暮らしのなかで生じた廃棄物をもう一度、生産に生かして利用することだ。当時、もっとも厄介な廃棄物の一つは人や動物たちの排泄物だった。この厄介な廃棄物を江戸の人たちは貴重な資源として再利用した。驚くべきことに都会では、その再利用を職業として成り立たせていた人々もいた。
 農村では、排泄物は厠の溜め桶から畑の肥溜めに運ばれ蓄えられ、熟成されて肥料として作物に与えられた。この再利用法は昭和の中頃までも続いた。学生の頃、下宿の同室の友人がたまたま夜道で畑の脇の肥溜めに落ちたことがある。懸命に洗ったが匂いは一週間たってもとれなかった。あれは確か昭和27年(1952年)だった。
 このリサイクルは田舎では容易だったが、人々の密集する都会では困難だ。で、ヨーロッパの都市ではこの時代、排泄物は街路にそのまま捨てられていた。その結果、疫病が流行し、それが大規模な下水道の建設へとつながったといわれている。
 けれども、日本ではずっと衛生的だった。都市の排泄物は、下肥屋と呼ばれる人たちによって家々から買い集められ、荷車や船に積まれて近隣の農村へと運ばれた。そして、下肥として農家へ売られた。当時、江戸の人口は100万といわれ、一日に扱う下肥の量は一万六千石もあったというから、大きな商売だったといえよう。
 下肥屋は下肥にランクをつけて売った。一番上等なのは大名屋敷のもので、一般の町家のものの数倍の値がしたという。一方、一番安いのは牢屋敷のものだった。見た目には同じ商品に素材あるいは産地によってランクづけするという発想には驚嘆する。付加価値をつけるとか、ブランド志向といった感覚は随分と昔からあったらしい。
 このように江戸時代、人々の暮らしは極めて質素で、しかも社会では徹底した資源のリサイクルが行われていた。そして、そのスタイルは昭和の中頃までも続いていたのである。それが崩れたのは戦後アメリカ文化が入ってきてからで、瞬く間に今日の大量生産、大量消費の使い捨て社会となった。
 そのことを私が最初に実感したのは1958年である。ニューヨークに住んで、日本から履いてきた靴が傷んだので近くの靴屋へ修理にもっていった。すると、靴屋のじいさんがこういった「新しいのを買いナ、その方が安いヨ、この国では」70年代になると、日本でも古いものを修理するより新しいものを買う方が安いといわれ始めた。どんどん買ってどんどん捨てる、すると経済が発展して人々の生活は豊かになる、と聞かされた。

自給自足を支えた人口抑制のしくみ

 ところで、江戸時代の人々がどんなに質素で倹約な暮らしをし、効率のよい資源のリサイクルをおこなったにしても、もし人口の増加が著しかったら自給自足の社会は成り立たなかったことだろう。成り立ったのはその間、人口の増大が社会的に制御されていたからである。
 それでも江戸時代の人口は初期には、かなりの増加があった。この時期、戦国時代の戦乱が収まり荒廃した田畑が元通りになって、新田の開発も盛んに行われたからである。けれども、その後は一段落して耕地の面積がほぼ定まると人口の抑制がはじまり、その後、人口はほぼ一定に保たれた。
 関ヶ原の合戦があった年(1600年)の人口はおよそ1500万人と推測されているが、江戸中期(1721年)、幕府の手で行われた調査によると約3100万人となっている(調査では武士階級は含まれなかったが、その数を入れての推定数)。かなりの増加である。ところが、幕府が崩壊する約20年前(1846年)に行われた調査の結果では人口は3330万人で、この間ほとんど増加していない。
 江戸中期から後期にかけて人口が増加しなかった理由は、当時、人口増加を抑制する社会的慣行や制度があったためである。それは、いってみれば、動物の縄張りと同じようなシステムだった。一部の動物はそれぞれ自分の縄張りをもっていて、そこで食糧を得ている。縄張りをもつ個体だけが生き残ってメス(あるいはオス)を受け入れ繁殖する。しかし、縄張りをもたないものは、縄張りのすき間を渡り歩き、ろくに食糧も得られず繁殖にも加われずに終わる。
 江戸時代には武士も農民も家を単位として、一定の食い扶持を得ていた。武士は決められた禄高を、農民は決まった耕地をもっていた。これは一種の縄張りシステムである。固定した縄張りのなかで家族の人数がどんなに増えても、得られる食糧の量は変わらない。家族の人数が増えれば増えるほどに生活が苦しくなる。
 豊かな家であれば大勢の家族を養い、子供が成人したら分家させることもできるが、貧しければ家族を養うこともできず、禄や耕地を細分化することもできない。わずかなものを子供たちに同じように分けてやれば共倒れである。そこで、長男だけが家を継いで結婚し子供をつくるというシステムができあがった。
 長男以外は結婚せずに、そのまま家に住みとどまる。武家の次男、三男は運がよければ他家へ婿入りして結婚できたが、大抵は部屋住みとして家に残った。農家では長男以外は家の野良仕事を手伝うか、あるいは、奉公人として江戸や大坂へ働きにでた。奉公人で結婚できるものは多くなかった。商家もまた同じようだった。女の子は嫁にいくか、さもなくば、やはり他家へ奉公にでた。
 大勢の子供たちを養う余裕のない家では、堕胎や間引きをした。衛生状態が悪いから、疫病などで成人する前に死ぬものも多かった。こうして江戸時代には、出生率と死亡率がほとんど釣り合って、人口がほぼ一定に保たれたのである。もし、こうした制度や慣行がなかったら人口はたちまち激増していただろう。そして、社会は秩序を保てずに崩壊したに違いない。

