Web草思
新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
第2回 人間万事塞翁が馬
「胃に菌はいないヨ」

 ノーベル医学生理学賞(2005年)がピロリ菌の発見者にあたえられた。ノーベル賞がそれまでになく身近に感じられた。ピロリ菌とは随分と長いつきあいだったから。
 思えば、小学生の頃から胃の調子がおかしかった。いつも胃がもたれていて、お腹が空くことはなかった。もう少し空かしてから帰ろうと、放課後も校庭を駆けたり、いつまでも鉄棒にぶら下がったりしていた。ちょっと食べ過ぎると三日も四日も胃が痛んだ。
 戦後のひどい食糧難の頃だけはまずまずだった。が、食料が出回りはじめると、また胃の調子がわるくなった。 茶碗にかるく半分も食べると満腹となる。もう一口食べると、胸焼けがおこり胃が痛む、そして何日も治らない。
 「慢性胃炎だねエ」「胃下垂です」「胃酸過多症だ」と医師たちはいった。何もしてくれなかった。自分でも、そのうちきっと胃の病気で死ぬにちがいないと思っていた。少年期、青年期とずっとこんな調子だった。
  中年の頃に、胃のなかを覗く内視鏡が普及しだした。たびたび内視鏡検査をした。今度は医師たちは一様に「萎縮性胃炎です」といった。しかし、いい方が少しずつ違った。「随分ひどいねエ」「まあ齢相応でしょうナ」「胃の老化だからネ。仕方ない」などといった。結局、何もしてくれなかった。
 定年ちかくなった頃、たまたま雑誌でピロリ菌の論文を目にした。胃のなかにヘリコバクター・ピロリという細菌がいて、それが萎縮性胃炎や胃潰瘍の一因となっているという。
 早速、行きつけの医師にきいてみた。「ピロリ菌? 胃のなかにねエ。胃に菌はいないヨ。胃酸で死んでしまうから」と高齢の医師はいった。
 もう少し若い医師にきいてみよう。若ければ新しいことも知っているにちがいない。たまたま尋ねた医師はピロリ菌を知っていた。「ピロリ菌ですか。除菌? さあ、どうやってするんですかねエ」といった。
 数日後、彼は親切に除菌をするという病院を調べて教えてくれた。「日本ではこの3カ所くらいしかないらしいですよ。行ってみますか」
 どの病院も遠い。で、億劫になって、ピロリ菌のことは忘れることにした。忘れているあいだに研究が急速にすすんだ。除菌の方法も進歩し、普及してきた。
 定年後、しばらくして、知りあいの医師から手紙をもらった。彼もまた定年で大学をやめて、いまは民間の病院で非常勤で働いているという。その病院は私の家からさして遠くない。行ってみようと思った。
 病院は吉祥寺の駅の近くにあった。古い商店と住宅とが入り混ざったような処だった。病院のたたずまいは、いまどき、あまり見かけないほど古い。が、結構、患者で混んでいる。
 受付をすませて、狭い廊下を曲がって薄暗い奥に、元教授の診察室はあった。「久しぶりですね。よく来てくれましたねエ」と、あまり患者向きでない挨拶を彼はした。
 「このところまた胃の具合がひどく悪いのですが、ピロリ菌のせいじゃあないかと思って……」するといとも簡単に、「じゃあ、内視鏡で胃の組織をとって調べてみましょう」という。
 部屋を見回すと、流し台の上に針金が張られ、内視鏡が一つ無造作に吊り下げられていた。消毒はちゃんとしてあるのかしらん。あれにもピロリ菌がついているかもしれないナ。
 「なにか他の検査の方法はないですか。血液とか尿で調べるとか」すると「看護婦さーん」と彼は大きな声をだした。「ここには、呼気でピロリ菌を調べる器械がありますかー」「ありませーん」と隣の部屋から返事がした。「ないそうです、駄目なようです」
 ずっと何年も前から除菌をしたいと思っていた。ようやく巡ってきたチャンスだ、とにかく除菌してもらおうと思った。
 検査の結果、ピロリ菌がいることが分かると、彼はタケプロンという胃酸の分泌を抑える薬と、アモキシシリン、 クラリスロマイシンという2種類の抗生剤を処方してくれた。
 「よく効きますよ。1週間飲んでください。多少、副作用があっても途中で止めないでください」といった。
