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新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
第9回 ストレスって何だろうか
気圧と頭痛の不思議な関係

 世の中ストレスだらけ、とみんないう。ほんとうに、そう思う。しかし、ストレスに晒されているのはヒトだけではない。生き物はみんなストレスに晒されている。サバンナに生きる動物たちに比べれば、ヒトのストレスなど……と思わないでもない。生きるということは、ストレスに晒されるということなのだ。
 かつての同僚に、一度も笑顔を見せたことのない人がいた。聞いて同情したのだが、ほとんど一年中、頭痛がするのだという。とくに「南方海上に低気圧が発生し……」などと天気予報がいう日には、痛みが一段とひどくなる。寒冷前線が停滞したり台風がくると、さらにひどくなるという。
 ちょっとした気圧の変化が、そんなひどい頭痛を引きおこすとは、それまで知らなかった。暑さは、30度を越えれば誰でも暑いと感じるが、気圧の高低や変化を鋭敏に感じとる人は、そう多くないだろう。しかし、調べてみると十人に一人ほどの割合で感じるという人がいるそうだ。
 こうした人たちは、気圧の谷が接近したり、台風や寒冷前線が通過すると体調がおかしくなる。血圧が上がったり、頭痛がしたり、抑うつ状態になる人もいる。腹痛や足腰に痛みを訴える人もいる。
 気候の変わり目には、こうした患者が医師たちのところへやってくる。患者の数が季節や気候で変わるので、医師はからだの変調と気候の変化との間には何か関連がありそうだと考える。しかし、考えるだけで実証しようとはしない。が、実証した例が全くなくはない。
 カナダにカルガリーという都市がある。カナディアン・ロッキーへの入り口で、かつて、冬季オリンピックを開催した都市でもある。したがって、冬はひどく寒い。零下20度から30度にもなる。けれども、冬から春にかけて月に一、二度、急に暖かくなり、それが数日、続くことがある。ロッキーの山々からチヌックとよばれる乾燥した暖かい局地風が吹き降ろしてくるからである。
 チヌックはなかなかの強風で、この風が吹くときは列車に乗らないという人すらいる。チヌックが吹くと気温は一気に10度から20度も上昇する。そして、不思議なことに、カルガリー周辺の医院や病院は頭痛患者で一杯になる。
 カルガリー大学のW・ベッカーたち(2000年)は、チヌックと頭痛との関連を実証しようと考えた。そこで日頃、病院へ通ってくる頭痛もちの患者たちに、二年間、頭痛のおこる日時と期間を記録して欲しいと頼んだ。
 75人の患者が記録を提出してくれた。調べてみると、そのうち32人がチヌックが吹く度に、ひどい頭痛発作をおこしていた。17人は吹き始める数日前に、残りの15人は吹き始めてから頭痛をおこしていた。前者は気圧の下がる変化が、後者は気圧の下がった状態が頭痛の原因と考えられた。
 この報告は、それまで、多くの医師や患者たちが経験から漠然と感じていた、気圧と頭痛との関連をはっきりと示してくれた。けれども、気圧の変化をからだが、どうやって感じとり、頭痛が起こるのか、そのメカニズムは、まだよく分からない。

ストレス対処法(バクテリア篇)

 このように、ストレスは人によって感じ方がかなり違う。気圧の変化を鋭敏に感じる人には、ひどいストレスであっても、感じない人には、それはストレスではない。気圧に限らず、ストレス要因の多くが、それぞれ人によって受けとられ方が違っている。
 たとえば、ある種の食品や薬剤でアレルギーをおこしたり、わずかな化学物質で体調をひどく崩す人たちがいる。一般にストレス要因と認められているもので体調を崩す人はまだいい。が、ストレス要因と認められていないもので体調を崩す人たちは不運である。どんなに苦しんでも、医師たちには理解されず、「おかしな患者」として放置される。
 さて、ストレスの概念は1936年、カナダの内分泌学者H・セリエによって提唱された。彼は何らかの環境要因によって、からだの機能に「歪み」が生じた状態を「ストレス」といった。ストレスの要因には、寒暑や旱魃などの物理的なものから、工場廃棄物などによる河川や土壌の汚染のように化学的なもの、そして、饑餓や疲労、病原菌の感染などの生物的なものもある。
 こうしたストレス要因には、ヒトに限らず、すべての生物が晒されている。しかし、脳が発達した動物とくにヒトは、不安や恐怖といった心理的なストレスや、争いや戦争などといった社会的なストレスにも強く晒されている。
 あまり強いストレス刺激に晒されると個体は死ぬ。けれども、ある範囲内の刺激なら、生じた歪み(ストレス)を修正して、生命を維持する機構を生物はもっている。生物はその誕生以来、ストレスに晒されつづけて生き、進化してきた。そして、ストレスへの対処法もまた進化させてきた。
 単細胞のバクテリアでもストレスに対処する優れた機構をもっている。たとえば、菌を急に高温に晒すと、それまでになかった特異的なタンパク質がつくられる。熱ショックで生じるので、一般にヒートショック・タンパク質とよばれている。
 これは熱(ストレス刺激)に晒された菌が、菌体内に生じた歪み(ストレス)を修正して、なんとか生き延びようとする反応の一つである。熱に晒されると菌体内の分子、とくにタンパク質が変性して、立体構造が崩れてくる。立体構造が崩れると、タンパク質は果たすべき機能を果たせなくなってしまう。
 ヒートショック・タンパク質は、熱のせいで立体構造が崩れ始めたタンパク質や、産生過程でうまく立体構造をつくれないタンパク質を助けて、その構造を保持し機能を回復させるのである。
 ヒートショック・タンパク質をつくるのはバクテリアだけではない。アメーバのような単細胞生物から植物、そして、ショウジョウバエのような昆虫からほ乳類までみんな、ヒートショック・タンパク質をつくっている。もちろん、ヒトもつくっている。

