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新・ヒトという生きもの 柳澤嘉一郎
第1回 世の中〈はてな?〉に満ちている
驚きの新生物

 世の中には、はてな?と思うことが沢山ある。
 たとえば、共産主義を標榜する政府のもとで、信じがたいほどの所得格差の国があったり。頼まれもしない他国へ出兵しながら、自国の災害者はほっておいたりする国があったりする。
 理屈がとおると思われている科学の世界にも、はてな?と思うことは沢山ある。先頃も、はてな?と思うことがあった。
 単細胞の原生生物で、植物細胞が分裂して植物細胞と非植物細胞(いってみれば、動物細胞)とに分かれるものが見つかったのだ。単純にいえば一つの細胞から動物と植物が誕生したのである。
 発見者は私の友人で、藻類の分類を専門とする生物学者である。彼も、はてな?と思ったらしい。発見したその新種の生物をハテナと命名した。
 人はみんな、動物と植物は全く違ったもので、その間には判然とした区別があると思い込んでいる。で、この発見には驚いた。マスコミもとりあげて話題になった。
 それでは動物と植物とは、どこがどう違うのだろうか。そんなこと見ればわかるじゃあないか、というかもしれない。ケムシと松の木じゃあ随分違う。しかし、その基本的な相違は? とあらためて訊くと困惑する。
 ケムシは動くから動物だし、松の木は地面に生えているから植物なのだ、と多分、答えることだろう。たしかに、動物は動くから動物とよばれ、植物は地面に生えているから植物とよばれている。けれども、これは動物と植物を判別するいくつかの基準の一つである。動物と植物の間には、まだ違いがある。
 たとえば、動物には感覚器や神経、筋肉などの分化した器官があるが植物にはない。だから動物は外界の刺激にすぐ反応するが、植物はすぐには反応しない。
 さらに、動物は全体の形を維持したまま、からだを成長させるが、植物は成長点とよばれる、からだの一部分だけが伸びて大きくなっていく。したがって、成長すると全体の形が変わることが多い。
 細胞のレベルでも違いがある。動物の細胞は細胞膜にかこまれているだけだが、植物の細胞には、その外側にもう一つセルローズでできた厚い強靱な膜、細胞壁がある。
 この違いは些細なようだが、これが植物のさまざまな特徴の原因になっているという研究者もいる。で、こんな風に説明する。
 植物が動けないのは、堅い細胞壁のためである。外の刺激にすぐに反応できないのも細胞壁のせいで、細胞間の連絡がとれにくいからだ。
 さらに、植物が環境に強いのも細胞壁のおかげで、環境が多少変わっても移動せずに一カ所で生存することができる。細胞壁のせいで餌を外からとり込むことができないので、自分で栄養をつくって生きていく方法を獲得してきたのだという。
 けれども、私にはむしろ、植物は光合成によって独立栄養ができるようになり、そのために、餌を求めて動きまわる必要がなくなって、動かなくなったからだを保護するために、細胞壁ができてきたのだと考える方が納得しやすい気がする。