 飲むといきなり、ひどい吐き気と胃痛がおこった。ついで強烈な下痢に見舞われた。ほとんど1日中トイレに入りっぱなしである。覚悟はしていたがショックだった。とても多少の副作用などといったものではない。しかし、ピロリ菌にもショックにちがいない。なんとか我慢した。
 7日目に薬を服みおえたときは、ほっとした。が、除菌できたのかどうか不安でもあった。除菌の効果は徐々にあらわれてきた。みぞおちのあたりで、いつも燃えている炎のようなものが弱まってきた。
 胃の存在感がうすれて、胸焼けも膨満感も治まった。食欲がでてきた。爽やかな感じすらする。すると、いままでのあの惨めな感覚はすべてピロリ菌のせいだったのだろうか。

ピロリ菌を飲んでみた男

 さて、授賞は、「ヘリコバクター・ピロリ菌の発見と、胃炎、消化性潰瘍における役割の発見」というもので、オーストラリアのR・ウォーレン博士とB・マーシャル教授が受賞した。
 ヘリコバクター・ピロリというのはピロリ菌の正式な名前で、ピロラスとよばれる胃の幽門の近く(ここからピロリという名前がきた)でよく見つかる、らせん状(ヘリコ)のバクテリアという意味で命名された。
 実は、ピロリ菌を最初に発見したのは、ウォーレンたちではなく、クリエンツという医師が1906年に胃ガン患者の胃のなかに、らせん状の細菌がいることをすでに見つけている。当時はピロリ菌という呼び名はなかったが、記載されている形状から、それはピロリ菌だろう。
 その後も、胃のなかに細菌がいるという報告は幾つかあった。けれども、すべて否定されたり無視されてきた。なぜなら、胃のなかは、胃壁から分泌される胃酸で強い酸性(pH1?2)に保たれていて、細菌は生存できないと考えられていたからである。したがって、見つかった細菌は、たまたま口腔から胃に入ったものとされた。
 胃のなかの酸性度は非常に強い。したがって、食べものと一緒に多少、菌が入っても、たいてい殺される。多少、汚れた水や食べものを食べても病気にならないのは、一つにはそのせいである。
 1979年、オーストラリアのロイヤルパースという病院に勤めていた病理医のウォーレンもまた、胃のなかに、らせん状の細菌がいるのを見つけた。その菌は胃壁の粘膜のなかにもぐりこんでいた。たまたま胃に入った菌が粘膜のなかにもぐりこむことはないだろうと彼は思った。
 細菌は慢性胃炎や胃潰瘍の患者に多く見いだされた。もしかすると、その菌は胃の常在菌で、これらの疾患の一因となっているのかもしれない、とウォーレンは考えた。もしそうなら、抗生剤でこの菌を除けば、これら治療困難な疾患も治せるかもしれない。
 当時、慢性の胃炎や胃潰瘍が細菌によって引き起こされるとは誰も思っていなかった。それはアルコールやアスピリンなどの消炎鎮痛薬を飲み過ぎたり、あるいは、肉体的、精神的なストレスで胃酸の分泌と胃壁を酸からまもる防御因子とのあいだのバランスが乱れて生じると考えられていた。
 もちろん、今でもそう考えられている。ただ、これらの疾患には原因が幾つかあって、ピロリ菌もその一つなのである。したがって、胃潰瘍の治療には、たいてい胃酸の分泌を抑える薬や胃壁保護剤が用いられる。
 ウォーレンは病理学者だったから、もし、この菌が胃の常在菌だったら、ふつうの菌が生きられないような強い酸性度の下でどうやって生きられるのか、と不思議に思った。
 そのメカニズムが解明されなければ、せっかく発見された細菌も、それまでと同様、たまたま胃に入ったものとして片づけられてしまうだろう。
 それを解決するにはまず、菌を単離し人工培地で培養しなくてはならない。そうすれば試験管のなかで菌の性質をしらべることができる。そんなとき、たまたまウォーレンの研究室へマーシャルが研修医としてやってきた。そこで、その仕事をマーシャルにまかせることにした。
 細菌を単離して培養することは、なかなか大変な仕事である。とくにそれが未知の菌で、従来の培地で育つかどうか分からないときには、まず培地づくりから始めなくてはならない。うまく培養に成功すればよいが、しなければ、費やした時間も努力もすべて無駄となる。業績はゼロだ。誰もが敬遠したい仕事である。
 マーシャルも与えられたこの仕事が気に入っていたとは思えない。結果が出ないのに嫌気がさしていたのだろう。たまたまのイースターの祭日に休みをとると、そのまま5日間も仕事をほったらかしにして休んだ。