問題は本当に少子化なのか?

 さて、このところ世間では少子化が大きな問題となっている。どちらを向いても少子化阻止のかけ声ばかり、いつの間にか少子化阻止の担当大臣までが任命された。政治家たちは少子化は国力を落とし国の未来を危うくするという。市場主義の経済学者たちは少子化は国の経済発展を妨げ生活水準を低下させるという。マスコミは社会保障制度の崩壊や生活不安をいいつのる。
 短期的にはそうだろうと私も思う。でも、ちょっと頭を冷やせば、人口が増えれば経済発展がこのまま続くという考え方はおかしいことに誰もが気づくはずである。なぜなら、有限な地球の資源を使って現在のような大量生産、大量消費の経済がいつまでも続くはずがない。
 そう分かっていながら、なお現状を維持するために少子化をくい止めようとする政治家や経済学者たちの感覚が私には理解できない。彼らは、とりあえず今さえよければ、と問題を先送りしているのだろうか。それとも、人は快適な環境に恵まれると、それがいつまでも続くようにと願い、それに慣れると、いつまでも続くと錯覚するのだろうか。
 少子化は日本だけではなく、ほとんどの先進諸国で起きている。しかし、地球規模でみれば、その総人口は少子化どころか爆発的な増大を続けている。先進諸国の女性が一生の間に生む子供の数(特殊合計出生率)は1.0から2.0ほどだが、アフリカや中南米には7.0を越える国もある。
 西暦1000年にはたった3億人だった地球の総人口はいまでは65億人を超えている(2005年)。人類の歴史が仮に500万年だとすると、499.9万年かかって3億人に増えた人類が、この0.1万年の間に62億人増えたことになる。異常としかいいようがない。
 江戸時代の人たちは閉鎖された島国で、人口をほとんど増やさないようにして、質素な暮らしで自給自足してきた。スケールは違うが、地球もまた閉鎖された空間で、状況は同じである。人々はこの限られた空間、限られた資源のなかで自給自足しなければならない。にもかかわらず地球人口は急増しっぱなし、地球資源とくに地下のエネルギー資源は浪費され放題である。
 人類が生き残るには、まず人口の増大を防ぐこと、次に資源の消費を最小限に抑えることである。それには資源循環型の社会をつくらなければならない。地球の資源を大量に消費しているのは主に先進諸国である。たとえばアメリカは、世界のわずか6%に過ぎない人口で36%余りの世界の資源を消費している。少子化がまず先進諸国から始まったことは、人類の未来にとっては救いといえよう。
 もし、政治家や経済学者たちが、自分たちの世代だけよければと考えて、少子化阻止を唱えているなら、それは人としての生き方の「倫理」にもとる行為である。いまを生きる人たちは未来の世代の人たちにも心を砕くべきなのだ。少子化は人類にとっての希望のサインである。
 神は、ヒトという「種」をもう暫く地上に残そうと考えているのかもしれない。
 そう思うのですが……。

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