ストレス対処法(ほ乳類篇)

 このように、生物は高熱時にヒートショック・タンパク質をつくるが、熱だけでなく、乾燥やpHの変化など、細胞レベルでの様々なストレスに対処する機構をもつ。
 生物が進化して多細胞体になり、体制がより複雑になると、細胞レベルでの対処法に加えて、からだ全体のバランスの維持のような、さらに高次のレベルの対処法が必要となってきた。
 ほ乳類などは、外部環境が多少変わっても、からだの内の生理的環境をつねに一定に保つホメオスタシス(恒常性)とよばれるシステムをもっている。個体は恒常性が保たれて、はじめて、その生命が維持される。
 恒常性の保持に重要な役割を果たしているのは、自律神経系と内分泌系、そして、免疫系である。外部の環境要因によって恒常性に歪みが生じると、まず、これら三つの系が対応して歪みを元に戻そうとする。よく知られているのは、視床下部ー脳下垂体ー副腎皮質の系である。
 外部のストレス刺激が脳に感知されると、視床下部からCRH(corticotropin-releasing hormone)とよばれるホルモンが放出される。これが脳下垂体を刺激して、ACTH(adrenocorticotropic hormone)を分泌させ、これが血流にのって運ばれて副腎皮質に刺激をあたえる。その結果、いわゆる副腎皮質ホルモン、コルチゾールやコルチゾンなどが分泌される。
 これらのホルモンは糖質の合成を促したり、電解質の代謝を変化させたり、からだの様々な箇所に働いて、恒常性の歪みを元に戻すように働く。コルチゾールはストレス・ホルモンともよばれ、その血中濃度が、個体の受けたストレスの程度を表示するのにも使われている。
 副腎皮質ホルモンの過剰な分泌は、短期的には、個体がストレスを克服して乗り切るのに極めて有効である。しかし、ストレスが長期にわたり、過剰にホルモンが出つづけると、からだに過度に負担が掛かって消化器の障害や免疫機能の低下など様々な疾病が生じてくる。したがって、ストレスは短期間のうちに除くことが望ましい。