 培養をやっている研究者はそんなことはあまりしない。自分が休むときは、それなりの準備を整えてから休むか、誰か他の人に仕事を頼むのが普通である。
 ところが、5日間休んで研究室へいってみると、なんと、ほったらかしておいた培地にピロリ菌がはえていたのだ。それまでうまくいかなかったのは、菌の増殖がおそく、彼は増える前に培地をチェックして捨てていたからであった。
 ピロリ菌の単離、培養に成功すると、早速、その性質が調べられた。この菌はウレアーゼという酵素を産生し、胃のなかの尿素をアンモニアに変えることができる。
 アンモニアは胃酸を中和し、菌は胃のなかでも増殖できるのである。このことが示されると、その菌がたまたま胃に入った菌であるとは誰もいわなくなった。
 ウォーレンたちは、ピロリ菌が慢性の胃炎や胃潰瘍の患者の胃に多くみられることから、この菌はそれらの疾患と関連があるだろうと考えた。もしそうであれば、この菌を除けば胃炎や胃潰瘍を予防し、治療することができるだろう。
 しかし、実際には、それまでの医学の考え方の主流を変えることは難しかった。論文は投稿してもなかなか掲載してもらえず、掲載されても無視されたり批判されたりした。
 若いマーシャルは大いに頭にきたらしい。それならば自分自身で実証してみせようと、ピロリ菌の培養液を飲んでみせた。ピロリ菌がほんとに胃炎や胃潰瘍の原因なら、自分も胃炎か胃潰瘍になるはずだ。そうすれば他人もきっと信じてくれるにちがいない。
 6日目に彼はひどい胃痛をおこして吐いた。本人はこれで自説を証明したと思ったことだろう。
 けれども、細菌の培養液を飲めばピロリ菌でなくても、たいていは、ひどい腹痛をおこす。培養液中の細菌の数は非常に多いのだ。私の友人は実験中に誤って大腸菌の培養液を飲みこんだ。僅かだったが、ひどい腹痛と下痢をおこした。
 しかし、からだを張ったマーシャルの人体実験はそれなりの宣伝効果があった。話は研究者たちのあいだに広まって、人びとはピロリ菌に興味をもった。研究するものも次第に増えて、ピロリ菌が慢性胃炎や胃潰瘍と関連があるという説も徐々に認められてきた。そして、胃ガンの発症にも関連があるといわれるようになった。研究は急速に発展した。

逆境におかれるとヒトは

 胃や十二指腸に潰瘍のある人はピロリ菌に感染している人がきわめて多い。胃潰瘍の患者の90%、十二指腸潰瘍の患者の100%がピロリ菌に感染しているという。もちろん、潰瘍は他の原因によってもおこるから、ピロリ菌がいなくても潰瘍になる人たちは多い。
 いまでは胃潰瘍は手術はせず、薬で胃酸の分泌を抑えて治している。しかし、多くの場合しばらくするとまた再発する。ところが、抗生剤でピロリ菌を除くと再発が防げるのだ。この発見は、それまで胃潰瘍をくりかえしてきた患者たちにとっては朗報だった。
 さらに、胃ガンの死亡率がたかい地域では、ピロリ菌の罹患者が多いこともわかってきた。罹患した胃潰瘍の患者には、胃の粘膜に前ガン状態の変化が見られ、非罹患者の数倍から十数倍も胃ガンの発症率が高いことも報告されている。
 さて、ピロリ菌を除いて胃の調子がよくなると、当然のことながら、再感染が心配になってくる。再感染して、また、あんな惨めな思いをするのはやりきれない。では、人はピロリ菌にどのようにして感染するのだろうか。いまのところ、そのルートははっきりしていない。しかし、経口とされている。
 ピロリ菌の罹患率は、明らかに生活状態と関連している。衛生状態のよい先進諸国ではピロリ菌罹患率は20%ほどであるが、上下水道の発達していない途上国では80%をこえている。中国でのピロリ菌の調査論文をみると、100%近い人たちが感染している。
 日本でも、戦前は飲み水は流水や井戸水で、下水道の設備はほとんどない地域が多かった。ピロリ菌は飲み水やくみ取り式の手洗いを利用する暮らしのなかで、経口によって感染していったとされている。
 そのため戦前から戦後にかけて子供だった人たちには、ピロリ菌の罹患者が非常に多い。60歳以上では70%をこえる。一方、戦後、衛生状態がよくなって、上下水道の設備が普及してから育った人たちでは罹患率が低い。10代20代では20%前後で、欧米先進諸国とほぼおなじである。