ミドリムシとよばれてはいるけれど

 光合成によって独立栄養で生きられるのは、植物の大きな特徴である。太陽の光のエネルギーで水と炭酸ガスと地中のわずかな無機物から、自分に必要な栄養を自分でつくって生きている。一方、動物は他の動物や植物などの有機物を食べなければ生きていけない(従属栄養)。
 植物が自立して生きられるのは、細胞内にある葉緑体の働きのおかげだ。葉緑体中の葉緑素が、光のエネルギーによって炭酸ガスと水から糖やデンプンを合成し、脂肪やアミノ酸も合成している。
 栄養の摂取が独立か従属かの区別は、動物か植物かの判別のもっとも重要な基準である。で、動物か植物かの判別は、しばしば細胞内の葉緑体の有無によってなされている。
 さて、発見された新生物、ハテナは、単細胞で葉緑体をもっている。したがって、植物と判定されるだろう。ところが分裂のとき、葉緑体が集まって片方の細胞だけに配分されて、もう片方には配分されない。
 いってみれば、分裂によって生じた二つの細胞のうち、一方は葉緑体をもつ植物細胞となるが、他方は葉緑体をもたない非植物(動物)細胞になる。葉緑体をもたない方の細胞は、その後、動物細胞のように水中の緑藻をとり込んで成長し、植物細胞に変身する。
 目に見える世界では、動物と植物の違いはだいたい、はっきりしている。しかし、目に見えない微生物(原生生物)の世界には、動物だか植物だかわからない生き物が沢山いる。
 たとえば、ミドリムシとよばれる微生物は、鞭毛をもっていて、動物のように、さかんに動き回る。で、動物と思われてムシという言葉がついている。にもかかわらず、植物のように葉緑体をもっていて、ミドリ色で光合成をする。
 原生生物のなかには、動物の特徴も植物の特徴ももっていて、どちらか判別しにくいものが沢山ある。それで同じ微生物が、学者によって動物に分類されたり、植物に分類されたりしている。 
 それにしても、一つの個体が植物的なものと動物的なものに分かれるというのは珍しい。だから、発見者もハテナと命名したのだが、それより面白いのは、葉緑体をもたない動物細胞が、その後、緑藻をとり込んで植物細胞に変身するという発見である。
 葉緑体は、いまでは植物細胞の細胞内器官ということになっている。しかし、もとは別の生物で、光合成をする藍藻の類であったが15億年ほど前に、植物細胞にとり込まれ、その後、細胞内に共生するようになったといわれている。
 その理由は、葉緑体が植物の細胞とは別に、自身のDNAをもっていて、細胞の分裂とは独立に分裂していること。葉緑体のDNAの構造(塩基の配列)が、藍藻の葉緑素の元になったシアノバクター(バクテリアの一種)のDNAと、よく似ていることである。
 植物細胞の起源については、この葉緑体とり込み説が一般に支持されているが、この発見は、それをさらに裏付ける直接的な証拠のように思われる。はてな?より、まさか!と驚くべき発見といっていい。

光合成するヒト?

 ところで、はてな?と思うことはまだある。しばらく前にテレビを見ていたら、若い研究者が(齢のせいか、みんな若くみえる)マウスの卵に葉緑体を懸命に移植していた。
 この卵を雌のマウスの子宮にもどして、うまく子供が誕生すれば、あるいは全身の細胞に葉緑体をもった緑のマウスが誕生するかもしれない。多分、そう考えているのだろう。奇想天外なアイディアである。
 もし実験が成功して、葉緑体をもった動物が誕生すれば、世界は一変するに違いない。もし、これがヒトでも成功すれば、私たちは光合成ができて、食事をとらなくても生きていけるかもしれない。裸になって終日、公園の芝生に寝そべって、日光浴をして水を飲んでいればよい、多分。
 もはや食べるために、あくせく働くことはない。みんなニートで幸せである。この世から饑餓という言葉はなくなり、食料問題も貧富の差もなくなるだろう。うまくいけば戦争もなくなるかもしれない。そして、究極の平和が地上に訪れる。
 しかし、と考える。問題は、藍藻のたぐいが植物の細胞にとり込まれたのは15億年も前のことである。その間に、葉緑体はすっかり植物の細胞に順応してしまっている。
 いまでは、葉緑体のDNAのかなりの部分が(70%程度といわれている)植物細胞の核に移行しているという。植物のDNAもまた葉緑体に移っている。長い共生の末、互いの遺伝子が入り交じって、相手の遺伝子にも依存しあって、その機能を果たしている。
 したがって、自分の遺伝子だけではもはや機能を果たせない葉緑体を、動物の細胞に人工的に移植しても、葉緑体がそこで分裂増殖して光合成の機能をもつとは、とても考えられない。
 それとも、その若い研究者は、植物細胞に移った葉緑体遺伝子をも同定し、単離、移植するとか、他に独自の工夫を考えているのだろうか。彼はマウスの卵にDNAを導入するエキスパートだという。

 はてな?と思う話はまだまだある。海にウミウシという動物がいる。その仲間には、光合成のできる藻類を食べて、その葉緑体を消化せずに、自分の細胞内にとり込み、自身、光合成をするものがいるというのだ。
 その藻類の葉緑体とウミウシの遺伝子の関係はどうなっているのだろう。その藻類の葉緑体は多分、光合成を行う遺伝子を全部、自分でもっているのだろう。それにしても、そのウミウシの細胞核には、葉緑体を容易に共生させる、どんな遺伝子があるのだろうか。
 世の中〈はてな?〉に満ちている。

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