結婚生活よりもつらきものとは

 脳が発達したヒトという生きものは、多くの物理・化学的ストレスや生物的ストレスを回避している。
 たとえば、寒ければ暖房を、暑ければクーラーを、そして、ときには除湿器や加湿器を使う。社会を構成することによって、食料を安定に供給するシステムをつくり饑餓を逃れ、植林やダム、堤防を築いて旱魃や洪水を防いだりもしている。
 脳のおかげで、ヒトはこのように様々なメリットを享受する反面、この脳の発達によって、他の動物にないストレスに悩まされるようにもなったのだ。ある調査によれば、都会に住む人たちの80%はいつもストレスを感じており、その多くは社会生活や人間関係によるストレスであるという。
 アメリカの社会学者T・ホームズらは(1967年)、人々に日頃の社会生活で、いわゆるストレスと感じる出来事を多数あげてもらい、その中から43項目を選んで、各項目ごとに、そのストレスの強さを記入してもらった。
 ストレスの強さの判断基準として、結婚生活への適応に要したストレスを50とし、それに比較して各項目のストレスの強さを1から100までの数字で表してもらった。結婚生活のストレスを他のストレスの判断基準としたところが、アメリカらしい。
 400人近い人たちに面接し答えてもらった結果、その平均値として、もっとも強いストレスとされたのは配偶者の死で、100であった。その他のストレスでは、離婚が73、別居が65、怪我や病気は53、解雇は47であった。
 これは、アメリカの調査結果で、しかもかなり古いものだから、いまの私たちのストレスの感覚とはずれているかもしれない。けれども、この調査はいまでも社会的ストレスの評価法として、ときどき用いられている。そして、ストレスと感じた各項目をチェックした数値の総計が300を超すと、「貴方は強いストレスに晒されています。そのうち病気に冒されるかもしれません」などといって脅す。
 確かに、強いストレスを長期にわたって受けると、様々な病気、とくに循環器や消化器系の病気になりやすい。高血圧や動脈硬化になって、脳や心臓に深刻な疾患を招いたり、消化器に潰瘍を生じたりする。癌にもなりやすいといわれる。
 「彼は若いのに、あまり苦労したから癌で亡くなった」などと人はよくいう。ストレスがかかると免疫系の機能が落ちるので、発ガンを抑制するNK細胞(natural killer cell)という免疫細胞の働きが低下し、それで癌にもなりやすいのだとされている。
 けれども、これは、実証されたという報告と、実証できなかったという報告があって、まだよく分からない。しかし、私の周りで癌で亡くなった多くの友人や知人を思いおこしてみると、みんな強いストレスを受けていたような気がする。

ストレスが引き起こすもの

 ホームズの調査でも分かるように、人は昔のストレスを覚えていて、そのストレスの強弱を他のストレスと比較することができる。また、現在、受けているストレスの強さを自分である程度、判断することもできる。けれども、こうした脳の働きのプロセスについては、よく分かっていない。
 ただ、大雑把にいえば、ストレス刺激はまず感覚器で受容されて大脳皮質へ送られる。そこから海馬や扁桃体に回されて記憶と照合され、その強弱や性質などが判断される。その結果、脳の辺縁系に警戒や不安、あるいは怖れや怒りなどの情動が生じ、その興奮が視床下部へ伝えられて、内分泌系や自律神経系の働きがおこる、とされている。
 脳に大きな影響を与える心理的、社会的ストレスは、そのメカニズムが分からず、人によって感じ方や鋭敏さがひどく違うから、なかなか厄介なストレスである。
 長期にわたる心理的ストレスは神経回路にも変化を生ずるという。刺激が神経回路をめぐるうちに興奮が増幅され、最初と違った刺激として認識されることもあるだろう。思いこみや思い過ごしが強烈なストレスに発展することもある。
 70年代のはじめ、ニューヨークの癌研究所に勤めていたことがある。世界でも屈指の研究所ということで、日本からも、いつも何人かの研究者がきていた。日本人の研究者で英語の得意な人はあまりいない。英語は聞こえてくるだけでもストレスである。で、仕事の合間には、日本人同士、集まって話し込んではストレスを解消していた。
 そんなある日、隣の研究室にまた日本から新しい研究者がやってくるという。そこのボスによると、その研究者は有能さを売り込んで、他の研究者たちの倍の給料を要求しているという。迷った末に、ボスは5割増しで採用したらしい。
 まもなく、その研究者がやってきた。彼は、まず論文を読んで実験計画を立てるからとボスに告げて、図書室に閉じこもった。そして、何週間たっても、何カ月たっても図書室にこもっている。とうとうボスは「ラボへきて実験を始めて欲しい」と催促した。たびたび催促するうちに、突然、彼は研究所へ出てこなくなった。
 仕方なく、ボスは別の日本人に、アパートへいって彼の様子を見てきて欲しいと頼んだ。すると、彼は窓にブラインドを下ろした暗い部屋に座り込んでいて、なんといっても出てこない、という。しかし、からだの具合が悪いのでもなさそうだ。
 そこで、仲間たちが代わる替わる出かけていっては、出てくるようにと説得することになった。当時はまだ登校拒否とか出社拒否といった言葉はなかったが、思えば、そんなのの走りだった。
 そのうちに、言動がおかしくなってきた。下ろしたブラインドを指でちょっと持ち上げて、ときどき外を覗く。街路に駐めた車や人影をしきりに気にする。そして、「実は殺し屋に狙われているのダ」といいだした。殺し屋は、ボスが差し向けたものだという。
 結局、仲間たちで相談して、お金を出し合って航空券を買い、空港まで送って帰国させた。
 帰国と同時によくなって、元の職場で元気で働いていると、その後、聞いた。

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