 家庭で母親が罹患していると、子供たちもたいてい感染している。兄弟姉妹は互いに感染していることが多い。これは離乳食が普及する以前は、母親が口で噛んで幼児に与える習慣があったためと考えられる。保育所や幼稚園などで集団生活をした人たちにも罹患者が多い。
 一方、母子間にくらべて夫婦間では、両者が感染している頻度が低い。このため一般に、感染は乳幼児の時期におこり、大人になると感染しないとされている。けれども、消化器科の医師や看護師の罹患率は、一般の人たちの2倍というデータもあるから、大人は感染しないというわけではない。
 ハエやゴキブリあるいはペットなどの動物を介しての感染を疑う人もいる。ゴキブリにピロリ菌のついた餌を食べさせると、翌日、感染可能な数の菌が糞に見いだされるという報告もある。
 用心しなければならないのは、内視鏡検査による感染である。田舎の医院では、検査後、内視鏡を滅菌せずに水で洗いタオルでひと拭きして、次の患者に使っているところもあるという。
 内視鏡検査後に胃の具合がひどくわるくなったと訴える患者がしばしばおり、こうした患者は神経質で、検査のストレスで胃がわるくなったと感じているのだとされてきた。が、最近では、内視鏡を介してピロリ菌に感染したものと考えられている。
 先日、近くのクリニックへ行った。待合室に座ってまわりを眺めると、壁に真新しい内視鏡洗浄器のポスターがはってある。その下に、「当院は新しく内視鏡洗浄器を購入しました」と書いてある。すると、この医院には、それまで洗浄器はなかったのか、タオルで拭いていたのか、と思ってしまった。
 私の兄弟で、胃で苦労したのは私だけである。みんな胃はいたって丈夫だ。といって、彼らがピロリ菌に感染していなかったとは思えない。このように、ピロリ菌に感染すると必ず慢性胃炎や胃潰瘍になるとは限らない。慢性胃炎や胃潰瘍には、遺伝的なものを含めて、ピロリ菌以外にさまざまな要因が関わっているようだ。
 ウォーレンとマーシャルの発見が最初、無視され批判されたのは、それが、当時の医学の標準的な知識とくい違っていたからである。人は当然その時の知識にもとづいて判断する。しかし一方、確信をもって発表したのに、無視されたり、不当な非難をあびた研究者の方はどうだろう。こんなとき人はどんな行動をとるだろうか。
 おおざっぱに三つのタイプに分けられそうである。一つは、受け入れられなかった研究テーマを断念し、別のテーマに切り変える人である。ある意味で、素直で柔軟な人なのかもしれない。
 遺伝の法則を発見したG・メンデルは、エンドウマメの遺伝の実験がさっぱり認められないことを知ると、きっぱりと実験をやめて、太陽の黒点観察など、それまでとは全く無関係なことをはじめている。そして、最後には、僧院の院長となって、僧院への課税の反対運動にとりくんだりした。遺伝の法則が再発見されたのは死後、何年もたってからである。
 次のタイプは、どんなに無視され非難されても、毅然として、その研究をおしすすめる人である。いわば執念の人である。たとえば、O・エイブリィーである。彼は遺伝子がDNAであることを発見して、ひどい反論と批判にさらされた。しかし、気力体力のつきるまで実験をつづけた。そして、失意のうちに去った。
 最後のタイプは、反対されると頭に血がのぼり、過激な行動をとる人である。マーシャルはこのタイプの人のようだ。自説が認められないと、いらいらしてピロリ菌の培養液を飲みほしてみせた。これで胃炎になれば文句ないだろう、というわけである。結果として、急性胃炎になっただけでなく、奥さんに別居を申し渡され(そうになっ)たという。
 受賞のときのマーシャルの写真をみると、なるほど、人体実験も辞せずという顔をしている。一方、ウォーレンの方はとてもそんなことはしそうにない顔だ。
 逆境でどんな行動をとるかは、人それぞれである。けれども、幸運は行動とは関係なく、訪れるときには訪れる。
 そして、たいてい訪れない。

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